第16話 待ってた

5月の下旬に差し掛かった頃、僕は久しぶりに八百屋に行った。

目的は、いつも通り、お約束の、大根を買いに、だ。

1ヶ月くらいしか経っていないのに、妙に懐かしさを感じる勾配を登りながら、いろいろ考える。

片岡さんに初めて会ったこと。肩をグーで殴られたこと。あの男の子とのデートや、彼女が嫌がる漢字テストを『拒絶』したこと。そして、映画の誘いに返事をしなかったこと。

映画の誘いを断ってからというもの、彼女からメールが来ることがなくなった。

やはり、僕はまた、からかわれていたのだ。あの時と同じように。

そして、騙された果てに、頭でわかってても、僕の本心が片岡さんの大事なものを『拒絶』してしまうんだろう。



八百屋のドアを開けると、おばちゃんがいた。

「あ、サトちゃん!久しぶり〜」

「お久しぶりです」

この人と会うのも久しぶりだ。僕が何かで沈んだとき、いつも、その気持ちを見透かしているはずなのに、何も言ってくれない優しさに、心が救われる。

ニコッと笑って「大根?」と聞く。

「はい」

おばちゃんは人を笑顔にする天才だ。おばちゃんと、最近見たテレビの話をして、今日は八百屋を後にした。



この公園に来るのも久しぶりだ。僕はイヤホンを耳にさして音楽を聴く。沈みそうな夕日をぼんやりと眺める。

大好きなロックバンド。ずっと彼らの音楽を聴いていたいし、ずっと新しい歌を作り続けて欲しいと思う。


片岡さんに会いたい。


って、思った。何でそう思ったかは自分でも分からない。


もうずっと会えないのだろうか。

って考えると、胸のあたりが何かにエグられたような感じがする。

このまま、拒絶し続けるのか、『拒絶』…。


その時。



肩にドスっと、どこか懐かしい痛みが走った。


痛みが走った、左側を向くのに数秒かかった。

透き通るような真っ白い拳、肘のあたりまで見える白い肌。その持ち主の顔。

その持ち主の顔の、パッチリとした双眸。


そのパッチリとした双眸に浮かんだ、涙。


「なんで…、なんで無視すんのよ!」


そこには、僕の左肩に腕を伸ばし、顔が真っ赤になるまで、泣いている片岡さんがいた。

僕は、驚いて、しどろもどろしたけど、返事を返す。

「イヤホン、やっぱり聞こえないね」

「そうじゃなくて!なんでメール返さないの…。」

「ごめん…。実は…」

僕は、中学時代、仲良くしていた後輩に騙され、仕返しに、その後輩の明るい人生を奪ってしまったことを、話した。

「正直、引くよね。僕は普段からこんな控えめでいい子ぶりっ子な態度だけど、中身はどうしようもないクズなんだ。」

「で?」

「え?」

「だから、なんなの?」

「なんなのって、僕と一緒にいたらその子みたいに人生台無しになるかも知れないんだよ?」

「あんたは、その女に騙されたから仕返したんでしょ?なら簡単じゃん。私は騙さない。」

そんなことが、なんで言い切れるんだろう。口に出して言った。

その返事を彼女はなかなか返さない。


「まだ分かんないの…?」

「え?」


息を大きく吸って大声で…。



「だから…私はあなたのことが好きなの!だから…、だから…、本気で好きだから私と付き合って!私は騙さない!あなたが好きだから!」


言葉が出なかった。彼女も、その言葉を言い切ると、そのまま黙り込み下を向いた。まるで時が止まったように、お互い声が出なくなった。聞こえるのは、風の音と、時折走る車の音。


すると突然、うっ、という呻き声が何度もした。それは、止まるどころか間隔がどんどん短くなっていく。その間隔が繋がるように、うー、という声が生まれる。

僕は泣いていた。

嬉しくて。

中学生の女の子にこんな情けない泣き顔を見られるのは、とても恥ずかしくみっともないはずなのに、今はそんなこと、どうでもいいと思った。


待ってたんだ。

あの日からずっと、人を拒絶してきた僕は、この言葉を待っていた。誰かに助けて欲しかったんだ。


「ありがとう」

嗚咽まじりの声で、精一杯の感謝を彼女に届けた。

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