第13話 誘拐


 騒がしい。またお父さまが騎士たちに酒を振る舞っているんだわ。こうなると彼らは夜がふけても飲み続け、歌う。調子っぱずれの下手な歌。騎士ロインくらいね、聞きほれる歌声を響かせてくれるのは。

 あら、ではここは城? いつの間に帰ってきたのかしら。それともなにもかも全てが夢だった? 襲撃はなく、婚約の話もなく。


 でも、それでは、あの魔術師と会ったのも夢になってしまう。ラスティと、賢いジーン。それは嫌。

 

「……いや……」

「ん? なにか言ったか」

 

 呟くと、すぐそばで返事があった。扉越しにさんざん聞いた声。髭の男の。なぜあの男の声が、こんな近くで。ぞっとして一瞬で目が覚めた。

 最初に見えたのは覗き込む男の顔。その奥には、黒い岩肌の天井。そこに男の影が映って揺らめいている。洞窟。私は洞窟で焚かれた火のそばで寝かされていた。腐った水の臭いがする。体の下にはごつごつした岩の感触。薄い布はしかれていたけれど、それが何の役に立つというのか。


「起きたか、姫さん。まだ薬がきいてるだろ、そう自由はきかないはずだ、無理せず寝てな」

 

 男の言葉通り、起き上がって逃げ出したいのにうまく体が動いてくれない。体を起こすことすらままならない。かろうじて自由に動かせる目を動かし辺りを見ると、そこには目の前の者を含め、男が四人いた。どれも髭の男と大差ない、傭兵崩れ。

 火を囲んで酒を飲み、機嫌よく大声で歌っている。怖い。体が動かないのに、こんな粗野な男たちに捕らえられているなんて。

 

「あーあー、そんな怯えた顔をしないでくれ。姫さんは俺らの大切な人質だ、傷つけたりはしない。金が貰えりゃいいんだから」

 

 男はそう言ったけれど、人攫いの話なんて、どうして信じられるだろう。さらわれた娘や子供がぼろ切れのように川やそこらに棄てられていた話は、これまで幾度となく耳にしてきた。

 

「泣くなって。娼婦殺しといるよりましだろ?」

「……ちがう」

 

 彼は違うと言っていた。ラスティをそんな風に呼ぶのを今すぐやめなさい。そう叫びたいのに、声がうまく出せない。

 

「あん? 聞こえねえ。まあ、寝てろって。ガウディールに向けて使いを出したから、あと数日で姫さんはもとの生活に戻れるさ」

 

 ガウディールに。そう聞いて感じたのは、静かな絶望だった。馬鹿な。

 

「だめ」

「ん? だめ?」

「シファードに伝えなければ、駄目」


 力を振り絞って声を出した。

 

「ガウディールの方が近い。地位も高い。金も余計あるだろ。新しい奥方の醜聞が広まるのは領主も避けたいだろうからな」

 

 その通りだ。領主の次の妻候補が盗賊に誘拐され身代金を要求された。この上ない醜聞だ。それで誰が、その女の純潔が守られていると思うのか。実際にどうなのかはもはや関係がない。そんな話がまだ婚約もしていないガウディールに伝われば、私は破滅だ。

 

「婚約式もまだなのよ、身代金など出すものか、破談になって終わるだけ」

「なんだと? 婚約式を終えた道すがら襲われたのじゃなかったのか?」

「違う。馬鹿な男。シファードに言えば望み通りお父さまが金を出したろうに」

 

 話していると、するすると言葉が出てきた。体の自由が戻ってきているんだわ。肘をついて体を起こし、髭の男を睨みつける。いつの間にか周りの歌が止んでいた。

 

「男に馬鹿?」

 

 さっきまで歌っていた男のひとりがそばに来て、横に片膝をついて座った。その男が、炭で黒く汚れた手でいきなり私の顎を掴んで無理矢理自分の方に向かせる。この男が私に触れて怯んだのは一瞬。

 太い眉の、浅黒い肌の男だった。このあたりの人間ではなさそうだ。

 

