第82話 自由
「ごめんなさい。驚かすつもりは無かったんだけど」
童顔で色白、可愛らしいという言葉ですら形容が追いつかないような女の子が、そう弁明する。
思いもよらない人物に遭遇した私は、まだ落ち着くことが出来ずにうろたえていた。
「覚えてますよね?」
「あっ、はい。もちろんです」
年下相手に、堂々とした振る舞いができないことが、恥ずかしい。
よかったぁ、とハキハキとした言い方をする彼女の方が大人に感じてしまい、引っ込み思案な自分が少々情けなく感じる。
「敬語じゃなくていいですよ。私の方が年下なんですから」
「は、はいっ…あ、うん」
「藤田さんって、面白いですね」
「面白い?」
「いや、からかってる訳じゃないんですけど、なんだか賢くて硬派なイメージがあったんですけど、なんだか、温かみのある人だなって」
初めて言われた。賢くて硬派なイメージもそうだが、温かいと言われたこともそうだ。
「あの人から聞いたとおりだった」
『あの人』という人物が誰を指すか、当たり前のように分かった。いちいち自慢げに名前を呼ばないことで、私のことを気遣っているのかもしれない。
ところで、目的は何だろう。自分の恋人にちょっかいをかけているだろう女に、ただお喋りしたいなんて動機で声をかけているわけじゃないはず。
「伝えたかったの」
目の前の綺麗な唇が動く。無意識に抜ける敬語に寒気がする。
対して、私は身構える。これ以上あの人に関わるな。中高生の恋愛でよく耳にするような、自分の環境を守るために前もって釘を指すためのフレーズ。男の話には疎遠の私でも知識として知っている常套句。
次の内容は、まさしくこれだ。そう確信した。
予測し、身構えた状態でもやはり怖い。
調子に乗ってしまったことを、この期に及んで後悔する。恋人の存在を知りながらも、諦めない、むしろ奪い取ることを美辞麗句を並べるように意気込んでしまったことが彼女を怒らせる要因となった。
そして彼女は、この日を選んだ。文化祭という、学校生活の現実とは少し離れた不思議な時間の中で、思い切った発言をするチャンスを垣間見た。
彼女が口を開く。私にトドメを刺そうとする。
「感動した」
「え?」
「すごく良かった、今日の劇。最高でした」
思いもよらない発言に、拍子抜けした。
私に対する牽制や罵声ではなく、私の脚本への賛辞。わざわざ、こんなことを伝えに私に声をかけたのか。
「あの…、そんなことよりも、もっと大事なことがあるんじゃないの? 私を責めに来たんでしょ?」
「責めに? なんで?」
おそるおそる彼女の胸中を探る私に、彼女は、今ひとつピンと来ていなかった。
責められたくないのはもちろんだが、予想に反して褒められるのはモヤモヤして気持ちが悪い。私はどこまであまのじゃくなんだ。
「だって…」
だって、の先がなかなか言い出せない。
何が言いたいかを彼女は的確に読み取ってくれたみたいだ。その先の言いたいことをを補足するように答える。
「あの人のことを狙ってるのが許せないから、私がそれを藤田さんに咎めようとしている。それを恐れているなら、言わせて下さい。私は、藤田さんが彼を好きでいるのは自由だと思うし、今付き合ってる私が、いちいちそんなことを気にするのは、自信がないって言ってるのと同じだから」
図太くて底意地の悪い女なんです、私は。そう自嘲する彼女の笑顔が、眩しかった。
そして、肩が軽くなった。自由だと思う、その言葉に救われた。年下相手に言いくるめられるなんて情けない話だが、嬉しかった。
彼女が続ける。
「だから、藤田さんは、思うがままにいて下さい。目の前に立ちはだかる私を憎みながら、魂の名作を作り続けて下さい」
嫌味なく、そう言った。
「私も、伏見ソウシの大ファンだから」
私たちを通過する秋の夕方の風が、涼しかった。
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