36 夢は夏の風にのって……

 朧が仕事に復帰してから数ヶ月が過ぎた。

 今日はたまたま五人共お互いの休みが重なったので、『彼女』の眠るお墓の前でお昼にする事にした。朧お手製の弁当に舌鼓を打ち、やや暑い日差しの下、大きなパラソルを差し、ご満悦である。

 幽冥牢が至福の表情で言った。

「いい天気ですねえ。

 おっ、見て見てルビノワさん、広がる青空に未確認飛行物体」

「あらホント。でも何処かで見たデザイン……って、ああっ! わ、私の下着だっ!!」

「え!? 下着を大空へ解き放つご趣味があったんですか!?」

「私がそういう人間に見えるんですか?」

「そうじゃないと思っていた……でも誰にでも他人を驚かせる一面があるもの。ですからこれくらいの事であなたを見放したりしませんよ? 大丈夫☆」

 そう言って、幽冥牢は彼女の手を優しく握った。茫然としながらそれを見つめるルビノワ。

「それにほら、あんなに眩しく飛んで行きますよ……」

「それはシルクの品ですから」

「大丈夫です。ルビノワさんとセットでないのは胃に穴が空くほど残念ですけど、俺は中身の方に興味があるので」

 一瞬

(改めての告白をされたのか)

とびっくりして幽冥牢をルビノワは見た。

「私に……ですか?」

「だって下着は絵を描く時の参考程度にしか必要でないですから。それにブラウスがはだけている方が好きだし。

 せいぜい防御力の低下の問題があるのと追加効果『シルクの光沢』が使えなくなるくらいですよ。だから気を強く持って。ね?」

「いや、あの、装備と言えば装備ですけれど、武装ではないんですけど!」

「それもそっかあ! はっはっは☆」

「高らかに笑って誤魔化さないで!」

 頭をかきながら笑い飛ばそうとする幽冥牢にルビノワがシャウトする。

 その間にも、水色のそれはひらひらと青空を舞って行く。何処までも、空高く。

 何故か心を癒される風景に、幽冥牢、朧、沙衛門、るいは箸を休め、眩しそうにそれを眺めていた。何処からか吹いて来た初夏の風に髪を押さえながら、朧が呟いた。

「ここに来る前、

『干していたのにないなあ』

と思ったら、あんな所を自由に舞っていたんですねえ☆

 さすが、ルビノワさんの残留思念がたっぷり染み込んだ物だけあって元気一杯。

 そのまま、皆の夢をのせて、何処までも、何処までも、高く飛んで行って……忘れないよ、あなたの事……」

 朧の胸に切なさが込み上げ、その瞳から一粒の涙がこぼれ落ちた。

「ポエット……!」

 幽冥牢が神妙な表情で評価した。

「染み込んだ……残留思念……元気一杯って何処から訂正すれば……ええいっ! えーと何だ、私のぱんつが飛ばされているじゃないのようっ!!」

「よほどショックなんですねえ。いつものキレがありません。

 可哀想に……よしよし☆」

 朧の手が、眼鏡の奥の瞳をうずまきにして発情、いや、一大事に慌てるルビノワの頭を撫でる。

「頭を撫でてないで何とかして……いや、沙衛門さん、るいさんでもいいわ、『霧雨』であれをとっ捕まえる事は出来ませんか!?」

『ぐぬぬいっ!』

と、沙衛門の襟首を両手で掴んで迫るルビノワ。慌てて弁当をるいに預ける沙衛門。

(こんな事態になるなんて、信じられない……)

という表情でルビノワを見つめ、沙衛門が呟いた。

「可能だが、大胆過ぎぬか、ルビノワ殿。俺、困っちゃうではないか」

「すっとぼけてないでお願いします!」

「い、いぇすまむ!」

 目を『><』にして返事をすると、沙衛門は立ち上がった。

 が。

 沙衛門から受け取った重箱にあったふかふかそうな卵焼き。それを端でつまみ、るいが頂戴してしまっているではないか。

 中に入った具ごとに分けて入れてあったのだが、列から想定するに、中身はさんまの水煮の缶詰をほぐしたものと思われる。それを味わうるいの顔色の、何と血色のいい事か。頬に手を当て、心の底から味わっている様子だった。ごくりと飲み込み、ほう、と久々に艶やかな溜め息をつくと、告げた。

