VS 異世界大猩猩 1
勘違いがあった。
詳しく話を聞く暇が無かったのと、秘密事項が多かったのが主な原因となる。
相手が武術の達人どころか、人間ですら無かったこと。そして敵意と殺意に満ちた化物であったこと。
せめてそれだけでも知っていれば、初撃を防ぐことは出来たはずだ。
「ぐ…っは」
扉の解放と同時に跳び出して来たソレを前に、俺は幸を真横に突き飛ばすことしか出来なかった。いや、それだけでも出来て良かったと考えるべきか。
結果として岩塊のような拳に見舞われたのは俺一人で済み、さらに木刀での防御も間に合った。だがそれでも貫く衝撃は体を浮かせ後方の壁まで吹き飛ばした。
〝倍加〟の異能で強化された肉体でなければ一瞬でミンチだったことだろう。減り込んだ壁から手足を引き抜きながら冷や汗を垂らす。
部屋を揺るがすほどの咆哮とドラミングで自己の存在を誇張する威嚇行動。見た目通りの知能しか持たないようだが、脅威は十二分と言える。
ゴリラ、なのだろうか。アレは。
(少なくとも普通の生物じゃねえ。ただ人外…でもなさそうだ。なんだアイツ)
隆起する筋肉は膨張を続け、自壊と再生を繰り返しながら強化されている。まず思ったのは長期戦を避けるべきという点。
次に、巨大なゴリラが自分以外に注意を向けたことに大きな怒りを覚えた。
体ごと向き直った先には押し倒されて尻餅を着いた着物姿の童女。実力の高い順からではなく、単純に近い敵から屠る短絡的な思考だったのかもしれない。
だがその選択は致命的だ。
「悪手を取ったなこの畜生…!」
一体誰の前で、その子に手を出そうとしてんだよ。
踏み込み、地を砕く疾走は四歩で間を詰める。
〝倍加〟による脚力四十倍。渾身の蹴り上げで幸へ伸ばされた腕を弾き上げ、勢いそのままに逆の足裏でゴツゴツとした顔面を蹴り抜く。ゴリラは勢いに押されて仰け反るが、やはり決定打には届かない。
着地と共に両腕力・膂力共に最大強化五十倍。ミシリと軋む音の出所は筋肉かあるいは握る木刀か。
「くたばれ」
ホームランバッターよろしく脇腹へ叩き込む木刀の殴打。両足を踏ん張り、分厚いゴムを叩いたような手応えに押し返されそうになるのを堪える。
「おぉ、らァああ!!」
体勢に不利のあるゴリラに対し、万全の姿勢から狙い澄ませた俺の方に分はあった。サイズ比を〝倍加〟で補い、初撃のお返しとばかりに浮き上がった巨躯は真逆の壁面を粉砕して仰臥する。
「幸!無事だな!?」
「…っ」
とてとてと草履を擦らせて歩み寄る相方へ安否を確認すると、こっくりと頷いてから申し訳なさそうに頭を垂れた。
「気にすんな、正直俺も舐めてた!こんなの来るとは誰も思わねえだろクソ!この程度で終わるわけねえだろうしな」
予想は正しかった。片手で幸を抱き寄せ舌打ちする。
骨を砕き肉を千切るほどの威力。やはりあの化物を相手に破魔は通っていないらしいが、それにしたって単純な物理攻撃でも瀕死に追いやれる程度には痛撃だったはずだ。
だというのに起き上がる。陥没した脇腹をさらなる筋肉が鎧のように覆い包む。怒りに狂う咆哮は止まらない。
人の身に宿す異能だけでは倒せない。
「やれるか、幸。やっぱお前が必要だ。力、貸してくれ」
「…」
敵から目を離さず、代わりに懇願の意を抱き締める腕に込める。幸は一度俺を見上げてから、相手―――盛り上がる筋肉量に追い付けず引き裂かれ、なおも強引な再生を続ける凶悪な黒毛の怪物を見やり、そして最後にまた俺を見上げた。
「……っ」
もとより拒絶の意思は無い。同意に足る理由など必要無い。
