14 沙衛門、思い出話をする

 あの頃、幽冥牢と朧はルビノワを間に置いて接する事が多かった。後で

『お互いに気後れしている部分があったのだ』

と分かったのだが、とかく幽冥牢は人から距離を置かれる。

『怖い』

と言われた事も数え切れない。

 思い返せば学生時代からだ。当時、それとなくクラスメイト(友人ではない)に聞いてみた所では、佇まいが怖いとの事だった。

『アウトローっぽい』

との事で、内心

(えぇ~……)

と思っていた。

 ガタイがどうの、という事なら、幽冥牢にも覚えはある。武道には向かわなかったものの、学生時代にやたらと地味な破壊力を求めて筋トレの日課を課していた。高校で自転車通学となってからは通学の際には勝手に鍛えられる様にと、荷物と自転車のギアを重く設定したりもした。坂の多い地域だった事が幸いし、いいトレーニングになった。

 結果、風邪を引きやすく、幾度か死に掛けた事もある少年は風邪を引きにくくなり、身体は肩幅が広がり、特に胸板が厚くなった。骨太にもなった。太ももはパンパンになった。何しろ高校での毎日の教科書とノートと筆記用具を背負って持ち帰り、ギアを重くした自転車での登下校だ。

 それらが総合的に、中途半端と言われがちな身長に反して、

『ガタイがいい』

と言われる程の外見を作り上げてしまっていたのだった。

 幽冥牢が欲しかったのはスタミナと地味な破壊力の方だったので、正直げんなりした。


 小学校の頃からの友人と社会に出てから再会し、

『幽冥牢がチーマーになっちまった』

と嘆かれた時にはさすがに衝撃を受けた。全く自覚がなかったからだ。

 真面目に生活して来た。グレた事もないのに。

 また、その辺りから警察による職務質問で薬物使用や非行に走っている容疑を受け続けた事で、実際かなり凹んだ。

『ふてくされたのとは少し違う』

と幽冥牢に聞いたら返答するだろうが、それから彼は基本的な佇まいはそのままに、したい格好をする事にした。『社会人として仕事をきっちり片付けるのなら、外見は職場の許可が出る範囲ではアレンジしても問題はあるまい』

と考えたのだ。服装や髪の色については、それまでの仕事ぶりからなのか、特に問題なく許可が出た。


 話が前後する。

 中学入学の際、校則で男子は基本丸坊主だった為に、ある日突然床屋へ連れて行かれ、バリカンを当てられた事が幽冥牢のトラウマとして長く尾を引いていた。それで、女性が髪を勝手に切られる事態のショックを、当時13歳の少年は理解した。唐突かつ痛烈に、無理矢理理解させられた。

 それまで受けた如何なるいじめよりも深刻に彼の心を切り刻んだ。

 これはひどい。こんなやり方が平気で横行するなんて。

 これは女の子からお姉さんまで泣くに決まっている。権利の侵害とはまさにこれだろう。

 これを軽視する様な連中は、総じて臓腑が腐って、その痛みで悶死してしまえばいい。

 そうなるべきだ。


 そう思わせる程のショックだった。


 前髪を上げると、基本は母親の面立ちながらも、かつて家庭を滅茶苦茶にした父親の遺伝子が確実に混ざっている事を痛感させられるので、それがとても憂鬱だった。坊主では隠す事も出来ない。気が狂いそうだった。

 どうにか慣れつつ、学年が上がって二年生になった。生徒総会で髪を伸ばしても良くなると、幽冥牢は当時夢中になっていた『AKI○A』の金○の髪型に出来ないかと苦心惨憺した。それが上手く行かず、それでも何とか前髪を上げずにどうにか出来ないかを彼は考えていたのだ。

 思い出しても泣けて来るくらいに、何故か床屋には恵まれなかった。どういう訳か、揃いも揃って幽冥牢の前髪を、所謂『オン・ザ・眉毛』にしたがるのだ。しかも、顔剃りの際にやたらと彼のウィークポイントである首周り、それも鎖骨と鎖骨の間、首からそこに至る中心に手を置きたがる。どう考えてもくすぐったい。顔を切られてしまう事もしばしばだったが、言い出せなかった。

