ファミレス
「いよ、お待たせ」
「もぅ、あっくん遅いよー」
「はいはい、ごめんよ」
駅前の時計台の下から、若い男女が笑顔を振りまきながら手をつないで去っていく。
待ち合わせスポットとして有名なここで、僕もまたここで待ち人を待つ幾人かの人と同じくスマホの画面に目を落としていた。
本日は土曜日、師匠は僕をハチワンウォーズ4級から3級に昇級させる気のようで、先日LIONにて約束した日を迎えていた。
最初師匠は、僕の家に来る気だったのだが、どうみても30過ぎの独身男性の家に女子小学生が遊びに来るというのは、将棋で言うところの〝必至〟で、社会的に見ても〝必死〟でしかないと判断した僕は、ハチワンウォーズは外でも出来ると主張し、ファミレスにて行うことになんとか合意してもらったのだった。
また当初は、午前からやる予定だったが、
胡桃>やっぱり明日2時からで、
胡桃>おかあさんが、お昼食べてから行きなさいって
という非常に可愛い小学生らしい理由で午後からとなった。
スマホの画面に表示された時刻は13:30、約束の時刻まであと30分ほどだ。
今時、約束の時刻より30分も前とはかなり早い。だが、誤解しないでもらいたいのは、何も僕は女子小学生との待ち合わせが待ち遠しくて思わずこんな早い時間になってしまったというわけではないということだ。
想像してみて欲しい。30過ぎの僕が時計台の前で所在なさげに立つ女子小学生に、「おまたせ」と声をかけるのだ。師匠は「遅い」と一言言い放つのだ。愛想笑いを浮かべて頭を掻く僕と上目遣いにブスっとこちらを睨む師匠。
教室で見慣れつつある僕と師匠の日常の一コマだが、世間はそうは思ってくれないだろう。
「ああ、ちょっと君、そこの女の子とどういう関係?ちょっと話を聞かせてもらっていいかな」と仮面のような爽やかな笑顔を貼り付けまったく笑っていない瞳を持ったポリスメンに肩をたたかれるところを。
そんな事態を避けるため、僕は師匠より早く到着して師匠から声をかけてもらうことにしたのだった。
…………まったく、師匠との邂逅は必至だらけだ。この凌ぎの手筋が将棋でも活かされないかと思っていると、スマホが震える。どうやら着いたようだ。
僕はもう着いてます。と送り、駅から師匠が出てくるのを待つ。
ざわざわと音が質量を持って蠢いているかのような駅前の雑踏の中でも、師匠の姿はすぐに見つけることが出来た。
陽光に輝く栗色の髪、今日はTシャツにサスペンダーがついたフレアスカート、足元を飾るのはピンク色のスニーカーだ。それにワンポイントとして、背中に背負った大きめの真っ赤で四角いリュックが印象的だった。
僕を見つけたのだろう、師匠は森を駆け抜けるリスのように雑踏をとっとっとっと言った感じで走り寄ってきた。可愛い。
そんな師匠は少々、息があがった調子で肩を上下させながら、こちらを見上げ、挨拶もせずにこちらをじっと睨む。
何かあるのだろうか?
「しゃ、しゃがんで!」
「えっ、なんでですか?」
「いいから!」
「まぁいいですけど、―――――てっ、し、師匠!」
「…………ジョリジョリ」
しゃがんで目線を合わせた途端、師匠は僕の剃り残し激しい無精ひげを触ってきたのだった。
JSには物珍しいのか?!と思ったのだが、そうでもないらしく、
「ふんっ、早く行きましょう」
師匠はそれから、まるで汚物を拭くように僕の服を手でつかむと、それならなんで触ったし!(泣)とショックをぬぐ切れないままの僕を、師匠は引っ張られるようにしてファミレスへと向かった。
「何名様ですか?」
「お、大人と子供1名づつ!」
そう赤いリュックを背負いながら、師匠は店員さんに告げる。
たぶん、
「ドリンクバー二つお願いします」
お互いに昼食は食べてきているので、ドリンクバーだけ注文しながら席に座ると、師匠の綺麗な琥珀色の瞳が驚愕の一手を見た時のように見開かれる。
えっ、一体何が?!初手ドリンクバーは悪手なのかそれとも…………とテーブルを見渡すもメニュー表に、調味料が置かれているだけの普通のファミレスの景色だ、特質して何か変わったものがあるわけではない。
再度師匠を見やると扇子を片手に頬をぷくっーと膨らませている。
怒っているのか、考えているのか、おっさんにJSの気持ちが分かるわけもなく、とりあえずドリンクバーを取りに行く手待ちの一手を放つ。
師匠はそれに何も言わず、互いに師匠はオレンジジュース、僕はコーラを選択した。
まじでさっきのはなんだったんだろうか?
