5・その縁談、お断りします

 祖父の一言は、勿論本人の心をえぐった。そして、姉と母に衝撃を与えた。父は呆れの息をつき、祖母が追い打ちをかけに行く。


「あぁ、こりゃ駄目ね。顔ちゃんと戻してから出直しなさい」


 ……祖母の言葉が一番厳しい。ケイスケさんはもう、一言も何も言わず家を後にした。

 それからの矛先は何故か全部僕に向かう。


「太一! あんた、視えてたんならなんで教えてくれないんだよ!」


 真っ先に声を荒げたのは姉だった。


「そうよ! 何回も聞いたじゃないの! どうして言ってくれなかったの!」

「太一、ちゃんと説明してやったら良かっただろ」


 母と更には父までが僕を責め立てる。この総攻撃は理不尽極まりない。僕は茶碗をちゃぶ台にドンと置いた。


「言えるかよ、そんなこと!」

「言えよ! 言わなきゃ分からんだろ!」

「僕のメンタルはそこまで強くない! 察しろ!」

「はぁー……お前のメンタル、クソよえーな……豆腐以下かよ」


 姉の言葉に僕は返す言葉が見つからなかった。あぁ、そうですよ。豆腐以下ですよ。不貞腐れるしか出来ず、しかめっ面で茶碗の米をかき込む。


「――まぁ……何にせよ、結婚は駄目です」


 気を取り直したように父が言う。すかさず姉が「えー!」と驚いた。


「えー、じゃない」

「なんで! めっちゃ和やかに話してたじゃん!」

「それとこれとは別問題!」


 父はネクタイを外しながらピシャリと言った。姉が頬を膨らます。


「真麻江ちゃん、いくらなんでもやっぱり幽霊と結婚は駄目よ。それに、あなたまだ大学生だし、そう簡単に話を進められないでしょ。向こうの親御さんだって困ってしまうわ」

「母さん。多分、向こうの親御さんに説明しても絶対伝わらないと思うよ」


 母の言葉に父は上着を脱ぎながら暗い声で言った。


「とにかく、ケイスケくんには改めて断って分かってもらおう。そして成仏してもらう。でないと可哀想だろう。いつまでも未練を残していたら、どうなるか分からないし」


 どうなるか……未練を残して、それにしがみついて成仏出来ずにいたら、霊魂は黒ずんでいく。そうして出来上がるのが黒の影。あれはそういうよくないもので出来たものだ。駅前にいた犬のような。そういうものに変貌してしまうのだ。


「まぁ、未練というか、良くないものを寄せ付けなきゃ私みたいにずっと居てもいいんだけどねぇ」


 祖母がしみじみ言った。すると、祖父が何やら思案する。


「そう言えば……呉子はなんで成仏しないんだ?」


 今頃か。しかし、息子である父も「あぁ、言われてみれば」と首を傾げている。すると、祖母は眉をひそめて不機嫌な表情を見せた。


「そんなこと決まってる。爺さんだけだと心配で心配で、おちおち成仏なんかしてられませんよ」


 胸を張ってそう答えた。

 うーん……説得力がない。姉を見ると、やはり納得のいかない顔をしている。


「爺ちゃんと婆ちゃんはよくて、あたしだけ駄目なのずるくない?」


 初めて姉が至極まっとうな意見を述べた。


 ***


「あんのクソ親父! ったく、頭固いっつーの! 同性同士でも結婚出来るようになってきた時代だよ!? 死んでるから駄目ってそんなん、ゴーハラだよゴーハラ! ふざけんな!」


 姉が荒ぶっている。僕の部屋で。うるさいけど、出て行けと言えば何されるか分からないからそのままにしておく。


「……ゴーハラって何?」


 僕のベッドで怒りを撒き散らす姉に恐る恐る訊いてみる。業腹? じゃないよな……すると、姉はじっとりとした目つきで返してきた。


「ゴーストハラスメント」

「そんなの初めて聞いた」


 わけのわからん造語を生み出すな。

 姉はそれからも僕の枕を殴り続けて怒りの雑言をまくし立てる。僕は椅子に座って、特に鎮めようともせずにその光景を眺めておく。


 ここまで怒鳴り散らしているのだから、下にいる父にも絶対聴こえているはずなのだ。ただ、父は一旦言ったことは繰り返さない。放置する。宥めようとも怒鳴ることもしない。それは裏を返せば言い合いに適さないということで、それを知っている姉も本人に直接言うことはせず、こうして別の場所で怒りを撒き散らす。僕にとっては迷惑そのものなんだけど。