 坊主にしなければならない中学時代には床屋に行けと言われる度に胃痛を覚えていた彼だったが、そこからは別の意味で憂鬱な時間を過ごす羽目になった。

 髪の切り方についてはやがてどうにか希望に近いカットにしてくれる店に出会えたが、それは高校卒業を間近にした頃だった。


 丁度幽冥牢が古巣である関東地方へ戻り、同時に社会に出た辺りに、所謂90年代のバンドブームがあった。趣味で漫画を描いていた幽冥牢のイメージを刺激的するビジュアルのバンドマンらが雑誌の誌面を飾っていた。世の女性達が黄色い声を上げるのも頷ける華やかさや鋭利な雰囲気、ファッション性が融合した、退廃的なカッコ良さがあった。聞いてみると曲もいい。

 幽冥牢も本格的にウルフカットという奴にしてみた。海外では

『ダサい』

と定評があった襟足を伸ばすヘアスタイルが流行っており、漫画・『今日から○は!』の主人公の一人の髪型を知った高校以降の幽冥牢は、色はともかく、ヘアスタイルだけを何とか真似たいと思ってこれまた苦労していた。

 髪を染めてみる事にしたのは、やっとマシな床屋に通える様になった二十二くらいの時だったと思う。深い紫色にしたかった。

『色彩センスが色々とアレだ』

と、幼少の頃から言われて来たが、その色に惹かれたのだ。ネット環境が個人でも容易く使える様になる数年前だった。つまり、髪を染めるならば、雑誌や街の美容室で聞くしかない。

 今から考えると笑ってしまうくらいに緊張しながら、自分なりに調べて、近隣の美容室へ務めて穏やかに入店した。

「いらっしゃいませ~☆」

 明るい声!

 お仕事なのだとしてもこんな優しい囁きをかけてもらったのは久々だった。微笑む女性店員。これが美容室の雰囲気なのか。

 男性店員達もフットワークが軽そうな都会派の印象だった。鮮やかなはさみ捌きが眩しい。

 床屋とはまるで異なる、何というかふわっとした雰囲気。当然女性客がほとんどだ。

 とにかく色々と衝撃だった。

 腰は引けなかったが、頭の中では

『怖がられない様にしなくては。ダメ! 絶対!!』

とだけひたすらに考えていた。ファーストコンタクトはとても大切だと考えていた。接客業にその頃は就いていた幽冥牢だったが、そこで迷惑客のもたらす被害を痛感していたからだ。

 ああはなるまい。あれこそ人間のクズだ。

 家族連れかカップルがほとんどだが、一体あれのどこがいいのか。理解に苦しむ。

 故に、説明してくれる店員さんに迷惑をかけたくないし、笑われる様な失敗をしてしまっても、怖がられたくない。そんなの嫌だ。そうなったらとても悲しい。

 気をつけろ。一挙手一投足に。

 自分はそれ程注目されるタイプではないが、悪目立ちしてしまう事は身にしみて理解していた。

「いらっしゃいませ。今日はどうしましょう?」

「あの……初めてなんですけど、髪を染めてみたいです」

 担当してくれた女性店員は後に馴染みのお姉さんとして長く付いてくれたのだが、とにかくあれこれと質問したものだった。


 さて、いざ希望の色にしようとして、それはとても過酷な道のりなのだと思い知った。まず、ハイライトの金髪にしなければならない。彼の髪は色が抜けにくく、それをするととてつもなく髪が傷む事が判明した。金もかかる。

 幽冥牢は妥協した。提示された見本を眺め、ひとまずは明るい色にしてもらう事にした。それが初めての茶髪だった。ヘアダイというのを選び、具体的にはオレンジ色になった。これだと色落ちしないらしい。

 素晴らしい!


 帰宅した幽冥牢はヘトヘトにくたびれていた。

 生まれて初めての美容室だったし、何が一番衝撃的だったかといえば、生まれて初めてイメージに近いカットにしてもらえた事だった。ばっさり切るのではなく、毛先を少しずつ、バランスを取って詰めて行くというカット方法に、幽冥牢は感銘を受けたのだった。

(髪を切る時は美容室! 髪を切る時は美容室!!)