先ほど何事もなかったかのように師匠は赤い四角いリュック…………もう誤魔化のはやめよう。
道行く人はみな気づいていただろう。そうそれは、小学生にのみ持つことを許されている神聖なアイテム、ランドセルだ!
ワンポイントのように映える真っ赤なランドセルから、師匠は宿題でも広げるかのように将棋盤を取り出す。
折りたたみ式の木の盤で、僕も家にある馴染み深い奴だ。
「ちなみに師匠、なぜにランドセルを?」
「…………??? いっぱい入って便利だから」
当たり前のことに何言ってるんだ、こいつといった感じで師匠は答える。
女の子はおませさんである、この年頃になってくるとだんだんファッションに目覚めてランドセルなどダサいといって持つことなどなくなる。
師匠にはまだそういったことは早いのか興味がないのか、子供特有の合理的考え方に今だけの尊さのようなものを感じながら、僕もタブレットを取り出す。
ファミレスのフリーWifiに接続してアプリを起動した。午前中少しでも昇級バーを上げようとプレイしていただけあってもうタブレットの操作もばっちりだ。
現在、昇級バーの数字は、59.7%。半分を折り返したところでなかなかに今日は長い一日になりそうだ。
師匠を見ると、コップを小さい両手でつかみながら、ちゅごーとストローでオレンジジュースを吸い上げていた。頬が膨らんでいく。
そんな可愛い我が師匠に癒されながら、僕は早速対局を開始したのだった。
「よし、金打ちまで!…………えっ、詰まない?あっでもこれで詰みか」
バァン!というエフェクト音とおまえさんの勝利じゃ!というアナウンスが聞こえてようやく僕は落ちついて席にもたれかかった。
厳しい戦いだったか、なんとか詰ますことが出来た。
「ここ、81手目。5手詰めを逃してる。こんなに混戦することはなかったわ」
勝利することは出来たが、相変わらず師匠は厳しい。
師匠のダメ出しを聞きながら、時計を見ると、16時前だった。結構いい時間になってきたと思いながら、僕は空になったコップを手に席を立つ。
現在、勝率も高く、昇級バーはなんと88%とかなり増えている。
ドリンクバーのコーラを入れながら、まぁ初段様が3手目角タダをやらかして投了してくれたのがでかかったな。あれで10%はもらえている。この調子だ!と自分に言い聞かせながら席に戻ると、…………師匠が今時珍しいがま口の財布を手にしげしげと小銭を数えていた。
なんだろう?と思いながらも席に戻ると師匠は、木の実を隠すリスのようにそそくさと小銭を財布に仕舞って、扇子で口元を隠しながら、上目遣いにこちらをキッと睨んできた。
いや、師匠。JSから小銭なんて巻き上げませんよ?と見つめ返すと、師匠はぷいと視線を外した。
な、なんだ?と小動物のように可愛い師匠を観察していると、目を左右に泳がせ、ふいに一点でとまり、恨みがましい目で睨んでいた。
本当になんだんだろう、僕は師匠の見つめている先をみやるが、特質して何かがあるわけでもない、テーブルの上にはメニュー表と…………、メニュー表?まさか…………。
不意に思いついた僕は、そっとメニュー表に手を伸ばし、少しずらした。
すると、面白いように師匠の目線がそれを追うようにずれた。
どうやら当たりのようだ!メニュー表はデザート特化のようで表紙にはでかでかとショートケーキの写真が載っていた。
まるで猫じゃらしを追いかける猫のようなそれに嗜虐心のを感じてしまい、メニュー表を左右とずらす。
追いかける琥珀色の瞳、ああ、可愛いなといけない扉が開いていく感覚だ。
いくらかそれを繰り返しているとが不意にこちらを睨みつけてきた。
どうやらやりすぎたようだ。僕は笑みを浮かべながら、「おやつでも頼みますか」と朗らかな笑みを浮かべて言った。
