エピソードオブプライマリー1

 ふぁ〜

 

 思わずフニャけてしまうような声を上げながら、朝の陽光を受けて、目を冷ましたのは三十過ぎのおっさん、ではなくウサギの人形を抱えたあどけない少女であった。


 所狭しと並べられた人形、まるで天蓋のように垂れ下がったカーテンの隙間からは快晴を思わせる陽の光が差し込んでいた。


 ふにゅう〜と朝が弱い少女が朝の到来を否定しようと、天岩戸にひきこむアマテラスのように布団に籠ろうとしたときそれは到来した。


 きゃっ、ひゃん!

 少女が可愛らしい悲鳴を上げる。


 ハァハァハァハァと荒く短く早い息をしながら、馬乗になったそれは、無造作に少女の柔肌を舐めたくる。


 だめん。やめて!と言いたいが幾分と大きい興奮したそれは、少女の顔をなめまわし、熱い唾液と吐息を撒き散らして少女はしゃべることが出来なかった。


 抵抗に身をよじて、顔をガードするが、今度は耳の中を舐めてきた!


 耳に熱い舌がねじ込まれ、身体がゾクゾクとする。


 堪らず少女は身を起こした!


「こらっ、ロシナンテ!そこは、メッ!!」


 少女に嗜められ、ロシナンテと言われた犬がくぅ~んと尻尾を下げた。


「もうベタベタ~」


 ロシナンテに顔をベタベタにされた少女は、顔を洗うべく洗面所のある一階へと降りてて行く。ロシナンテも嬉しそうに続いた。

 

 こうして、少女のいつもどおりの日常は始まった。



***********************************

 

 西山 あけび

 最近、プリンセスオブウェールズという海外ドラマにハマっている小学三年生です。


 プリンセスオブウェールズというのは、英国の王子ウェールズがとなる事情から貴族の子女に扮して、令嬢に近づき、スパイまがいのことをするという物語です。

 とってもオシャレでかっこよくて面白いです!


 ウェール(ウェールズが令嬢に扮した際の偽名)も可愛いけど、とにかく公爵令嬢のソフィアが可愛いの!

 金色の髪に、ブルーの瞳、少し病弱な体はとっても白い肌。お部屋に天蓋付きのベッドがあってそこには無数のお人形さんが並べられていて、お庭なんか噴水まであるの!

 そこのテラスでウェールとお茶をするソフィアはまさに私の理想のお姫様だわ!

 

 あけびがガラッララと教室へと入ると、


「おはよう、あけびちゃん!」

「おはよう〜」


 クラスメイトである上条 菫ことすみれちゃんと真仲 香澄ことカスミちゃんがが声をかけてきました。


 あけびは早速、プリンセスオブウェールズのソフィアちゃんを真似て、二人に「ごきげんよう」と応じます。


「うわぁあああ、今日の三つ編み可愛いね!」

「このブローチ、お姫様みたい!!」

「今日ね! お母さんに結んでもらったの!」


 いいでしょう!と後ろに結んでもらった三つ編みのテールがよく見えるように持ち上げて二人に見せてあげます。


 この三つ編みはソフィアちゃんと同じ髪型です!


 なにせ今日はあけびにとても、とーっても大切な日だからだです。


「いいなー。うちのお母さん朝はなんて絶対にやってくれないよ!」

「うちもー、むしろ朝いないし」


 お友達と楽しい会話を楽しみつつ、あけびが教室の隅へとちらりと目を向けます。

 

 そこには、そよぐ風になびかれるままになった栗色の髪が陽光を浴びてキラキラと踊り、宝石みたいに真ん丸で綺麗な茶色の瞳を持った女の子、本田 胡桃こと胡桃ちゃんがいました。


 その微動だにしない人形然とした姿、キッと睨むようにこちらを見る意志の強さを感じる瞳…………それはまるでプリンセスオブウェールズに出てくる、日本大使の子供のチヨにそっくりです!


 私はそんな胡桃ちゃんと是非お友達になりたいと思っていました。


 けど、胡桃ちゃんは、教室でも滅多にしゃべりません。

 話しかけてもキッと睨むように見てきて、一言二言ぐらいしか返してくれません。


 長い声が聴けるのは国語の授業の教科書を読むときぐらいです。


 そんな胡桃ちゃんは普段、お本ばかり読んでいます。


 今日も居角左美濃急戦 なんてまだ習っていもいない漢字が沢山並んだお本を顔をむぅ~んとさせながら読んでます。


 そんな難しそうな本を読むぐらいなら、私たちとお話しているほうがよっぽど楽しいのに!


