第15話 魔石のように


「その割れたところ、直せるかしら」

「生まれつき欠けているものを癒す魔術はない」

 

 ほんの少し希望が見えた気がして嬉しかったのに、器を机の上に戻しながら答えたラスティに、可能性を即座に否定され落胆した。割れた木の器、あれが私。

 

「ただ、お前はここにいれば体調が良いというのが気になる。魔力の濃い場所にいれば、器の中に魔力が染みていくとでもいうのだろうか」

 

 私の視線を追ったラスティが、器を指でつついて揺らしながら言った。ラスティの目が、今まで見せたことのない思慮深い色を滲ませて器を見ている。彼はいつもあの扉の向こうの部屋で、こんな顔をして過ごしているのだろうか。

 と、突然ラスティがその視線を私に向けた。

 

「俺の魔力をお前の体に移してみたい。魔石に与える要領でできるんだが」

 

 そう言った彼の表情は、どこか楽しそうだ。

 

「熱くはない?」

「さあ。前に与えた人間は辛そうにはしていたが、それで死にはしなかった」

「辛いの?」

「どうかな。その人間は、俺のそばに寄るだけで苦痛だと言っていたからな。お前は言わないだろう」


 ラスティは両手のひらをこちらに向けた。手を乗せろというのかしら。おそるおそる、そっと彼の手に指で触れた。

 

「それほど怯えなくてもいい」

「無理よ」

 

 言って小さく笑った途端、指先から熱が押し込まれ流れ込んできた。ラスティと目を合わせる。

 

「なにか感じるか」

「熱いわ。すごく。でもこのくらいなら平気よ」

「それが俺の魔力だ。お前の手は相変わらず冷たいな。いくぞ、送る量を増やす」

 

 ラスティは目を閉じて、私の手を軽く握った。すぐに言葉通り、魔力が流れ込んでくる量がどっと増えたのを感じた。熱を持った、命そのものが流し込まれ続ける。けれど、それは私の中を滝みたいに流れ落ちてすぐに去っていってしまう。

 ああ、この熱で満たされたらどんなにか素晴らしいだろうに。


「留まらない」


 それがどうしてラスティにわかるのかわからないけれど、流れこむ量がまた増えたのがわかった。流れ出ていく以上に注ぎ込まれ続ける。次第に魔力が体に留まり始めたのを感じた。なんて温かいの。

 

「心地いいわ、自分じゃないみたい」

「指先に血が通ったな――それにしても、なんと大きな器だ、これだけの魔力を注いでいるのにまだ満ちないとは。偉大な魔女の素養がある」

 

 そう言ったラスティは、目を開けるとすぐに手を離した。流れ込む魔力が途切れる。もうしばらく続けていて欲しかった。

 

「そう言ってもらえるだけで光栄よ、あなたの魔力はなくなってしまわない?」

「俺の器は大きい上に、魔力は常に湧き出ている。これはこれで大変なんだ、使わずにいれば神経を圧迫し、あふれ出て周囲を不快にする」

「神経を圧迫って、どうなるの?」

「あちこち痛む」

 

 ぼそりとつぶやかれた彼の言葉に、胸が痛くなった。いつも眉間にしわを寄せて、不機嫌そうにしているラスティ。もしあの態度が苦痛からきたものなのだとしたら。思わず彼の手を取って両手で握った。

 

「私は大丈夫みたいだから、魔力をあふれさせていてもいいのよ。さっきみたいに分けてくれたら、私も……」

 

 一気に言っている途中で、ラスティの変化に気がついた。困ったような、少し赤い顔をしている。

 

「助かる……ラスティ、あなた照れているの?」

「違う」

 

 横を向いた彼は、私の手を振りほどくと立ち上がって机から離れた。右手の甲を唇にあて隠そうとしているけれど、やっぱり顔が赤い気がする。

 

「ねえ、ラス……」

「違う。もう元気そうだな、湯を浴びてさっさと寝ろ、あんな目にあったばかりだ、今夜はジーンを連れて行け」

 

 ぶっきらぼうに私を見もせず、優しい言葉を口にする魔術師を見ていると、無性にからかいたくなってきた。

 

「なにも言うな。ほら、早く行け、俺も研究がある。部屋には近付くな」

 

 口を開きかけたとたん、ラスティに牽制されてしまう。つまらないの。脚にすり寄ってきたジーンの体を撫でながら立ち上がろうとした。

 

