英語の時間

 朝のまぶしい光に照らされて、僕は少しだけ目を開けた。

 起きたあとも、まだ夢を見ているような気がする。

 僕は昨日、深夜に桜坂公園でアヤちゃんの姉に会った。その人は、明るくて、気さくで、僕のことが大好きだった。

 そのことが、まだ信じられなかった。

 僕は東京でいったい誰に会っていたんだ?誰と一緒にいた?

 いくら自問自答しても、思い出すのはアヤちゃんの笑顔だけだった。

 サヤちゃんには、二人のことは言わないでって言われたけど。

 僕は真実が知りたい。

 今日、アヤちゃんに昨日のことを話そう。そう思った。


「はいじゃあ、隣の人と読み合わせしてー」

英語の先生の声が教室中にこだまする。二時間目の英語の時間。眠い目をこすりながらぼんやりと先生の話を聞いていると、いきなりそんなことを言われた。

 僕はそっと隣の席のアヤちゃんの方を見た。

 彼女は真っ直ぐに先生を見ていた。

 僕の視線に気づいて、こちらを振り返る。

「あの、読み合わせしようか。」

「うん。」

彼女は手元にある英語の教科書に視線を移す。僕とアヤちゃんの間で重なっていた視線は、すぐに崩れてしまう。

「キャンアイヘルプユー?」

「シュア。アイウォントトゥバイディスバッグ。ハウマッチイズディス?」

「イッツ『せんろっぴゃく』イェン。』」

読みながら、僕は少し考えた。

 待てよ。これって、またとないチャンスなのではないか。

 辺りを見回しながら、読み合わせを続ける。

 サヤちゃんと僕のことをアヤちゃんに伝えるのは、正直すごく難しい。

 かなり複雑な話だから、できるなら二人で会って30分でもいいからしっかりとした会話がしたい。

 一番気になるのは、東京での記憶だ。僕とアヤちゃんがどういう関係だったのか、それだけでも知りたい。

 だけど。二人で会う約束をするのはかなりのハードルがいる。

 アヤちゃんは僕のことを嫌っているし、何より教室で目立つことをすればみんなに気づかれる可能性がある。

 それなら、周りのクラスメイトが朗読をしている、いまこの瞬間に聞いたほうがいいのかもしれない。

「石田くん。」

「は、はい!?」

「そこ、『せんろっぴゃく』じゃなくて、『ワンサウザンドシックスハンドレッド』っていうのよ。」

「ああ、そうか。ありがとう。」

いまだ。いま言うしかない。

「あのさ…。佐藤さん。」

「なに?」

「ちょっと大事な話があって、昼休み話せないかな?」

「…。」

彼女は下を向いて思いつめた顔をしていた。

「なんの用?」

「え?」

「わたしに用があるんでしょ?」

「うん。でもここじゃ言えないから、どこかほかの場所に行って話をしないかと思って。」

「いま言って。」

「え?」

「その用事、いま言って。」

真剣な目でこちらを見つめる彼女の目は本気だった。

仕方ない。こうなれば言うしかあるまい。

「俺たちさ…。

 東京で一度会ったことない?」

彼女の瞳が大きく揺れ動くのを僕はじっと見ていた。

 二三秒の間彼女はだまっていたが、その沈黙に耐えられなくなったのか、ふいに口を開いた。

「?なんのこと?わたしはそんな記憶、全然ないけど。」

ぶっきらぼうにそう言って、彼女は黒板の方を見た。

 そして、大きく手を挙げた。

「先生、体調が悪いので保健室に行ってもいいですか。」

「どうぞ。」

彼女は席から立って、教室のドアを開け廊下に出る。

 僕の方には目もくれなかった。

 

 その日、彼女は二度と教室に帰ってこなかった。


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