 幽冥牢の中でそれは絶対不可侵の掟となった。


 それなら赤だ。深い赤にしよう。ヘアダイでオレンジ色になっていた髪をつまみ、美容室で相談してそうしてもらった。

 すると今度は

『外見と仕事ぶりのギャップがすごい』

と驚かれる様になった。仕事面では機械音痴だったが、マナーなどは会社員時代の研修が染み付いている。それがいい方で作用した様子だった。

 自分ではただ普通に仕事をしているだけなのでさっぱり分からなかったが、周囲の異性に威圧感を与えずに済むのはありがたかった。一時は女性陣から柔らかい対応をしてもらえるなどの不思議な居心地の良さを提供してもらえたが、ただただ恐縮している内にそれは過ぎ去ってしまった。




 そんなあれこれがあり、

『怖がられない様にせめて礼節くらいは』

と心がけて行動していたのだが、ついぞ、幽冥牢にデスクワークの仕事などに就くチャンスは訪れなかった。




 そんな幽冥牢が、朧が地下に割り当ててもらった城にホイホイ来訪したがったのは未だに分からない。途中の道の恐ろしさから一人で通る事も出来ないくせにである。




 二人はここ、『朧スペース』でお茶を飲みながら楽しく歓談していた。

「そうか、朧さんも始めたんだ、18禁ギャルゲー。

で、何買ったの?」

「それがまだ何にも買っていないんですよう。ですから何か貸してもらえませんか?」

「ああ、いいよ。そう言いそうなんで幾つか今日は持ってきました。これなんだけど」

 ザックの中からソフトを取り出し、幽冥牢はそれとなくテーブルの上に並べて見せた。

「これなんかどうかな、『mi・da・r○』って奴なんだけど」

「妹萌えですかあ。他には誰か出て来ますかあ? 女の人」

「えーと、妹の友達と主人公の彼女かな、後、謎の女性」

「良いですねえ☆ じゃあこれをとりあえず借ります」

「楽しんで頂ければ幸いです」

「何かメーカーさんみたいですよう?」

「そうかも。はははは」

「変なの。ふふふ」

 二人で少し笑う。

 その時、玄関先でノックの音がした。


「誰かしら」

 モニターの前に向かう二人。朧は、後ろから幽冥牢が覗き込んで来たので少し落ち着かなかった。

「ちょっくらごめんよ。あ、沙衛門さんとるいさんだ。挨拶回りかな?」

「一応聞いてみましょう。

 いらっしゃいませ。どうしたんですかあ?」

 声に気が付いたのか、沙衛門の顔が覗き込む様にカメラにアップになったのを見て幽冥牢が少し笑いながら呟く。

「何だかこうして見ると可愛いな」

「む、主殿も一緒か。遊びに来たのだがいいだろうか」

「あ、構いませんよう。では以前お教えした様に、ドアの前のセンサーに手をかざして下さい。

 大丈夫ならこちらでOKですよって言いますから順番にお願いしますね」

「電気は流れないだろうな……」

と呟きながら、沙衛門は恐る恐る手をかざした。



 問題無くチェックも終わり、中へ通された沙衛門とるい。沙衛門は幽冥牢の姿を見るなり飛び付いて来て背中をばしばし叩きながら喜んだ。とてつもなく痛かったが、苦笑してそれに応じ、背中をぽんぽんと叩いてやった。

「主殿だ! 主殿だ!!」

「はいはい、怖かったんだね」

「その通りだ。

(何故こんな暗い道を通って来なくては行けないのだろう……)

と、この様な美しい娘を隠しているこの闇が恨めしかった。ははは」

と笑って朧を手で示す沙衛門。幽冥牢は今更ながら

(本当にこいつ忍者か?)

