メイドと秘書のぼやき 7

 いつもの大衆居酒屋、いつもの席、いつもの二人。何も変わらないいつもの飲みに来た二人の様子である。

「今日も一日お疲れ様!かんぱーい☆」

「かんぱーい☆」

「よく分からないけどまあいいか。いただきまーす♪」

「みーとぅー♪」

 食事に突入する二人。

 やがて栄養摂取が済み、一息つくと、いつもの飲酒タイムにシフトした。

「いやあ、やっぱり食べてから飲まないとね」

「胃腸に良くないですものねえ」

「そうそう」

 ルビノワがストックしてある日本酒の一升瓶を傾け、コップ酒で頂こうとすると。

「あ、注ぎますよう」

「あらそう? ではでは」

「はいはい。おっとっと」

「おっとっとっと……縁すれすれ。お見事」

「恐れ入りますよう☆」

 素直に注いでもらったそれを、軽く一口。

 これは口当たりが優しく、ついつい進んでしまう酒なのだった。実に美味い。一息ついた。

「ふう。……何か五月はあっという間だったわね。

 朧も元気になって一段落付いた感じだわ。それについてもかんぱーい☆」

「ありがとうございますう! かんぱーい☆ ぐびぐび。

 はあ……でも、私だって一安心ですよう? だってもう、ご主人様の事も沙衛門さんの事も少しも怖くないんですから。

『心が元気なのって素敵☆』

と思って身体の芯が熱くなりました。はふう……」

「身体の芯は冷やしておきなさいよう。

 いちいちそうなられては私は安心出来ないぞ?」

「あら? やっぱりお一人ではやっぱり眠れないんですねえ。

 可愛い☆」

「いえ、そんな話はしておりません」

「照れ屋さんですねえ☆

さあ、お姉ちゃんの胸に飛び込んでいらっしゃい?」

 ルビノワを迎え入れようと、朧が両手を広げる。

(駄目かなあ)

と思っていると、コップを手に、ルビノワがその腕の中に入って来たではないか。

 グラスを口にしながら彼女によっかかるルビノワ。驚く朧。

「ど、どうしたんですかあ?

 気でもふれましたか?」

「あなたが

『いらっしゃい』

って言うから」

「つ、つまり

『照れ屋でエッチなルビノワさん』

なんですかあ? びっくり!」

「照れ屋ですね、ええ。エッチ……エッチかなあ。人並みには」

「親御さんが泣きますよう?」

「親の話はやめてよ、婦警さん」

「あらあら。ついでに家出少女風ですね。

 悩みを打ち明けて御覧なさい?」

「おほん。では。

・主殿がアプローチしても振り向いてくれない。

・沙衛門さんが主殿のおかずを取る。

・沙衛門さんはもしかしてエッチな人ではないか?

・時々自分が朧に洗濯を頼み、干していた下着がなくなる。

・朧の部屋の引き出しから発見される。

・朧が自分の部屋で人の下着を眺めてうっとりしているのを見かけた事も度々ございます。

・と言いますか、返せ、私の下着。

……とまあ、ざっとこんな感じかしら。

 勿論全部ではないですよ? ふ・け・い・さん?」

 少し酔いの廻って来た色を帯び、朧に流し目をするルビノワ。赤く染まっている彼女の頬。

 匂い立つ色気が朧の背筋をぞくりとさせた。

「す、好きにして下さい、被疑者さん……あうう」

「誰が被疑者だ。不名誉な発言は控えて下さい」

「すいません、書類送検中の方」

「ランクが上がってるじゃないのようっ!? どういうつもりだこの駄目婦警っ!!」

 ぷりぷりと怒りながら朧の襟首を引っ掴むルビノワ。襟元から白い鎖骨が覗いた。

 切なげに潤んだ瞳、揺れるブロンド、白い肌に赤く染まった頬。

 朧がじっと彼女を見つめ、呟いた。

「乱暴にしないで下さいっ。しくしく。

『脱げ』

と言われれば……その……脱ぎますから。

 それともお脱がしになられますかあ?」

「脱がなくていいし、脱がせたくない」

「着たままをお望みなんですねえ?」

 彼女には珍しい妖しい笑みで三つ編みをかき上げた。

「……どうぞ、来て下さい……」

 消え入りそうな朧の囁きが、ルビノワの耳をくすぐった。

「あなたはその強靭な精神を他の事に使えないの? お姉さんは悲しいわよ?」

「お屋敷の皆さん限定です。私なりの愛情表現なんですよう?」

「どうやらそうらしいのは分かるけどさあ……」

「私が道端でよその人をとっ捕まえて

『私と関係を持ちなさい。さあ。くくくくく』

と強要した事がありますかあ? ないでしょう?

