第67話 ロイン


 夜が明けると、カラルに無礼なほどの大声で名を呼ばれ起こされた。まだ眠くて横になっていたかったけれど、今日はロインと会うのだからと必死に起き上がった。それなのに、頬を硬く強ばらせたカラルは、頑なに私に触れようとしなかった。


 身支度が進まないじゃない。

 昨夜の騒ぎについて詳しく知っているのね。この女はなぜかバルバロスさまからの信頼が厚い。


 噂がたつのを恐れてか、かわりの召使いも呼ばないというので仕方なく、リュイの助けだけで身支度を整えることになった。カラルがやったのはただひとつ、私の脇にある椅子の背もたれに、肘の近くまで隠れる薄い茶色の長手袋を一揃えひっ掛けただけ。


 でもかえってよかったわ、今はラスティの魔力が体に残っている。それを、あまり人に知られたくなかったから。


 幸運にもリュイは、私の体が魔力を帯びているのを疑問に思わずいてくれた。慣れない身支度に懸命になりすぎて、そこまで気がまわらなかったみたい。


 部屋に華やかな花を生けた花器や布を運び入れる召使いたちを横目に、私は髪を自分で後ろでひとつに結った。リュイには髪を編めなかったし、かといって召使いにも触れられたくなければ、自分でやるしかない。ラスティの洞窟にいたときに出来るようになっていてよかった。


 すべてが整い、窓辺の椅子に腰掛け、ロインを部屋に迎えいれられたのはすっかり日も高くなった頃だった。


 ◆◆◆


 薄暗い通路からガチャガチャと重い音を響かせながら部屋にはいってきたロインが、シファードの色、青の軍衣を私に見せてくれた。

 久しぶりに目にした故郷の色は恐ろしいほど懐かしく、心にきつく締めていた結び目が緩んだ気がする。駄目よ。本心を気づかせては。そう思ってから、ふと誰に? と思う。ロインに? それとも自分に。


「やっとお目通りが叶った」

「遠くからよく来てくれました。病から回復したばかり、こんな場所で迎える私を許してちょうだい」


 窓から差し込む光は弱いのに、ロインの金色の髪はきらきらと輝いていた。けれど記憶より疲れた顔をして、顎に短い髭が散っている。私の視線に気が付いたのか、ロインは苦笑いを浮かべ顎に手をやった。


「こちらこそこのような姿で……ガウディール側に剣の所持を許可されませんで」

「まあ」


 髭を剃るための刃物すら持たせてもらえないというの。思わずじろりと部屋の隅に控えているカラルを睨んだけれど、女は知らぬ顔で立っている。


「それが許容できぬのであれば即刻立ち去れと」

「ひどいわ、短剣のひとつも携帯出来なければ自分の身も守れないではないの」

「お言葉ですがイルメルサさま」


 隅から声が届く。顔色ひとつ変えず、カラルが口を挟んできたのだ。


「ガウディールにおいてシファードの方が危険な目に合うなどとは……」

「お黙り、誰が口をきいていいと言いましたか。お前には話していない。口を閉じていられないのなら出てお行き」


 ぴしゃりと言って、カラルの反応も確かめないままロインに視線を戻し微笑んだ。


「あとでバルバロスさまにお願いしておくわ」

「いや、それは」


 怯んだロインの様子に少し悲しくなる。視線を下に落とすと、茶色の手袋に包まれた私の指が無意識に脚のあたりの服を握っていた。


「なにも心配ないのよ。バルバロスさまはとても……とてもお優しいから。先日も私に望みのものはないかと尋ねてくださってね」


 金の髪飾りをお願いしたところ。そう、なるべく弾んだ声を出して続ける。


「ここの気候に慣れず体調を崩してばかりだったから、シファードに余計な不安を与えてしまったわ。私はここにいられてとても満足」


 前に立つロインが身じろぎひとつしないので、話しながらついと視線を上げた。と、視線がぶつかり合って一度言葉が途切れた。ロインは青い瞳に悲しみとも怒りとも、戸惑いともつかぬ気持ちを浮かべ、私を見下ろしている。私の言葉のなにひとつ、信じていない顔。