 私は是非、その楽しさを胡桃ちゃんに伝えたいと思っています!

 そして、今日そんな胡桃ちゃんとついに私はお話しする機会を出来たのです!


 ああっ、早く先生来ないかなと、私は珍しくそんなことを思いました。



*************************************



 キーンコーンカーンコーンというチャイムが鳴り、程なくして大仏先生が入ってきて胡桃は名残惜しいに本を閉じた。


 小郷先生こと大仏先生は、頭に大量のお豆さんが乗っているような小さいくるくるの髪、所謂パンチパーマの髪型をトレンドとしており、皆からは大仏ヘアーとして慕われている。



「皆さん、おはようございます」

「「「「「「「「おはようございます!!!」」」」」」


 そんな大仏先生の挨拶に合わせて大音量の挨拶に返す生徒たちに大仏先生は満足すると、授業のスケジュールを確認し始め、


 そして、


「会話のキャッチボールを始めましょう。じゃあ今日は、」

「はい、先生!私と胡桃ちゃんです!」


 そう元気に挙手しながら、立ち上がったクラスメイトの西山 あけびを見ながら、胡桃はため息交じりに扇子を持ち教壇へと向かった。



 胡桃とあけびが向い合せになる。

 何がそんなに楽しいのか、目をキラキラとさせて満面の笑みを浮かべるあけびに対して胡桃はすでにげんなりしていた。


 胡桃はこの時間が嫌いだった。


 教壇がどかされ、一段高くなった黒板の前はステージのようで、集まる視線にまるで見世物になったように感じるからだ。


 ざわついている教室を大仏先生がパンパンと手を鳴らしながら、諌めつつ会話のキャッチボールは始まった。


「胡桃ちゃんは土日は何をしていましたか!」


 先手はあけびに決まったようだ。

 会話のキャッチボール、ルールは交互に最近会った出来事などを質問しあいながら会話を進めていくというシンプルなものだ。


 初手2五歩のようなオードソックスな質問にやはり胡桃はオードソックスに突き返す。


「土曜日はファミレスに行きました。日曜日はおかぁ―――」


 おかあさんに怒られて日曜日は外出禁止と将棋盤を没収されてしまったのだ。致し方なく棋書読んでいたのが思い出された。


 それを引っ込めて、


「…………家で将棋をしていました。あけびちゃんはどうしていましたか?」と言い換えた。

「私は、すみれちゃんとカスミちゃんとロシナンテを散歩させてたり、お庭でお茶をしてたりしました。ファミレスへは誰と行きましたか?」

「最近、将棋教室で取った弟子とです。えーっとロシナンテはオスですか?メスですか?」

「オスの3歳です!胡桃ちゃんはお弟子さんがいるなんてすごいですね!お弟子さんは何年生ですか!」

 

 実は犬が好きな胡桃はロシナンテに興味を持った。さて次は犬種ねと思いつつも、巧をどう説明しようか迷う。

 

 巧は、何年生なんだろうか?記憶を漁る。


 始めて将棋教室で会った時、振り穴の倒し方を教えた時、この間のファミレスと記憶を順繰り漁る。


 この時、胡桃は気づいていなかったが、扇子で口元を隠しつつ頬をぷくっーと膨らませる胡桃の長考時の癖をあけびはほほえましく見つめていた。


 長考の末、胡桃は一つの解を見つけ出した。

 事あるごとに巧が言っていた。


 それは詰将棋が解けなかった時、次の一手を間違えた時、定跡を覚えられなかった時、1手詰めを見逃して頓死した時、


 巧がまるで口癖のように言っていた言い訳、


 僕は―――、


「30過ぎのおっさん」


 胡桃がそう口に出した時、教室はシーン静まり返った。


 その異常な雰囲気に胡桃はハッとした。

 それはまるで勝勢の局面で相手の形づくりを受け間違えて1手頓死した時のような、いたたまれない空気。

 自分は悪手を打ってしまったのか?その答えを教えてくれる人はおらず、またなぜか大仏先生のほうを見るのが怖くて胡桃は、


「えっと、ロシナンテの犬種はなんですか?」とあけびに手番を渡すことを選択した。

「…………」

「…………」


 しかし、あけびはそれに答えず、先ほど見たお星様のようにキラキラとしていた瞳は、雲で陰ってしまったようにどんよりしている。

 

