第4話 パワーバランス

彼女の名前は片岡志保。『新鮮野菜の片岡』がある建物の2階に住んでいるらしい。

自分の家とは少し遠く、丘からはそこそこ近いN中学に通う2年生らしい。

何年生かと聞かれたので自分も答えたら、高校2年生という答えを訝しむように目を細めながら「へぇ…」と言われた。そんなに大人っぽくないかな、僕。

そんな彼女に会ってから3日が経った。数学の授業中、二次関数の応用問題を先生が解説しているところ、あまりに難解で思考が停止したので、ボーッとしていたら、3日前にあった彼女のことをふと思い出したのだ。

まさか、彼女が八百屋のおばちゃんの娘だったとは。あの女神のように優しいおばちゃんのお腹の中から、あんな悪魔のような生き物が生まれるのかと思うと複雑な気持ちになる。

ああいう女の子は苦手だ。なにか不満があると騒いだり喧嘩腰になったりするし、何より僕のような根暗で引っ込み思案な人間を、羽虫を見るような目つきでぞんざいに扱う。

中学の時なんか特に散々だった。国語の授業で音読をしているだけなのにクスクス笑われたり、席替えで隣の席になっただけで露骨に嫌そうな態度をとられる。

それに、ちょっとでも揉め事があると数人の仲間を集めて罵声を浴びせて来る。そっちの方がよっぽど羽虫みたいじゃないか。

僕は、女の子が苦手だ。僕のことが嫌いな生き物だから。ケンカが強いだけで威張り散らす男子の方がまだマシだ。

そんな暗い思いにふけっていると、突然、先生から「亀井」と声を掛けられた。

「お前、何ボーッとしてるんだ。聞く必要がないってことはこの問題が分かるってことだな。」

「いえ、それは…」

「じゃあ、この問題を解いてみろ」

なんでそうなるの。そう言い返したい気持ちだった。

十字の線に3日前食べた大根の先っぽみたいな湾曲した線が加わっている図を見つめる。その線の横にはyだのxだのaだの、数学なのになんで数字じゃないの、ってずっと前からツッコミを入れたかった英字たちが並んでいるが、解き方が全くわからない。まず、話を聞いていなかったから何が問題なのかすら分からない。

答えられないのもあるけど、目立ちたくなかった。人前で名前を呼ばれて立たされる。

「分かりません」

正直に答えた。

「分からないならちゃんと聞いとけ。」

「はい、すいません」

顔から火が吹き出そうだった。おどおどしている様子だったからだろうか、クスクスと笑い声が聞こえる。僕の前に座っている子たちも、こんな内容も分からないのかと言うように顔を向ける。 たまらなく恥ずかしかった。

3時間前に予測できれば、とか100%そう思わないとダメ、みたいな制限がなかったらいいのに、この場で手軽に拒絶できればいいのに、切実にそう思った。


醜態を晒した2日後の4限。さらなる惨劇が僕を襲った。

体育の授業はバレーボール、だったのはいいが、不運なことに、先生が生徒たちのパワーバランスを考慮してチームを組む前に、準備運動としてトスやレシーブの練習をペアでするように指示したのだ。

それの何が問題かというと、『自由』にペアを組まなければいけないということだ。一般的に考えれば、そんなに仲の良くない人間ではなく仲のいい友達と一緒に練習できるわけだから、嬉しいかもしれないが、友達のいない人間からしてみると苦しいことこの上ない。

誰かに指名されるのを待っていてもまるで指名されないし、自分から話しかける勇気なんて毛頭ない。

2人1組の人の塊がどんどんできていく。その度に、やばい、どうしよう、と心臓の鼓動が早くなる。

ついに、僕以外のみんなはペアが完成し、1人ポツンと取り残された僕は、四方から目線を浴びるハメになった。

周りのみんなが、僕の足先から首元までじろじろ見ながら、笑ってるように見える。

「亀井が余ったから、白川、松本のペアで3人でやってくれ」

岡島先生が救いを差し伸べるつもりでそう言った。しかし、僕にとってはトドメの言葉だ。「余った」という言葉の前に「誰かとペアを組めなくて」というニュアンスが付いていることを僕は知っている。

2人は笑顔で引き受けてくれたけど、内心気まずいだろうな。不愉快にさせてしまって本当に申し訳ない。

案の定、彼らは苦笑しているように見える。

だって、仕方ないじゃないか。

周りから人気のあって活発な人間にとっては、自由にペアを探すくらいなんてないことかもしれないのに、僕にとっては告白する時と同じくらい緊張感を煽るような重大な出来事だ(いや、告白の方が100倍緊張するか)。同じ年代の者同士、こんなにも違うなんて、人間は面白い生き物だなあ、と場違いにもそう思った。

それに、『自由』というものが必ずしもプラスの側面を持っているわけではないことを、こういう状況下で思い知らされる。自由を手にしたら、自分だけが決定権を持つことができる反面、自分で選択していかなければいけない。時には、何かに縛られることも必要なんだなと感じた。


僕の日々はたいていこんな感じ。

みんなとのパワーバランスなんて、もうほとんどない。

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