 それがわかっても、私は話し続けた。部屋の隅のカラルに聞かせなければならない。


「満足しているのに……ここで幸福になれるわ。ロイン、お父さまにもそう伝えてちょうだい」

「ゲインさまへの伝言を賜ることは出来ません。このままご婚礼の日までガウディールに残れと命じられておりますもので」


 婚礼まで。もうそう長い日数ではないけれど、果たしてそれが許されるだろうか。わからない。

 今度は私の目に不安が現れたのだろう、口元に心配はいらないというような小さな笑みを浮かべたロインが、一歩踏み出してきた。そのまま片膝を折り、私の前に跪く。彼の目が私の手に向けられた。心臓が鳴る。


「昼間の室内で何故手袋を?」

「かぶれて、薬を塗っているの」


 事前に用意していた嘘は虚しく部屋に響いた。薬の匂いなど微塵もしない。いくつか飾られた花が弱く香っているだけだ。


「ガウディールの魔術師は癒やしの力も使えぬのか!」


 急に後ろを振り返ったロインが、部屋の隅で気配を殺しているらしいカラルに厳しい声を放った。びく、とカラルの肩が震える。


「誤解しないでロイン、私が彼らを遠ざけているのよ」


 カラルが口を開くより早く、慌てて言った。


「魔術師は好きじゃないの。あなたならわかるでしょう、彼らがどんな風に私を見るか。もちろん全員ではないけれど」


 ラスティとか。

 一瞬、昨日彼がどんな風に私を見つめていたか思い出して頬が熱くなる。ここにいてくれたらいいのに。でもロインと親しく話すところを見たらまた妙な誤解が深まってしまうかもしれない。やめて、こんなことを考えている時ではない。


「だってエマリィ、エマリィは別だもの……あら、そういえばあの子はどこにいるの? 一緒に来たのでしょう?」


 良かった。無難な話題が見つかった。胸の中でほっと息を吐く。


「彼女はここへの立ち入りを許されなかったので」

「なぜ」

「わかりません。許可できぬと繰り返されるばかり。ただ、かわりに魔術師塔への立ち入りを提案されまして、今はそちらへ行っております」


 ロインは跪いたまま、じっと私の顔を見つめ話し続けた。心を読もうとしているみたいだわ。


「そうなの」


 気持ちを揺らさないよう気をつけながら小さく呟いた。無難な話題ではなかった。他の話題を探さなければ。頭を働かせたけれど間に合わない。


「なぜシファードの魔術師がイルメルサさまとの面会を許されぬのか、思いあたる理由はございますか?」


 何気なくさらりと聞かれ、身が硬くなった。思いあたる理由なんて、あるに決まっている。私の身に残る闇の魔力についてなにか気取られてはと不安に思ったのに違いないのだ。それか、床に残る黒い跡を見られるか。


「……なぜかしら、わからない。会えないのね、残念だわ。あの子に髪を編んで貰おうと思っていたのに」


 す、と手をあげ、ひとつに結んだ髪を背中から胸の方に持ってくると、ロインの視線も私の顔から髪にうつってくれた。


「ご侍女がおられないのか」

「噂は耳にしなかった? ひとり、役目を解いたばかり」


 自然苦々しい思いが浮かんで唇が歪みそうになる。フラニード。彼女は今どこにいるのだろう、バルバロスさまに守られているのかそれとも――。


「ご婚礼が近いというのに侍女も用意できていないとは」


 物思いは、ガウディールを責める響きのこもったロインの声に破られた。また。衝突して欲しいわけではないのに。


「私が命じたのです。不便は承知の上」

「我々の大切な姫君が“不便”などと口にされるのを聞かねばならぬとは、納得できるものではない。どうなっているのだ? ガウディールというところは」

「ロイン」


 再び、不愉快そうに背後のカラルを振り返ったロインが突然立ち上がった。そして彼はそのまま踵をかえし、カラルと向き合った。体の大きな騎士に正面から睨まれたカラルは、さすがに今度は怯えの色をあらわに体を震わせている。