プロ棋士も対局中におやつを食べるしな。ちなみにプロ棋士が食べるおやつは、速報としてTwitterや公式HPなどでも発表されたりと将棋ファンを大いに盛り上げるのだ。なぜか…………まぁあこがれの人の食べている物気になったりするし、そういうことだろう。
すぐに乗ってくると思ったが師匠は首を振って「いらない」といった。
ありゃ、すねちゃたかな。
反省しつつ、僕は「このショートケーキなんかおいしそうですよ?」と促すと、
師匠は扇子をぎゅっと握りしめて、俯いてしまった。
そしていつもふてぶしい師匠には似合わないか細い声で「高いし……巧は食べれば」と呟いた。
そういうことか!難解な詰将棋がキレイに解けた時のような爽快感だった。
師匠はずっとデザートが食べたかったのだ。しかしだ、少ないお小遣いをやりくりするJSにとってはファミレスのケーキと言えども大金だ。
そこで我慢してきたのだろう。まったく素直にそう言ってくれれば…………師匠のおねだりしてこない素直じゃないいじらしさに僕はキュンと胸を締め付けられた。
さてどうするか、ここは奢る(もとよりそのつもりだ。どこに30過ぎのおっさんがJSと割り勘する奴がいるんだ)と言っても素直に頷くかどうか。
師匠の返しを想像しながら、僕は攻め手を頭の中で構築して口を開いた。
「ここは僕が出しますから、好きな選んでください」
「―――――っ!…………だめよ、そんなの私たちは
一瞬、師匠の目がきらりと光ったが、すぐに輝きを失った。
まぁここまで想定通りだ。
「なるほど、…………つまり師匠は僕とのことはお遊びだったということですね?」
師匠が、眉根をピクンと上げ、上目遣いにこちらを睨みつけてきた。
「どういう意味よ?」
そうそう、師匠はやっぱりこうじゃないと。…………変な意味じゃないよ。
「普通、人にものを教わるには金銭が発生します」
反論に口を開きかけた師匠を僕は手で制して、先をつづけた。
「僕は師匠に何もお支払いしていません。ですので、ここでお返ししようと思ったのです。ただ師匠にその覚悟がないのなら、受け取らなくて結構です」
「覚悟?」
「そう覚悟です。お礼を受け取るということは、受け取った側もまたそれに見合うものを渡さなければならないというわけです。…………師匠は、僕を真剣に教える気がありますか?」
その問いに師匠は、琥珀色の瞳の僕が移りこむほどに真剣にこちらを見やると、
「も、勿論よ!私は真剣だわ」と答えた。
「そうですか、じゃあ遠慮なく僕からのお礼を受け取ってください」
メニュー表を差し出すと、おっかなびっくり師匠はメニュー表を受け取った。
「…………そうよね。私は真剣に巧を教えているの」
「はい、そうですね。ありがとうございます」
「本当に真剣に真剣なんだから!」
師匠はそう言いながら、真剣にメニュー表を見つけ始めた。
どうやら無事僕の一手は決まったようだ。
「師匠、ついでに僕の頼んでもらってもいいですか?」
「巧のも?」
「ええっ、デザート定跡には疎いもので、何かいいものがありましたらと」
師匠の瞳に、ぼおっと炎が上がった気がした。
「まかせて。絶対に昇級出来るデザートを頼むから!」
そういって師匠は食い入るようにメニュー表を見つめ始めた。
きっと琥珀色の大きな瞳が盤面を隅々まで見渡す様にせわしなく動いているのだろう。惜しむらくは、そんな師匠の様子が大きなメニュー表に閉ざされてしまい、見ることが出来なかったことだ。
さて、デザートが来るまでの間、もう1戦と行きますかと僕は対局を開始した。
師匠のチョイスしたデザートの効果か(ちなみに師匠はショートケーキで、僕はフルーツパフェだった)、負けたり勝ったりを繰り返しながらも僕はついに昇級バーを95.7%までに引き上げていた。
相手は、3級の格上で勝てばほぼ昇級といってもいい。
盤面は終盤、はっきりと言ってこちらが優勢だ!
