第20話 帰路


 二人と合流し洞窟を出ると、雨に濡れた森が待っていた。濡れて湿った落ち葉の山を踏み越え、ロインの馬に乗る。

 

「久しぶりね」

 

 芦毛のまだら模様のロインの馬が懐かしい。その子は私を覚えていたらしく、嬉しそうに鼻息を吐いて小さくいなないた。脇腹のあたりを撫でてやる。いい子。

 

「私の馬は盗まれて売られてしまったわ」

「確かに、あれは市に出ていました。目立たぬよう過ごしていたので買い取ることも出来ず、申し訳ございません。必ず見つけ出してみせます」

 

 言いながら、ロインがひらりと私の前に乗ってきた。騎士姿ではないロインといるのは久しぶり。昔乗馬を教わる時はいつもこの姿だった。いつの間にかもう一頭に騎乗したエマリィもぴたりと後ろについている。


「では、出発いたします、夜までにはマルドゥムさまの館に着けるでしょう」

「うしろは私がお守りいたします、イルメルサさまご安心を」

「ええ。頼みます、二人とも」

 

 ロインが馬を歩ませた。くらり、と体が揺れる。ロインに触れないよう馬に捕まりながら振り返ると、茂みの影の洞窟の入り口がどんどんと小さくなって行くのが見えた。

 

「あっ」

 

 ラスティに、魔術が使えた話をし忘れた。そう思う間も少しずつ失われていく彼の魔力を感じ、寂しく思う。またすぐに元の私に戻る。一時だけの、本当に魔法をかけられたような日々だった。

 

「どうされました」

「なんでもないわ」


 ロインはそれ以上尋ねては来なかった。私たちは黙って、森を抜ける道を急いだ。

 

 ◆◆◆

 

「イルメルサさま!」

 

 馬がマルドゥムさまの館に近づくと、中からマルドゥムさまの奥さまが飛び出して来た。

 

「よくご無事で。主人は留守ですが呼びにやらせましたから、お待ちになってね」

「お久しぶりです、奥さま。突然おしかけ申し訳ありません」

「頼ってくださって嬉しいのよ。さ、お入りになって。夜になる前でよかった。みなさん、お泊まりになられるのでしょう? お前たち、お客さまの馬を」


 奥さまはてきぱきと指示を出し、私たちを快く迎え入れてくださる。

 

「マルドゥムさまはどちらに」

「近くの農民の家にお酒を飲みに」


 ロインが聞くと、奥さまが少し恥ずかしそうに答えた。マルドゥムさまらしい答えだわ。マントを外してそばの召使いに渡しながら、奥さまに招かれた客室に入った。

 早めにともされた蝋燭の揺れる明かりに、行きにも見た美しい模様のタペストリーが目に入る。やっと“こちら側”に戻って来られたのだ、とほっとした。同時に目に涙が滲む。

 

「イルメルサさま、火のそばに」

 

 奥さまは私の涙については特に何もおっしゃらなかった。ただ私に暖炉のそばの長椅子をすすめ、そばに腰掛けてくださった。私が触れられるのを好まないのをご存知なのだろう、少しだけ距離を取った場所に。

 

「シファードに早駆けの使いも出しました。今夜は安心してお休みになって」

「ご親切に、感謝いたします」

「温かい葡萄酒をお持ちするわ。お前、用意して」

「すぐに」

 

 そばに控えていた召使いのひとりが、すぐに動く。薪のはぜる音を聞きながら、しばらく黙って座っていた。事情を少しは話さねばならないだろう。

 

「盗賊に襲われ矢傷を受け、森の魔術師の元で傷を癒しておりました」

「森に魔術師が?」

「はい。彼と……森番の妻が」

 

 ラスティにそう言えといわれていたのを思い出し、すんでのところで付け加えた。


「そう。恐ろしい思いをされましたね。この話題は止めておきましょうか、ゆっくりお休みになって。葡萄酒はまだかしらね。食事も用意させます、召し上がれる?」

「はい」

「料理番が喜ぶわ」

 

 ロインとエマリィの姿は見えなくなっている。どこか他の場所にいるのだろう。明日の今頃には、シファードにいられるだろうか。

 しばらくして運ばれてきた温かい葡萄酒を、少しずつ飲んだ。白い湯気が登り、丁子と柑橘の香りが鼻をくすぐる。体が暖まる。まるでラスティの魔力のみたいだわ。葡萄酒の濃い赤に、別れたばかりの無愛想な魔術師の顔が思い出されて仕方なかった。

 

「イルメルサさま!」

 

 葡萄酒を飲み終える頃、よく響く大きな声が、廊下から客間まで響いてきた。

 

「あなた! イルメルサさまが怯えるわ」

「ああスマンスマン」

 

 騎士マルドゥムさまがお帰りになったのだ。どすどすと重い足音を響かせているので、マルドゥムさまが近づいてくるのがわかる。杯を脇に置き立ち上がって、ここの主人が現れるのを待った。 

 

「おお! お元気そうだ、ゲインさまもさぞや安心されるだろう」

「マルドゥムさま、このたびは突然……」

「いい、いい、他人行儀な! イルメルサさまなど、こーんなお小さい頃から知っている」

 

 マルドゥムさまは大きな体を揺らしながら、手を膝のあたりまで下げる。大袈裟なしぐさに笑みがこぼれた。

 

「七つでしたから、もう少し大きかったわ」

「そうだったかな」

 

 マルドゥムさまはかつてシファードで従者として父の元にいた。強く明るく、快活で、公正。みなマルドゥムさまが好きだった。


「明日はシファードまでお守りしよう」

 

 目を細めて笑うマルドゥムさまの言葉に驚いた。

 

「そんな! そこまでお世話になるわけには参りません」

「久しぶりにゲインさまにもお会いしたい」

「マルドゥムさま……」

「さあ、食事はまだか? 途中で抜けて来たんだ、移動するぞ」

 

 大きな声で言って部屋を出て行く騎士の背中に、私は小さく礼をつぶやく。その後の食事の席でも、おふたりは私を気遣ってガウディールの名も、バルバロスさまの名も出さずにいてくださった。

 

 その夜、何日ぶりだろう、柔らかで清潔な絹の寝具に包まれて眠った。うとうとしていた時、無意識に左手が動いて温かいジーンの体を探していた。それに気づいた時ほんの少し寂しかったけれど、柔らかな布団の心地よさに、寂しさはすぐに眠りの底へと沈んでいった。

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