と少し彼の職業意識に不安を持ったが、しかし

(誰だって、その仕事のみをする為に生まれてきた訳ではないのだ)

と思い直した。

「まあ、本人の希望だからねえ」

「主殿の?」

「いや、朧さんの」

「また、主殿はご冗談ばっかり☆」

「ホントですよう☆ 

 私、暗くて静かな所が好きなんです」

 沈黙。幽冥牢に抱き付いたままの沙衛門が、ややあって、言った。

「うそん」

「いえいえホントホント。ここなら地上の喧騒も届きませんからねえ☆」

「だそうですよ、沙衛門様」

「そろそろ話してもらっていいっすかね☆」

「あ、うむ」

 幽冥牢を解放すると、沙衛門は何やらしばし思索に耽っていたが、ぽつりと言った。

「済まんな、朧殿。俺はお主を好きな様には出来ない」

「今更ですねえ」

「今更ですね」

 この前、ルビノワ達とこの二人が自分のいない隙に揉めて、その後仲直りをしたのだが、その喧嘩の理由がとてつもなく下らないものだったので、話したがらなかったのだ。

 そしてそれを朧があっさりと口を滑らして全部喋ってしまったので、

『どうもルビノワ殿とるいにコマし倒された様だ』

と沙衛門から聞いたのを幽冥牢は思い出した。

 自分はあまりに下らない理由を聞かされて腹を立て、さっさと自室に引っ込んでしまい、それを見ていないので悔しい思いをしていた。

「……やっぱ俺、人生を損している様な気がする」

「何か聞いているんですかあ?」

「えっ、ああ……るいさん、喋っても?」

「どこかで朧さんに伝わるものだと、私は考えておりますので、どうぞ遠慮なく」

 何故か誇らしげに微笑みながら胸を張るるい。

「いいのか……あの、

『お風呂場でるいさんとルビノワさんからエロい目に遭わされた』

とか何とか」

「そうでしたねえ……ルビノワさんまで一緒に混じって」

 朧は赤面しながらそう言い、

(あの時の彼女は自分の知っている彼女ではなかった)

と心の中で付け加えた。

 るいとルビノワは後で目を回した状態の自分に服を着せてここまで搬送し、身体を優しく洗ってくれたが。

「あの時の朧さんは素敵でした。最後には白い太ももまでのストッキングとそれを止めるガーターだけの姿で、その白い肌に緩やかにもたれかかる乱れた金髪のおさげ。頬を染めて歓喜の涙を流す朧さん……ほう。

……私、一生忘れません」

 特徴的な吐息を漏らしながら、至福の笑みを浮かべるるい。

「るいさあん! そんなのとっとと忘れてくださいよう」

「あらあら。ごめんなさいね」

「恥ずかしいなあ、もう。疲れるから二度とご免です」

「そうだな。俺もるいやルビノワ殿を止めに入るべきだったかも知れぬ。

 謝る。朧殿、まことに申し訳ない」

「私も余計な事を言っていないか気を付けますねえ」

「何でそんなに丸くまとまってしまうのか、俺にはそこが不可解な点だがまあ、いいか」

「大人だからです」

「はあ……そうですか」

「む、主殿ってば寂しん坊将軍?」

「いえ、違います」

「どれ、元気にしてやろう。元気になれー」

「変な所をいじらんで良い!!」

「ちぇっ、つまらん」

「悔しがるのは少し違う様な気が……」




 みんな分のお茶が行き渡った所で歓談が始まった。

 沙衛門が屋敷に来るまでよりも昔の、遠い昔の経緯を話し始めたのだった。

「そういう訳で、敵を道連れに焼き尽くして、るいは逝ってしまったのだ……悲しかった。

 その後、俺は一人で旅をしていたのだが、次の仲間と組む事になって数年経った。そしたら今度は俺の連れの同郷の伊賀者と殺し合う事になってなあ。いやはや、参った参った」

「るいさんも沙衛門さんも、カッコ良さ過ぎですよう……」

 やはり朧が最初に泣き出した。

(そういえば、前回の話でも真っ先に泣き出したのがこの人だったな)

と幽冥牢は思い返す。

「泣かないで、朧さん。もう済んでしまった事なの。……ありがとうね」

 るいが朧の背を撫でてくれている。

「流れから二人を順番に相手する事になった。一人目が何かこう……大人の掌に納まるくらいの球体をその握り締めた拳の親指側、もしくは小指側から撃ち出すという途方もない奴でな。それは見切ったのだが、肩口にきついのを一発食らってしまった」

