謝罪と和解と約束

 ずっと言えなかった。そして、夢にまで見たこの瞬間。

「サヤちゃん、ごめんね。最後の別れの日に、ケンカしちゃって。俺、サヤちゃんとはあんな別れをしたくなかったんだ。ちゃんと自分から引っ越すことを打ち明けて、寂しくなるけどずっと友達でいようって言いたかったんだ。

 でも、言えなかった。サヤちゃんが怒ると思って。寂しいと思って。

 本当は言わなくちゃいけなかったのに、自分から逃げていたんだ。

 本当にごめん。」

ずっと頭を下げていると、上の方から明るい声が聞こえた。

「ナオくん!顔上げてよ!

 四年前のことなんか、わたし全然怒ってないよ。むしろ、わたしの方こそごめんね。ナオくんの気持ちも理解しないで、殴りかかったりしちゃって。

 本当は、やっぱり寂しかったのよ。それに、どうしようもないことなのだけれど、裏切られたと思った時期もあったわ。もちろん、ナオくんのせいじゃないのにね。

 わたし、自分勝手だからさ。自分に都合の悪いことが起こると、起こした人を逆恨みしてしまう癖があって。でも、ナオくんのことは恨んではいたけど嫌いにもなれなかったの。

 それに、もう一度また会えるんじゃないかって、そんな気がしてたの。」

彼女はなんだかうれしそうな顔で、そんなことを言った。その言葉の一つ一つが、僕の中にある雲のようなモヤモヤした感情を一つ一つ消していくように感じられた。

「だからね、謝りたいのはこっちの方なんだよ。あんな別れ方しちゃって、後悔しているのは、ナオくんだけじゃない。わたしも同じ。」

そのとき、滑らかな感触がして僕はドキリとした。彼女はいつのまにか僕の両手を握っている。

「あんなことがあったけど、いやあんなことがあったからこそ、もうそのことは水に流して、これからもっともーーと仲良くなろう。」

「うん。」

そう言われると、もうなんだか何もかもが許されたような気がして、僕は彼女の優しさの中にいつまでもいたいと思った。


 僕はサヤちゃんと公園のベンチに座って、散っていく桜の花びらをぼんやりと眺めていた。

 彼女は昔と変わらず、おしゃべりだった。小学校六年生のときから今までのことをとても詳細に話してくれた。僕はずっと聞き手になって、彼女の透き通る声に心打たれていた。

 中学生になってから吹奏楽部に入ったこと。同じ部活の男子部員と付き合ったけど、こっちに引っ越してくるときに別れたこと。体育祭のこと、中体連のこと、夏休みのこと、クリスマスのこと。勉強は頑張っていたけど大して成績が伸びなかったから、こっちの高校で受ける編入試験が心配だったこと。妹のクラスに僕がいて、うれしかったこと。

 ありとあらゆる出来事が彼女の頭の中できれいに並べられていた。それらは繊細で、みずみずしくて、壊れやすい思い出だった。それらを大事そうに抱えている彼女を、僕はいとおしく見つめていた。

「そういえば、ナオくんってどんな部活に入っているの?」

「僕は部活には入っていないんだ。ちょっと部活かどうかはわからないんだけど、本好きな図書部員の間でつくった読書クラブのようなものには入っているよ。」

「へえ…。そうなんだ…。やっぱり、いまでも本は好きなの?」

「うん、大好き。」

「…。ナオくんは変わらないなあ。」

サヤちゃんは、遠くを見るような目で桜の木を見ている。

 僕も何かを覗き込むように、桜の木を見ていた。


「そろそろ、帰らないと。」

僕はベンチを立って、歩き始めた。公園の時計は23時20分を指している。

「そうね。」

僕の後を追いながら、彼女が独り言のようにつぶやいた。

 自転車を引いて歩くサヤちゃんと肩を並べながら、僕は少しためらって聞いた。

「アヤちゃん、佐藤綾香さんによろしく言っといて。連絡してくれてありがとうって。」

「ああ。」

興味なさそうに、彼女は返事をした。

「これからはさ、わたしLINEをしているから、そのアカウントで連絡取ろうよ。」

彼女はやけに真新しいスマホを取り出して、僕に言った。

「そうだね。」

サヤちゃんと僕はLINEのアカウントを交換した。

 殺風景な友達リストに、佐藤彩香の文字が躍っている。

「これでいつでも連絡取れるから。

 それでさ…。明日なんだけど、また会えないかな…。」

急に彼女はしおらしくなって、僕にそう言った。

 明日は読書クラブのミーティングがある日だった。

「そうだね…。今日と同じ時間帯だったら、会えると思うよ。」

その瞬間、彼女の瞳がぱっと輝くのがわかった。

「ほんと!?じゃあ、明日の22時に桜坂公園で。

 あ、それと、一つだけ約束していい?」

サヤちゃんはまじめな顔をしている。

「わたしとあんたが会ったことは、綾香には言わないでおいて。」

「なんで…?」

「なんでって…。」

視線が泳いでいるのがわかった。

「綾香、あんたのこと嫌いだからさ…。」

少し残念そうに、寂しそうにサヤちゃんは言った。

「そうか、わかった。」

僕はできるだけ内面を出さないように、それだけ言った。

「わたし、こっちだから。

 じゃあ。」

「じゃあ。」

別れ際、サヤちゃんは何度も何度も、姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。


 別れたあとも、なんだか煮え切らない気持ちを抱えて、僕はうつむいて歩いていた。

 アヤちゃんは、僕のことが嫌い…?

 それはどうしてなのだろう。

 もし仮に嫌いだとして、どうして僕は自分とサヤちゃんのことをアヤちゃんに言ってはいけないのだろう…。

 別にサヤちゃんのことを疑っているわけではなかった。

 でも、どうにも理解できないことがたくさんありすぎた。

 それに…。

 僕の記憶の中には、やっぱり佐藤綾香との思い出が詰まっていた。

 


 

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