第69話 魔術師と騎士
ラスティに会えた。
胸に静かな喜びが広がったのもつかの間、彼はいつも以上に不機嫌そうな顔をしてこちらを眺め、犬でも追い払うように大きく手を振った。
「貴族どもがぞろぞろとなんの用だ。お前たちの来る場所ではない、立ち去れ」
「この男は?」
ロインが前を向いたまま尋ねてくる。実に自然な声だった。二人がお互いを見知っているなどと、この場の誰が疑うだろう。
「ガウディールの魔術師です」
「随分と態度の大きな魔術師だ」
ロインの大きな声は当然ラスティにも届いた。目を細めてロインを睨んだラスティが、体をしっかりとこちらへ向けた。彼に続いて茂みからジーンもあらわれて、警戒した様子で耳を立てロインを見ている。ジーンは前にロインに会っているわ、印象は悪いままなのね。
「シファードの騎士。まんまとガウディールで寝床を手に入れたな。婚礼の日まで居座るつもりとか」
ラスティはジーンを足下に従え、ゆっくりとこちらに歩いてくる。ロインは黙ったまま一歩も動かない。剣の届かない程度の距離を保ったあたりでラスティが立ち止まると、そこでようやく返事をした。
「その通り。ガウディールの連中があまりに頼りにならぬものだからな。盗賊に毒に、病。このわずかな期間だけで、我がシファードの姫君を何度危険にさらしてくれたものか」
対峙したふたりが、私に目もくれずに不穏な言い争いをはじめたのではらはらする。
「ロイン! 口が過ぎるわ、おやめ。それにこの魔術師は……この魔術師が、私を毒による死から救ってくれたのですよ」
口を挟まずにいた方がいいのかとも思ったけれど、ロインがガウディールを悪く言いはじめたので止めた。後ろにカラルがいる。この召し使いはバルバロスさまと深く通じているに違いないのだから。
「そうか……それは……感謝する」
私の言葉に、ロインは体から緊張を解くとぽつりと言った。沈黙が場を支配する。暗い道を風が吹き抜け、ロインの金の髪を揺らしていった。
「偶然、行き当たっただけだ」
静けさを破ったのはラスティの声。
ロインを見ていたラスティは隣の私を避けるように視線を動かした。
「何故連れてきた」
うしろのカラルに鋭い声をかけるラスティは、私を見ない。どうして。ロインといるから? それとも怪しまれないため?
「イルメルサさまが死んだ娘に花を、とお望みです」
「兵士に託そうと思ったのよ。でもこんな奥に来るまで誰もいなかった――お前以外」
近づくな、と忠告されていた北の城壁に向かっているところを見られた居心地の悪さから、つい口を挟んでしまった。それでもラスティは私を見なかった。
「この者に託されてはどうですか?」
話しかけなければよかったと後悔しているのに、それを知るはずもないロインが呑気な提案をしてきた。ラスティは嫌がるに決まっている。
「断る」
ほらね。
「領主の婚約者の頼みを断るのか」
「頼んできたのはお前だろうが、シファードの騎士」
「ロインだ。行って、花を置いてくるだけ。頼まれてくれないか。大した手間でもないだろう」
眉根を寄せ睨んでくるラスティに全く頓着した風もなく、ロインはしつこく食い下がっている。どうしたのかしら。あまり会話をしないほうがいいと思うのに。
内心はらはらしながら二人を見守っていると、ラスティは舌打ちをして、こう言った。
「勝手に決めるな。そこそこ距離があるのも知らんのだろう。今戻ってきたばかりだぞ。あんな陰気な場所に、日に二度も行けと?」
その言葉に驚いた。行っていたの。私の顔も見ないのに、フラニードのところへは行ったのね。
生まれた嫉妬心に気が付かないふりはできなかった。人が死を悼む行為に嫉妬心を抱くなんて、醜い自分が嫌になる。
「これ以上貴重な外歩きの時間を、兵士探しに費やしたくなくてな。しかしそれならば渋るのも当然か。わかった。もう行ってくれ」
ロインがなにか言っているけれど、ほとんど耳に入らない。
「魔術師ラスティ、お前も花を?」
気が付くと私の口は、半ば勝手に言葉を紡いでいた。そうしてやっと、ラスティの目が私をとらえてくれた。それでも、赤銅色の瞳をいくら見つめかえしても、彼の心は見えないまま。
「……ああ」
短く答えたラスティは、私の視線を避けふいと目を逸らした。
きっと、そうしなければ怪しまれるからよ。私に肩入れしていると疑われフラニードと過ごしていた、と話してくれたじゃない、それと同じ。親しくしていた女が死んで、花を手向けもしなければ薄情だと思われる――彼がそんなことを気にする人とも思えないけれど。
指先が痺れてこないのは、まだ体にラスティの魔力が多く残っているから。冷え込む心を感じながらそうぼんやりと考えた。
私の墓標にも、彼は花を運んできてくれるかしら。無理ね。だって私が眠るのは聖堂の下。ただの魔術師の彼には近づけないし、それに彼は全てが終わればここを去るわ。
「オースン司祭さまですか」
暗い考えに侵されていく心を止めてくれたのは、意外にもカラルだった。
オースン司祭さま?
