4・視えない彼氏
「……ねぇ、お前さ、馬鹿なの? この際だから正直に言うけど。馬鹿だよね?」
「てめぇ、姉に向かって馬鹿とはなんだ! 顔面粉砕するぞコラァ」
姉は拳をつくると、僕に威嚇した。
いや、待て。既に顔面粉砕しているのはお前の彼氏だぞ。お前がやったんじゃないだろうな!
言ってやっても良かったが、彼氏に聞かれるときつい。ただ、さすがに僕も頭にくるので負けじと言い返した。
「幽霊を彼氏にするとか馬鹿だろ。しかも結婚しようとか思わないからな、普通は」
「普通は幽霊なんて視えないんだから、そもそも出会えるわけないのよ」
母も脇から援護射撃する。だが、この発言は僕を含め、祖父や父にも流れ弾が当たる可能性の高いものだった。姉は直に受けたが、それでも強い。ゴリラだ。いや、ゴリラに失礼だ。
「よーし……OK。戦争だ。太一、表出ろ」
姉は両眼を光らせて言う。
戦争は嫌だ。僕はすぐにホールドアップ。だが、姉はダン! と、大きく床を踏み鳴らした。
「いいか、太一。幽霊だろうがなんだろうが、好きになってしまったもんは仕方ねぇんだよ。生きてるか死んでるか、ただそれだけの違いだ」
「大分、重要なことだと思うんだけど……」
しかし、頭ごなしに「幽霊だからやめろ」と言うのは酷なのか……気づかなかったとは言え、彼らの付き合いはそれくらい深いんだろう……いや、でも二週間だろ。
「彼女いたことないお前には分からねぇんだよ」
姉はそう言い捨てる。僕は口を開かせたが、その一言はなかなかに強い一撃だった。敗北。
壁に寄りかかって黙り込んだ僕に、姉は勝利のガッツポーズを決めた。そして、高笑いする。あぁ、僕のメンタルが死ぬ。
「――真麻江ちゃん」
突然、母が静かに割り込んだ。
「お母さんから一つだけ質問があるんだけど」
なんだろう。僕と姉は同時に母を見る。真剣な顔つきで母は口を開いた。
「……彼氏、イケメン?」
「もち!」
母の問いに姉は親指を突き上げて即答した。
「イケメンかぁ……お母さんにも視えたら良かったのに……残念」
「ちょっと待って」
堪らず僕は二人の間に入った。
「今それ重要なの?」
「重要よ。そりゃあそうでしょ。だって、真麻江のことを気に入ってくれた人がいるってだけでも奇跡なのに、ましてイケメンでしょ? 幽霊じゃなかったらお母さん公認だったのになぁ……はぁー……なんで死んでしまったのかなぁ」
「それはあたしも気になる。なんで死んだんだ、あいつは」
さり気なくディスられてることに気づけ、真麻江。
でも、この変人を気に入ってくれる男がこの世にいるなんて、本当に奇跡だと思う。まぁ、死んでるんだけど。
「真麻江ちゃん、ちょっと聞いてきてよ」
「分かった」
姉は居間の扉を開き、彼氏の元へ戻った。取り残された僕と母は玄関で姉の帰りを待っておく。
「あのさぁ、母さん……こんなの父さんが絶対に認めるわけないと思うんだけど」
「そりゃあそうでしょうね。だって、私も認められないもの。さすがに亡くなった方に娘をやるのはちょっとねぇ……」
「いや、うーん……まぁ、そうなんだけど、なんだろう、なんかすっごい消化不良」
普通の一般家庭ではどうなんだろう。付き合って二週間で結婚の挨拶(仮定)に来る男を暖かく迎え入れるものなのか。彼がもし生きていたとしても、これはちょっと非常識なのでは……普通の家庭がどうなのかは知らないから考えても無駄なんだけど。
「ねぇ、太一。ケイスケくんってどんな顔だった? イケメン?」
母がコソコソと訊いてくる。僕は言葉に詰まった。いや、だって顔分かんないし。
この母にしてあの娘あり、か……姉は母さんの遺伝子が強いみたいだ。僕もこれくらいポジティブだったら良かったのに。
いや、能天気すぎるんだ、きっと。やっぱり僕は慎重に生きていこう。
「もしも結婚の挨拶だったら学生結婚ってことになるよね。あー、若いっていいなぁ」
「母さん、浮かれてないでどう断るか考えといてよ」
「あら、私はお話出来ないんだからあんたが断るのよ」
「えー……」
僕は扉にもたれて項垂れた。これほど父の帰りを待ちわびたことはない。
頼む、父さん。いやジジイでもいい。早く帰ってきて。僕だけじゃ無理です。
そんな願いも虚しく、居間の扉が唐突に開いた。ずるっと前のめりに倒れてしまう。
「何やってんの、あんた」
転んだ僕を見下ろして姉が言う。
「あ、真麻江ちゃん。どうだった?」
転んだ僕を押しのけて母が言う。
「あぁ、なんかね……バイクで事故ったとこまでは覚えてるっぽい」
「バイク……」
僕は二人の下で思わず呟いた。それはもしや、今朝に父が言っていた人ではなかろうか。母も思い至ったらしく口元に手を押し当てる。姉は眉をひそめて、気まずそうな顔をしていた。