確かに振り飛車党が得意とする本美濃囲いに守られた玉は確かに固い。こちらの玉にも相手の〝と〟が迫っている、
とは、脅威だ。
金駒と同等のちからを持ちながらもどんなに頑張って討ち取っても得られるのは步だけなのだから。
しかしだ、この損得などスピードの前では無意味!僕は迫る〝と〟の脅威を玉を守る金銀の壁を、みて恐怖を振り捨てて攻めたてる。
こちらはすでに負けようのない勝勢、あとは時間切れ負けだけないように寄せればいい。
金駒も大駒も大量にあるこちらに対してあちらの持ち駒は金一枚のみ。
勝ちを確信した僕は、馬を切り捨てて金を取る。相手もすかさず馬を金で取り返すが、僕はそこで龍で取り返すした!
これで相手の玉は、丸裸。
対してこちらは金に将棋最強の駒である龍王が迫る。
確かに金角交換により、相手は角1枚と金の持ち駒になったが、何処に打ってもこの攻勢を受けきれない。
いわゆる受けなし必至だ!
投了するか、こちらを詰まそうと無理攻めしてくるか、最後まで詰まされにくるか、あとは相手次第だ。
僕は安堵の溜息とともにコップの水を飲もうと手を伸ばすがすでに空っぽだった。時間も3分以上残っているし、大丈夫かと席を立とうとしたとき、師匠の、とても険しい師匠の表情が見えた。
小さな手を紅葉のように赤くして強く扇子を握りしめ、眉間にはシワが寄っている。
それを見て僕は深く椅子に座り直す。
そうだな、勝負は最後まで分からない。そんなことを年が親子ほど離れた子供に教えられてた恥ずかしさを力強く吐いた息とともに吐き出した。
それに呼応するように相手も僕の自陣深くに角を打ち込んできた!
金銀の壁をすり抜けるような一手。
とで紐付けれたそれを取ることが出来ない!
しかし、僕は自陣深くに逃げる。
しかしこれで相手の持ち駒は金一枚のみ、即詰みはな―――バァンという重厚な音ともにそれは突然現れた龍王と匹敵にする最強格の駒、馬である。
自陣に、深く抉るように、現れたそれを刈り取ろうと手を伸ばすが取れない。取ったら、頭金で詰みだ。しかし、上には盾であったはずの金銀や歩がまるで蓋のように張り付いて逃げられない。完全に見逃していた所謂遠見の角。将棋盤の端から端へ突如として僕の勝勢を帳消しにした。
必至を超える最強のカウンター、即詰みをくらたのだとそこで悟った。
そんな、ここに来て。。。
そんな後悔の念を追い立てるように、残り3分とアナウンスが流れる。
残り3分、それだけの時間があるのなら、必至程度で満足せずなぜこちらも即詰みを考えなかったのだろうか。
残り2分。
時間が刻々と流れるが、後悔の念はどんどんと深まっていく。
師匠をちらりと見ると、僕の悔しさを代弁するかのように眉間に皺を寄せていた。
手も痛いほどに真っ赤だ。
そんなにも真剣にも僕の試合を見守っていくれていた師匠に、申し訳なくて自分の不甲斐なさに思わず投了をボタンを押そうと思ったが、伸ばした手を虚空で止める。
迷いでグーパーと手を閉じて開いてを数度繰り返して僕は、玉を逃がした。
それでも金打までだ。
相手がそれを間違えるとは思えない。
相手のミスマチというよりも、投了よりも最後まで指したほうが負けても達成率が下がりにくいという都市伝説を思い出したからだった。
さぁ、詰ませてくれと、僕は頭を項垂れた。
「おまえさんの負けじゃ」
というアナウンスが流れるのを詰ませられなかった盤面を思い出しながら待つ。
しかし、待てども待てどもアナウンスが流れてこなかった。
恐る恐るタブレットを見ると盤面は変わっておらず、相手の手番だ、時間は残り2分もない。最後の見逃し確認にしては遅すぎる。そう思ったとき、相手のアイコンに接続不良の文字が現れた。
えっ、まさか。は、そのまま起こり、一手詰め手前で相手は接続不良が起こり、画面には接続切れ勝ちの文字が出てきた。
つまり、僕が勝ったのである。
あまりの自体に不思議そうに目をパチくりさせている師匠と目が合う。
喜んでいいのやら、微妙な幕引きである。
しかしだ、勝利は勝利である!