責める響きのカラルの声に、ラスティはすぐにはなにも答えなかった。ただ目を細め、ロインと私を見比べたあと、静かに右手を持ちあげこちらに差しのばしてきた。
「気が変わった。行ってきてやろう、花を寄越せ」
「だから口外するな、と?」
そう言ったのはロイン。ロインは肩をすくめて私に仕方ない、とでも言いたげな笑みを落としてから、後ろを向いた。話が見えない。
「この者に託そうと思うが構わないだろう」
「ですが」
渋るカラルの声がする。私は振り向かず、ただ前に立つラスティから目を離さずにいた。皆がなにを話しているのか私にはわからなくて、その手がかりを見つけたくて。
「知ったからにはバルバロスさまにお伝えしないわけにはまいりません」
「勝手にしろ。なんでも好きに報告すればいい。ただな、俺はなにも言っていない、それを忘れるな」
心の底から迷惑そうな顔をしたラスティはそう言うと強い視線でカラルの方を見やった。途端、リュイの息をのむ小さな悲鳴が聞こえる。
フラニードは司祭さまの姪。身投げをしたから教会の墓所には埋葬されない……。
「花を置いてきただけなのでしょうね?」
疑わしげに漏らされたカラルの言葉に、私もやっとひとつのことに思い至れた。
なにか頼まれたんだわ、オースン司祭さまに。花、それにもしかしたら聖職者が魔力を込めた死者に垂らす旅立ちの香油、そんなものを与えてきてくれと。結婚の噂まで流れたラスティがフラニードを訪ねても、誰も不思議には思わない。
「うるさい女だ、気になるのならその目で確かめてこい。お前たちだけでどこへでも行け」
苛立ちを隠そうともせず言い放ったラスティは、止める間もなく私たちに背を向け歩き出した。ああ、行ってしまう。彼の足元のジーンが、ほんの一瞬戸惑いの視線を私に向けてから、ラスティについていった。
あの夜の出来事は幻だったみたい。陽の光に照らされてみれば、私たちの関係はなにも変わっていなかった。領主の婚約者と領主に仕える不機嫌な魔術師、それだけ。彼がどんなに優しく唇に触れてくれたかまだはっきりと覚えているのに、気安く引きとどめる言葉ひとつ、口にできない。
行かないで。あとほんのしばらくでいい、彼にいてほしい。ラスティ。立ち去るあなたを見たくない。胸が苦しくて目を閉じた。
「お疲れですか」
すぐにロインに声をかけられ、小さく頷く。ラスティの魔力はまだ体に残っていたけれど、今日は沢山歩いたし、心があちこち揺れ動いてくたびれてしまった。
「疲れたわ」
呟いてゆっくり目を開ける。と、私を覗き込むロインの向こうに、立ち止まりこちらを振り返るラスティの姿があった。私を気遣って足を止めてくれている。それが嬉しくて、目頭が熱くなった。泣いては駄目、変に思われてしまう。
「イルメルサさま……?」
ぱちぱちとまばたきを繰り返してから、ロインを見て微笑んだ。
「もう、部屋に戻してロイン。あなたあとで、花を託せる兵士を探しておいてくれて?」
「仰せのままに」
ロインも小さく笑んで、私を抱き上げるため手を伸ばしてきた、その時だ。
「俺の」
ラスティの声が飛んできて、ロインの手が止まった。その場にいた全員が――おそらく背後のカラルとリュイも――ラスティを見たのだろう。彼はほんの一瞬、声をかけた後悔の垣間見える表情をした。でもすぐに意を決したように唇を引き結ぶと、強い足取りで戻ってきた。
「俺の力は必要か?」
「私は騎士だ、イルメルサさまひとり運べぬひ弱な男に見えるのか?」
ラスティの問いかけに、ロインが不愉快そうに答える。違うわロイン。ラスティが言っているのは。
「見ればわかる。お前は騎士で、俺は魔術師だ。そもそもお前に聞いたのではない。俺の、癒やしの力は必要かと聞いたんだ、イルメルサさま」
