20 ムカシ朧、イマ朧

 ルビノワの話が始まる。

「皆さんこんばんは、ルビノワです。

 では今日のお知らせです。

 タイトルページに初カラーの『過去の朧』をアップ致しました。昔、ヨーロッパの何処かの大学の教師だった頃のものだそうです。少し大きめのゆったりとしたブラウスが特徴かも。また私の知らない頃の彼女の姿が浮き彫りに。気になる気になる」




 そんないつもの出だしからまとめに入り、締めとなった。

「本日のお知らせは以上です。では何となく皆を呼んでいるのでまた適当に話をしてもらいます」

「こんばんは! 全然ヒマな訳ではありませんが、家にいる時間が長いので誤解されがちな幽冥牢です。とひょひょ」

「こんばんは! 朧ですよう☆ 昔は教師だった事もある朧委員長ですよう☆」

「そんな朧殿の意外な過去にびっくりしたが、

『そういう『設定』もいいなあ』

とあらぬ妄想に浸り充実した一日を過ごさせてもらった 沙衛門だ。朧殿、ご馳走様」

 朧にサムズアップして見せる沙衛門。

「どういう事を考えたのか後で教えて下さいねえ☆

 ところでご自分を愛称で呼ぶのはおやめになられたんですかあ? 面白かったのに」

「だって誰も呼んでくれないからな。ぷう」

 頬杖をついて膨れる沙衛門。

「では皆で呼んで差し上げましょうよう。先日の『さえポン』はいかがですか? 何だか湯通しして一口で食べられそうでとても良いと私は思うんですけども」

「朧さん、止めときなさい。あたるぞ」

「な、何という事を言ってくれておるのだ、主殿! 日頃穏やかだからこそここぞとばかりに吹き上がる憎悪!!」

「ち、ちきしょー、やってみろ! 俺も俺なりに波乱万丈の末に今ここにあるので、変な事したら変な声を出す、よ?」

 突然、ばばっと距離を取り、相手の出方を見る二人。

「フッ、さすがよな、主殿。全力で倒させてもらう」

「手加減は失礼ですからね。ばっさりやってくんな!」

 勝てるとは思っていない幽冥牢。そんな感じで互いににらみ合う二人を完全に無視し、ゆらりと長い黒髪をなびかせつつ、微笑しながら現れたるい。ひらひらと皆に手を振っていた。

「こんばんは、るいです。私は一応沙衛門様にお仕えしている身ですから

『その単語を口にしてみるがよいわ、くくく』

と薄笑いを浮かべながら言われたら、どんなにヒワイな単語であろうとも口にしなければならないのです。

 例えば

『沙衛門様の(不適切な表現の為削除)が私はとても好きです』

とか

『沙衛門様の(同上)が(同上)の中にいつも入っていないと私は正気を保てません』

というセリフだろうと、平静を保ちつつ言わなければ沙衛門様に身体を要求されてしまうのです。くすん」

「いきなりその様なセリフを言われるとお、さすがの私もお二人を見る目が変わって来ますがあ」

「こ、困った人達じゃない?」

 うろたえる朧と幽冥牢。

「今のるいの言葉には間違いが含まれているぞ、ご両人」

「え?」

「俺はるいがその様なセリフを言おうと言うまいと全く関係なく、るいが好きだから無作為気ままに心と身体を要求しているのだ。意地悪毛虫野郎ないずどされた嫌な感じとかではなく、

『好き……!』

という雰囲気を前面に押し出しているという訳よ」

「そうなんだ。まあ、ラブにコメってる人達のあれこれに口を出すと、後で両方から怒られたりしてウルトラめんどくせーので、四肢欠損とか拷問とか肉体破壊とかしなければ、うん、まあ、その、何と申しましょうか、

『好きにし晒せ』

と言いますか、

『あっそう。ふーん』

と言いますか。そんな感じです。それは勿論しないでしょう?」

「そうだが、なるほど、かっぷるは確かに面倒だ」

 るいが不憫そうな顔で問う。

「主殿はそのご様子ですと、周囲にそういう関係が生じた事で、随分と割を食わされたみたいですね」

「ホント、その通りなんですよ。いい事が微塵もなかったんですよ。その二人が揃った瞬間に彼らの性格が豹変していたりしてね。

『付いて行くのもアホらしいぜ! あばよ』

という事で、距離を置いて疎遠になる事が多いですね」

「ほほぅ。俺の頃にもいたな。まあ、今と違っておなごの権利が弱かったし。表でそうなれば、裏にその抑圧が回るのは皆の衆の自明の理だが、努々(ゆめゆめ)、肝に銘じるとしよう」