 そういう事です」

「はあ、左様でございますか」

「左様でございます」

「すると、私達だからそういう事を言ったりしたりする訳ね?」

「ええ、

『厳しい選考に受かったのだ』

とでも思って頂ければ。そういうのは嫌ですかあ?」

「もう少し場所を考えてくれればねえ……それなら甘え易いのになあ」

 後の方は小声で言った為、朧には良く聞き取れなかった様子。

 しかし、何故か嬉しそうに朧は表情が明るくなった。聞き返す彼女。

「最後の方が良く聞こえなかったんですけども、もう一度仰って頂けませんか?」

「いや、別に何でもないわよ?

『受かっちゃったのかあ……』

と思っただけ。良くも悪くもない話だわ」

「いーえ、もっと別の口の動きでしたよ。さあ、正直に教えて下さいよう、ルビノワお姉ちゃん」

 後から優しく腕を回され、ルビノワは

『おっとっと』

という風に、テーブルの真ん中近くにグラスを置いた。

 朧のグラスはどうなのか心配になって彼女の手を見ると、中身はもうない。それを渡してもらい、隣に置くと、彼女の腕に身を任せた。ぼやけた頭で

(今日は普通に酔ってるな)

と思った。

 ふと自分達の追っ手の事が頭をかすめたが、朧の知り合いであるここの裏支配人とやらが、何かあれば知らせてくれるだろう。多分。

 今は忘れる事にした。

「ねえ、意地悪しないで教えて下さいよう☆」

 それには答えず、別の事を彼女は口にした。

「ねえ、あれをしようか?」

「はぐはぐするんですか? 何かご無沙汰ですねえ☆」

「あなたが落ち込んでいる時、何回もしたのよ?

 まあ、しょうがないか。覚えていなくても」

「したって言い方は何かドライですねえ」

「自分でしたくてしたんだからその言い方でいいのよ。

『してあげた』

って言い方だと

『サービスしてやった』

みたいなニュアンスじゃない。えらそうで好きじゃないな、そういうの。

 るいさんもきっとそう言うわよ」

「え?

……あー」

 朧の顔が更に明るくなる。照れくさそうにルビノワが微笑した。

「皆あなたの事が好きなんだからね?

 忘れられちゃ辛いわよ……あ、やっぱり、少し横になっていい?」

「おねむですかあ? 残念。では、私が膝枕したげますう」

「ありがたいわね。よいしょっと……はあ。

 暖かいなあ。眠くなりそう」

 眼鏡を外して畳み、テーブルへ。ポニーテールも解く。ゴムは手首へはめておいた。いつもの流れだ。

 朧の右の掌を優しく掴み、それに口づけすると、ルビノワは自分の頬に押し当てた。目を閉じて彼女の体温を感じる。

……今日のルビノワは変だ。こころなしか至福の表情の彼女の頭を朧が左手で優しく撫で始める。

 それに任せたまま、ルビノワが不意に訊ねた。

「……ねえ」

「はい、なんですか?」




「私があなたみたいになった時、傍にいてくれる?」




 ぽかんとしていた朧の顔が、不意に泣きそうな顔になった。

「当たり前です! 皆だって一緒にいてくれますよ。びっくりしたじゃないですか。

……寂しがりなんだから。ちゃんと普通に甘えられる時は素直に甘えて下さい。

 日頃皆に

『私達は友達でしょう?』

って言ってるくせに、そういうとこだけ素っ気無いんだからもう……泣きますよう?」

「……ごめん。

『自分はそう思っていたけど、違ってたみたい』

というのだったらどうしよう、って思ったら寂しくなったのよ。

 何か今日は廻りが早くておセンチになりました。ご容赦を」

 朧の掌をきゅっと握る彼女。朧も少し強めに握り返した。

「しょうがないなあ、もう。なでなで!」

 掌で軽く押す様にほぐしつつ、ルビノワの頭を朧が撫でてやる。

「気持ちいいなあ……ずっとこんなならいいなあ……」

「消えそうな事言うの禁止ですう~!」

「はーい。そっかあ、皆、いてくれるんだ……良かった……」

「んも~!」




 朧は

(彼女が目を開けていたら、どういう表情で今の話をしたのだろう……)

と、少し考えつつ、切なさに溢れて来た涙の粒を左手の人差し指でそっと拭った。

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