第81話 秘密の場所

脚本を書くことは、小説を書くことと、本質はほとんど同じだと思っていた。


今日、全校で披露するまでは。



劇が終わり、幕が降りた瞬間に、ホッと一息つく。


正直、どこかで失敗するかと思っていたが、そうではなく、むしろ大成功だった。


盛大な拍手と歓声が、降りた幕を悠々と貫通した。


「大成功」なんて、幼稚に聞こえるような語彙を使いたくはないが、今は感極まっていて、この気持ちに名前を付けることが出来ない。


緊張感を通り越して、それを突き破った先には、不気味な程に落ち着きがあった。劇中は、終始そんな状態だった。


「聡子ちゃん、お疲れ!」


「絶対、私たちが優勝だね!」


普段は、全く話さないような女子たちが、私に温かみのある言葉をかける。前日のミーティングといい、文化祭というイベントが作り出す不思議な空間は私たちが作り出す壁を一時的に破壊するかのようだ。


私は、嬉しかった。私と同じ歳で、気になる男子の話や流行の話を楽しそうに話し合う人たちが、私のことを見てくれて、お疲れと言ってくれることが、心にグッときた。


私だけが、取り残されて一人ぼっちだと思った。9月の始まり、脚本の担当に勇気を出して手を挙げた私は、そんな人たちから生意気だと思われることが怖かった。手を挙げた私を、面食らったように見る彼女たち。この子が? と、疑問を抱えた表情を正視できなかった。


でも、それは私の勘違いで、放課後、残って脚本を書き続ける私を、晩ご飯に誘ってくれたり、劇の直前、緊張した私の肩に手を置いてくれたりと、信じられないほどに親切だった。


今まで怖かった彼女たちを、信じても良いんだと思えた。ご飯の誘いを断ってしまったことを心の底から後悔した。


「ありがとう」


活字でしかまともに言葉を並べられない自分を情けなく思いながら、この短い一言にありったけの感謝を込めた。


「あのっ!」


「どうしたの?」


壁が無くなるのは、文化祭だけじゃない。だから私は、背中を向けて歩こうとする彼女たちに思い切って声をかけた。


「今度、晩ご飯、一緒に食べたい…」


だから、その。歯切れの悪い声が続く。


喋ると書くとでは、こんなにも緊張感に差が出るのか。


返事を待つのが、怖かった。露骨に嫌だと断られるかもしれないし、嫌だという気持ちを悟られないようにやんわりと断られるかもしれない。そう考えると、怖くてたまらなかった。


「食べよ!」


女子の1人が、張りのある声で短い返事をした。出されたものとは反対の答えを待っていた私は、反応が遅れた。


「えっ」


「やっとだよ! 聡子ちゃんと初晩ご飯! 私たち、ずっと行きたがってたんだから!」


「そうそう! 夏休みに、他の子とスイーツのお店行ってるの見てから、なんで私たちと行かないんだって、勝手に嫉妬しちゃった」


他の女子たちも、嬉々として私を迎えてくれるようだった。


なんだろう、この感じ。


目に見えない温かいものに包まれる感覚。亀井くんの時と、同じような違うような。


この気持ちに名前を付けるなら、嬉しさだ。紛れもなく、嬉しさという感情一択だ。


感極まって、もう一回。


「ありがとう」


「お礼を言われることでもないって。それより、亀井くん略奪作戦の緊急会議、早くしたいね」


「ええっ!?」


「取っちゃえ取っちゃえ!」


亀井くん、の名前を出されて首から上のあたりが熱くなった。


「聡子ちゃん、顔真っ赤だよ」


「かわいい〜」


彼に恋人がいることを、どうして知ってるのだろうか。この人たちのネットワークが、恐ろしく広いことにただただすごいと思った。


嬉しさと恥ずかしさで、卒倒しそうだ。









劇が終わったのは、15時半で、終了式は18時半になる。その間に、クラス展示の装飾を撤去したり、劇中の小道具などを処分したりする時間がある。


私は、劇のために作ったものを所定のゴミ捨て場に捨てに行く最中だった。


両手で持っている透明なゴミ袋に目をやると、劇中の少女が、医者の息子と行った秘境の背景の断片が入っているのが見えた。一部だけでも、部屋に飾っておきたい、なんて思うほどに名残惜しい気持ちになったが、部屋に置く場所が無いから、現実的な理由でそれを諦める。私はやはり冷めているなと、1人で苦笑する。


秘境。それは、秘密の場所。


少女が、気に入って、通っていた場所。彼女にとって、それがどれだけ大切でかけがえのない場所であるかを、私は知っている。


亀井くんが、寄り道をしてまで登る丘。そこで出会った今の恋人。


それを語る彼は、心底嬉しそうだった。心が躍っていた。



後ろから声を掛けられたのは、ゴミを捨て終わって教室に帰る最中の時だった。


聞き覚えのない、私と同じ女の子の声が私に掛けられたものだと気づくのに数秒かかった。


あの、という呼びかけに振り向いた。制服を着た、私より背が低く幼い顔をした女の子。


「藤田聡子さん、ですよね?」


「はい、そうですが−」



突然、胸のあたりから急にこみ上げてくるものがあった。鋭い何かが、胸中を抉るような胸騒ぎ。


どこかで見たことがあって、それを明確に思い出してしまうと後悔してしまうような、危険な存在。


思い出したくないと思いながらも、無意識に頭の中からその記憶を引っ張り出そうとするのを止められなかった。


動揺しているだろう私に、彼女は驚かなかった。まるで、そうなることが最初から分かっていたみたいに。


「あなたは…」


思い出した。


夏休み。友人と行った話題のスイーツ店。目の前の男女2人組。私が好きになってしまった男子の、隣に立つ女子。


片岡志保。


私が好意を持ってしまった亀井くんの、恋人。

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