放課後の時間

 マズった…!?

 なにかヤバいことをしたのか?

 僕は自分自身に問いかける。

 なぜ彼女は怒ったのか?なぜ彼女は帰ってしまったのか?

 なぜ僕は事を急いてあんなことを言ってしまったのか?

 その後の授業は全然集中できなかった。

 ただ後悔と、自分に対する腹立たしい気持ちが残った。


 そうして、いつのまにか放課後になっていた。

 図書室に行くか。

 「読書の集い」は毎週水曜日放課後に図書室で開催されるイベントだ。

 まあイベントといっても、本好きな人たちが集まって、だべっているだけの話なのだが。

 メンバーは主に図書委員が中心で、毎週決められた本を読んできて、みんなでその感想を述べあう。あるいは、自分が好きな本を紹介したり、自分で書いた文章を見せ合ったりする。何かの賞に応募しようと思っている作家志望の人間がたまに来たりしている。

 僕は作家志望でもなんでもないが、あの図書室の雰囲気が大好きで、あそこで人と話すのが大好きだから、自然と足が向かう。

 図書室の扉を開けると、もうすでに何人かが奥の部屋のテーブルに座っていた。

「よう。」

手前の席で手を上げて挨拶をしてくれたのは、近藤拓海だ。彼は図書委員で、この読書の集いのリーダー的存在である。

「ナオ、三島由紀夫の『潮騒』読んだか?」

今日のイベントで感想を述べ合う本は三島由紀夫の傑作である。

「ああ、一通りはね。」

「俺さあ、読んでてなんかしっくりこないんだよねえ…。」

「なにが?」

「もちろん文章もストーリー全体の構成もしっかりしているのだが、他の作品ーたとえば『仮面の告白』とかーと比べると、どうも異質というか、彼らしくない作風という印象があるんだよな。それはそれでいいんだけれども。」

「そうか?俺は他の作品を読んだことがないからなんとも言えないが、いわゆる純愛物語という感じがして、悪役もいればヒロインもいるし、かなり面白いんじゃないか?」

「いや、面白いのは面白いんだ。だけど、違和感があるんだよ。彼らしくないというか。どう言ったらいいのかな、そう『きれいすぎる』んだよ。彼ならもっとドロドロした愛を描くと思ったのに、あまりにもみずみずしすぎる。」

「それは、そういう作風を目指しただけの話じゃないのか?」

「そうかもしれない。でも、なぜあれほど異常に美しい物語を作ろうと思ったのだろう。俺は他の作品を知っているだけに、純粋さの仮面に隠された欲望の塊を感じるんだよ。」

熱を帯びる彼の話は、聞く側をいやおうなく引き込んでしまう。

 そんな話をしていると、他の図書部員も続々と駆けつけてきた。

「おーす!」

元気よく挨拶をする後輩たちに混じって、竹内茜さんの姿が見えた。

 彼女は僕の隣の席に座って、小さく微笑んだ。

「お、ナオくん。来たか。」

「はい。あいかわらず暇なんで。アカネさんこそ、今年受験生なのに来てて大丈夫なんですか。」

「大丈夫、大丈夫。いつも勉強しているだけに、いいリフレッシュになるから。それに、勉強よりもこっちの方が好きだし。」

そう言ってはにかむアカネさんは、この学校トップの成績をもつ秀才だ。

「よーし、だいたいみんなそろったな。じゃあ、感想を言い合おうか。」

テーブルを囲んで話し合う読書オタクたちは一人一人自分の好きなシーンや、印象に残った文章を言い合う。ラストの灯台をのぼるシーンが好評だった。

 東大法学部を出た頭脳によって作り上げられた、無駄のない筆致、正確に構成されたプロット、日本人特有の美意識。それが、三島由紀夫が書く文章の魅力だ。

 しかし、日本の文学史においてこれほど青春の淡い恋心を見事に描いた小説はないのではなかろうか。その、不自然なまでの「純情さ」が読む側を魅了しつつ、疑問を抱かせる。

「三島由紀夫がこういう純愛小説を書いたっていうのが、わたしは意外だなあと思った。けっこうロマンチストなのかもね。」

アカネさんはそう言って、にやりと笑った。

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