VS 異世界大猩猩 2
俺の親代わりにして師でもある恩人、日向日和さんは俺の知る限り最強のお人だ。
退魔師としての術法、対人外戦への知識・経験、そしてなによりも数えきれないほどの実戦に基づく実力。ともかく手札の多さが並じゃない。
そんな女性に師事する俺はといえば、まるで日和さんには届かない。術だの技だのなんていうものも覚えられない。
だから相手がこのゴリラで良かった。もしこの脳筋化物以外が敵となっていたら、俺の勝ち目は極めて薄かったといえる。
暴風を纏う手足が唸り、紙一重のところで髪や皮膚を削いでいく。
既に〝倍加〟は百を超えた。刻々と速度と重さを増していくゴリラに戦慄を覚えつつ、隙を見て反撃に転ずる。が、いかんせん生半可な攻撃は再生を誘発させてしまい、より強固な筋肉を与えてしまう。
やはり一撃。それも心臓や脳を潰す致命打を当てねばジリ貧の敗北は避けられない。
それも、鎧のような筋肉を穿つ強力な一発を。
(…幸。深度をちょっとだけ、頼む。二滴から、…六滴辺りまで)
〝…〟
首肯を感じ取り、〝憑依〟の深度調整が済むまでの間を稼ぐ。百二十倍の脚力と、八十倍の動体視力で回避に専念、髪が瞳に映るほどにまで伸び、さらに艶と光沢を増していく。
深度調整終了を確認した。
「左腕力百五十倍!」
ゴリラの鋭い牙が並ぶ噛み付きを避け―――切れず肩を裂かれ、そのまま潜り込んだ懐から呼気と共に左腕を突き出す。掌底は鉄塊のような巨体を震わせ内臓を揺さぶる。
(流石に内側は生身のままか。内臓まで筋肉で締まってたら普通に機能不全だしな)
なら外皮さえ貫ければ問題ない。あとは貫通しうるだけの威力を叩き出すことを念頭に置いておけば。
「あでっ!」
鬼気迫る威圧感で、間近のゴリラから裏拳を食らう。顔を逸らして威力は減衰させたがそれでも視界が大きく揺らめく。
「こんの…!」
負けじと三発殴打を加える。やはり手応えは毛に覆われた鉄のようだ。だが衝撃は通っているのをゴリラの苦悶に満ちた表情から窺える。
「上等だこのリアルドンキーコングが!」
右手に木刀左手で拳を握り、俺の数倍にも膨れ上がった怪物ゴリラと真っ向から殴り合う。
〝憑依〟は深度を上げる毎に肉体に影響を与える。人外の性能を借り受け続けるのは人の器にも多大な負担を強いられるが、それ以上に調整を任せている幸の方が心配だ。深すぎる〝憑依〟は契約対象への痛覚フィードバックすら引き起こすから。
そういう意味でも、長く時間は掛けられない。
鉄球のような拳が頬骨を軋ませる、首が引き千切られそうな勢いで頭が傾ぎ意識が明滅する。お返しに胴体へ膝蹴りを見舞い木刀で脇下を打ち上げる。感触からして脱臼したらしいが、駄目だ。蠢く筋肉が強引に骨を擦り合わせて復帰した。
「ふっ」
爪先で地面を抉り、破片を巻き上げてゴリラの顔面へ浴びせかける。
鬱陶し気に顔面を左右に大きく振るう合間に、大きく沈み込ませた体をゴリラの股下から抜けて背後を取った。
振り返るタイミングに合わせ、切っ先を左手で押さえて照準を定める。
刮目、傾聴。
突き穿つべき一点を、人外レベルに強化された聴覚で探り当てる。
「そこか!」
胸の中央やや左。恐るべき右ストレートがこめかみを掠る恐怖に退かず、駆動する全てを活用させて突き出す木刀の突撃が心臓の位置を的確に捉え射貫く。
分厚い胸板のせいで貫通はしなかったが、鼓動を潰すことには成功した。上等だ。
真上から振り落とされる頭突きをバックステップで躱し、蜘蛛の巣状に広がる亀裂に足を取られながらも次いで迫る両腕の二撃をいなして流す。
心臓を破壊されてまだこれだけ動けるのは大したものだが、ここまでだ。
怒りは摩耗し、肉体は生命の流れを阻まれ衰える。
明らかに致死量の吐血を繰り返し、ゆらゆらと左右に振れるゴリラはついに両膝をついて前のめりに倒れた。
「泥臭い戦闘だったな…見苦しかったろ?」
切れた口の端を拭いながら笑うと、内側で幸がぶんぶんと否定と称賛を送ってくれた。闘った俺自身がゴリ押しの醜い闘い方だったと感じているんだけど、幸には違ったらしい。
あの人ならもっとスマートにさくっと片づけられるのにな。
「まぁいいや。終わり終わり。あとは…………あー」
あの肉ダルマに埋まったままの木刀を回収しないといけない。
「………」
「眠たいか、幸。そうだよな、寝たいよな。俺も疲れたよ」
〝憑依〟を解除し、眼前に元通り現れた着物姿の童女が小さく欠伸を噛み殺すのに苦笑する。
『お疲れさまでした。実験はこれで終了です』
開始前と同じ機械的な音声が告げる。
『お二方はどうされますか。帰還か、続行か。あるいは他の実験を観戦するという選択もございますが』
「そもそも続行て選択肢があった時点でビビってんだけど。連戦しろってことかよ」
こんな化物と二度も三度もやりあえるか。死ぬわ。
そういえば、この実験での報酬は金となんだったか。異世界への転移だかなんだか。
『この度の勝利により、貴方には自らの住む世界より別の世界への移動権が一度限り認められました』
「なにそれ、一回行ったら帰ってこれないの?」
『往復で一度とカウントさせて頂きます』
そこは保障してくれるんだ。親切なんだか適当なんだか。
とはいえ別に異世界とかに興味はない。あ、でもどうだろ、人外と人間が仲良く共存してる世界とか、あるんだったら見てみたいかも。
「…っ、…っ」
と思ったけどいいや、幸が眠そう。
こっくりこっくりと立ったまま船を漕ぎ始めた幸を抱いて、ふと思いついた悪戯を口にする。
「なあ、逆って出来る?」
『逆、とは』
俺が異世界へ行くことは無いにしても、せっかくの権限を使わないのはもったいない。
「その勝利した報酬で、俺の世界の人間を一人、こっちに引き摺り込んでこれないかって話」
きっとこの時、俺は大層悪い顔をしていたのだろう。幸に見られなくて良かったと思う。
説明不足で俺にサインさせて、無理矢理ここまで連れて来させた張本人。
自分だけ傍観はずるいだろ、日和さん。たまには貴女も体動かしましょうや。
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