猿の湯

葛瀬 秋奈

僕の話を聞いてくれる?

 ちょっと面白い話を聞いたんで、君にもぜひ聞いてほしい。


 この話をしてくれたヤツの知り合いなんだけど、仮にAとしておく。Aがある時山の中を歩いていたら看板を見つけた。道路もないこんな山の中に何故と思いながら読んでみると、看板には「猿の湯」と書かれていた。

 Aはこの山に来るのは初めてではなかったが、そんな施設があるとは聞いたことがない、これは隠し温泉に違いないと思った。ちょっと本来のニュアンスと違う気もするけど、とにかくAはそう思った。そして、好奇心に駆られて入ってみたくなった。本来歩いていた道からは外れてしまうけど、Aは山に慣れているから大丈夫だと思ったんだろうね。

 看板に示された矢印の通りにずっと進んでいくと、確かに建物があった。Aは掘っ立て小屋のようなのを想像していたので、思ったよりも大きくてちょっと尻込みしたものの、受付で聞いてみたら入湯料200円だと言うからやっぱり入ってみることにした。

 中はちょっとした旅館みたいに綺麗だったしお風呂も中々のものだった。しかも客が他にいなくて貸し切り状態。大満足してさぁ帰ろうと思って脱衣所で服を着ていると、大きなクシャミを連続でしてしまった。慌てて近くにあったティッシュを何枚か掴んで鼻をかんだが、何故か従業員に怒られてしまう。いわく、「ティッシュはお一人様一枚まで、それ以上は一枚につき罰金100円」とのことで、ティッシュ箱にもそう書いてあった。

 Aは、これは詐欺だと腹を立てた。でも、温泉はとても良かったのであまり揉めるのも良くないと思った。そこで従業員にこう言った。

「君の持っているポケットティッシュを100円で売って下さい。そこらで無料で配ってる広告の入ってるヤツ、ひとつくらいあるでしょう」

 つまり、その売ってもらったポケットティッシュから店のティッシュに補充してしまえば自分の損は100円ですむし、従業員にとっては得になるから黙っていてくれるだろうと、そういう話だ。店の利益にはならないが、そもそも不当な請求なんだからそこ

は考慮しなかった。

 従業員はしばらく考えていたが、やがて無言でポケットティッシュを差し出した。Aは支払うためのお金を取り出そうとしてロッカーを開けた。そのまま荷物をまさぐっていたら、一瞬、妙な痛みが走った。それから体が軽くなった気がして振り返ってみると、尻尾が切り取られている。あっと思ったらもう従業員も温泉施設もなくて、Aは持ってきた荷物と一緒に山の中に放り出されていた。


 うん、そうだね。尻尾だね。だって狸だからね。


 この話をしてくれたのは、うちの畑の罠にかかっていた狸だったんだ。そいつをどうしたのか、気になるかい。逃がしてやったよ。真偽はともかく、話が面白かったからね。ものの価値って、そういうもんだと思ったんだよ、僕は。


 ねえ、君はどう思う?

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猿の湯 葛瀬 秋奈 @4696cat

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