「お・い・し・い☆」

「一寸待て。それは俺の最後のお楽しみに……ああっ、既に三つ全部ない、だと……! あんまりではないか、るい!! ぷう!」

 激しく落涙しながら抗議のふくれっ面をする沙衛門。るいの顔から血の気が引いた。

「あら、そうだったのですか!? てっきり食べる権利を私に譲渡したものとばかり……くすん、申し訳ありません」

「美味しい卵焼き……」

 余程楽しみにしていたのだろう。沙衛門は今にも膝から崩れそうだった。

「Oh……!」

と幽冥牢が唸り、見かねた朧が進言した。

「まあまあ、お二人とも。まだまだありますし、何でしたら、私が後で作ってあげますから。ね? 沙衛門さん☆」

 沙衛門とるいの瞳に輝きが戻った。

「わーい! それなら構わぬし、全然平気。それと朧殿も戴いてしまえー」

「あらあら大変☆」

 沙衛門の頬をつつく朧。

「そういう態度が男を狂わせるのだぞ、朧殿」

 真顔で嗜める沙衛門。

「以後気を付けます」

 真顔でうやうやしく頭を下げる朧。

「いや、これからも是非続けて頂きたい。仕事が出来る人間は幾らえっちでも全く問題ないのだ」

 真顔で新たな道を示す沙衛門。

「分かりましたあ! 幽冥牢屋敷委員長(今や意味の無い肩書き)として責任を持って務めさせて頂きますよう!」

 拳を振り上げて宣言する朧。ルビノワが状況をスルーされ、膝を着いたまま闇を背負い、そっと草をつまんだり捻ったりしているのを見て、沙衛門が咳払いをしてから、声をかけた。

「ルビノワ殿、あれを捉えて戻ったら、沢山褒めてもらっても?」

 ルビノワの眼鏡が鋭く輝いた。構ってもらえた感と思われる何かが彼女の背後の闇を瞬時に消し去ったのを、幽冥牢達は確かに見た。

「ええ、もう目一杯褒めたげます。抱き締めてほっぺにキッス、後、そうね、表彰しちゃいます!」

 沙衛門は身に余る光栄を授かる予感に震え、言った。

「何と! るい、是非参加しろ!!

 ルビノワ殿が俺達を目一杯褒めてくれるぞ! し、賞状までくれるそうだ!!」

「そのお話、乗るしかありませんね……!」

 拳を握り締め、颯爽と、るいも立ち上がった。

「ん!? と言いますかるいさんもいいんですか? それはそれでOKなんですか!?」

「キッスは誰でもされたいものです」

 寂しげに肩をすくめるるい。

「あうう……ひとまずよろしくお願いします。あたしのぱんつをどうかよろしくお願いします」

「では、行こうか、るい」

「参りましょう、沙衛門様! もう見えなくなりつつありますが、ルビノワさん、おぱんつとの再会を楽しみにお待ち下さいな☆」

 たた、と彼らは走り去った。




 射られた矢の如く草原を疾走する二人の忍び。見よ、遠くにあったルビノワのおぱんつが彼らの『霧雨』の補足可能な圏内にぐいぐいと迫っているではないか。

 沙衛門とるいの手から投網の如く展開された『霧雨』がそれを捉え、手繰り寄せた。仲良しこよしぶりを見せ付けるかの如く、それぞれが端っこを持つと、彼らはルビノワ達の下へ、再び矢の如く駆け出した。


 干したてほやほやのルビノワのおぱんつの感触を確かめながら、ふと、沙衛門が呟く。

「しかし、ルビノワ殿も思い切ったご褒美をくれる。すとれすが溜まっているなら早くそう言えばいいのものを」

「いつもお一人で苦労をお抱えになられて……それでも、やっと心を開いて下さったのですね……」

 ルビノワが更に自分達に心を開いてくれた。そう思った二人の忍びの瞳から涙が溢れた。

「この思いを胸に抱いて生きてゆこう。きっと俺達はどこまでだって行ける。

 違うかな?」

 拳でぐいと涙を拭きつつ、微笑むるい。

「ええ、ええ。その通りですとも……!」




 戻って来た沙衛門達の姿を視界に収めると、ルビノワの肩が安堵に下がった。

 その後ろ姿を見守りつつ、朧が呟いた。

「ほら、あれが私の大好きなルビノワさんの後ろ姿なんですよう」

 幽冥牢は穏やかに告げた。

「あの背中を、朧さんはいつも見守って来たんですね……」

「ええ……見て? 思わず抱き締めたくなる、あのくたびれ具合……」

「なるほど……」




 初夏の熱い風の吹く昼下がり。ジト目を向けて来るルビノワをさておき、『彼女』が朧の脳内で、まるで存在しないかの様に沈黙するのをよそにしての、幽冥牢と朧の深い相互理解の瞬間。

 朧は髪を押さえつつ、嬉しそうに微笑した―

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