 教室の空気はどんどん冷たく重くなっていくように胡桃は感じた。

 一体、この空気はなんなんだろう。緊張に扇子をぎゅっと掴むと、


「男の人?」


 この思いを空気をぶち破って発言したのは、教壇の前に座る少女、戸辺 恵美こと恵美ちゃんだった。


「それも年上?」


 こたえるのは恵美ちゃんと一番仲良しである村山 亜美こと亜美ちゃんだ。


 クラスのムードメーカー的な存在で亜美恵美コンビとして知られている、そんな二人がそれって…………と顔を合わし、


「「デートだっ!」」と仲良くハモると、まるで風船を割ったかのようにわぁああああ!!!!一斉に教室が湧きたった。


 特に女子は顕著で至る所から、きゃぁああああという黄色い声が上がる。


「胡桃ちゃん、どんな人なの?!」

「背は高い?!」

「へっ、どうせしょうーもねーおっさんだろ」

「男子は黙ってて、今胡桃ちゃんに聞いてるの!」

「お金持ち?!」

「かっこいいの?!」

「俳優さんで言ったら、誰?!」


 突如として熱気を帯びた教室の矢継ぎ早に飛び出してくる質問に、内心胡桃はあたふたとしてしまい膠着してしまった。


 言葉が口が出てこない。


 しかし、パッと見普通な胡桃の様子にクラスの女子たちはもったいぶっているんだ!とさらに追及はヒートアップした。


 何か答えないと慌てる胡桃に、ふいに耳に飛び込んで来た質問があった。


「いいなー、年上の男の人。やっぱり大人なんでしょう?」


 その質問に胡桃は、私は師匠おとなで。


「そんなことない。あれは弟子こどもよ」と反射的に答えてしまった。



 それに「「「きゃぁあああああああああ」」」と再度耳をつんざくような嬌声が上がった。


「子供だってー!」

「胡桃ちゃん、おとなっー!」

「かっこいい!」



 もはや会話のキャッチボールどころではない、もはや収集が付かなくなり始めたとき、大仏先生が立ち上がるのと、チャイムがなるのが同時だった。


「はぁい!!!ここまで!みんな、次の授業の準備をするのよ。日直の人!」

 

 大仏先生の声に、クラスメイトは興奮冷めやらぬまましぶしぶと従い、胡桃とあけびは席に戻った。


 その際、「本田さん、昼休みに職員室に来てくれるかしら。先生も、もっとお話聞きたいわ」と言われて胡桃はげんなりした。


「気を付け、礼!先生ありがとうございました!着席!」

「はい、それで先生が教材を取ってくるまで大人しく待っているのよ」


 ガララ、と扉を開けて先生が出ていく。


 スっと一人の男子が扉に張り付き、窓をそっとのぞき込み、「大仏、行ったぞ!」と声を上げる。


 わぁあああああと胡桃の周りに人盛りが出来た。


「胡桃ちゃん!胡桃ちゃん!さっきの話の続きを聞かせて!!」

「どっちから!どっちから告白したの?!」

「―――っ! ここ、告白?!そんなの、しししてない」

「嘘だー、耳真っ赤だ!」

「違うの、違うの、違うの」


 胡桃は全力で否定しつつ、殻に閉じこもるように扇子を広げてガードした。


「ファミレスでは何をしてたの!」

「何を食べのー」

「帰りは!ファミレスの後はどっかいったの!」

「そりゃ、行くでしょ。映画!?」

「なんか買ってもらった?!」

「ねぇねぇ、胡桃ちゃん教えてよー」


 胡桃の扇子ガードなどもろともせずにクラスメイトたちは四方八方から質問をぶつけてきた。

 