「ええ、力一杯そうされて下さいな。何でか知らないけど、やっかむ奴とかいるでしょう? 私は出来れば、沙衛門さん達の様な普通と思われるカップルさんは普通にお祝いしたいので」

「ありがとうございます、主殿」

「という訳で話を戻すが、間違ってもらっては困るぞ、るい。これでもタイミングを見計らってるいに迫っているのだ。そこを忘れてしまうとは、もう、このお茶目さんめ」

「ああそうでした! 申し訳ありません、沙衛門様。ほほほ」

 色白の美貌にウルフカットのまま伸ばしたと思われる、流れる黒髪。袖で口元を隠す佇まいがかえって妖艶さを漂わせるのだが、この時も容赦はなかった。

「わははは。構わぬ構わぬ」

「何だあ、もうびっくりしたなあ☆」

「ホントに仲良しさんですねえ☆」

「まったくもうお二人ともうっかりさんですね☆ ……ってOKなんですか!?」



「さて今日はタイトルページに昔の姿を載せた朧委員長に、その頃の話を聞いてみたいと思います。

 そもそも何で教師になったの? いつ頃の話?」

「ルビノワさんと出会うより前でしたねえ。傭兵経験があった私は、いくつからの仕事の中から、それを選んだんです。何故なら……それなりの社会的地位が簡単に手に入るからです」

「まあ、普通の生活をしたいというのはお察ししますけれど……ばっさりにも程があるのではと、わたくし幽冥牢は主張します」

「そうよ。あまりといえばあまりな発言だわ、朧」

「そうそう。朧さん、もっとそういうセリフは恥ずかしそうにお願いします」

「えええっ!?」

「では行きます。3・2・1、キュー!」

 テレコを差し出し録音ボタンを押す幽冥牢。MDなどが出て来た時期だったが、彼は持っていなかった。

「しくしく、家で酔っ払いのお父さんが私に乱暴したり、下着を持ち出して売りに行ったりする度に

『とっとと金を稼げる様になればもうこんな事はしねえで済むんだがなあ、ふへへ』

とか、心にもない事を平気で言うからです。しくしく。

とっとと自立したかったのようっ! わーん!!」

「そうだったのか。……って先程と話の内容が異なる様に感じるのは気のせいでしょうか朧さん」

「そちらの流れの方が皆さん喜ぶかと思いましへぶうっ!!」

 朧の下顎にルビノワ嬢のクロスチョップが炸裂した。

「内容がリアル過ぎるって言うのよ! 実話かと思うじゃないのっ!!」

「あいたた……ううっ、ホントは欲しい服があったからなんですうっ!だって世間は堅気の無職に異常に厳しいじゃないですかあ。好きでなった訳じゃないのにっ!うえーん!!」

 幽冥牢、沙衛門、るいの三名が語尾はそれぞれ違ったが、声を揃えて

『そうそう、その通り』

というコメントを述べ、遠い目で回想に耽りつつ朧の肩をぽんぽんと叩いたり、頭を撫でたり、おやつを与えたりした。目をパチクリさせるルビノワと気持ち良さそうに皆の労わりに身を任せる朧。何だか猫みたいな素直さで悦楽に浸っている。

「な、何でそんなに息が合っているんですか?」

「色々と……ね……」

「仕事がない時には悪夢の様にないのだ。それをふと思い出してな……」

「仕事柄、少しの食べ物で任務を果たすのは珍しくありませんでしたが、それでも、私達も、ルビノワさんや朧ちゃんがこの前認めて下さった様に、基本的には人間なので……」

「ああ、何だか辛い時期を思い出させちゃってごめんなさい!

 んー、まあ、私も貧乏に困っていた時期はありましたけどね?

 で、先生になった朧ちゃんは学校ではどうだったのかしら?」

「好きになった人がいたんです」

「へえ」

 ルビノワが珍しく声を上げたのは、朧は自分よりもっとガードが固いし、

『よほど気に入った相手でなければ目もくれまい』

と思っていたからだ。朧は朧で仕事に生きるルビノワの親友だった。

「その人は違う学校の先生だったんですけども、ひょんな事から知り合いになったんです。

 ナイスミドルの渋い方でした。その人とは十歳くらい歳が離れていたんですけども、そんな事は私には全く意味はなかったんです。向こうも私の事が気に入ってくれた様で同棲する事になりました。

