忍びとくノ一のはみ出し会話 4

 朧主催の旅行が催される事になり、内容を聞いて幽冥牢屋敷の面々が同行する事となった、その前日の話である。


 二人はその日仕事を休み、準備した物のチェックを行っていた。

 まず沙衛門は、先日ルビノワと朧に見立ててもらった今風の衣類、着流し、紐付き布草履、短刀、苦無、鎖分銅、蒔きビシ(彼とるいは、蒔くのではなく敵の顔に投げつけるのだが)等をザックに詰め込んでいた。

霧雨きりさめ』以外の武器はルビノワと朧が提供した特別製だった。特殊カーボン製で税関のセンサーに引っ掛からない為にわざわざ用意したのだ。

 そしてるいも、まず着替え一式、ルビノワ達ときゃいきゃい言いながら選んだ対沙衛門用の下着、見立ててもらった服などを詰め込んでいた。


 るいが用意しているその内の一着は一人で買い物に出掛け、店員とあーでもない、こーでもないと、長時間相談した上で、彼女なりに

『ちゃんと自分のスタイルを管理していればずっと着られて、派手過ぎず、地味過ぎず、それなりに上品で、爽やかな印象を与えるもの。その上で沙衛門が気に入りそうなデザイン』

という条件で、頭痛がするほど悩んだ結果に選ばれた品であった。

 苦心の果てに選ばれた一着。まさに自信の一着。おかげで、店を出る頃にはめまいを起こし、これまたその頃にはすっかり親しくなった店員に

『お客様? 大丈夫ですか、お客様!? 

 しっかりして下さいっ」

と肩を支えられ

『お宅にお電話して誰かに迎えに来て頂いた方が』

という店員の申し出に、タクシーを呼んでもらって帰って来た事からその苦労が窺えた。


 ちなみに、そのタクシーの運転手がたまたま彼女を乗せた時、とてつもなく人生に疲れており、

『仕事を放り出し、このままこの苦悶する色っぽい女性と何処かへ旅立ってしまおうか』

と考え、ハンドルを握る手に汗を滲ませていた事は彼以外は誰も知らない。




 屋敷に帰って来て沙衛門に

「顔色が悪いぞ。大丈夫か?」

と心配されたのを少し嬉しく思いつつ、彼女は着ていた物を全て脱ぐと、沙衛門が用意してくれた湯と手ぬぐいで身体を丁寧に拭き、寝巻きに着替えると、そのまま布団で少し休んだ。

「晩飯の心配はしなくて良い。俺が作ろう」

と沙衛門が言っていたのを思い出すと、まぶたが重くなった。




 どれくらい眠っただろうか。ルビノワにプレゼントされた目覚し時計を見ると夕方の5時を回っていた。試しに起き上がってみると、多少の起き抜けのけだるさがあるだけで、大分回復していた。

 起き出して沙衛門のいる部屋へ行ってみると、おかゆのいい匂いがする。

(そこまで弱っている様に見えたのかしら)

と思って部屋に入ったるいは

「ああ!」

と叫んで立ち尽くした。

 何故なら沙衛門が自分の買い物袋を手に持っているからだ。興味深そうな顔。

 状況から

(きっと中を覗こうとしていたに違いない)

と思ったるいの瞳から涙がこぼれた。

 ポツリと一言。

「……ひどいです」

 沙衛門が

「む?」

と訊ねた。袋を床に置き、るいに歩み寄ろうとして一喝された。

「しらばっくれないで下さい! 

 折角私が、沙衛門様の為に……喜ばせようと思ったのに……ひどいです!」

と言って、彼女は泣き崩れた。


 今日の苦労がおじゃんだ。

 最近の女性が着る様な服に着替え、一人で、ルビノワと朧と出掛けた記憶だけを頼りに、ほとんど知らない外に出て、電車では痴漢に遭い、道を歩けばスカウトの男にしつこく付きまとわれ、それをいなすと今度は信号を渡れずに困っているお年寄りを見かけ、手を引いて。


(何の為にあれほど苦労して選んで、頭痛とめまいまで起こして……)