しかし、胡桃は穴熊にこもる玉のように微動だにせず、今は耐える。

先生が来るまで耐えれば、


「亜美です!」

「恵美です!」


 そんな胡桃の穴熊はすぐに崩されることになる。


「答えないなら、つつきます」


 いつの間にか、胡桃のサイドへと現れたクラスのムードメーカー亜美恵美コンビ。

 胡桃は銀と金に左右から迫られる玉のように必至になったのを悟った。


「ファミレスでは何してたんだー、答えろ!つんつん」

「ひゃん!、ひゃあ、」

「こっちからも、つんつん」

「ひゃん!、ひゃあ、やめ、しょ、将棋です!」


 胡桃の敏感な脇を器用に亜美恵美の二人はつついてきた。

 このままで悶絶してしまうと胡桃は答えざるをえなかった。


「将棋~、若い男女が集まって~、ホントかな?」


 亜美がすっと人差し指を回すのをみて、胡桃は慌てて答える。


「本当よ!4級から3級に上がるために集まったんだから」


 ちらりと亜美は恵美を見るとうんうんと頷いているどうやら真実のようだ。


「で、そのあとはどうしたのー?」


 将棋の話なんぞに興味がない二人もといクラスの総意は、デートの話を広げていく。


「あとはもう門限になっちゃったから帰ったの」

「ええっ、それだけー?」

 

 クラスのため息にも似たがっかりな空気と亜美恵美のくるくると円を描くように回している人差し指に恐れなして

 胡桃はなんとか話をひねり出した。


「…………ぶ、ぶーぶ」

「ぶーぶ???」

「く、車で送ってもらった。門限すぎちゃって急いでたから」

「車!彼、車持ってるの?!」

「すごい、やっぱりお金持ちだ!」

「車って言ってもタクシーだから」

「タクシー!」

「私知ってるよー、タクシーって高いんだよ。この間パパが乗って帰ってきて、ママがこんなにかかるんなら外で寝て来い!って怒ってたもん」

「胡桃ちゃんの彼、お金持ちだー」

「玉のこしぃ!」


 際限なく盛り上がる教室に、「てかっ、それ嘘じゃねーの」という冷や水を浴びせるように一人の男子が声を上げた。


 静まる教室に、「本田、お前嘘だろそれ。本当は土日何もなかったら、作り話を知ったんだろ。お前友達いねーもんな」と神崎 義男ことよしおは言った。



「そうだー、そうだー」

「嘘つきだー」


 それに同調する男子に女子が、


「胡桃ちゃんがそんな嘘つくわないでしょ!」

「男子、サイテー!」

「胡桃ちゃんもなんか言ってやりなよ!」


 と言い返す。


 胡桃もこれには立ち上がり、よしおのほうを睨みつけながら、扇子を突き詰めてこう言った。


「私は嘘なんてついてない! 巧とファミレスに行ったのは事実なんだから!」


 胡桃の毅然とした態度に女子たちは色めきだった。


「きゃあぁああ胡桃ちゃん、呼び捨て!」

「彼、巧さんていうんだ!」

「胡桃ちゃん、かっこいい!」

「よしお、謝りなさいよ!」

「うるせー、ブース!やなこった」

「なによー!」


 一方はよしおとクラスの女子が喧嘩をはじめ、一方は「写真とかないのー!」と騒然とした教室に、


「静かにしてなさいと言ったでしょう!」


 大仏先生のカミナリが落ちてきて一気に収束したのだった。


**************************************




「ということがあったの」


 私は学校であった衝撃的な出来事をロシナンテに教えてあげていた。


「くぅ~ん?」と眠たそうに眼をしぱしぱさせているロシナンテに毛布をかけてあげる。


「ロシナンテにはまだ早かったかしら、…………ふぁ~」とあくびが出る。私も眠くなってしまった。


 眠る前に私は部屋の出窓から夜空のお星様に向かってソフィアのそれと同じように祈りをささげる。

 意味はよく分かりませんがソフィアがそうしているのだから私もしようと思います。


「えっと主よ、今日もささやかな糧を、祝福を?ん…………あけびは今日もいい子にしていました。だから、胡桃ちゃんと仲良くなれるようにしてください。

あと今日もよしお君はクラスメイトの佳子ちゃんを泣かせていました。懲らしめてください。アーメン」


 そう祈りを締めくくり私はベッドに入った。

 

 下からロシナンテの寝息をスヤスヤと聞こえる。


 今日のお話、おっさんだがお金持ちだが知らないけど、チヨと…………胡桃ちゃんと一番仲良くなるのは私なんだから!


 そう決意を胸に灯し、私はすぐにお人形さんとともに夢の世界へと落ちていったのだった。








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