「離しなさい」

 

 言って手をはねのけようとしたのに、上げたその手を掴まれる。男は顎を掴む手に力を込めながら、自分の顔を近づけ間近から私を睨んだ。

 

「オレの国では女は男の持ち物。領主の娘、生意気な態度、殴るぞ、魔力ないは奴隷同じ」

 

 片言の王国語だ。

 

「ハーンやめろ、体に傷をつけるな、大金を生む商品なんだ」

 

 髭の男に注意され、ハーンと呼ばれた異国の男は手に込めた力を少し抜いたかと思うと、ちら、と私の胸のあたりを見て下卑た笑みを浮かべた。男の口元から欠けた黄色い歯がのぞく。

 

「へっ、睨んで震える、かわいい。オレの嫁にする。可愛がろう」

「やめろって……」

「少しだけ、いいだろ」

 

 ハーンの顔が再び近づいてくる、男の手が肩に置かれ、二の腕を撫でながら降りてきた。


「いやっ」

 

 両腕で顔を隠しながら体をねじり、ハーンから離れようと地面に体をうつ伏せる。どっ、と周りで笑い声があがった。

 

「お前じゃいやだとよ、ハーン」

「諦めろよ」

「少し触りたい。きれいだから」

「そりゃあ綺麗にきまってる、シファードの姫君だぞ」

 

 ハーンが、私の背に覆い被さり乗ってきた。胸が押され息がもれる。結っていた紐を外され、髪を指で梳かれているのがわかった。背中に男の重みと体温を感じ、嫌悪で肌が粟立つ。嫌悪と、恐怖と怒りで体が震え、どうにかなりそう。

 後ろから回された太い指が、私の顎を撫でた。その指が喉に降りていく。更に下に。

 

「やめて……! お願いよ、やめさせて!」

 

 髭の男に懇願したのに、男はこちらを見てげらげらと笑いながら杯をあおっていた。

 

「少し撫で回されるくらい我慢してやれよ、傷ものにはさせねえか……」


 男の言葉がそこで途切れた。同時に体の上からハーンの重みが消える。男がぽかんと口をあけて見ている方へ目を向けると、焚き火のそばに仰向けになったハーンが倒れていた。目と口を大きく開けて、背中を火で炙られているというのに動きもせず。その胸には、周りを黒く焦がした穴があいていた。

 

「な、誰だ!」

 

 杯を投げ捨て腰の剣を抜いた髭の男が立ち上がって大きく叫ぶ。同時に、また別の男がひとり声もなく吹き飛んだ。ひいっ、ともうひとりの悲鳴。

 急いで立ち上がり、残った二人の男たちから離れ逃げた。走りたいのに体に力が入らず、ふらふらと歩くことしかできなかったけれど。

 

「待て――」

 

 私を追って来かけた髭の男は、何かを感じたのかすぐそばの岩場に身を隠した。途端にその岩が粉々に砕け散り、男の低い呻き声が聞こえた。弾けた小石がうしろから、足元に転がってくる。

 洞窟の隅に、暗いへこみを見つけそこに身を寄せぺたりと座り込んだ。目をぎゅっと閉じ、両手で耳を塞いでただ時間が過ぎるのを待った。

 

 長い間そうしていた気もするし、ほんの短い間だった気もする。静かになったのを感じて耳から手を離すと、すぐそばでじゃり、と石を踏む音がした。

 

「イルメルサ」

 

 それから、名を呼ぶ静かな声。ラスティ。目を開けて振り返ると、思った通り、ラスティが立っていた。

 暗い洞窟の中で、遠い焚き火にぼんやりと照らされた魔術師が、私を見下ろしている。その目にはいつもの鋭さに混じって私を案じる様子も見えるように思えた。

 

「俺だ。遅くなってすまない、何事もなかったか? やつらに……」

 

 言いながら私の目線に合わせしゃがんだラスティに、そっと頬に触れられた。あたたかい手。涙がこぼれそうになるのを必死でこらえながら、ふるふると首を振る。

 

「さ、触られたわ、髪に。首も」

「それだけか?」

 

 あからさまにほっとした顔のラスティに腹が立った。それだけ?

