メイドと秘書のぼやき 2

 2月12日、夜10時頃。

 この前、ルビノワが喚き散らし、朧がさめざめと泣いた店。あの後、二人は仲直りを果たした。

 そして懲りない二人は今日も似た様な席で話を始めている。今度は何故か二人ともロシア語であった。

「カンパーイ☆」

 駆けつけ一杯、という感じでコップの酒をグイッと一息で飲み干した。

「ぷはーっ、この一杯の為に生きてるー☆」

と息を付き、微笑み合う二人。ルビノワが珍しくご機嫌だ。

「遂にうちのサイトに掲示板が出来たわね。これからはもっと忙しくなるわ」

「何かルビノワさん、脱ぐ事も決まった様ですしね」

「そんなの決まってない。聞いた事もない。

 私はやらない」

「ええーっ!? じゃあ、あんな所やそんな所が白日の下に晒されて

『ルビノワ、ちょっと恥ずかしい☆』

というコーナーの設立、あれは嘘なんですか!?」

 ルビノワが次第に真顔になって行く。

「そもそもどこで聞いたのよ、そんな話」

「さっき電波で」

 ルビノワは先程、こういう時の為に頼んでおいた、蓋の空いた焼酎の一升瓶を速やかに手に取り、その口を、抱きかかえる様に腕を首に回した朧の口に押し付け、流し込んだ。

 慌てる朧。

「うぶっ!? ううっ、うおっ、ぶあっ、はぶうっ、んおっ、うっうっうっ、ううううううっ、ぶはっ!!

 えふっ!!

 あはあっ、えほっえほっ……」

 暴れて口から瓶を外した拍子に メイド服に焼酎がぶっかかり、派手に濡れる。

 一升瓶を置いて、ハンカチを渡してやるルビノワ。ついでに、テーブルの上のおしぼりで適当に拭いてやった。

「やれやれ、この子は」

 涙目で頭から湯気を吹きつつ、きっ、とつぶらな瞳でルビノワを睨み付ける朧。

「酷いですっ、ルビノワさん! いきなり何するんですかあっ!?

 もおっ、こんなに濡れ濡れです。ああっ、どうしよう……」

「『びしょ濡れ』って言いなさいよ……ちょっとやり過ぎたとは思うけども、まあ、これもあなたの為だしね」

 服を拭きながら、しばし黙考する朧。

『何故自分がそういう目にあったのか、本気で分からない……』

というのを、しっかり態度で示しているのがルビノワには痛い程に伝わった。辛かった。心のどこか、そうなってはまずい部分が派手に大出血しているのを感じた。

 そしてポンと手を叩く朧。どうやら答えが出た様子である。

「ああ、分かりました!

『『電波で聞いた』とか言うな』

って約束でしたもんねえ☆ えほっ。ごめんなさ~い……」

「良く出来ました。そう。それでいいのよ」

 まあ、いいだろう。朧の頭をニコニコしながら撫でてやるルビノワ。朧も申し訳なさそうに苦笑する。

 平和な雰囲気になりかけたその時。

「いやはや、先日、こっそりルビノワさんの分までチーズケーキを食べてしまった事かと思った」




 奥の座敷席から激しくハリセンかスリッパのような物で何度も人の頭を叩く音がしたが、何しろ貸し切り席でする事だし、裏ではこっそりVIP扱いなので、支配人は、心配そうな顔の従業員に

『弁償してくれるし、ほっといていいから』

と告げた。




 ルビノワに襟首を引っ掴まれ、どこからか出したハリセンで頭を幾度となく引っぱたかれ、頭を押さえてうめく朧。襟元のリボンが引っ張られて首に引っかかっているだけの状態になり、ボタンは弾け飛び、しかも何故かあちこち触られ揉まれ、唇まで『また』奪われ、警察にやっと発見され、保護された様な状態になっている。

 心の中で、

(そういう役回りなのかな)

と、寂しく思うも、朧は落ち着いた様子のルビノワにひっしとすがり付き、目の幅涙をぶわっと、噴水の様に噴出しつつ泣いて詫びた。

「うえーん! すいませんでしたあ!!

 何だか良く分かりませんが

『今回は私がどうやら全面的に悪い様だな?』

って事で良いです~!!」

「何か引っかかるのよ、その言い方! って言いますか、胸揉むな!!

