30 朧の墓参り 2
郊外の広々とした花畑。広い青空が何処までも広がっている。人も自分達以外はまばらだ。
大きな風車が回っているのを、柵にもたれながら見ている幽冥牢が呟いた。
「でっかいなあ。近くに寄ると結構おっかないですね」
「こんなものが動いて破壊活動を行ったりしたら、人類などひとたまりもない様な気がするな」
「分かる分かる。やはりそういう発想になりますよねー。
沙衛門さん、はい、ポテト」
腕を組み、人類の偉業のひとつを眺める沙衛門に、途中の露店で買ったフライドポテトを幽冥牢が差し出す。
「む、ありがとう。はむ。しかしこの様な揚げじゃがを摘んでそこらで食べられる時代になったとは。
つくづく
『遠くに来たものだ』
と思うな」
「ああ、これは日本でも売ってますぜ?」
「それは本当か? 主殿」
「あれ? まだ食べた事なかったんでしたっけ?」
「まだだ。嗚呼、主殿、何故その様な重要な事を今まで。酷い話だ。
沙っちゃんおかんむり。ぷう」
鮫の歯を逆さまにした様なデザインの真紅の文様が中心へ向かって走る頬を膨らませる沙衛門。突き出す唇タコさん風。食い気に溺れる忍者であった。
「あー、はい、ごめんなさい。
今度一緒に食べましょうね。皆で食べれば美味しいしね」
「そうですよ、沙衛門様。日本に帰って暇を見つけ、皆で買いに行きましょう」
「分かった。それならいい。怒るのやーめっぴ」
機嫌を直し、ほくほくとした顔でるいと一緒にポテトをつまむ沙衛門を見て
(つくづく
『人間には高等教育が必要だ』
とこの人を見ていると思うな)
と幽冥牢は感じたが、しかし、
(いやいや、彼らも好きでこの時代に転生した訳ではないのだった)
と思い直す。
自分だって食べ物には釣られ易いので、考えるのをやめた。
その少し離れた後ろでは、ルビノワが朧に両手を合わせて頭をぺこぺこと下げていた。何やら朧が、個人的な欲望が炸裂しまくりの高度な政治的交渉を行っている様子。
「そういう訳で、今日の自由時間だけはお願いだから二人きりにさせて。この通り」
「人をヒイヒイ言わせる事にかけては右に出る者なしのルビノワさんにしては、何だかつまらないプレイですねえ。ちょっとがっかり」
「イラッと来る謎の肩書きはまあさておくとして、プレイではないんですけどね?」
「ええっ!? 『素』なんですかあ?」
「素も何もないんですけれども」
「うえ~ん、ルビノワさんが私の身体に飽きたんだあ……」
「飽きてないっ! と言いますか、そういう話ではないのよう」
「ではまだまだメイドとして、友達としての私に、お情けをくれますか?」
「いや、その、ですからそういう話ではなくて」
「じゃあ、握手」
ルビノワはジト目をその手に向けながら訊ねた。
「その握手には何の意味が? 友情の継続?」
「いえ、刹那的な快楽に浸るんです。つまり
『私を捨てようとした時でもしっかりと手を握って行くなんてどういうつもりかしら。
……はっ!?もしかして『キープ』!? 私ってルビノワさんのおもちゃの中でもその他大勢!?
でもっ、そんな人ではないはず……けど……けどっ! ああ、あの人が分からない。
……本当に、どこまでも私の心を掴んで離さない罪な人。
そして私は握られた手で、一人寝床で悦びにまどろみながら、今夜もあの人の夢を見る」
という感じでしょうかねえ。それくらいしか今の私は、自分の心を癒す術を知りません。
でも……それでいいの」
そこまで聞いていたルビノワの眼鏡が激しくずり落ちた。片手でつい、と直しつつ、妙な雰囲気を変えるべく彼女は、わざと砕けた口調で朧の肩に手を回し優しく抱き寄せた。
「朧ちゃん……」
「肩まで抱かれて完全にキープ決定だわ。くすん」
(だから違うって言うの! ボケてんの? あんた!