 朧が辛そうに眉間にしわを寄せ涙をこぼしてから、訊ねた。

「それは、どうやって傷口を……?」

「これよ」

 沙衛門がつい、と人差し指と中指を揃えて自分の前にかざすと、大気を切り裂いて、彼の指に照明を浴びて何か細い糸の様なものが幾条も絡み付いた。

 もしかして、小説で読んだ様な糸使いなのだろうか? 今の風切り音だけでも相当に凄まじいものを感じた幽冥牢が訊ねる。

「それは?」

「俺とるいの初歩的な技のひとつだ。俺達は『霧雨』と呼んでおる。

 秘伝なので大雑把にしか言えんが、そうさなあ、おなごの髪を幾条もより合わせ、この細さまで引き締めたものに、特製の獣の油をかけたものだ。

 俺はこの前話した、母親代わりの師匠からこれを体得させられた。幾度これに、俺とるいが助けられたか数え切れぬ」

 師匠の事を思い出したのか、沙衛門はどこか遠い目をし……それからまばたきすると、息をついて話を続けた。「これと別の奥の手で、どうにか一人目を屠り去った。後から来たそいつの兄貴分の様な立場の男に聞いたら、俺なりの死闘であったそれは全くの骨折り損だったのだがな」

「それは戦わなくても良かったって事?」

「左様。話を俺とその二人と、彼らが守っていた事で俺達とは敵の立場になってしまった娘、これもくノ一だったのだが、どこかでその三人と俺達で上手く話を合わせる事が、ひょっとしたら出来たのかもしれなかったのよ。

 一人目も不死身だったそうだしな。俺が上半身を粉々にしたのがどう治るものなのか、次のを倒すのに全力を出し切ってしまったので、見届ける事は出来なかったが」

「不死身か……で、タイミングを見計らえば、どうにかなったかもしれない、か」

 幽冥牢は腕組みして、天井を仰いだ。彼にも彼なりに、苦い思い出が沢山ある。

 ねぎらいも込めてだが、言ってみた。

「何と言いますか、その、上手く行かないもんですね……」

「全くだ。が、察してくれた事、礼を言わせてもらう。主殿、ありがとう」

 沙衛門が穏やかな微笑を浮かべ、頭を下げた。

 幽冥牢は何と返したものか考えながら、

「とんでもない、話を聞かせてもらっているだけだし。感想しか言えなくて申し訳ない」

「いいのだ、ありがとう。

 で、そこで俺も二人目の相手を倒したものの、ついにやられてしまってな。

 そいつも訳の分からない術を使う奴だった。見た事もなかった。自分の身体を分解して一本の糸になる奴などというのは。それでその長さを利用して移動し、目的地に着いたら体をまた元に戻しおる。勝てる気がしなかった。

 死なぬ程度にかわそうとするので精一杯だった。どうにかこちらも奥の手を出して倒せた、というのが事実よな。が、二度と出来る気はせん。鍛錬を今後も出来るのはありがたいので続けるが、かまいたちを見切ってかわす様な真似は皆目検討もつかぬ。それで、そこまでだった。

 そいつの得物を背中に派手に食らってしまっていたのだ。その後に倒したものだから、もう一歩も動けなくてぶっ倒れてしまった。

 他の仲間はそいつの仲間とやり合っている真っ最中でホントはすぐにでも駆け付けたかったのだが……駄目だった。

『死ぬのだな』

と思ったら、急に今までのるいとの事や仲間との事が思い出されて、凄く切なかった。不覚にも泣けて来た。連中と別れるのが悲しくてな。

 ずっとしゃくりあげていた……人殺しで飯を食って来たこの俺が」

 朧が泣きながら、うつむきながら話す沙衛門の背中をさすった。

「そんな事はるいと行動していた時以外では滅多になかった。

……どいつもこいつもよく知る前に死んでしまったから。

 それでそのまま倒れていたらるいが迎えに来てくれた。俺が倒れている目の前に手をかざしていた。

(はて、るいは死んでしまったのではなかったのかな)