 ラブラブでしたー」

「へえー。朧にもそんな事がねえ。で?」

「その頃私は今と違う名前を名乗っていたんですけども、その名前を優しくいつも呼んでくれたので私は幸せでした。いつまでも続くと思ったんです。その幸せが。

『真面目にやっていれば、いつかきっと、もしかしたら家庭も持てるかも』

なんて、ちょっと夢を見ちゃっていたんですねえ」

 苦笑する朧の瞳には諦めの色があったのを、長い付き合いのルビノワはそこで見抜いたのだが、彼女の言葉を待ってみる。

「ある日外で食事の待ち合わせをしていたんですけど、いつまで経っても彼は現れませんでした。

 しょうがないので家で彼の帰って来るのを待っていると、電話がありました。警察からでした。

『彼が麻薬がらみのトラブルで組織関係者のチンピラに殺された』

という電話でした。私はそんな話は彼から聞いていなかったので驚きました。信じられないまま警察で再会したのは冷たくなった彼でした。

 朝、普通にキスして

『行ってらっしゃい』

を言って朝に見送ったばかりだったのに。……泣いたなあ、あの時は」

 初耳だ。今まで色々聞いて来たつもりのルビノワだったが、朧がそういう、恋愛についての過去を具体的に話したのを聞いたのは初めてだった。

「朧……」

「警察の話では

『生徒の一人が不良グループの薬物売買の勧誘に困っていて、相談に乗っていたのが担任を務めていたあなたの彼だった。上手く警察との連携が取れ、そのグループを一網打尽に出来た。

 その報復を彼が食らった』

との事でした。

 普通なら泣き寝入りするんでしょうけど、私は嫌だった。

 だから、潰しに行きました。

 幸い、傭兵時代の知り合いでの協力してくれるという人達がいて、のうのうと踏ん反り返っている組織の連中を皆殺しにしてやったんです。綿密な計画を立てての実行だったので、警察を騙すのは簡単でした。

 しばらくして私は教師を辞めたんです。そして名前も今の、『朧』という名前に変えました。

 折角まともに教師としてやって行けそうだと思ったのに正直残念でした。でも辛かったから……。

 名前を変えたのは、ある手術の契約で

『元の名前を捨てないと今の様な歳を取らない生命活動を営む事が出来ない』

という事で、私は進んで自分からそうしたんです」

「歳を取らない生命活動って……?」

「そうです。裏社会や政府の上層部は、有能な人材は出来ればいつまでも使いたい。歳を取らなければ、尚いい。

 それがもう、裏社会では金を積めば出来る程には実現していたんですよう。貯金は半分吹っ飛びましたけど、

『彼の分まで、人生を謳歌してやろう』

って思って。

 そして検査入院の期間が過ぎて、受けた手術の効果が出ている確認が済んだ私は、街を出て、楽しく好きな様に生きて行く事にしました。

 訓練をし直して、改めて何年か各地で傭兵をして、ひょんな事で出会ったのがルビノワさんでした」

 そう言うと、朧は少し寂しげにルビノワに微笑して見せた。




 ルビノワが何かを決意した様に振り返り、幽冥牢達に言った。

「私も、時期は違いますけれど、実は朧と同じ手術を受けています……」

 雑然とする幽冥牢、沙衛門、るい。

「ルビノワさんも!?」

「俺達が言えた義理ではないが……驚いた。二人とも、そんな様子はさっぱり見えぬ」

「そういう手術でしたからね。身体能力も落ちないんです。そして、それは私と朧には必要なものでした。

 もう少し時間を置いてから詳しく話す事にしますが……色々私達もありまして」

「……ルビノワ殿達にもただならぬ事情がある様だな。承知した。

 屋敷の周辺の安全装置の類、改めて俺達で相談し、もっと厳重にしておくとしようか」

「それだと、助かりますねえ」

「そうですね、皆。私はルビノワさんと朧ちゃんが、私達の事で泣いてくれた事を、忘れてはいませんよ?」

「必要経費は俺に言って。屋敷の為の費用なら、融通が利くはずだから。

 朧さんとルビノワさんの税金対策の知識も貸して欲しいんで、ホントに出来る事はそれしかないけど」

「十分ですよ。……ありがとう、皆」

 何となく皆で、ため息をつく。

 それから朧が言った。

「色々あったけど……私、今の生活がとても好きですよ。失敗もするけれど毎日楽しいし、皆さん良くしてくれるし、ルビノワさんもいるし。だから、あの昔の私の写真も、

『大事に飾ってくれるなら』

という事でお渡ししたんです。

 今後は、そうですねえ……私の自慢の写真を今の話を抜きにして気楽に眺めてくれると嬉しいです。

『あいつ、昔、先生だったんだ』

とか言いながら。……写真、大事にしてくれますよねえ? ご主人様」

 何だか涙腺が緩くて何時も困る幽冥牢だったが、大きく一息つくと多少落ち着いた。朧にニッコリして見せる。

「勿論。ありがたくタイトルページを飾らせてもらいますよ。

 それにここはみんなのページでもあるんだし、もっと伸び伸び元気にやっても全然構わないよ」

 それが合図の様に、皆が朧を取り巻いた。朧は少しびっくりして目を丸くした。




 ルビノワは、いつだったか、二人で飲みに行った時の朧の取り乱した様子を思い出した。彼女が涙をボロボロ流して、文字通り食い付いて来たのかが更に良く分かった様な気がした。

