忍びとくノ一のはみ出し会話 6
夏の夕暮れ。沙衛門とるいは家の縁側にいた。
地下鍾乳洞は涼しくて気分がいいが、真っ暗なのが玉に傷だった。沙衛門は
『死んだ仲間の顔が思い出される』
という理由で、悲しくなる為、暗い所は嫌いなのだ。正直言って、るいがいないと叫び出しそうであった。
今、彼は一応蚊とリ線香をつけ、それから少し離れた横で、るいの膝枕の上に頭を載せている。
るいが彼の顔を優しく微笑しながら見下ろしていた。
「ここに来て、早くも3ヶ月か。早いものだ。その間、屋敷のみんなと何とかやって来て、お前とも夫婦になった。
されど、全然実感が湧かぬ。夢の中にいる様だ」
「昔いた時代に比べたら断然こちらの方が平和ですからね。
密書を奪って来るとか掃討作戦とかそういう仕事もありませんし。毎日のご飯の心配もない訳ですから、自然に顔つきも変わって来ますね」
「……変わったかな?」
「沙衛門様は随分と変わられましたよ?
昔は仕事の時以外でも険しい顔をなさっていて、正直少し怖かったです」
「それは済まなかった。ちいとも気付かなんだ。
しかし、それならそうと言えば良かったのに」
「私もそうするしかないと思っていましたから。 随分つんつんとしていたと思いますよ?
……私、どう見えました?」
「そうさなあ……」
彼は少し思いに囚われ、それから口を開いた。
「初めは取り付くしまがなくて怖かったな」
「ああ、やはり……」
肩をすくめて苦笑する彼女。しかし沙衛門は更に続けた。
「しかし、それはお前と暮らして行く内に
『安心して甘えられる相手がいないからである』
という事が次第に分かって来た。
『この子は怖がっているのだ』
という事がな」
「私が、ですか?」
沙衛門は寝転がったまま、彼女の事を仰ぎ見て、その右手を自分の五本の指の中ほどまでで、少し掴んだ。
いつもの眉間にしわを寄せた目つきではない、本来の少し不安げな、しかし優しい眼差し。
彼女の手をつまんで揺らしながら、彼は訊ねた。
「正直に話してくれんか」
彼女は少し驚いた様に彼の顔を見つめていたが、また元の様に優しい笑顔に戻った。
「……ふふっ、そうですね。前にも話しましたけど、安心して甘えられる相手というのに心当たりはありませんでしたね。
沙衛門様の仰る通り、怖かったです。周りが」
沙衛門はるいの瞳を見つめたまま、安心したように微笑んだ。握って来る彼の手を優しく握り返す彼女。
るいは何となく彼の額に自分の額をそっと押し付けた。
目を閉じ、彼女の体温を感じながら沙衛門は呟いた。
「……暖かいな。
確かに、他の土地の血が入らないと言う理由だけではないと見ていいくらい閉鎖的な場所であったから、無理もない。
まあ、朧殿達の村と大して変わらないだろうな。
……俺はお前と出て良かったと思っている。今でも」
額を彼のそれに押し付けたまま、るいも静かに呟いた。
「私もです。
あの村で一生を過ごすくらいなら、空腹で飢え死にする方がマシですもの」
「ふふふ。その気の強さには何時も助けられて来たな。
改めて礼を言う。ありがとう」
「いえ、こちらこそ知らない場所へ引きずり出して下さって、心から感謝してます。
やはり一度外へ出た人間でないと、他の場所で暮らす事の魅力を上手く伝えられないですね。私は、村から出て暮らすなんて、想像もつきませんでしたから」
「では命を懸けただけの事はあったという事だな」
「ええ。でもその事は何度も一緒にあちこちを旅している内にお話ししましたよ?
忘れないで頂きたいです。寂しくなります」
「いや、済まん。忘れた訳ではないのだ。
俺はおじさんだからな、何度も同じ事を話してしまうのさ」
「お歳はもう関係ありませんよ。だって主殿にこの屋敷へ連れて来られてから、私達はもうずっと歳を取らないのですからね。永遠に。
ですからどこまでだって行けます。その気になれば宇宙にだって行けますよ」
「宇宙か……。どういう所か見てみたいな。いつかみんなで」
「そうですね、いつかみんなで。早く宇宙旅行も民間人向けに安くなればいいのに」
「そう言えば、俺達は『はねむーん』という奴に行っていないな。今度是非行かねば。
どこがいい?」
「国内がいいですね。またいつぞやの様に、北海道へ行くというのは如何ですか?」
「そうだな。夏場でも北なら東京よりは涼しかろう。
「ゆっくりでいいです。ゆっくり、楽しんで計画を立てましょう。もう昔の様に
『生きている内に見ておこう』
という風には、考えなくていいのですから」
「ふむ……るい、朧殿とルビノワ殿の事だが」
「今はその事は忘れましょう。嫌でもその内けりを着けねばなりません。あのお二人を付け狙う者達と」
「分かった……そうだな。
今だけ、恐れながら、忘れさせてもらうか」
「忘れていられる時間を大事にしたいです」
「つまらぬ事を言って済まぬ」
「いいえ。……沙衛門様」
彼女は沙衛門から離れると、彼にすがり付く様にして、横に寝転んだ。そっと彼女を抱き寄せ、軽くくちづけを交わす。
……お互いの呼吸を感じる、静かな時間。
そして、そっと離すと、彼女を抱き寄せたまま、沙衛門は言った。
「『生きているんだ』
という感じがする」
「『生きているんだ』
という感じがしますね」
「心の底が冷えた様な、場違いな所にいる、そんな感じもいずれなくなるだろう。
早くその日が来るといいな」
「来ますよ、すぐに。
多分過ぎてから分かるんでしょうけどね、残念ながら」
「そうであろうなあ。
後で分かるのだ。いつも」
「酷い話ですよね?」
「全くだ」
二人は顔を見合わせて、おかしそうに笑った。
蚊取り線香の火が時々強くなり、弱くなる。時間が少しづつ、夕暮れから夜に移り変わって行く。
闇が、二人の笑い声を優しく包んでいった―
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