2. 最初の悩み

 まずは前言を撤回せねばならない。自身が虫に転生した、という話はもうご承知いただけているかと思うが、俺はその時確かに「異世界転生」というように言ったと思う。俺は読者諸氏に残念なことを伝えなければならないことを心苦しく思っている。


 複眼で物を見る、という行為にも慣れて来た俺はだんだんと視界に入ってくる多くの情報を脳で処理できるようになっていた。前世の記憶というものがなければこの作業はこんなに手間のかかるものではなかったのであろうが、どうしても人間であった時代の脳の意識が、この作業を大きく手こずらせているように感じられた。


 この状況を鑑みるに、転生前の記憶、というのは一種の記憶野における情報をコピーして転生先にペーストするのではなく、脳機能そのものが持っていた情報そのものをこの一匹の大きな毒虫にペーストしている、ということがわかる。例えば、人間の赤ちゃんに転生した場合を考えてほしい、人間の赤ちゃんの身体というものは未発達ゆえに、大人の脳のもつ合理的な身体制御の方法論では意識したとうりに動かないことが容易に想像できる。また脳の構造自体もまた発展途上であり、未熟な脳に成熟した成人の脳と同じ情報が書き込まれるのだとしたら、それはまさしく恐ろしいことであるが、シナプスの結合など、様々な構成要素の未発達さによって、その人物の自我は見事破壊されてしまうことであろう。


 これは稚拙な例えではあるが容量1.44メガバイトのフロッピーディスクに容量25ギガバイトのブルーレイディスクのデータを書き込んでいるようなものである。


 他人と自分を隔てる人間の意識というものは、そもそもが高度な脳機能に由来している訳である。そして脳機能は身体と密接に関係している。昆虫の脳は昆虫の脳として、昆虫の身体にリンクすることに特化した構造になっているはずなのである。


 まあ、めんどくさくなってきたので省くが、この毒虫の脳はかなり大きく、また人間に近い構造をしている、ということでなんとか納得しておくものとする。なってしまったものはしょうがないし、なんとかなっているのだからこれからもなんとかなるだろう。


 或いはこの毒虫の以前に存在した私ではない毒虫の意識の行方を心配する方もいるであろうが、誰だって虫を潰したり、殺虫スプレーで殺した経験がおありのことであろうので、私自身がそこまで罪悪感を覚えていない、ということは付け加えておこう。


 さて、随分と脱線してしまったが、私は虫として虫なりの視覚を手に入れつつあるわけである。まだまだ随分と難儀するが、まずは自分の置かれた環境をじっくり確かめるために方々を見回してみた。


 テーブルの上には布地の見本が包みをといて広げられていたが、その上方の壁には写真がかかっている。


 ・窓を調べる

>・写真をじっくりと見てみる

 ・南へ進む

 ・家を出る


 なんとなく前文が往年のテキストアドベンチャーっぽかったのでそれらしい体裁にして見たが、まあこの場合は「・写真をじっくりと見てみる」一択だろう。


>綺麗な金縁の額に収められた写真に写っているのは一人の女性で、なんか厚着をしていた。


 これだけだとなんの情報にもならないが、この写真は重大な意味を持っているのである。

 そう、この写真はつい先日俺が切り取って仕事の参考にと額縁に入れたものなのだ。俺は転生前は服飾関係の外回りの営業、言うなればセールスマンだった。

 そして、部屋を見回しているうちに、俺はあることに気づいたのだった。


 あまりにも、転生前の俺の部屋に似すぎているのである。というかもう、俺の部屋そのものであると言えた。というか、どう考えてもここは俺の部屋である。


 まだ全ての望みが潰えたわけではないから、確実にそうである、とは言えないのだが、つまるところ俺は「異世界転生」をしていないのではないか、という事実が克明に浮かび上がってきた。ここは異世界ではなく、今まで俺が生きてきた世界と同世界なのではあるまいか。

 或いは、俺にそっくりの生活をしていた毒虫のところに偶然転生した、という可能性もあるが、しかし、様々な道具類、部屋の構造が二足歩行で腕が二本の生物に適応した構造をしているところを見ると、この仮説はだいぶ怪しく思われる。道具というものは、少なからずそれを用いるものの身体にとって最適化された形状を取るものであるからだ。虫が主体となった社会を構成しているのであれば、もっと足が6本の生き物に最適な引き出しとか、椅子とかの構造があるはずなのである。例えば、指が2本以上ない生物が使うのであればハサミはあんな形になるはずがないのだ。


 創作でよく見かける転生の女神とやらがうっかり間違えて、俺を同時代、同世界、同日の俺に毒虫として転生させた可能性もある。というよりも、その可能性が高いと言えた。


 つまり、俺ことグレゴール・ザムザは、「“異”世界転生」ではなく、「“同”世界転生」を行なったということになるのだろう。


 あるいは悪の秘密結社に昆虫の能力を持った昆虫として人体改造を施され、俺はこれから悪の秘密結社と戦うことになるのかもしれない。そう言えばハエと合体した科学者の話をどこかで読んだことがある。


 まあ、腕は前より増えているわけだし、表皮の硬さも随分前より向上しているし、筋肉量も倍どころではない。身体構造上相当俊敏に動けるであろうし、前よりも有利な身体条件を得た、という点では不平を言う方がおかしいであろう。


 何は無くとも前向きに、と言うのが俺のモットーである。


 

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俺の転生先が一匹の毒虫なのはおかしい件 johnsmith @johnsmith14

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