本当はいけないことだが、僕は先程までの後悔が段々と歓喜に変わっていくのを感じなながら、マイページを確認する。
相手は格上だった。もしかしたら、…………という淡い期待は昇級バーを見て打ち砕かれた。
現れた数字は、99.9%。0.1%足りないという意地悪にしか思えない。
まるで将棋の神様にあんな勝ち方で昇級させないぞ!といわれているようである。
でも、ここまで来たら上がる!僕は対局ボダンを叩くように押した
「これで決めます!」
そう宣言すると、師匠は自分も戦う!というかのように、ぐっと扇子を握り込んだ。
対戦はすぐに決まった。
アカウント名は、yoshi0
級位は、28級。2戦2勝の勝率は100%!!
kurumi08との嫌な思い出を思い出すが、勝てば確実に昇級なのだ!
今持てる力を全て注ぎ込むべく、僕は師匠により鍛えられた居飛車を示すべく飛車先の歩をつく。
相手はそこで1四歩と端をついてきた!
普通、端歩からつくことはない!まだ見たことのない奇襲戦法かと警戒するが、。。。多少時間を使って考えるが、まだ二手だ。そこにどんな手が秘められているのか僕には分からなかった。
さらに飛車先を伸ばすと、端歩ついて空いたスペースに角が上がってきた。
端角だ!
僕は端角ってどう対応するんだと混乱した。とりあえず、角成を防ぐように金を上げる。すると今度はまるでこちらを揺さぶるように5四歩を上げてくる。玉の前の歩をあげるということは…………、こちらの読み通り相手は飛車をスライドさせてきた。
この戦法は、端角中飛車だ!!
こちらも五筋を守るように金を上げていく。正直、端角中飛車の対策なんて分からない。
だから、五筋を守るべく銀を上げていく。
これで強行突破は難しいはずだ。あとはゆっくり端攻めで角をいじめてもいい。
相手もそれを悟ったのか、玉を移動させてきた。
将棋の格言、居玉は避けよ。である。こちらもそちらに習う。
どういう囲いするか、それを少々悩むが相手は決まっているのかサクサクと玉を横にスライドさせていく。
こちらは左美濃にすると決めると、それは起こった、香車上がり。それの意味することは、相手の囲いは、最強の防御力を誇るといわれている囲い、穴熊だ!
一度穴熊にもぐられると一度では絶対に王手がかからないゼットと呼ばれる無敵状態になる。それは将棋においては凄まじいアドバンテージだ。
しかしだ、五筋を守ることに集中していた僕はそれを咎めることもできずに、相手の玉はあっさりと穴熊の巣穴にもぐってしまった。
端角中飛車左穴熊とかいう戦法のオンパレードに精神を揺さぶれるが、こちらもそれに対抗するように持てるレパートリーを惜しみなく投入していく。
銀を繰り出し、桂馬を跳ねる。そして最後に飛車を4筋に振る!
