29 朧の墓参り 1
先日、急遽決定した朧の友人の墓参りツアー。
その後色々準備などがあり、結果、通常進行なら機上の人になっていたはずの幽冥牢屋敷の五人だったが、逃亡者であるルビノワと朧の諸事情から、見事に密入国でその国に侵入する事となった。
彼らを輸送しているのは船。でかい船である。タンカーである。コンテナでGOであった。
一応沙衛門達の為の偽造のパスポートは朧が用意してあるが、幽冥牢に初の海外がこれだ。冷や汗ものの旅行である。
おまけに今いるここがどこの国に近いどの辺りなのかも教えてもらっていない。幽冥牢の頭の中の世界地図はあちらこちらの大陸が海底に沈んでいるので、役に立つかどうか以前の話だった。
英文法は得意だったがもう忘れた。そもそもそんな物が役に立つとは到底思えない。
やがて、東南アジアっぽい印象を与えつつも、どこだかやはり謎な港の、市場へ至る道に彼らを下ろし、ルビノワと朧に、被っていた帽子を脱いで挨拶する船長を載せたタンカーは遠ざかって行った。
幽冥牢とルビノワを、市場のフードコートと呼ぶべきか、背後が壁になっている席を選ばせると、朧を先頭に、沙衛門とるいの二人は護衛として脇を固め、今夜の宿を探しに行ってしまった。
夕暮れ時。彼は灰色の空を見上げて呟いた。
「独り言なんで聞き流して欲しいんですけど、機内食……頂いてみたかったでござる。
かのハン○バル・レクター教授も嫌がるその味、果たしてどういうものなのかを……」
なるほど、彼らしい理由だ。
「主殿、それなら私と今度、一緒にどこかへ行ってみませんか?不景気のせいか、海外旅行も最近は安くなっている様ですし」
こういう雑踏に懐かしさを感じつつ、周囲に警戒をしたまま、ルビノワは少し勇気を出して言ってみる。幽冥牢がそれに答えた。
「何処かかあ。社会科で学んだだけの知識なんですけれど、俺はヨーロッパなんかがいいかなあと。石畳の上を歩いて建物をぼやーっと眺めて美味しい物を戴く。
ルビノワさんも一緒でしたら、さぞ楽しい旅になるでしょうね。優しいですし、ルビノワさん」
幽冥牢は遠い目でさらっと言ってのけた。最もその時彼の頭の中を広く占めていたのは美味しい物に対する妄想だったが、そんな事は露知らず、ルビノワはそのまま受け止めてしまった。
「あ、主殿、旅のパートナーは私でもいいのですか?」
「行きたいのは山々ですけど、俺はフランス語を話せないので、
『ルビノワさんはどうかなあ』
と思って。……話せます?フランス語」
「ええ、任せて下さい」
「頼もしいなー。やっぱルビノワさんがいないと駄目だねー、うちの屋敷は……」
「?
眠いんですか? 主殿」
「いやー、船の中で皆のおかげで酔わずに済んだみたいだけど、スタミナが削られて。
……宿が見つからないみたいだね。大変なんだろうな、皆」
青い顔で呟く幽冥牢。脂汗を流している。
ルビノワは彼の前髪をかき上げ、顔を覗き込んだ。
幽冥牢は船に弱い。列車の鈍行の長距離にも弱い。タクシーにも弱い。今回、船で来た時は情けない話だが、乗り込んで五分も立たない内に横になり、仰向けで
『殺してくれ……』
とうめき続ける彼をルビノワがずっと介抱していたのだ。
「主殿、酔いがぶり返して来たんですね?梅干キャンデー舐めますか?」
「く、下さいー」
ルビノワは飴を差し出した。それを受け取り口に含む幽冥牢。
多少は楽になったのか、ストローで、頼んだ飲み物も含む。
(ミント味のキャンデーと柑橘系のドリンクでこの人、何ともないのかしら……)
と思ったが、対処療法でかつて自分も似た様な事をした覚えがあった。『良薬口に苦し』だ。
椅子に身を預け、幽冥牢が、ぐはあ、と息をついた。
「あー、しんどかった。飴をありがとうございました」
「いいえ。前に船に乗られたのは何時頃ですか?」
幽冥牢が思案する。
「十……年くらい前かな。自分から付いて行くって言ったのに申し訳ない」
「お気になさらず。私のドリンクも飲みます? 今からそれじゃ、この先持ちませんよ?」