「はぁー……」


 重たい息を吐き出す姉。ようやく静かになった。


「あー……喉痛い」

「叫ぶからだろ……水飲む?」

「うん」


 僕はカバンからペットボトルを探り出した。飲みかけがあったはず。それを渡すと、姉は不機嫌そうな顔を向けるも黙って受け取った。ごくごくと飲み干し、カラになったペットボトルを返してくる。


「落ち着いた?」

「うん」

「そう……じゃあ、出てって」


 お帰り願おう。

 しかし、いつもなら静かに自分の部屋へ帰っていくのだが、今日はなんだか渋っている。散々殴った枕を腹と太ももの間に入れて目を伏せている。


「……チョコ、食べる?」


 僕は訊きながら机の引き出しを開けた。確かアーモンドチョコを入れておいた……しかし、開けてもカラの箱しか見つからなかった。


「あれ?」

「あぁ、それ、あたしがこないだ発見して食べちゃった」


 姉は掠れた声でそう言った。


「……おい、何してくれてんだお前」

「お腹が空いちゃって」

「………」


 まぁ、お菓子や漫画がなくなるのは今に始まったことじゃない。僕はため息を吐いて姉と向かい合った。


「いつもなら出てくじゃん。どうしたの」


 問うと、姉は上目遣いにじっとりと僕を見た。


「お前、そんなだから彼女できねーんだよ。察しろよ。こういう時は話を聞いて欲しいに決まってるでしょ」

「知るかよ、そんなの」


 彼女いないを強調するな。そして絶対に関係ない。


「話……まぁ、聞くだけならいいけど」


 しおらしい姉を見ていると調子が狂う。僕はとにかく黙って彼女の言葉を待った。姉はどんよりと曇った眼を枕に落とす。


「――今までさ、色んな人に会ってきたけど、あたしのことをあんなに気に入ってくれる人って実はケイスケだけなんだよね……友達はいっぱいいるけどさ、ほら、親友のミツキいるでしょ。あの子もあたしのこと分かってくれるんだけど、でも、ケイスケは別というか。あいつ、本当にいいやつなんだよ」


 身構えていたら、やはりそういう話題だった。馴れ初め、ってやつか。聞いてる方が何故か恥ずかしくなってくるやつだ。だが、僕の心情をこの姉が察するわけがないので話は更に続いていく。


「なんでも知ってるんだよ。知らないとこにも連れてってくれるし、優しいし、ノリいいから最初は他の友達と同じように接してたわけ。でも、なんかそうじゃなくなって……まぁ、好意ってのは割りと気づきやすいからさ、なんとなくそうなんだろうなぁって思ってたけど。告白されて、付き合ってみて、面倒見のいいとこに惹かれたっていうか……あ、あと、イケメンだったから、超ラッキーって思ったよね。一石二鳥だよ」


 なのにその最大とも言える武器を潰して亡くなったというのは残酷な現実だ。そりゃイケメンは得だよなぁと羨むことはあるけど、顔潰れて死ね、とまでは思わない。

 彼の元の顔を見てみたいけれど、姉が出会ったのが死後なので写真は持ってないんだろう。


「でも、二週間しかまだお互いのこと知らないんでしょ?」


 確かに彼女はおろか、友達さえ最近までいなかったわけだから、人との付き合い方は僕には想像が出来ない。たった二週間で、そこまで深い仲になれるのかどうか疑わしい。都市伝説レベルだと思う。


 すると姉は薄く笑った。蔑むようではなく、自嘲気味な笑いだった。


「そうだよ。たった二週間で、あいつはあたしと結婚したいって思ってくれたんだよ。凄くない? さすがにあたしだって、そんな風に思えないよ。先のこと考えちゃうし、そもそもまだ一度も喧嘩してないし、キスもまだだし、手をつなぐくらいはしたけどさ」

