32 朧の墓参り 4

 幽冥牢がテレビの中でしか見た事が無い様なデザインの列車に揺られ、数時間。遂に彼らは、旅の目的地である朧の友人が眠る墓地へ到着した。皆揃って喪服でやって来た。

 何と地下墓地とであった。その入り口を見て一瞬朧の顔に影が差したが、すぐに彼女本来の

ほわっとした表情に戻った。

「長い道のりをお付き合い下さってホントに有難うございましたあ。ここがその目的地ですう」

 幽冥牢が深淵を覗く気持ちで、訊ねる。

「ここにお友達が眠っておられる?」

「ええ、皆さん足場に気を付けて下さいねえ」

 梯子を降り、ランプに火を灯すと、朧スペースの地下鍾乳洞にも劣らぬ暗い穴が五人を出迎えた。

……何処からか冷たい風が吹いて来る。

 故人の希望によるものなのか、色々な姿の墓石が並んでいる。中には蓋の無い棺桶に入ったミイラ状態の仏もあり、はっきり言って幽冥牢には少しきつかった。

 押し潰されそうな迫力が迫って来て、とてもじゃないが一人で来ようとは思わない。

(五人でホントに良かった)

と幽冥牢は思った。

「初めて見たけど凄い迫力だね」

「朧殿には悪いが、俺も皆が一緒でなければ辛い」

 沙衛門から意外な言葉が出た。

「もうすぐ着きますからねえ」

「主殿、沙衛門さん、ふぁいと」

「……おーう」

 一団の明かりは闇の奥へ消えて行った。



「それでどういう知り合いなの?」

「同じ土地の幼馴染だった人達なんです」

「……『人達』か。何名くらい?」

「まあ、三十人ほどですねえ。聞きたいですかあ?」

「差し支えなければ聞かせてもらえんか。俺達も皆の事をもっと知りたい」

 そう言ってこの前、旅の途中で泊まったホテルでささやかながら式を挙げた沙衛門・るい夫婦は、前を歩く朧の背中を見つめた。彼女はくるりと振り返って寂しそうに微笑すると言った。

「そうですねえ。お話しちゃいましょうかあ」

「いいの? 朧」

「いいじゃないですかあ、ルビノワさん。隠しておく様な事でもありませんし。

 あ、そうだ。私とルビノワさんて実は同じ土地の出身だったんですよう?」

 朧とルビノワを除く三人の口から驚きの声が上がった。

「はー。何というか……いつ知ったの? お二人はその事を」

「大分昔になりますねえ。初めて聞いた時には私も驚きましたあ」

 朧はそう言うと、ルビノワの方を向いて

『ねー?』

と小首を傾げて微笑んだ。

「うん。ひょんな事でお墓参りの話が出て

『何処にあるの?』

って聞いたらここだったんです。まあ、お墓だけで中には何も無いんですけれどね」

 幽冥牢が息をついて、それから言った。

「深い事情がある訳ですね」

「ええ、まあ」

「聞かせてくれ」

 沙衛門がルビノワと朧に話を促した。


 幽冥牢はその時、嫌な予感がした。それを思い出すのはずっと後になってからの事だったが。

『聞かなければ良かったのかも』

と苦笑しながら知り合いに彼は口述している。


 始まりはこの時だったのかも知れない。


 立ち止まって足元にランプを置き、朧は話を始める。

「ルビノワさんと私のいた所はとても閉鎖的な村でした。他の土地に行かなければそれに気が付かないほどの。

 村の中であった事はすぐに村全体に広まり、その度に何故か人が消えるんです。一家丸々いなくなると言うのもざらでした。で、詳しい事は村の一部の人間しか知らないんです。

『それが普通なんだ』

と思っていました。世界中どこでも普通なのだと。

 まあ、外なんて知りませんでしたけど。


 私はその頃村で、一日中仕事の手伝いをしていました。

 朝早くから夜遅くまで仕事をするのが日課でした。ノルマがあって、それをこなせないとご飯が食べられないんです。家族だろうと関係無しで、一週間あったとしてその内で何人もの人が死にました。

 でも、ご飯を食べられても仕事中に死んでしまうんです。さすがに変だと思う様になりました。


 その頃私は一人の、口うるさい男の子にちょっかいを出されていました。苛められていた、と言った方がいいかもしれません。とにかく亭主関白とガキ大将の融合体みたいな子で出会う度に私の金髪を罵るんです。村には金髪の子は少なくて、白い目で見られることが少なくなかったからかもしれません。鬱陶しくて文句を言ってはいつも逃げていました。