……『素』なのよね、とひょひょ)
口から『ほわ~』と魂を吐き出して激情を胸中に収めるルビノワ。
一変、改めて笑顔を浮かべ、朧の手をこわれものの如く、優しく自分の両手で包む。
「いやだなあ、そんなつもりはないわよう☆ 誰がこんな可愛い相棒を捨てたりするものですか。
埋め合わせは必ずしますから。ね? 今日だけ。
実は楽しみにしてたのよう、今日の自由時間。だって何気なく主殿に
『どこか見てみたい場所はありませんか?』
って一昨日聞いたらあるそうだから、それなら見せてあげたいじゃない?
せっかく初めて海外まで来たのに、どこの国なのかすら伏せたままだし、それで付き合わせ続けちゃったら、主殿が可哀想よ。そう思わない?」
こめかみを指でぽりぽりかきながら
「うーん……ご主人様も状況を聞いた上で自分から
『参加したいです!』
って挙手していたはずなんですけどねえ……」
と唸る朧。そして小さい溜め息をついて言った。
「……まあ、そうですねえ。見たいって言うなら見せてあげたいですねえ」
「ありがとう☆ 大好き!」
ルビノワの熱い抱擁を一身に受けても浮かない顔の朧だったが、ある事が頭に閃き、ぱあっと表情が明るくなった。
「それじゃあ、三つ条件を飲んで下さい。難しい事じゃありません」
『条件』。ルビノワは両肩に砂袋でも載せたかの様な重みを感じた。
「うー……分かった」
「まず、今日は私と同じベッドで寝て下さい。
『甘えまくってもOK』
という条件込みで。
大丈夫です、いつもの私達の基本睡眠時間程度は寝かせますから」
彼女らはかつて傭兵生活をしていた頃に、近隣で知り合ったヨガ行者から、睡眠時間を自分で調節出来る方法を伝授されており、今では一日三時間程度の睡眠しか基本的には摂らないのだった。
『その時間以外は、私はベッドの中で何をされるんですか?』
と聞きたいのをぐっとこらえるルビノワ。
(まあ、酷い事はされないだろう)
と自分を納得させた。
「わ、分かったわ」
「では次に
『私は大事な仕事を放り出し、自分の欲望に忠実に動きます』
と私の耳元で囁いて下さい」
「え? ちゃんとした自由時間なのに?」
「ですからあ、あえてそう言うんですよう。そこがポイントです。
では。多少のアレンジはOKなので恥ずかしげにお願いしますねえ☆」
そう言って
『ここ、ここ』
と自分の左耳を指で指し示す朧。
頬がいつもの様に上気している。ピンクの薄いルージュを引いた唇が艶やかに光った。
「何でそんな事をしなきゃならんのよう。とひょひょ……」
「私だって寂しいんですよう? ルビノワママ」
「誰がママか。でも、まあ、そうね。そう言われると……そうね、そうですよね、ハイ」
ヤケになったルビノワは、やたら感じを出して言ってやる事にした。幽冥牢、沙衛門、るいの
『あまり遠くに行かないで下さいね』
という声に手を振っておき、物陰に朧を引っ張って行く。
人気のない裏路地。ルビノワは両手を広げ、大きく深呼吸をした。
……そして。
「ああ……っ」
と、両手で朧を挟む様に壁に、よろめきながら手をつく。
「はわわ……!」
迫り来るあれこれへの期待におマヌな声を上げて碧眼を輝かせる朧と、鼻の頭がくっつく程の距離で、ルビノワは言った。
「え、えーと。わ、私はだ、だいっ、大事なっ、仕事を放り出して……自分の……ああっ、よ、欲望にっ……はあはあ、忠実にっ、 んんっ、動きますうっ……もう駄目……っ!」
息を荒げ、ロングスカート越しにもそれが分かるほどに太ももをもじもじと擦り合わせ、閉じかけのまつげを震わせながら、ルビノワは艶っぽい表情で見事にやってのけた。
朧の肩に両手をつき、その途端に手をばっ、と離し
「も、申し訳ありませんっ」
とまで言うサービス付き。
自分で言わせておいて目を点にしながら見守っていた朧は、はっと我に返ると、
『やれやれ……』
という表情で畳んだままのハンカチで額から首筋まで一通り拭いてから風を送り、前髪をかき上げるルビノワを見つめた。
見られている事に気付いたルビノワは、不安げに
「ど、どう? これで満足して頂けたかしら……」
と胸元に握り拳を当て、そう訊ねながら上目遣いで視線を返して来る。その心細そうな顔を見て朧は、
(いやだあ! か……可愛いっ!!)