 当日場所に着いてからそれを着て、沙衛門を驚かそうと思っていたのに、それが全てパーになってしまった。

 確かに自分で適当な場所に置いたのも悪い。だが、どうしても納得が行かなかった。

 考えの堂々巡り。涙で何も見えなくなってしまった。

 その肩に沙衛門が手を置いた。しかし

「今の沙衛門様は嫌いです!」

とぴしゃりと言った。

 困り顔の沙衛門が口を開いた。

「るいよ。お前の言っている袋と言うのはこれの事かな?」

 そう訊ねながら、彼は袋を掲げた。

「そうです。よりによって勝手に中を見るなんて……え?」

 彼は袋を二つ、手に持っている。

「どうして……?」

「俺も買い物に行ったのだ。

 察するに、ちぇーん店の様だな。俺も驚いておる。

 さあ」

 そう言って、るいに紙袋を手渡した。中を確認する。確かに自分が今日買った物だ。

 チェーン店。他の店舗。




 何という偶然。あの店では確かに男物も扱っていた様だが、自分には関係無いのでスルーしていた。

「そうだったんですか……」

 早とちり。

 自分が恥ずかしくなった。彼女の顔を見て、沙衛門は頭をポリポリかきながら告げた。

「言っておくがお前の袋の中は見ていない。

 俺はその……店で、店員に見立ててもらって買って来た物を見ていただけなのだ。

……分かってくれるか?」

「すみませんでした。私はてっきり……」

「分かってくれればいい。俺はまたるいを怒らせてしまったかと思った。

 誤解が解けてホッとした」

 るいは沙衛門の下げたやり場の無い手を握った。

「本当に申し訳ありません、沙衛門様」

「いいさ。それよりおかゆが出来ている。

 早く食べないと冷めてしまうぞ。一緒に食べよう」

「はい……」




 いそいそと食事の準備を始め、おかゆをよそい

「量はこれくらいかな?」

と訊ねて来る沙衛門を見ていたら、自分がぼさっとしている様に思え、きまりが悪かった。

 愛する師は、いつもの調子で優しく笑う。

「そんな顔をしない。いつもにこにこしているお前はどこへ行ってしまったのだ?

 さっきの事なら気にするな」

 そう言うと、沙衛門は頂きます、と言っておかゆをおいしそうに食べ始めた。

「うむ。味付けは、この前お前に教わった通りに出来た様だ。

 食べてみてくれ。感想が聞きたい」

 るいも蓮華ですくって食べてみた。確かに教えた通りの味だ。

(……本当に美味しい)

 そう思ったらまた涙が出て来た。今度は何故だか分からないが切なくなった。

「どうした? 失敗したかな?

 おかしいな」

 そう言ってまたすくって食べる沙衛門。味わい、飲み込んでから

「味はこれでいいはずなのだが……」

と呟いている。

 るいはしゃくり上げながら言った。

「違います。

……何でさっきの様に殆ど言いがかりに近い言い方を私にされているのに、そんなに優しくして下さるんですか?」

 うーむ、と彼は唸り、言った。

「お前との付き合いは昨日今日のそれではあるまいよ……なのに、それを言わせるのか?」

「そうですけれども、伺えないとすっきりしません。はっきりお言いになって」

「ふむ、そうさなあ」

 顎に手をやり、しばし黙考してから沙衛門は言った。

「それは、俺は怒るのが嫌いだからだ。

 叱るのと怒るのは違う。確かに注意と称して気持ちをぶちまければ、その時だけ自分はスッキリするだろう。しかしながら、そういうしこりはずっと残るものだ。

 それをした瞬間から、別れへの秒読みが始まる様な気がする。故に、そうしたくない。免許皆伝に到達した弟子にその都度の注意など野暮であるしまなこをくらませてしまう。

 それに、俺はもう、るいと別れるあの寂しさを味わいたくはないのだ」

 そう言って沙衛門は、辛そうにうつむいた。




 頭をがーんと殴られた気がした。

 かつて、二人組の賊を追う仕事を引き受けた事があった。訳あって、その片割れを道連れに自分もろとも焼き尽くした後、成仏し切れずに、るいは沙衛門を追って、ゆらゆらと付いて行ったのだった。

 霊体の自分はその後、彼の絶望に身を焦がす様をまざまざと見せ付けられていたはずだ。

 それなのに。


 二人組であった賊の、残るもう一人を倒した後の彼の有り様と来たらなかった。

 元々その二人組の賊には複数の追っ手が差し向けられており、しかも早い者勝ちの状態になっていたのだ。更にその中には、沙衛門達のかねてよりの商売敵の一党があった。

 その入れ食いになっている状態で賊の二人組と争う事になった訳で、全てを仕組んだ者達も、沙衛門と同じ様に事のあらましを知る、残った関係者の口を塞ごうとした追っ手も、沙衛門は一時休戦の形で商売敵の一党の首領と手を組んで殲滅した。そこまでは

