第83話 魔法使いと、魔女と丘
月曜日。
本格的に寒々しくなってきた空気を、自転車で切り裂く。雲の混じった空は澄んでいて、赤や黄色の葉を付けた道路沿いの木々はその大半を落としている。
学校の敷地内に着き、自転車を止める。
校舎は、なんの装飾もデザインも施されていない『普通』の状態に戻っていた。まるで、昨日まで文化祭などなく普通に授業を受けていたかのような錯覚を覚える。
終わったのだ。
およそ2ヶ月の間、たった2日のために長い時間と労力を注ぎ、創り上げたものを、たったの2日で撤去してしまうのが、妙に儚いしもったいないとすら思える。
それでも。
今まで抱えていた問題に折り合いが付き、文字通り『収束』したものになった。周りのみんなには知る由はないけど、僕にとってはこの2日間はかけがえのない時間だった。
恐れていた人、軽蔑していた人、気持ちに応えられなくて傷つけてしまった人。
彼らの形容は、僕の心が作り出したまやかしで、本質はこんなものとは程遠く、強くて優しい人たちだった。
それが見えたことに感謝をしたい。この文化祭に。
そして何より、彼ら当人に。
「亀井」
「はい」
「問3、書いてくれ」
「分かりました」
2週間後の数学の授業。僕はむくっと席から立ち上がり黒板へ向かう。
チョークを手に取る。この時の僕は、余裕しゃくしゃくだった。
アートを描くような手つきで、解を書く。
「完璧だ」
手応えあり。席に着く途中、すげえ、とか、頭良い、という声が僕に向けられていることに現実感がない。
案外、やってみれば簡単だった。
5限の体育は、自由時間の予定だ。
今日も隅っこにいようかと、僕は弁当を食べながら、1人予定を立てる。
最近は寒いから、教室に置かれたストーブの近くで食べる。
おばちゃんにもらった大根が入っている。最近、寒くて丘に行ってなかったから、今日は寄って行こうか。
「志保ちゃんのこと、考えてるの?」
「えっ!?」
「考え事、してる顔だったから」
そうやって、僕を茶化すのは、高校生作家『伏見ソウシ』こと、藤田聡子。最初に会った時よりも髪が伸びており、女の子らしくなっている。
ニヤニヤと笑顔を作る彼女は、最初に会った時よりも強くなった。よそよそしい態度がなく、あんなことがあっても僕のことを見限らないでいてくれる、親友だ。
「サトシくん。考え事してる時の顔、ものすごくスケベみたいだよ?」
「はあ?」
「なんてねっ」
勘弁してくれよ。呆れ顔を作る僕に、してやったりと顔を綻ばせる彼女。
「今日の体育、1人でいるの?」
「えっ」
「声に出てたよ?」
どうやら、自由時間を1人で過ごす計画が、声になっていたようだ。自分の思っていること、考えていることが声に出てくる性質をどうにかしたい。
聞かれてしまった恥ずかしさから、「悪い?」と、つい怒りっぽい口調になってしまう。
彼女は、首を横に振った。
「そんなことないよ。自由時間、なんだから何したってサトシくんの自由だよ。ただ…」
「ただ…?」
彼女が、その先を勿体ぶるように十分に間を持ってから言った。
「自分を殺してほしいの」
殺す、という言い回しを、あの『チカラ』を所有する彼女が使うとドキリとした。
その後、その言葉の意味に疑問を持つ。
「自殺っていう意味じゃないよ、もちろん。ただ、今の現状を壊した先に、思いもよらないような素晴らしい世界が広がっていると思うから。依存してしまいそうになるくらい、目の前の現実が好きになれる」
「現状を壊すって…」
声に出していることよりも、フィクションを得意とする彼女が、現実に依存してしまいそう、だということを意外だと感じる。
「そう。私は、思い通りにならなくて、『呪い殺し』たくなった。私自身を」
例えではなく、『チカラ』を使おうと本気で考えたのだろう。
「でも、途中で怖くなった。私自身を殺す、つまりは死ぬこと。あれだけ打ちひしがれてどうなってもいいなんて思ったのに、いざ行動に移そうとすると馬鹿みたいに震えて何もできなかった。他人を巻き込むのも同じ、父さんのことがあったから、できなかった」
弱いよね、私、と自嘲する。
「だから決めたの。自分が死んだり、誰かを殺したりする以上に怖いことじゃないなら、それに堂々と立ち向かうって。失敗したって、満足いかなくたって、私も誰かも、別に死ぬわけじゃないんだから、思い切ってやろうって」
僕の頭の中に一筋の光の線が駆け抜ける感覚。拍子抜けした表情だと自覚する。
「人を殺す『チカラ』が教えてくれた。死ぬ以上の恐怖はないって、勇気を与えてくれた。だから、サトシくんの『拒絶』も、サトシくんを見えないところで強くしてくれたはず」
『チカラ』が与えてくれた力。僕は、彼女の考え方に少々面食らったが、その通りであることを思い直す。
持っていた『チカラ』が失われた時、僕は覚悟を決めた。
志保に決意した。
「偉そうなこと言ってごめん。それでも、伝えたかった。別に、そうしろなんていう資格はないよ…」
「ありがとう」
彼女の、強く主張することが出来ないのは相変わらずだ。それでも、それ以上に僕に勇気を与えたかったのかもしれないから、苦手な気持ちを押し殺して言ってくれたんだろうか。
そう思うと、自然と感謝の言葉が口をついた。
「ありがとう。今日は、思い切ってやってみるよ」
「うん。あと、応援してるのは、私だけじゃなくて、もちろん…」
感謝されることに慣れていない彼女は、それに照れながらも、僕の顔から目線を少し下げる。彼女の言わんとすることがすぐに分かった。
昼休みのチャイムが鳴り、男子たちは着替えをしに隣のクラスの教室へ向かう。その一団に僕も付いて行く。
「今日も楽勝じゃん」
男子の1人が嬉しそうな声をあげる。今の僕に言わせれば、「よし、やってみるか」だ。
学級委員長の富永くんも、その一団にいる。今日の体育は、十中八九、自由時間になるだろう。
制服のネクタイを外し始める男子たち。
僕も同様に、ネクタイに手をかける。
あの日、もらったネクタイピンの感触が指を伝い、あの丘の沈みそうな夕日と、女の子を思い出す。
僕に、強さを与えてくれた存在。
僕の過去を、人格を、『拒絶』を受け入れてくれた人。
僕の、暗い生活に閃きを与えてくれた、運命を変えた魔女。
「もう僕は、1人じゃないよね」
周りに聞こえない程度に、そう呟き、ネクタイピンをいつものように丁寧に外す。
僕は、『拒絶』を操る魔法使い。
人を拒むことができるからこそ、人と向き合う勇気の大切さを知った。人の思いを知ることができた。
全ては、あの魔女と丘で出会えたから。
首に巻きつくネクタイをスルスルと外した。
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