「あ、それは大丈夫です。いやあ、重ね重ねホントにすいません」
「いいです。今はその状態を回復しないと」
「恐れ入ります。いやいや、嫌な汗かいたぜ。
ホントに助かりました。一人でなくて良かったです。路地裏に引きずり込まれて殺されててもおかしくないですもんね」
「良かったです。治ってホントに良かった……」
ルビノワの目尻に光るものがあった。
「ルビノワさん?」
「主殿、心配したんですからね。もう」
「ちと頭痛がしますけどもう平気。楽しい旅にしましょう。仕切り直し。
皆には黙っててくれます?」
その肩を叩いたのは、笑顔を浮かべた朧だった。
「聞いちゃいましたよう?」
「も、申し訳ござりませぬ」
二人の間に立って、朧が親指で彼方を示す。沙衛門は幽冥牢の背後に、るいはルビノワの背後にあった。
ルビノワはさすがにぎょっとした。袖に仕込んだナイフの柄を掴みながら振り返り、るいと確認して安堵する。ガードの為の立ち位置なのだろうが、いつにも増して配置と登場が鮮やかだ。そんな彼女を労わる様に、るいが笑顔で両肩に自分の両手を載せて
「さすがですね、ルビノワさん」
と告げた。苦笑するルビノワ。
「宿の方、取れましたよう」
水色のワンピースにスキニーパンツ、黒い薄手の上着を羽織った朧が告げる。
二人の忍びも、先日ルビノワと朧に見立ててもらってそれなりにおしゃれしている。るいは言うなれば、アジアンスタイルだろうか。腰の上辺りの高さの裾の、紺の記事に白糸の刺繍が施されたチャイナ服に揃いのパンツ。それにベージュのパーカーを羽織っている。長い髪を後ろでお団子にしているので、見た感じが中国娘風だ。
沙衛門はグレーのパーカーに朧が勧めた同色のタンクトップとアーミーパンツ。その下には脚絆と足袋と紐付き布草履だった。勿論彼らなりのカスタムがしてあったが。
「お帰りなさい。さすがに時間かかったみたいね。
いいとこ取れた?」
「夜逃げのるーとも押さえてある。バッチリだ」
「こういう旅も一風変わっていて楽しいですね。昔を思い出します。
それにお二人に見立てて頂いたこのチャイナ服でしたっけ?動き易くてとてもいい感じです。
お礼を言います。ありがとう」
「よくお似合いですよ。知らない人は中国の女性と勘違いしてもおかしくないです」
「俺も見違えた。その服を着ているのを今朝見た時、
『お姉ちゃん、誰ぇ……?』
等と幼子の様な台詞をおもむろに漏らしてしまって、いやはや」
「沙衛門様は繰り返さなくていいです」
るいが穏やかな微笑で言った。
ルビノワと朧が、るいのドレスアップの為に呼んで女性陣が準備した結果だったが、いざ出ようとしていた幽冥牢達の見ている前でその台詞を浴びたるいは、人の頭ほどの溶岩を掌に顕現させたのだった。ルビノワと朧、幽冥牢の静止がなければ、沙衛門は危うく命を落とす所であった。
改めて眺め、穏やかな微笑を浮かべ、沙衛門が言った。
「綺麗だぞ、るい」
「沙、沙衛門様……」
最近よく感涙に咽ぶるいの肩を優しく抱く沙衛門。
(ホントにお似合いだ)
とルビノワは微笑みながら思った。
沙衛門はハンカチを取り出し、彼女の涙をそっと拭う。
「これから色々楽しい所に連れて行ってもらうのだ。泣かない泣かない」
「はい☆」
「後で沙衛門さんと並んで下さいねえ。写真を撮ってあげちゃいますよう♪」
楽しげに朧が言った。
幽冥牢は大きく伸びをした。
一体どこの国だか知らないが、今は楽しもう。そうする事でルビノワにも恩返しが出来るだろう。
そう思うと気分がスッキリした。
「ふう。じゃあ、宿に向かおうか」
「もう大丈夫なのか? 主殿」
「おかげ様で。じゃあ、行きますか」
「出発進行。ご案内しますよう」
それぞれが荷物を持ち、朧の先導で歩き出す。
ルビノワがそっと、幽冥牢をいつでも地面に倒せる様、彼の左に寄り添い、二人の忍びも微笑みながら付いて行く。
夕暮れ時の雑踏に紛れ、すぐに彼らは見えなくなった。
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