『さすが我が師、良くぞ仇を』

と思った。

 問題はその後だ。るいの名を呼び、飲んだくれ、ただただ死に場所を探して各地をさまよう。

 こちらの声が届かぬ状況でそれを見ているのはとても辛かった。傍にいても当然気付く訳もなく。

 自分を追い詰め、無防備に敵の前に姿を晒す。

 新たな仲間として手を組み続ける事になった商売敵の首領の助けがなければ、沙衛門はとうに死んでいたであろう。




 仲間達が途方に暮れて身の振り方を考え始めた頃、ふとした偶然から、沙衛門は伊賀者の忍びの少年を助けた。

 場所は織田信長の伊賀攻めの真っ只中。少年は、姉を亡くし、ひとりぼっちだった。

 少年を助けたのも、その騒ぎの中では伊賀も甲賀も関係なかったからだが、何よりも沙衛門はその少年にるいの面影を重ねていた。

 るいも見てびっくりする程、彼は自分に似ていた。


 如何なる修行の賜物か、少年は男の身体にも女の身体にも完璧に姿を変える事が出来た。

 沙衛門に命を救われてから、あちこちを彼らと共にさすらった少年であったが、その身体から、年の近そうな子供達に出会っても、ふとした事でその秘密が発覚し、遊び仲間にはついぞ、入れてもらえなかった。

 基本的な状態が両性具有のその少年が、そういった流れから謂れのない迫害を受ける度に、沙衛門は身体を張って守り通した。それを見る度、るいは涙しながら決して届かない拍手を送ったものだ。


 少年が沙衛門のグループに入った事で、沙衛門もまた生きる希望を見出し、以前の彼に戻った。

 仲間も沙衛門の元々の腕前を見込んで手を組んだ連中だった事が幸いした。前述の商売敵の一党の、その最後の一人となってしまった、首領であった剣士の男。

 そして一人は自分の幼馴染であった。驚いた事に自分達の顛末を聞いて、里を飛び出し、彼を追って来たのだという。


 そこから親密な関係を、再び築いていった。各地で戦火が絶えない時代に、その関係を作り、長く保つのはとても難しかった。

 そして少年が今の成人の年齢を迎えようとする頃。少年の為に彼を苦しめる敵と渡り合い、倒し、果ては自分も深手を負って、果てた。




 いまわの際に沙衛門は、そっと呟いたのだ。




「……これでいいんだよな、るい」




 少年や仲間との別れに涙しながら。無理に笑って。

 まるで彼女がすぐ傍にいるかの様に。


 その時、少し離れた所からそれを見守っていたるいは我を忘れて彼に向かって駆け出した。彼の名を何度も呼びながら。

 切なさで心臓が張り裂けんばかりになっていて、涙が溢れた。

 そして気がつくと、彼に手を差し伸べていたのだ。




 るいは嘆かわしく感じた。

 どうしてそんな大事な事を忘れそうになっていたのだろう。平和な日常のせいだろうか。

 いつか、そうして忘れて行くのだろうか。自分としてはかけがえのない最高のラブシーンなのに。

(それはそれで何だか癪だわ。……しょうがないのかしら)

と思いながら、るいは自分のおかゆの入ったおわんを持って立ち上がると、沙衛門と並んで座る。

「ごめんなさい。

 そうでしたよね。失念してました」

 少し間を置いて、彼女は言った。

「……いなくなりませんよ、今度は」

 はっとして顔を上げる沙衛門の様子は、実は珍しい。

 かつて、るいが道連れにした敵によって顔の右側を焼かれた事で隻眼である沙衛門は、どうにか残った左目で物を捉えている様子で、眉間には常に深いしわが刻まれている。ルビノワと朧が、幽冥牢に彼女らの身体の事情を話した後に構築した診察の機械によれば、視力低下の危険性は回避しているとの事だったが、やはり痛々しい。

 表情を伺いにくい事は忍法者としては有効なのだが、彼を深く知るるいですらも、少し困った事になっている。

 その沙衛門が顔を上げ、彼女を見た。どうやら安心してくれた様だ。

 穏やかに微笑を向けると、涙をごしごしと拭いて、るいは食べ始めた。ぱくぱくと。

 うむ、さすがは我が師匠。料理もいける。

「美味しいですよ。お教えした甲斐があります。

 次は何をお教えしましょうか? 沙衛門様」

 安堵の吐息を、沙衛門は漏らした。

「こいつめ……」

 苦く笑うと、おわんを置いて彼女を強く抱きしめた。素直に身を任せるるい。

 おわんを置き、彼の背中を優しくぽんぽんと叩いてやった。

 いつもの様に短い不精ひげが少々痛い。それにも構わず、彼女はその頬に頬ずりした。

「旅行先に着いたら、お互いに見せ合いっこしましょうね、沙衛門様」

「ああ、そうしよう」


 沙衛門は少しべそをかきながら、そう言った。

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