 人の後を付ける癖のある子で気が付くと近くにいるんです。ホントに気味が悪かった。

 おかげで人をまくのは上達しましたけど。


 ある日、村に迷い込んだ人が『長老』と呼ばれる人達に捕まりました。話も何も聞かず、口封じに公開処刑される事になり、仕事が突然休みになったんです。村の広場で皆が集まったのを見て、その人が悲鳴を上げました。

『何故お前らは瞳に全く光がないんだ!?』

そう言ってがたがた震えていたんです。それを見て一旦シーンと鎮まり返った広場が、今度は笑い声で溢れ返りました。棒立ちのまま皆で笑うんです。おなかを抱えて笑うなんて村ではとんでもない事だったので」

「何で……」

「おなかを抱えて丸くなったら敵に弱点を晒す事になるからだそうです。実際は笑っているだけでもうまずいと思うんですが、誰もそのしきたりに異論を唱えたりはしませんでした。

 それでその捕まった人は選ばれた村の代表の刃物を持った、およそ100人に、観客から良く見える場所で切り刻まれました。少しずつ、時間をたっぷりかけて、反応を見ながら。

 今思うと聞くに耐えない悲鳴でした。最後まで喋らせる為に、喉周りは避けるんです。

 何で平気だったのか不思議でなりません」

 そう言って朧はうつむいて少し息を吐いた。腕組みをしながら黙って聞いていた沙衛門が言った。

「辛いなら聞かないでおくぞ、朧殿」

 それを聞いて少し微笑しながら首を振る朧。彼女は、沙衛門の目をしっかりと見て言った。

「いいんです、話しておきたいから。続けます。

 それで私は、その時、やっと

『変だ、おかしい』

と思いました。ですが、どうしたらいいか分からず、何も行動を起こせずにいました。両親も何も言いません。

態度に出すとどうなるか分からないので内心ではおどおどしていました。


 そんな場所でも友達は出来るもので、ある日親友の子と二人だけで川原にいた時、思い切って話してみました。

『この場所はおかしい、何だか怖い』

って。

 その子は驚いて辺りを見回すと、私を抱き寄せて一枚の紙切れをこちらの服の間から差し込みながら、小声で耳元にこう囁きました。

「滅多な事を言うもんじゃない。長老にそんな事を言ってるのが知れたら殺される。

 聞かなかった事にしておくから」

 口ではそう言いながら私の掌に文字をなぞりました。

「後でそれを読んで。夕方また会おう」

って。そう記したんです。そして私の掌を優しく握ってくれました。

 手紙には

『あなたと同じ考えの人が来る集いがある。皆、この場所、この土地に不満や恐怖を抱いている。

 一緒に相談して立ち上がらないか』

という文章と、落ち合う場所が書かれていました。


 夕暮れ時、両親の目を盗んでこっそりとその子と落ち合い、村外れの、私もそんなものがあるとは知らなかった地下道に集まりました。

 暗がりでも、仕事のおかげで昼日中と全然変わらなく物が見えるので、明かりがないのはかえって好都合でした。リーダー格と思われる人が私の手を握って言いました。

「怖かったろう? 何かが凄くおかしいと思っただろう?

 何がおかしいのか分からなくて嫌だったんじゃないか?

……どうだい?」

 私は頷きました。昔から抱いていた考えを口にしてくれた人は初めてだったので、正直驚いてその人達の話に聞き入りました。

 村の長老の、村人に対しての姿勢はおかしい事。

 それを口にしたものはことごとく消されている事。

 外部から金を受け取り、村で仕事ぶりが優れた者を送り出している事。

……もう分かりますよねえ?」

 朧はいつもの口調に戻ると、幽冥牢と沙衛門達を見回して言った。頷く沙衛門とるい。苦い顔をして沙衛門が口を開いた。

「それとなく察したが、今で言う工作員を作り出す村だったのだな?」

 朧は頷いた。


 皆の中で一番びっくりしているのはやはり幽冥牢だろう。自分でも情けないが、大変気分が落ち着かない。

 そしてそんな自分が憂鬱だった。

 朧に深々と頭を下げた。

「ごめん。マジでびびりました。

 いや、朧さん達のせいではないのは理解してるはずなんですが、申し訳ない。何でしたら、げんこつを一発下さい」

 そう言って頭をぬい、と出す。その両肩に朧の、ルビノワの手がそれぞれ置かれた。

「ご主人様は私やルビノワさんがそう言ったら私達の頭を叩きますか?」

「いや……しないです。でもさ、すっきりしないでしょ?