(また自分の傍にいて欲しい人がいなくなると思って、パニックになってしまったのね)

 それは断じて彼女のせいではない。しかしそれに関係なく大事な人がいなくなってしまった。

(奥さんとして暮らしていたかもしれなかった訳だ。この子は)

 ルビノワは何だか朧が小さく見えた。日頃元気一杯だから尚更だ。

  朧はいつもの様に、感情を目一杯皆にぶつけて欲しい。少しHなくらい何でもない。見事に固まった空気をほぐしてくれるではないか。

 そそっかしいのも忘れっぽいのも彼女の持ち味のひとつだ。

 泣いたり、笑ったり、鮮やかにメイドの仕事を片付けて見せたり、ドジを踏んでめそめそ泣いたり。

(その内……いつか、彼と過ごした思い出をいい方に昇華出来るといいわね、朧)


 いつか彼女が幸せになれる時が来たら喜んで祝福してあげよう。そう思った。



 他の皆も彼女の背中をさすったりしている。少し決まり悪そうに苦笑する朧。目が一寸赤い。

 るいが朧を抱きしめて頭を優しく撫で、そして言った。

「朧ちゃん。あなたはとてもしっかりやっている。あなたを見ているととても心が安らぐの。

 だから間違っても彼が先に逝ってしまったのを

『自分のせいだ』

なんて思わないで?

 誰が何と言おうと、あなたに落ち度があったなんて私達は思いませんよ。

 だってあなたは私達の為に泣いてくれたんですもの。あの時は嬉しかったですよ」

「何か、照れますねえ……あれはその、沙衛門さん達が大変だった事とか、また会えた事で、良かったなあって。私、時々空回りしてるんじゃないかって思っていたので、そ、そう取ってもらえたら、う、嬉しい、なあ……あれ?」

 朧の双眸から、涙がとめどなく溢れていた。

「泣いたりして、私、変ですねえ。うっ……久しぶりに思い出したせいか、いつもよりきついかな……ひっく……わ、私……」

「そんな酷い事があったんですから、泣いて当然です。そして、私や皆は、そんなあなたを絶対に笑ったりしない。

 私はここにこれて、あなたに会えて……あなたを紹介してくれて、友達になってくれた主殿にも、ルビノワさんにも大変感謝をしているんです」

 そう言って、るいは幽冥牢達を振り返った。

 頷き、穏やかな微笑を返す沙衛門。

 後ろで手を組み、幽冥牢も慣れない笑顔ながら、軽く会釈した。

 そして、前で手を組んで様子を見ていたルビノワが、ホッとした様に吐息を漏らすと、微笑んでくれた。

「ほら。あなたがどれ程弱ったとしても、倒れても、私達は絶対にあなたを見捨てません。

 信じて、朧ちゃん」

 るいと同じ様に彼らを見やり、それから何とかしてるいを見上げていた朧は、

「参ったなあ……今日の私、本当に、何か変だ……」

と告げると、るいの彼女の胸に頭を埋め……やがて、声を上げて泣き出した。

 るいは更に優しく、力強く彼女を抱きしめ、切なげに瞳を閉じて、頬を寄せた。

 悲しいのに涙も出なくなる方が精神的には深刻なのでルビノワはほっとして二人に近付き、そっと朧の背中に身を寄せた。

「私も皆も付いてるからね。辛い時は幾らでも甘えて頂戴、朧……」




 少し離れた所からその光景をルビノワと同じ様にほっとした表情で眺める男二人。不意に沙衛門が口を開いた。

「なあ、主殿」

「はい?」

「お主も皆と距離を徐々に縮めていければいいな。今は、少し距離を置いている様に見える」

「ばれてたかー。俺は……何ていうか、皆が楽しそうなのを離れた所から眺めている方が幸せかな。その方が

(良かったな)

と素直に思えるので」

「なるほど……俺もそうだ」

「じゃあ、お互い様ですね」

「『皆が楽しそうにしている所にお邪魔するのは基本的に少し苦手なのだ』

という事よな」

 沙衛門が言ってのけると、二人は顔を見合わせ、苦笑した。

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