最後のほう、ラスティはまっすぐに私を見て尋ねてきた。言葉に紛れている彼の苛立ちが、どうしてか少し嬉しい。本当はすぐにでも頷きたかった。それを我慢して、少しだけ考えるふりをした。
「そうね……ええ、お願いしようかしら……」
答えるとロインが一歩下がり、入れ替わりにラスティが私の前に立った。魔術師独特の、薬の匂いが香る。すぐそばに彼がいる。嬉しいのに、私にできるのは手袋に包まれた右手をただ気怠げにゆっくりと持ち上げるだけ。
ラスティの大きな手が、私の指を握る。手袋ごしに伝わってくる彼の手の熱さに胸が鳴る。すぐに癒やしの力が流れ込んできた。量の多いどこか雑な術で、ラスティの魔力そのものも漏れ出ている。
「おいっ、少し力を抑えてくれ」
ロインが文句を言って後退った。
「知るか」
ふん、と鼻を鳴らして答えるラスティの声に混じって、カラルの辛そうな呻き声も聞こえてくる。こんなに心地いいのに。リュイは大丈夫かしら。ちら、と振り返ると、既に私たちから何歩も離れて怯えた顔で立っているのが遠くに見えた。逃げ足が早い、あの子のような生まれの者にはよいことよ。
満足して視線を戻すと、ラスティと目が合った。私を見ている。目を離せずにいると、彼の唇がゆっくりと開いた。なにか言ってくれるの。私に?
「歩けるか」
「え?」
「歩いて戻れるほどは回復したか?」
疲れていたのはほんの少し。もともとラスティの魔力は残っていたのだから、今はすっかりよくなっている。
「ええ」
「そうか」
答えた瞬間ラスティの術が止んだので、後悔した。まだって言えばよかった。ばかね、私。ほら、もう手が離れていく。
「助かりました」
触れられていた熱さがなくなって心細い。それでも、短い感謝の言葉を口にした。
「おい、ロインと言ったか」
ラスティはすぐに私に背を向けると、脇にいたロインに声をかけた。
「なんだ?」
「花を持ってお前だけついて来い、案内してやろう」
「な、なにを、勝手な……っ」
後ろからまだ辛そうなカラルの声が飛んでくる。
「勝手ではない。思い出したんだ。昨晩広間で、領主がシファードの使者を丁重に扱えと言っていたことをな」
「言っていたな。私には、好き勝手に嗅ぎ回られないよう気をつけろ、と聞こえたが」
茶化してロインが言うと、ラスティは小さく首を横に振った。
「考えすぎだ。ともかく、この騎士は俺が連れて行く」
「あとでこの短い旅の顛末をお話ししに伺います、イルメルサさま」
「生きていられれば、な。ま新しい遺体に反応した魔物がうろつきはじめている、小物ばかりだが気を抜くな」
「わかった。子供、花をこちらへ」
魔物と聞いたロインの表情が引き締まった。子供の駆ける足音が近づいてくる……。
「きゃ!」
突然、下ろしていた手の先に生暖かい空気を感じて手を跳ね上げた。
「イルメルサさま!」
ロインの驚いた声がする。私は足元にいたものを見てから、ロインとラスティに笑みを向けた。
「大丈夫、驚いただけです。犬よ」
ジーンがそこにいた。この子から私に近づいてきてくれたなんて、何日ぶりだろう。不思議そうに尻尾を垂らして、ふんふんと、手袋ごしの手に鼻を近づけてきている。撫でようと手を動かすと避けられてしまったけれど、喜びが胸にあふれた。
「お前も行くの? それとも私といる?」
「俺の犬だ。来い、ジーン!」
ラスティの鋭い呼び声に、ぴんと耳を立てたジーンはすぐに離れて行ってしまう。それからすぐに、魔術師と騎士と犬は、連れ立って北門へ続く道を歩いていってしまった。
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