 後、変な所に手をやるんじゃない!! あなたの手つきは何かヒワイなのよ!」

 詫びている気配が微塵も感じ取れなかった。切なげな眼差しでそれだけではなく何を考えたのか、座っている彼女の後ろにいつのまにか回り込み、ルビノワのセーターの下に手を滑り込ませ、あちこちまさぐりつつおねだりをする朧。

 いつもこうなのだ。一度そういう流れを許したのが、途方もなく長い年月に渡って続いている。それがこれだ。やり返した気が見る見る削がれる感覚。

 ため息をついて、ルビノワは告げた。

「……とにかく分かればもういいから。お酒こぼしちゃってごめんね」

「いいえ、もう大丈夫です。

でも、これクリーニングに出さなきゃ……替えの服、あったかなあ」

「何言ってるの♪一杯あったでしょ、色違いだけど二十着程」

「もうないです。2、3着しか」

「何で?」

「先月貧乏だったんで、ネットで

『使用済みメイド服。状態良し。30万円で譲ります』

って一着出してみたら追加注文も来て殆ど売れちゃったんです。あ、そうだ☆

 今度おいしいもの奢りますよ。ねえ、一緒に食べに行きましょうよう☆

 ねえねえルビノワさあん」

 沈黙。そしてまたも何処かで何かの切れる音が。

「逞し過ぎるんだ、あんたは!

って、ああっ……」

 血圧が上がり過ぎたのか、ルビノワがこめかみを揃えた人差し指と中指でむいむいと押しながらへたり込んだ。そのままごろりと、濡れているのも構わず、朧の正座した膝を枕に、横になってしまうのだった。さすがに朧もぎょっとする。

「ルビノワさん? ちょっと!?」

「酷い。あんまりよ……何で……何でそんなに逞しいのよ……ずるい……」

「お褒めに預かり、」

「褒めてないもん! ばーか!! ばーか!!

……一人で強くなっちゃって……あたしなんか……まだ色々、屋敷の事であたふたしてるのに……朧のばーか……」

「ルビノワさん……」

 ルビノワはそそくさと眼鏡を外してテーブルに置き、それっきり黙り込んでしまった。


 そういう事か。何故だかホッとした。

 新しい仕事環境にまだ、彼女は慣れていなかったのだなと察した。

(それにこの前の唐突な告白もあったしな)

と思った。

 自分と同じレベルで恋愛運の悪さを誇るルビノワは、そのせいで基本的に男性不審のケがあるのだ。ガードがとにかく固い。それ故の、幽冥牢屋敷に雇用された当時の剣呑な雰囲気は緩和されたものの、朧の知るルビノワは、誰かを愛する様になったらなったで、躁鬱気味になるのをすっかり忘れていた。

 それがかないそうにないものであればあるほど、燃え上がるのがルビノワであった。染めている赤紫色の髪の色も、それを考えればとても特徴的なのだった。


 そんなあれこれを考えつつ、彼女の頭を撫でてやると、太ももに顔を擦り付けて来るのが愛らしく感じられる。

 空いている手でグラスを口に運び、朧はぼんやりと考えた。


(この国に来て50年くらいになるけれど、この人も私も、こっちではどういう訳か、恋愛についてはご無沙汰だったものな……)




 この国に来るまでの彼女達は何をしていたのか。

 そして、どう見ても二十代半ばと思われる二人には、何が起きているのか。




 しばらくぼんやりしながら一人、朧はちびちびとコップで酒をすすっていた。

 こういう時間がなければ社会人には色々と現実は厳しい。磨り減って潰れてしまう。幽冥牢は朧とルビノワがこれまで勤めて来た職場のランクで考えれば、ずば抜けてありがたい抜け具合の雇用主で、彼女らがサボる時間を作る必要がなかった。しかも

『所定の仕事が済んだら休憩すべし。鉄則で』

というルールを課してくれているので、三人揃っての休憩も増えて来ていた。片付けるべき仕事が済んだら休んでいていいと言ってくれる職場は稀有だ。おかげでルビノワとの飲み会も自棄酒にならず、楽しいお酒になっていた。

(いい職場で落ち着けそう)

 朧も表情が緩んだ。

 自分とルビノワが置かれている環境を忘れてしまいそうだ。


 それは、決してあり得ない事だったけれども。




 ふと腕時計を見れば一時間が経過している。ルビノワはまどろんでいるらしく、よだれを朧のスカートに滲ませてくれているではないか。

(あちゃ~……)

 苦笑しながら、朧は声をかけた。

「ルビノワさん、まずはお水を」

「ん……」

 傍らの水入れを手に取り、コップに注ごうとして、朧は見事に手を滑らせた。テーブルの上で転がった水入れから、大量の水が仰向けに寝かされているルビノワに浴びせられる。

「Oh……!」

 青ざめる朧の眼前、獣の様に素早く起き上がり後ろに飛び退き、周囲に目をやるルビノワ。

 朧がおどおどしつつ声をかけた。

「あ、あの、ルビノワさんに今、一杯水を」




 翌日。めそめそしながら幽冥牢屋敷の庭を掃く朧の両頬は、あの後ルビノワにむいむいと引っ張られたせいで真っ赤になっていた。

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