壮大なエフェクト音とともに、〝右四間飛車左美濃〟という竜がモチーフの絵柄とアナウンスが流れる。
中飛車と右四間飛車どちらかが強いか勝負だ!駒をぶつけっていった。
最初は、〝天災〟を恐れたが、どうやら棋力的には僕のほうが少々上のようだ。大きなポカはしないが、リードは徐々に広がっていく。
右四間飛車の特徴は、攻めゴマとして、銀桂飛車角という将棋のお手本のような攻め筋が多数あることだ。その特性を生かして敵陣に切り込んでいく。
そして前陣を突破し、飛車が龍王となった!あとは穴熊を崩すだけだ。
師匠から受けた振り穴の倒し方講習が生きる時が来た!(振り穴といっても穴熊囲いなんで居飛車と振り飛車の関係はないが、師匠的には重要らしい)
中飛車は振り飛車。テーマはばっちりだ。
師匠の教えられた手順を間違えないように慎重に指し手を進めていく。
なにせ将棋というのは手順前後という指す手順を間違えただけで詰まなくなったりするのだ。そうならないように慎重に慎重に…………。
残り1分――僕を急かすようにアナウンスが流れる。
穴熊は確かに固いがその固さゆえに玉が逃げられないという弱点もある。
あとはその堅陣な鎧をはいでいくだけだ。
金ゴマを惜し気なく投入し、ついに受けなしの必至を作り出した。
金銀竜王に馬と豪奢な攻めゴマたちが相手玉を囲むようにひしめき合っている。
あとはどれかを捨てて王手をかけるだけだ。それにこちらの玉は裸に近いが詰みそうにもない。
大丈夫だ、昇級だ!
相手の考慮時間を利用して何度盤面を見渡してもこちらは負けようがない!
どんどん歓喜が沸き上がってきた。
そんな僕の心の油断を悟ったかのように相手は桂馬打ち込み王手をかけてきた。
それと見て、――っ、一瞬背筋がぞっとした。
まさか、ここから詰みがるのか。
先ほどの――、終盤に読みを間違えて必死を即詰みで返された苦い記憶が蘇ってくる。
どう考えても詰みはない。僕は玉を逃がす。それを追うように相手は駒を打ち出してくる。連続王手だ。
詰みはない!そう確信しながら、僕はそれを凌いでいく。
そして銀打ち、しかしそれは、―――――タダ捨てである。
王手ではあるが、取ったところで別段何かがあるわけでもない。
僕は念のため、盤面を見渡し、角効きや飛車効きを確認する。
大丈夫だ、問題。というよりも飛車も角も僕が持っているのだ、人間じゃあるまいし、駒が突如寝返ることはないだ。
僕は銀を取ると、―――――相手は、間髪おかずに歩を打ち込んできた。これもタダ捨てである。
「なんなの?」師匠も不思議そうにつぶやいたが、僕はその歩打ちに相手の狙いを見出した!
「あああああ、もうそういうことかよ!Yoshi0!」
怒声を上げながら、歩を玉で取る。
「どういうこと?」
師匠の問いに答えている暇はない、なぜなら相手は本来の将棋ではありえない。玉を詰ます以外の勝ち方を狙っているのだ。
それは先ほどの接続切れとは違いに任意的に起こすことが出来る。
ハチワンウォーズ特有のルール、時間切れである。
普通の将棋においては、大抵持ち時間がなくなると10秒や30秒などの時間が与えれるが、ここハチワンウォーズでは10分切れ負けというお互い10分という持ち時間がなくなった時点で負けなのである。
盤面はこちらの優勢どころか必至状態の大勝勢である。
それでも時間が尽きれば負けなのだ。相手は勝ち目がないと見切るとこちらの切れ負け狙いに切り替えたのだ!
再び叩きの歩!、同玉――残り10秒
桂馬成!、同金――残り8秒
銀打ち、玉逃げ――残り7秒
銀成らず、同玉―――残り5秒
金打ち、同玉!―――――残り3秒
そこで軽快だった相手の指しまわしが止まる。
どこに打ち込めば僕が考えるのかを考えているのだろう、さぁどこでも王手をかけてこい!!