と、心の中で歓喜に身を浸した。
「ごちそうさまでしたあ!☆」
彼女に頭を何度も下げる。感涙に咽んでいた。つくづくマニアックな娘であった。
右手の握り拳の親指をぐっと立ててると、目の幅涙と化したそれもそのままに、肩を震わせ、呟いた。
「お、OKです」
「ありがとう……でも、それなら何故目の幅涙を……。
いや、あー、おほん。それで最後の一つは?」
焦って聞いて気分を悪くさせては元も子もない。ルビノワは落ち着きを取り戻した表情で訊ねる。
朧は咳払いをすると、三つ目の条件を口にした。
自由時間。ルビノワと幽冥牢は二人っきりで往来を歩いていた。
主と腕を組み、道行く人が振り返る様な魅力爆発の明るい表情である。
「何か楽しそうだね、ルビノワさん」
「ええ、そりゃあもう☆」
「いい事でも? ほっといたらどこまでも跳ねて行きそうな感じが」
「だって私は今とても幸せですから。今日は楽しみましょうね、主殿☆」
「お、おう。そうしましょう」
ルビノワは今、とても幸せだった。
心の中でさっきの状況を何度も反芻していた。
「たっぷりと楽しんで来て下さい。それが三つ目の条件です」
「はい?」
「ですからぁ、行くなら
「楽しんで来て下さいね」
と申し上げてるんですよう。……不服ですかあ?」
「い、いいの?」
「だって私のせいで楽しくなかったらあ、それはそれで責任感じちゃいますよう……なんて」
そう言って少し肩をすくめる朧。寂しそうな微笑を浮かべ、舌を出した。
ルビノワはあっけにとられた表情で彼女を見つめていたが、泣きそうな顔になると、そっと朧を抱きしめた。
「あなたは何なの、ホントにもう……! 今日は凄く可愛いぞっ!?
ううっ。頭を撫でさせなさいよう」
「ち、ちょっとルビノワさんっ、そんなにされたら恥ずかしいですようっ!」
「いいじゃない、こいつう☆ うりうり☆」
激しく頭だけでなく、背中やらお尻やら撫でさするルビノワ。そうでもしなければこの気持ちを表現しきれなかったのだ。
「何だか虫がいいセリフに聞こえるだろうけど、私、あなたが相棒でホントに良かったと思う。
今までより強くそう思う! ううっ、こいつめ~☆
今日は寝かせないわよ? 身体を綺麗にして待っていなさいよね!」
「え、ええっ!?」
「では約束のキスをしちゃうからね。ふふん☆」
「ああっ、そんな予想外の……ああ……!」
その後、朧に現地のガイドを頼んで一日案内してもらう予定の沙衛門とるいが、戻って来ない彼女を拾いにやって来た。
そこには腰砕けであちこちにキスマークをつけてくず折れている朧の姿があり、二人は
『今日はやめた方がいいのではないか』
と彼女を濡れたハンカチで丁寧に拭きながら言ったが、
「平気平気。問題無しですう……ふふふ」
と言いながら、乱れた三つ編みや着衣の乱れをるいに直され、リターンマッチに向かうボクサーの様にゆらゆらと立ち上がる朧にガイドしてもらった。
「見て下さい、主殿。素敵な町並みが見渡せますよ」
闊歩して辿り着いた陸橋の上。今ではルビノワの方がすっかり楽しんでいる。
眼下には交錯する通りと石造りの家々が遠くまで広がっており、人々の生活ぶりがが伺えた。
「俺、こういう風景を直に見たのは初めてです。風も気持ちがいいですねえ」
ありのままを告げておく。
朧とのやり取りで何があったのかは分からなかったが、晴れ晴れとした笑顔の彼女を横目で伺う。
(楽しそうだからよしとするか)
と、幽冥牢は穏やかな時間を堪能する事にした―
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