「それじゃあ、最近亡くなったのね」
「うん」
「姉ちゃん、出会いはどこだったの」
立ち上がって訊くと、姉はまたも気まずそうに重たい口を開いた。
「大学」
「学校で会ったの? いつ?」
「二週間前」
取り調べを受けている犯人のような顔をする姉。でも、これは大事な話だ。
バイク事故がいつなのかは知らないから、もしかすると生きている時に出会っていたかもしれない。死んでから出会っている可能性もある。
前者だった場合は……あんまり想像したくない。恋人が知らないうちに死んでいたという事実を突きつけるのは残酷だ。亡くなった人が視えるとは言え、一緒に生活が出来るわけではない……うちの祖父母は例外だが。
姉は今朝に駅前で見せた悲しげな表情を浮かべていた。それを見ると、僕はどうにも歯がゆく感じる。
いつも面倒事を起こす姉だし、理不尽だし、うざいなと思うこともあるけど、悲しい顔は見たくない。悲しんでほしくない。よく分からない悔しさが沸き立っていく。
「姉ちゃん……」
「まぁ、生きてようが死んでようが、ケイスケはケイスケだしな。なんにも変わんないさ」
姉はきっぱり言うと、ダイニングのケイスケさんの元へ小走りに行った。
母を見ると「どうしましょうね」と困った顔で僕に訊いてきた。
どうしようもない。どうしろって言うんだよ、逆に。
「とりあえず、お夕飯だけでも食べてもらおうかな……断るのはそれからでもいいよね」
姉のことを考えたら、やはり頭ごなしに「ダメだ」とは言えないらしい。僕はため息を吐いた。
「母さん、幽霊はご飯食べられないからね」
僕はダイニングには行かず、部屋に上がった。
***
20時きっかりに父が帰宅した。ついでに、祖父(と祖母)も帰宅した。山田家全員集合である。ちなみに、その時ダイニングには夕飯をつつく僕と姉と母がおり、それをケイスケさんは眺めている。僕の目には彼の顔が分からないから、眺めているという認識でいる。姉から見れば、彼はニコニコと笑っているらしい。
「そんなに見られるとご飯食べづらいんだけど」
「いいじゃん、別に。それにしても、すっげー美味しそうだよね。煮魚とかしばらく食ってないからなあ……いいなぁ……」
母は聴こえないからなんの反応もしない。僕はただただ気まずい。やめろよ、めちゃくちゃ食べづらいから、そんなことを言わないで欲しい。
気まずさが最高潮に達した時、ようやく玄関から「ただいま」と声が上がったので、僕は静かに安堵した。対し、姉とケイスケさんが固まる。やっぱり父に会うってなると緊張するんだろう。しかも、父と祖父は視えるものだから余計に。
母が出迎えに行った。一応、父には連絡を入れておいたので状況は把握しているだろう。居間の扉が開いた瞬間、父は眼鏡を光らせてスーツのままダイニングに登場した。
「太一、お前、ちょっと外せ」
何故か僕の退場が命じられた。僕は素早く夕飯の皿と茶碗を持って居間へ避難する。どうやら話はダイニングで行われるらしい。
「太一、お団子買ってきたから食べるかい?」
祖母が漂いながら僕に言うけど、米食べてる時に団子はきついので遠慮した。固唾を飲んで見守る。
さて、父はなんと言うのだろうか。今までに姉が連れてきた男や友達は大体が霊だったものだから、対処には慣れている。でも、今日はなんだか雰囲気が違う。50代を過ぎて痩せた父の背中から、なんか、ただならぬ
父と祖父は彼らと向かい合って座った。僕からは父と祖父が見えるので、若い二人がどんな表情であるのかは分からない……が、察することは出来る。いつも疲れた顔の父が厳かに、眉間に皺を寄せて渋い顔をしているのだから、ヘラヘラ笑っているわけがない。
「……ケイスケくん、だったね。話は少し聞いたんだが、今日はどういったご用件でうちに来たのかな」
極めて静かで優しい口調。だが、顔は渋い。父は彼の顔をきちんと見て話していた。祖父は横でお茶をすすりながらのんびりとその様子を見ている。
「結婚のご挨拶をさせていただきたく、お伺いしました」
ケイスケさんははっきりと言った。母以外の全員、緊張が走る。
「えーっと……でも、君、亡くなったんだよね? それは自覚しているのかな」
父よ、そんな直球に言ってしまうのはどうなんでしょうか。でも、それ以外に言い方が見つからないのか。
父の問いに、ケイスケさんは「はい」とやはりはっきり答える。どういうつもりなんだ、この人は。
「どういうつもりなんだ、君は」
父も僕と同じことを口に出して言った。