と思ったが、もうどうでも良かった。

 メソメソ泣いていた俺の頬を暖かい手でさすってくれたのだ」

「だってやっとまた会えたんですもの。嬉しくて。

 沙衛門様が

『もう会えないと思っていた』

とボロボロ泣きながら言っているのを抱き起こした時には、私も涙が出て来ました」

「あの時はその、嬉しかったのだ」

 照れくさげに頭をかく沙衛門を見ていたら、幽冥牢もこみ上げて来るものがあり、涙を幾度か親指の爪の先で拭った。

「湿っぽい話で済まなかったな、主殿、朧殿」

「そんな事ないですよう! もう一度会えて良かったじゃないですかあ……良かった」

 そう言って朧は二人にしがみついた。抱き止める二人。

 それを穏やかに微笑しながら少し眺めて、幽冥牢はひょいっと立ち上がった。

「そうそう、全然そんな事ないない。

 ちょっとトイレ」




 トイレの個室で手を洗いながら、小さなマイクに話しかけている幽計牢。向こうからはルビノワの声が返って来る。少し声が変だ。彼女も泣いたのかもしれない。

「という事情だそうなんですけど……ちゃんと聞こえた?」

「もうっ……先日簡単に説明してもらいましたけど……こんなに泣かされるとは思ってませんでした」

「何だかすみません」

「いえ……」

「そういう時代があった、としか言えないんだけれど、沙衛門さん達は生き証人だよね。

 で、どういう訳かうちに来る流れになりましたけど、やっと二人とも、所謂スパイ活動で手を血で汚さずに、屋敷の掃除とかそういう普通の仕事で食べて過ごせるんだよ……」




 その言葉が深くルビノワの胸を抉った。

 過去の傭兵経験は明かしていたが、それよりもずっと前からの因縁が自分と朧にある事を、ルビノワはまだ打ち明けていなかったからだ。


 この国に辿り着いて半世紀が過ぎたが、その間、そちらからの襲撃はご無沙汰になっていた。しかし、自分達を追っている相手が、かつての自分達と同じ手術を受けて生き永らえているとしたら、組織の上層部までが全盛期のままだ。


 いつか打ち明ける日が必ず来る。その時、幽冥牢はどういう表情を浮かべるだろう。

……ルビノワはその考えを打ち消した。今は沙衛門達の事を何とかすべきだ。




「ルビノワさん?」

 幽冥牢の声でルビノワは我に返った。考え込んでしまっていたか。変な所だけ察しがいい幽冥牢に気付かれていないかと冷や冷やしながら、ルビノワは咳払いをして応答した。

「いえ、ちょっと」

「通信状態が悪くなったかなって思っちゃった」

……何かに気付かれたのを、ルビノワは感じ取った。彼は嘘をつくのが致命的に下手だ。

 自分達のまだ話してないあれこれを話す時がそう先でなくなった事に内心苦いものを感じながら、ルビノワは話を続ける。


「そういう事ならしょうがありません。

 いいです。沙衛門さんとるいさんの身の回りの書類関係を、私と朧のコネで本格的に何とかしてみましょう」

「助かりますう」

 何かルビノワの様子が変だったが、それは本心だ。幽冥牢にはそんなコネはない。海外を渡り歩いて来たルビノワと朧にそういうコネがあり、それを使ってくれるというのは、まさに天の助けだった。

「あーあ、見事にしてやられた感じですけど、私ももっと沙衛門さん達と時間を取って話してみます」

「そうしてみてもらえますとありがたいです。ファーストコンタクトがちょっと俺のせいでご迷惑をおかけしましたけれど、仕事仲間だし、どうせなら仲良くしたいですよね」

「その通りです。

 でも、分かってませんね、主殿は私の気持ちが」

「は? どういう事?」

「なーいしょ。ではまた後で。お知らせには皆を連れて来て下さいね」

「いいけど、えっ? あっ、ちょっ……」

 通信が切れてしまった。


 何となく分かった様なそうでもない様な。幽冥牢は首を傾げ、少し悩んだ。

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