 

「あんな男に背中にのしかかられて、髪に、髪に触られたのよ! それだけなんて酷いわ! 早く連れ帰ってよ。髪を洗いたいの!」

「わかった、わかったイルメルサ、帰ろう」

「待ってって言ったのにどうして行っちゃったのよ!」

 

 自分の感情を制御できない。癇癪をおこした時の妹アリアルスみたいに、わめくのをやめられなかった。

 

「悪かった」

「ラスティの馬鹿!」

「そうだ俺は馬鹿だ。さあ、立てるか?」

「立てない! 抱いて運びなさい!」

「わかった」

 

 文句も言わずラスティは、私の背中と膝の裏に両手を当てると立ち上がった。

 

「他に希望は?」

 

 温かい彼の体に触れていると、ようやく高ぶっていた気持ちが落ち着いてきた。わめいていたことが恥ずかしくなる。ラスティから汗のにおいがする。急いで居場所を探し、駆けつけてくれたのだろう。

 

「……ないわ」

「では帰ろう」

 

 小さく返事をした後は、ただ黙って彼に運ばれた。ラスティの肩越しに奥を見ると、燃える焚き火の周囲に四人の男が倒れている。男たちの体は力なく崩れ落ち、ぴくりとも動かなかった。

 私を抱き上げた魔術師は迷いのない足取りで、やってきたのであろう道を戻っていく。進むごとに、どんどん寒くなってくる。私は身を縮め、ラスティの体にぴったりと寄り添いながら、そっと滲んだ涙を拭った。

 

 その洞窟は、ラスティのねぐらと違いすぐに出口にたどり着けた。少し離れた先の木に、彼の馬ともう一頭、体高の低い小柄な栗毛が繋がれている。そこからさらに離れたところに、粗末な旅姿の男がひとりうつ伏せになって倒れ、死んでいた。背中に短剣が突き立っている。あれはだれ。

 

「ガウディールへの使いに出されたという男だ。途中捕らえてここまで案内させた。これで、シファードのイルメルサがこいつらに連れ去られた、と知っているのはこの世に俺たち二人だけになった。安心していい」


 私の視線を追ったラスティが答えてくれた。なんとか破滅は免れられた。まあ、何日もこの魔術師と二人きりで過ごしていると公になればそれも問題なのだけれど、それはまだどうとでもごまかせる。

 

「ありがとう」

「礼には及ばない。帰りはどうする、俺と乗るか、ひとりでその栗毛に騎乗するか」

「ひとりで乗りたいけれど、無理よ。まだ体にうまく力が入らないの。魔術かしら、薬かしら」

「眠らされたのか?」

「大きな布を被せられて、意識がなくなったの」

 

 ラスティに持ち上げてもらい彼の馬に跨がりながらそう答えると、続けて前に乗った彼が上体をひねってこちらを向いた。

 

「なんだろうな……」

 

 独り言のように言ったラスティが、解かれたままの私の髪を一束すくい取り、そのままそこに口づけた。と思った。

 

「ラス……」

 

 目を閉じたラスティが、大きく息を吸う音がする。触れられているのは髪なのに、肌に触れられたように感じて胸が鳴った。

 彼に髪に触れられるのは嫌な感じがしない。どうしてだろう。

 

「狩人の使う薬の匂い。大型獣に使う薬を女に使ったのか」

 

 言って目を開けた魔術師は、珍しく悪戯めいた色をのぞかせた顔で私を見る。

 

「お前のようなじゃじゃ馬にはぴったりだな」

「なっ」


 絶句した私に満足げな笑みを見せ、ラスティは前を向いた。

 

「戻ったら解毒の薬を作ってやろう、しっかり捕まっておけ、落ちるなよ、予定より何刻か遅くなっている」


 私はといえば、歩き出した馬に揺られ彼の背にしがみつきながら、一つのことで頭がいっぱいになっていた。

 いま、彼、笑ったわ。

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