「イルメルサ」

「なに?」

「明日には実験が一区切りつく予定だ、明後日には出発できる。森の近くだという騎士の館の近くまで送ろう」

「えっ」

 

 突然そう言われ、立ち上がろうとした体勢のまま固まってしまう。明後日。ゆるゆるとまた長椅子に腰を降ろす。ジーンがもの問いたげな表情で、私を見上げていた。

 

「そう、ありがとう。でも私が行きたいのはガウディールよ、ガウディールまで送って欲しいの」

「それはできない。俺が送って、そしてなんと言うんだ? 二人だけで何日も過ごしたと? 体の傷の手当ても俺がしたのだと?」

「それは……」

「一度戻れ。そこで体裁を整えて出発したほうがいい。ただでさえ弱い立場なのだろう」


 ラスティの言うとおり。その方がいい。意固地になってガウディールに向かうよりも、その方が。

 

「森番の妻を村から連れてきていたことにすればいい。あとで言い含めておこう。あの夫婦は俺を酷く恐れているから脅せば言うことをきく」

「脅すなんて、あなたの……」

「俺の評判など、もとより地に落ちている」

 

 そう聞いて腹が立った。あなたはそんなではないと言いたくなって、そしてはたと気がついた。彼はさっき、自分を無様だと言った私に同じように怒ってくれたのではなかったか。

 ラスティもこんな気持ちになってくれたのだろうか。心をつかんで揺さぶって、自分に見えている相手を見せつけてやりたくなる、こんな気持ちに。

 部屋を出て行く彼の背中を見つめながら、そんなことを考えていた。

 

 ◆◆◆

 

 翌日目が覚めて、体の中にまだ彼の魔力が残っているのに驚いた。眠っている間に全て出て行ってしまうかと思ったのに。

 少しずつ減っていっていると感じるものの、まだ十分に魔力で満たされている。そのせいか体が軽い。

 明日にはここともお別れと思うと寂しくはあったけれど、それよりも今は体が軽いのが嬉しかった。

 

「起きて、ジーン。顔を洗ったら、炊事場の机の上をきれいにしましょう、それが終わったら食べ物をあげるわ」

 

 寝台の足元で丸くなっているジーンを揺すって起こし、跳ねるように寝台から飛び降りて服を着た。

 

「今なら、シファードまで走って帰れそうよ」

 

 髪を束ね後ろにはねのけ、靴に足を突っ込んで部屋を飛び出した。後ろからジーンが追ってくる気配を感じて全力で走る。足がもつれそうになるくらいはやく。それなのに一瞬で追い抜かれて、思わず声を上げて笑った。

 

「さすがに、獣には、歯が、たたないわ、ね……」

 

 井戸にたどり着つく頃には、すっかり息があがっていた。足元に涼しい顔で立っているジーンを恨めしげに見下ろしながら息を整えた。

 まず顔を洗って。やっぱりお湯を使おうかしら、せっかく使い放題なんだもの。ここにいられるのも明日までなのだし。

 

「ジーンおいで!」

 

 さっと身を翻して駆け出しながら、中庭へ急いだ。井戸から中庭は近い。なぜだかジーンはとても嬉しそうに吠えながら、先に庭に駆け込んで行ってしまった。

 ジーンに続いて中庭に入って、その美しさに改めて息をのむ。天井の穴からは冷たい雨が落ちてきていた。もう雪は降らなくなるのかしら。その下には色彩豊かな季節を問わない植物が生い茂っている。息を吸えば、水に濡れた濃い緑の草の匂い。今ならわかる、魔力で満たされた空間。

 ここを決して忘れない。これを作り上げた魔術師も。賢いジーンも。

 

「あら? ジーン?」

 

 吠える声はするのに、姿が見えない。

 

「リスは追ってはいないわよね? いけないのよ、かわいそうだから」

 

 言いながら鳴き声のする浴槽のある方へ歩いていると、衝立の向こうから響くジーンの吠える声に混じって、声がした。

 

「いるのかイルメルサ?」

「やだラスティいたの?」

「やだ、とはなんだ、いる。眠ってしまったようだ」

 

 ざばり、と水からあがる時の音が聞こえた。急に恥ずかしくなって、衝立ごしなのに背を向ける。濡れた足音が近づいてきて、背後の衝立の揺れたのがわかった。体を拭く布を取ったのだろう。