俺がこの子のものであり続ける限り、この子の全ては俺のもの。
そういう約束だ。もっとも、使わなくて済むのならそれが一番ではあったのだが。
「いつも通り、初めは浅めでいい。状況次第で深度調整を頼む」
少女の全身が淡く白光する。純白の部屋でその姿が溶け込むように白んでいく。
否、確かに幸の姿は消えかけていた。その存在は人ならざるもの、質量を持たぬもの、人界に在らぬもの。
何らかの異常を感じ取ったのか、ゴリラは未だ強化も再生も済ませ切らぬ内に先手を取ろうと動いた。
クレーターを生み出す跳躍は初動こそ見えたものの、そこから天井面をさらに飛び跳ね迫る挙動には眼球の動きが追い付けなかった。
鋭利な爪の揃った右手を横薙ぎに、容易に人体を細切れにする斬撃が距離すら無視して四つの直線的な軌道を地から斜めに奔らせた。破壊された天井から何かの基盤やら機材やらが破片となって降り落ちる。
ゴリラは鼻息荒く憤怒に乱れ、獲物を仕留め損ねたことにまた怒りを募らせていた。
悔し気に地団太を踏むゴリラの十数メートル後方で、かろうじて回避に成功した俺一人がゆっくりと息を吐く。
(…やばかった。まだ速くなんのか)
〝……〟
完全に姿を消した幸はこの部屋のどこにもいない。今現在を日向夕陽という器の中で俺の意思と同居している。
座敷童子は大元を妖怪種に連なる存在。〝憑依〟とは概念種の特性であるが、幸には最古参に語り継がれる伝承口伝その他、人による様々な見解曲解により存在構成が若干乱れている部分がある為にこの例外が通る。
裕福だった貴族出の令嬢の死後の姿、あるいは人に幸福を授ける日ノ本の妖、あるいは古き家に棲み付くとされる妖精。座敷童子は諸説ある。
概念種・妖精種・妖怪種の要素を織り交ぜた幸は
その彼女から〝憑依〟によって与えられる恩恵。人の器に人ならざる要素を溶け込ませる影響は極めて大きい。
端的に言えば人から外れる。理を超える。人間の域から一歩踏み外し、ようやく俺は人ならざるものと同じ土俵に上がる。
日和さんによれば、この状態は異例らしい。そも〝憑依〟とは人と人外の友好的な協力手段などではない。概念種が強引に寿命や人生の価値を餌として喰らう為の、強制搾取の契約なのだから。
だが幸は俺から何も奪い取らない。この子は俺の意志を尊重してくれる。人外との共生を求める俺の願いに賛意を示してくれた。
だから全て差し出せる。心身寿命人生全て、生きる上での全てを献上したって足りないくらいだ。幸は絶対受け取らないだろうけど。
異例と呼ばれる〝憑依〟の所以はこれだ。一方的な搾取の契約ではないからこそ、俺はこれを完全と捉える。
三種の人外要素を持つ彼女との同化現象。外見にさして変化は現れない。せいぜいが若干伸びた艶のある黒髪。幸からの影響が、座敷童子の『名残り』が、光沢のある深い黒髪として深度の程を体現する。
『
(ちょっとだけ辛抱してくれ、俺も頑張るから)
〝…〟
強い首肯。見えなくとも聞こえなくとも、幸の感情は直接伝わって来る。
(終わったら家帰って甘味でも食おう。日和さんが良いとこの羊羹貰ったって言ってたし)
〝……!〟
強い歓喜の念を感じる。瞳をキラキラさせて、幸が早く速くと俺に勝利と帰還をせがむ。
いいよ、分かった。すぐに終わらせて、一緒に帰ろう。
「上限解放、人域突破。全身体能力八十倍で固定」
ここからが本番だ。
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