 ですからお詫び。ささ」

「主殿はそういう所が何時までも進歩しませんね……」

「だけど……」

「気持ちの押し付けですよう、ご主人様」

「うーん。……分かりました。

 後でご飯を奢ります。それなら受け取ってくれる?」

 にっこり微笑して、それぞれが彼の手をそっと握りつつ頷く朧とルビノワ。一瞬泣きそうな顔になるが、苦く笑って幽冥牢は二人を見つめた。

「俺達もあやかっていいか?」

「勿論。皆で食べましょう。

 仕切り直しって事で、いいでしょうか?」

「気前のいい主殿に乾杯だ」

 そう言って、ははは、と笑いながら、幽冥牢の頭を無骨な手でわしわしと撫でる沙衛門。皆が持っていた荷物をそっと置き、幽冥牢の首っ玉やら腕やらにかじり付く様にしてしがみ付いた。

 しっかりと伝わって来る皆の温度。その重さが何だか嬉しくて、切なくて、視界がにじんでしまった。


 再び歩き出す幽冥牢達。

 話が中断した事については誰も言い出さなかった。ルビノワと朧は幽冥牢を挟む様にして歩いている。

 朧は彼と手を繋いで。ルビノワは腕を彼のそれに絡ませて。

 幽冥牢はそんな手の温度に少し安堵と照れを覚えながら、いつも自分の好奇心が物事の事態を悪化させるのが身に沁みていたので、怖くて口を開けずにいた。精神がネガティヴになるといつもそうなのだが、少し寒い。

 ぶるっと震える幽冥牢の背中を、優しい金髪の娘と優しい眼鏡の女性がそっとさする。

 るいは沙衛門の手をしっかり握ったままだ。朧とルビノワを悲しげに眺めている。

 沙衛門は、肩に頭を乗せて来るるいの手をそっと解くと、その肩をそっと抱いた。そして彼女の頭に自分も頬を寄せる。そして、言った。

「五人もいるのだ。どんな事が起きようと何とかなる。

 荒事だって慣れているのが四人もいる。そうだろう? 皆」

 時々砕けた口調になるこの気さくな黒衣の男を、前を行く朧が振り返って少し切なげな瞳で見つめ、口を開いた。

「ホントにそう思って頂けますか?」

「ああ、本当にそう思う。そんな顔をしない事だ、朧殿。可愛い顔が台無しだぞ。

 俺は今とても気分がいい。

 料理が上手く気立てのいい給仕の美しい娘。

 ぴしっと締める時は締めてくれる、とても優しく、頼りになる美人のお知らせお姉さん。

 こんな俺にずっと付いて来てくれている、一寸怒りんぼだがいつも支えてくれる可憐な奥さん。

 そして俺とるいをそんな世界に引っ張って来てくれたこまし甲斐のある愉快な主。

 少なくとも俺は、この面子なら何が来ようと、でんと構えていられる」

 沙衛門はそう言い放った。嘘は言っていないし、正直照れくさくもあったが、悪い気分ではない。

 幽冥牢の肩に頭を持たれかけさせながら、涙腺が緩くなるのをこらえつつ、ルビノワがぽつりと言った。

「嬉しいです。けど、少し照れくさいですね」

「ホントですよう。嬉し泣きしますよう?」

「真面目な話であるし、好きな相手に告白するのと変わらんさ。それにこういう事は口で言えば実現する力が働くのだ。

 誰だったか忘れたが……そう教わった。るいにももう一度会えた。だから俺はそうする事にしている。

 誰かに電車で席を譲る程度の、ちょっとの勇気でいい」

 それから少し驚いた様に自分の顔を見つめているるいの瞳を見つめ返し、優しく微笑した。

「気持ちを口に出してそうなるなら、それは、一寸素敵なお話だと思わんかな?」

 るいも少し涙ぐんで彼の肩にぐりぐりと頭を押し付ける。彼の腕にぎゅっと自分の腕を絡ませた。

「悪くないと思います」

 幽冥牢も、そう言った。


 朧の友人のお墓の前に到着した。

 さっきの余韻で少し涙ぐんでいる朧。大人の拳骨二つ分くらいの大きさの石が墓石の代わりという事らしい。それを用意していた手拭いで、丁寧に撫でる様に拭き始める。他の四人は、これまた用意していたお供え物を取り出した。朧に訊ねながら、墓石の周りを、立てかけてあったほうきで見止め、