「亡くなった人との婚姻は認められるわけがない。それくらいは分かっているはず……それでも君はこうしてわざわざうちに来たわけだ。理由をきちんと聞かせてもらえるかな」
姉は珍しく顔を俯けていた。父に怒られても反発する姉だが、空気は読めるようだ。
一方、父と祖父は恐ろしいほどに冷静だった。ケイスケさんも背筋を伸ばして重々しく「はい」と答える。おちゃらけたノリの人かと思いきや、オンオフの切り替えがきちんと出来るらしい。僕は少し感心してしまった。僕がこの立場だったら絶対に逃げ出す自信がある。
「死んでしまったから、結婚したいと考えたんです」
「死んでしまったから?」
すぐに父が反応した。ケイスケさんの声はしっかりとして、揺るぎないもので真剣そのものだ。
「真麻江さんと会ったのは、確かに二週間前です。死んだ後、だと思います。事故のことはあまり覚えてないんです。でも、真麻江さんのことは前から知ってました。後悔したんです。仲良くなりたかったな、と。でも死んでしまった。すごく後悔して、ふらふらとあちこち彷徨うように、うろついていました。そんな時、真麻江さんと目が合いました。まさかそんな憧れの人が僕を見つけてくれるなんて思わなくて。駄目なことは分かってましたが、諦めきれなかったんです……すみません。でも、真剣なんです」
彼は頭を下げた。その真剣さがよく伝わってくる。僕はごくりと唾を飲み、この光景を眺めていた。素直にすごいと感心した。それは多分、ここにいる全員が感じているだろう……あぁ、母だけは聴こえてないのか。真剣な顔をしているからすごく馴染んでいる。
父は眉を下げた。気が抜けたように「参ったな」と小さく呟く。祖父は低く唸っている。
「よほどの理由があって来たんだとは思っていたけど、そう言われてしまうとなぁ……」
「え、なんて言ってるの? 私だけ分からないんだけど」
「お母さんはなんでそこにいるの」
呆れたように姉がつっこむけど、いや、お前のせいでこんな状況になってるんだから説明くらいしてやってくれ。
「うーん……真麻江、お前ってやつは毎度毎度とんでもないことをしてくれるなぁ……お父さん、今回ばかりはどうしたらいいか分からない」
父が匙を投げた。まぁ、こう言われてしまったら無碍にあしらうことも出来ないのか。これは確かに難しい。
「そんなわけで、お祖父ちゃんに振ります」
父は腕を組んで祖父を見やった。最高に困っているのか、ここでまさかの爺さん登板である。しかし祖父も祖父で「うーん」と困っている。
「いやぁ難しいなぁ……でもなぁ、さすがに認めるのはなぁ……真麻江はそれでいいのか?」
祖父はゆっくりと訊いた。ここで振られると思っていなかったのか、姉は肩をびくつかせる。
「うん……だって、あたしのことこんなに好きでいてくれるのに、断るなんて無理だよ。あたしを選んでくれるなんて奇跡でしょ」
「うん」
「言えてる」
「物好きよねぇ」
祖父、父、母が頷く。祖母を見ると、こっちも深く頷いていた。
「でしょ? あたし、これを逃したら婚期はもうないかもしれないよ」
「うん」
「本当にそう思う」
祖父と父は遠慮がない。しかし、これにも満場一致だった。
「真麻江さんは面白くて可愛い人ですよ?」
ケイスケさんがフォローを入れる。すると、父が驚いたように手のひらで口を塞いだ。
「いやぁ……あははは。そう言われるとなんか照れるなぁ」
「なんでお父さんが照れるんだ」
姉が鋭くつっこむ。それは僕もそう思う。だが、そんな子供二人のツッコミに動じることはなく、父は嬉しそうに母へ報告した。
「母さん、うちの真麻江を可愛いって言ってもらったぞ」
「ほんとに!? いやだ、もう嬉しいこと言ってくれるわねぇ。真麻江ちゃん、いい人に見つけてもらえたねぇ」
父と母は嬉しそうに笑った。空気が一気に和やかになる。
「真麻江ちゃんを大事に思ってくれてるみたいだし、優しいし、誠実だし、イケメンだし……いいこと尽くしじゃない」
話をろくに聞いてないくせに母が盛り上がる。すると、父と祖父が同時に「ん?」と何かに引っかかった。
「イケメン?」
「そう、イケメン。かっこいいんでしょ、真麻江ちゃん」
「うん。爽やか系って感じ」
「ちょ、やめてよ真麻江ちゃん」
ケイスケさんが慌てふためいたが、女性陣二人は楽しげに笑い合う。しかし、父は顔を引きつらせていた。そして何故か僕を見る。目で何か訴えかけているけれど、知らぬふりをしておく。
すると祖父が湯呑みを揉みながら言った。
「はぁ、そうなのかい。顔潰れてっから分からなかったわー」
場の空気が一気に凍ったのは言うまでもない。
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