僕は玉の中心を睨みつけながら、どこに打ち込まれても大丈夫なように神経を張り巡らせる。
もはやこれは将棋ではない、―――――反射神経のゲームだ!
相手はこちらと違い早指しが功を為して残り時間が3分もある。
まるでこちらの集中が切れるのを待っているかのように指してを止めてじらしてくる。
どこに打ってくる。
そんな謎の緊張感に駆られて、唇が渇き、喉が駆られる。コップに手を伸ばし、喉を潤したい衝動に駆られるが、我慢して盤面を睨み続けた。
水を飲んでいる間に相手が打ち込んでくるかもしれない。
僕はそんな恐怖からコップに手を伸ばすことが出来なかった。
早く、早く、早く、早く、早く、打ってこい。そんな祈りを嘲笑うかのように相手は全く指し手こない。
そんな状態が1分過ぎても変わらない。
なんて嫌な相手なんだ。背中も手汗も半端じゃなく吹き荒れるなか、不意に唇にツンと尖った何かが当たる。
盤面から目を離さないようにできる確認すると、
「飲んで」と師匠がどうやらストローつきのコップを突き出しているようだった。
僕はまるで砂漠でさまよう旅人が一つのオアシスを見つけた時のような感動とともにストローに吸い付き、ちゅごーと一気に吸い上げた。
口の中に広がるオレンジジュースの味。
甘さが脳の思考を助け、柑橘系の酸味がストレスを和らげる。潤いと喉を癒し、体の熱を下げていくようだ。
さすが、師匠だ。ここにきてなんという最善手なんだろう。
ありがとうございます。と心の中でお礼を言いながらも盤面からは目を離せない。
2分経っても相手は指してこない。しかしだ、先ほどまでとは違い師匠のおかげで潤いと冷静さを取り戻した僕はこのまま相手が時間切れになっても構わないと!集中を切らさないように注意した。
やがて相手の表示時間も赤くなり、残り10秒となったとき、―――――ついに相手が指し手を決めた。
「――――えっ、あっ、そこ!」
しかし、それは王手ではなく、自陣への香車打ちだった!
これは、間駒!
王手を防ぐ駒だが、たとえ間駒したとしても詰む状態のことを、無駄間、合い利かずといってルール違反ではないが、マナー違反とされることが多い。
しかし、ことこの状況に置いてそれはかなりの最善手であった。
こちらは散々じらせれ、なおかつ王手で来ると予想して自玉のほうへと来ると思っていたのだ。
予想外の手に、一瞬の思考の空白が生まれる。
だが、それが切れ負けにおいて、それはなにより大きい!
―――――――っ!!
僕は詰み筋などを考えずにただ相手への王手をだけを考えて龍王を、なんでそれをタップしたのか分からないが、これが指運という奴なのかもしれない。龍王を叩き込んだのだった。
そして―――、「苦しい、なんとも苦しい戦いじゃった」としゃがれた老人のアナウンスとともに勝利の二文字がタブレットに表示された。
表示された残り時間は0秒。ぎりぎりの勝利だった。
それを見た時、僕は勝利のガッツポーズをする余裕もなく、項垂れるように頭を抱えた。
「はぁー、なんとかなった」
マイページで昇級を確認するのすら億劫だった、ただ…………師匠に褒められるぐらいはいいだろうと師匠を見やると――、師匠の顔が青ざめっていた。
「し、師匠。どうしました?どこか体調でも悪いんですか?!」
師匠は、唇をわなわなと震えさせながら、
「も、」
「も?」
桃か?桃が食べたいのか?!
「…………門限すぎちゃった」
まるでこの世の終わりのような顔をする師匠。
時計を見ると時刻は17時を過ぎていた。確かに小学生の、それも低学年生には遅い時間だ!僕は自分の迂闊さに、勝利の余韻も、対局の疲労も忘れて、荷物をまとめると素早く会計を済ませて師匠の手を引っ張りながら、タクシーを捕まえて二人で飛び乗ったのだった。
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