 

「そんなところで寝て風邪をひいたらどうするの?」

「お前じゃあるまいし」

 

 くくく、とラスティの笑う声がすぐそばでした。布の擦れる音も。

 

「失礼だわ、心配してあげたのに」

「光栄だ。早いな、お前は眠れたか?」

「ええ。すごく体調がいいの。こんなに体が軽いのは生まれて初めて」

「そうか? 顔を見せてみろ」


 見せろって、どこに。ちらりと振り返ると、衝立の上からラスティの顔が覗いていた。濡れた髪からは雫が垂れている。石鹸の香りがした。

 私を見た彼は、意味ありげな笑みを瞳に浮かべる。

 

「確かに健康そうだ、顔が赤い」

「もうっ、早く服を着なさい、髪も濡れているわよ」

「わかったわかった。お前はなぜここに来たんだ?」

「お湯で顔を洗おうと思ったのよ。あなたはいつからいたの?」

「そう長くはない」

「研究は終わって?」

「あと少しだ、俺も今日は調子がいい。戻って実験を進めたら寝るから好きに過ごしてろ、外には出るなよ」

 

 最後の日なのに一緒にはいられないのね。そんな気持ちが一瞬浮かんできたけれど、それはまた心の底に沈めた。考えてはいけない。

 明日でお別れ。一度シファードに戻り、きっと次は父と一緒にガウディールに向かうだろう、この森を抜けて、一年中雪を頂く山の麓にある城に。

 

「決して出ません。そうだわ、ラスティ、針と糸を貸してはもらえないかしら。破れたマントで戻りたくないの」

「直せるのか?」

 

 訝しげな声が衝立ごしに聞こえてきて、むっとした。

 

「刺繍は得意よ。塔の部屋に籠もったままできることなんて限られていたもの。裁縫も少し」

「そうか、そこまで言うなら、来い」

 

 言うが早いか、魔術師の赤いローブを着たラスティが衝立の裏から出てきて、さっさと歩いて行くのを慌てて追いかけた。ジーンもついて来る。

 ラスティは廊下を進み、彼の部屋があるという扉の方へ近づいていく。決して入るな、と言われた場所。

 

「ここで待っていろ」

 

 扉の手前で立ち止まった彼に言われ、わかってはいたけれど少しがっかりした。

 

「中を覗くのも駄目?」

「見たいのか?」

 

 駄目もとで聞いてみたらそんな返事が返ってきたので、嬉しくなって大きく頷いた。見たいわ、もちろん。

 

「駄目だ」

 

 ひどいわ、期待させて失望させるなんて。

 

「睨むな。危険なものもあるし、不気味なものもあちこちにあるんだ、叫ばれるのは嫌なんでね」

「不気味なものって?」

 

 魔術師の言う不気味なものってどんなものなのかしら。眉をひそめつつ好奇心から尋ねると、ラスティは低い声でぽつりぽつりと静かに答えだした。

 

「人間の皮で装丁した魔導書や、親の腹で死んだ頭の二つある牛の死骸、獣から魔物に変化する途中で死んだ狐の心臓、それに」

「待って、待ってもういいわ、言わないで」

 

 そんなものがこの扉の奥に? ぞっとして肌が粟立つ。耳を手で塞ぎながら首を横に振って頼んだのに、ラスティはまだ言葉を続ける。


「腹を開けたまま動き続けている鼠の魔物の標本、大量の団子虫の詰まった倒木」

「言わないでったら!」

 

 なんだか最後の一つだけ毛色が違った気がするけれど、どれも気持ちのいいものではない。

 

「入らないし、見たくもないから、針と糸を」

「ああそうだったな、忘れるところだったよ」

 

 ラスティはそう言うと、ジーンを連れて扉の中に入っていった。開かれた扉の隙間から中を覗こうという気持ちはすっかりと失せていた私は、扉に背を向け寄りかかって、彼が戻るのを待った。

 ひとりになった途端、急にあたりがしんと静まり返った。耳を澄ますと、雨音に混じり遠くで鳥の鳴く声がする。水の流れていく音も。

 これがラスティの望んだ静寂。とすれば、確かに私はうるさかったわね。彼、たまには私がいたことを思い出してくれるかしら。何年かに一回でもいい。あの女は騒がしかったでも、生意気だったでもいいから。私のことを考えてくれるなら、嬉しいわ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る