「これを使っても大丈夫かしら?」

「あ、恐れ入りますう」

 そう聞くと、朧に微笑を返し、掃き始めるるい。

 ルビノワの知人が眠るというお墓の周りも、手分けして綺麗にする。


 やがて準備が全て終わり、五人で手を合わせた。

(どうにかまた来たよ)

 目の前で眠る彼らの事を思い出して涙を流しながら、心の中で朧はそう呟いた。


 ルビノワの参りに来たお墓にも丁寧に手を合わせ、暗い道を戻って来ると、梯子の手前で彼女が、皆の来るのを手で制した。そして朧に振り返り、ぽつりと言った。

「いつもの帰り道に回るわよ、朧」

「はい。皆さん、こちらへ」

 朧の引率に従い、もと来た道へと向かう一行。幽冥牢は二人の気配から、心拍数が上昇するのを感じた。

 ルビノワに小声でそっと沙衛門が訊ねる。

「お主達を追っている奴等だな?」

「ええ。いつもの事なんです。

 巻き込んでしまってごめんなさい」

「ルビノワ殿、見くびってもらっては困る。いつだったか、朧殿の問題の時、お主は言ってくれたな。

『皆をみすみす死なせはしない』

と。だから、俺達もお返しだ、お主達の事をみすみす死なせはせぬ。

 なあ、るい」

 沙衛門はそう言って、横を歩くるいの事を見やった。

「ええ、私だって友達をみすみす死なせたりしませんよ。ルビノワさん」

「あなた達……」

 ルビノワは歩きながら、彼等の顔を見た。るいは恐らく沙衛門から聞いたのだろう。

 朧が苦い顔で振り返った。

「ルビノワさん、お二人にも協力してもらいましょう。さすがに今回は向こうも頭数を増やしているはずです。私達だけでは」

「俺達は仲間だ。誰が欠けても辛い。

 皆で帰るのだ。あの屋敷へな」

「……恩に着ます」

 るいが彼女の肩に手を置いて優しく言った。びくっとして彼女の顔を見るルビノワ。

「違いますよ、ルビノワさん。

『手伝って』

と言うだけで充分です。友達って、そういうものでしょう?」

「はい……」



 皆で帰る。あの屋敷に。

 ルビノワは帰ってどうするかを頭に描いた。

(……そうだ、帰らなきゃ)

 仕事だって溜まっている。朝昼晩とご飯をしっかり食べて、たまの休日には皆で出掛けて。

 沙衛門さんとるいさんにも英語を教えてあげるんだ。本人達も大変やる気を見せ、上達が早い。教えていて楽しいし、彼らも楽しそうだ。朧も加わり、忙しい一週間の内の楽しみの一つだ。


 授業の後、沙衛門が、二人とも、と声をかけ、こんな事を話して来た事があった。

「楽しく何かを覚えるというのはこんなにも素敵な事なのだな。時間があっという間に立ってしまい、やや物足りない。

 だが、それがいいばらんすという奴なのだろう?」

「ええ、そうです。一寸物足りないくらいがちょうどいいんです。

 それなら次の授業が楽しみになるでしょう?」

「なるほど、確かに」

 沙衛門が頷いた。そしてその横から、

「沙衛門様ったら前の晩から

『ここまで読めた、ここまで分かる』

って大はしゃぎなのですよ。ねえ、沙衛門様?」

と、ルビノワにそう囁くるい。彼は照れくさそうに右手の人指し指で頬をポリポリとかいた。

「ああ、その通りで大変楽しみにしている。分かり易いし、すいすい頭に入って行く」

 そう言うと、ルビノワと朧の手を握り、見えない右目を瞑っている為にいつも寄っている眉間のしわを緩め、穏やかな表情になると、にっこりとして言った。

「俺達にこんな時間をくれて、本当にありがとう、ルビノワ殿、朧殿」

 るいも彼に続いて御礼を述べ、頭を下げる。

 充実した時間を過ごしたという実感が湧き、いい気分で授業を終える。

「なあ、ご両人。もっと宿題を出してくれんか。欲求不満になりそうで身体の芯が疼く」

と言う沙衛門と

「もっと素敵な現代の知識を教えて下さいね」

とにこにこしているるいと一緒に、お茶を飲みに食堂へ向かう。


 幽冥牢がどくだみのお茶をすすって待つ、その食堂へ。




……そんな当たり前の時間に今は早く戻りたかった。

 彼女は他の四人の顔をいつもの様に見回すと、ややリラックスした表情で言った。

「帰りますよ、皆で」

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