「待って。ストップ。それ以上は言わなくていい」


 姉の交際事情はまったくもって知りたくなんかない。身内のそういう話は聞くに堪えないものだ。

 僕の止めに、姉は不服そうだったが大人しく黙ってくれた。


「はぁ……でもまぁ、そうだね。二週間で結婚したいって思えるってなかなかないね」

「そうだよ。しかもあたしだよ?」

「姉ちゃんって、自分がガサツだって自覚してるんだ」

「当たり前じゃん。何年、山田真麻江してると思ってるんだ」


 そこは自慢するところじゃないと思う。

 言いながら姉は少し笑った。今度のは愉快そうだったが、それでもまだ小さくぎこちない。すると、黒髪の毛先を触りながら、彼女はポツリと唇を動かした。


「……視えなかったら、良かったのかな」


 小さく呟かれたその言葉。僕は思わず怯んでしまった。どんなに怒鳴られても殴られても、幽霊を視ても身を竦めることはあるけれど、これには特別、ヒヤリと身体の中が冷えた。


――視えなかったら良かった。


 当たり前に視えてしまう生活だから、慣れているし、もはや日常の一部だ。そりゃ、視えなかったら良かったのにと思うことはあれど、姉の口からそんな言葉が出てきてしまうと何を言ってあげたらいいか分からない。ポジティブの塊のような姉に、そこまで言わせてしまうとは。


「あたし、なんでみんなと違うんだろ」

「……僕だって、みんなとは違うよ」


 言ってみると姉は首を横に振った。


「そうじゃなくて。あたしの目は、どうして太一たちみたいじゃないんだろうってこと」


 真麻江の視界は僕らとは違う。悪いものを通さない。僕らと少しズレている。どうして、姉だけが違うのか。性格の問題か、それとも本当に目だけが違うのか、感覚の問題か。考えたところで解明出来るわけはないけれど……姉は姉なりに悩んでいたのだろうか。

 誰とでも仲良くなってしまうから、悩むことなんかないんだろうと思っていた。でも違うらしい。

 姉の意外な一面に僕は何も言えず、これは罵られても文句は言えないなと思った。


「でもまぁ、今更嘆いてもどうしようもないしな。悩むだけ無駄だ。不毛不毛」


 しんみりとした空気を弾き飛ばそうと、姉が大きな声を上げる。そして、僕の枕をぽーんと放り投げてベッドから降りた。


「結婚は駄目でも、付き合うならいいでしょ。だってまだ二週間だぜ? 明日喧嘩して別れる可能性だってあるんだし? 一年続けばまたあのクソ親父に殴り込むわ」


 あはははは! と高笑いする姉。さすが、切り替えが早い。


「はー、スッキリ。いやぁ、悪いねぇ、たいちゃん。話したらなんかバカバカしくなってきた」

「そりゃ良かったね」


 あまり巻き込んでほしくないんだけど、まぁ、今回は許そう。ただ、こいつはどうにも懲りないようなので出ていく間際に肩を掴んだ。


「あのさ、姉ちゃん」

「ん?」


 口をすぼめて、眉をひそめる。そんな姉に僕は慎重な声音で言った。


「視えるのは確かにどうしようもない。だから、もう少し気をつけて生活してみた方がいいと思う」

「うるさいな。大丈夫だって。今までも全然大丈夫だったんだし」


 むっとして言い返してくる。楽観的なのは結構だが、世の中にはそれだけで済まない問題がある。僕はそれを姉よりは知っている。


「あまり信用しすぎない方がいいって言ってるの。今は大丈夫でも、取り返しがつかないことだって絶対起きる。経験者からの忠告だよ。あんまり舐めてちゃダメだ」


 思わず肩を掴む手に力が入ってしまった。だからか、姉は顔をしかめて僕の手を払う。


「……分かったよ。気をつけるから」


 だが、その声は不満げだった。フン、と鼻を鳴らして自室へと行く。その際、扉越しに「太一みたいに弱くないし」と負け惜しみらしい声が聴こえてきた。

 うーん……やっぱり心配だ。

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