 どうしたというの、こんなに気の短い人間ではなかったはずなのに。


「女主人になるという貴人を客間に閉じ込め、どういうつもりだ!」

「閉じ込めるなどとは滅相も御座いません、わたくしどもはイルメルサさまを……」

「寂しい北方の山だけを眺めお暮らしなのだ、お具合が悪くなるのも当然!」


 ロインおやめ、と言いかけ口をつぐんだ。

 わあわあとまくし立てられているカラルは気が付いていないみたいだけれど、なんだかこれは、おかしくないかしら。

 ロインはカラルの方を向いたまま、腕を真っ直ぐ窓の方に伸ばし、窓からの景色に難癖をつけている。


「聞けば、そこの庭では人死にもあったそうだな、よもやここから見えるのではないだろうな?」


 庭、と言いながらロインはこちらを振り返り、大股に私の横を通り過ぎて行った。彼の起こした風を感じながらそっと目で追うと、予想した通り窓から身を乗り出し外を向いているロインの背中があった。


「壁が見えるではないか!」


 なにに文句をつけているの。

 普段の彼より随分と芝居がかった物言いに、混乱しはじめたまさにその時だった。突然、下からなにか大きな物を落としたような音が響いてきた。


 少し置いて今度は女の悲鳴。また物音、そして……複数の騒がしい犬と鶏の鳴き声。あら、また悲鳴。


「一体何事ですか!」


 カラルが、私たちに背を向け部屋の外に焦った声で叫ぶ。その瞬間、私の手元に影が落ちた。それから耳元で低い潜めたロインの声が。


「ゲインさまからです」


 意味を理解するより早く、私の手にロインがなにかを握らせてきた。この手触り、書簡だわ。カラルの背中を見ながら、素早く服の中に隠す。


「なんと騒がしいところだ。手助けは必要か?」

「まさか。こちらでお待ちくださ――ああ! なんてこと!」


 再びロインが私の横を通ってカラルのところへ行くのとほぼ同時に、茶色の羽を撒き散らしながら鶏が一羽、部屋に飛び込んできた。


 ◆◆◆


 本当にひどい騒ぎだった。

 昼間のロインとの面会を思い出すと笑えてしまう。上掛けを首まで引き上げながら、もう何度目かになる思い出し笑いをした。


 召使いたちが鶏二羽と犬四匹を外に出し終わるまでに、部屋の中を鶏一羽と犬が二匹駆け回っていた。滅茶苦茶になったからと、ロインはしっかりと明日の面会の仕切り直しの約束まで取り付け帰って行った。あの犬と鶏、ロインの仕業だろうに。


 犬の中にジーンがいなかったのが残念だったわ。

 でも、床につく少し前に見た私の手は、まだ爪の先がうっすら黒ずんでいたから、あの中にジーンがいても近くには来てくれなかっただろう。


「会いたいわ、ジーン」


 ぽつりと呟いた言葉は、暗い夜の部屋に吸い込まれていった。ため息をついて寝返りをうって、枕の下に手を差し込む。その指先が、ロインから渡された書簡に触れた。


 父からの秘密の手紙。

 部屋の明かりが消され、人の気配も絶えた夜になってからようやく読むことができた。ラスティの魔力があったので、上掛けの中で小さな魔力のあかりをともして読んだのだ。

 畳まれた書簡を撫でながら、少し前に何度も読んだばかりの、懐かしい父の文字が綴る言葉を思い返した。


 “必ず助ける”


 “信じて待て”


 “愛している”


 最後の言葉には急ぎ書き加えたような乱れがあって、それが私の気持ちをかき乱した。なにもしないでいて欲しい。助けて欲しい。相反する気持ちが生まれるから。

 燃やせ、という指示はなかったけれど、処分したほうがいいわよね。明日、燃やそう。だから今夜だけは、そばに置いておきたい。

 何度も指先で手紙を撫でているうち、いつの間にか眠りに落ちていた。


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