将棋が強くなるための二つの条件!

 本田 胡桃ほんだ くるみ 8歳 小学3年生よ。


 そう高らかに宣言した少女、胡桃ちゃんというらしい。


 その座高の小ささ故に上目遣いとなった瞳と目が合う。

 小動物を連想させる潤んだ大きな瞳は、その名前と同じような胡桃のように可愛らしい琥珀色でとてもきれいだ。惜しむらくは、ぶすっーと頬を含ませ、警戒する猫のようにこちらを睨んでいるところだろうか。

 うーん、撫でようとしたら、猫パンチどころか引っかかれそうだ。

そんな風に見つめていたためだろうか、不意に少女の片側の眉毛が不快げにピクンと上がり、桜貝のように小さく可愛らしいから口からは、「で、・・・あんたは?」とぶっきらぼうな言葉が漏れる。

「これは失礼しました。上総 巧です。よろしく」

 そう僕は営業スマイルを浮かべながら、挨拶を返したが、あいにく胡桃ちゃんはこちらと会話はする気がないらしくすぐに盤面に目を落としてしまった。

もう少し名前みたいに可愛い胡桃のような瞳を見ていたかったが残念だ。

 ……と、なにを考えてるんだ。

 小学生の女の子をつかまえて、君の瞳を見ていたいだなんて、こちらが捕まる!

そんな考えを誤魔化すように、ペシッと歩をついて角道を開ける。

 胡桃ちゃんは、僕がそんな葛藤のなかついた3四歩に対して、2六歩と。角道と飛車先の歩をつく最もオードソックスな立ち上がりを見せた。

 こちらの棋力を図るためだろう。どんな戦型でも来い!という意思の表れだ。

それに僕は少し逡巡してから、歩をついて開けた角道を再び閉じた。

 急戦を防ぐためだ、小学生とは言え相手は有段者。将棋に性別や年齢は関係ないのだ。少しでも対戦が長引くようにちゃんと囲い合いをしようと僕は、一番最初に覚えた矢倉囲いを目指すことにしたが…………。


 …………矢倉が完成しきる前にあっさりと中央に踊るように出てきた棒銀にやられてしまった。

「はっはは、あっさりとやられちゃったな。自分でやると弱いのに、どうして他人やれると強いのかな、棒銀」

 と、僕は素直な気持ちを吐露すると

 胡桃ちゃんは、その綺麗な瞳で上目遣いにこちらを睨み、「棒銀じゃないわ」と口先を小さくとがらせ、「早繰り銀、極限に早いね」と言った。

 どうやら、棒銀と早繰り銀とは違う戦法らしい。自分的には銀でやられるのでどちらも一緒に感じるが、…………戦法に詳しくない自分では判断できない。

 だがそれを聞こうにも胡桃ちゃんは、感想戦(将棋、独特の習慣で対戦が終わった後にお互いの棋譜にアドバイスをしあうのだ)もせずに駒を初期配置に戻し始めた。

 色々と聞きたいことはあるのに、これは指導対局じゃないのか?!と小学生の女の子相手に怒るのも大人げないので内心でムッとしていると、

「次はあなたの先手でいいわ」と胡桃ちゃんが言ってきた。

 それに「「よろしくお願いします」」双方、挨拶をして対局を始める。色々と無礼な態度だが、胡桃ちゃんの背筋を伸ばしてお辞儀する動作はとても真摯だった。

 先後入れ替えて始まった対局は、展開先ほどとほぼ同じだった。

 互いに角道を開けあい、僕はそれを6六歩閉じると、胡桃ちゃんは8四歩と飛車先を伸ばしてきた。

 これは先ほどと同じ展開だ。また矢倉にしてもいいが、折角先後入れ替えて対局しているのだから、違う戦法も見せたほうがいいだろう。

 それに……僕は内心ちょっぴり怒っているのだ、先ほどの意趣返しとまで行けなくても意表はつきたい、そう考えてある駒に手を伸ばす。

 摘まんだ、それをぺしっ!(パチリと鳴らせたらかっこいいんだけどな)とどうだ!と言わんばかりに打つ。

 6八飛車…………振り飛車という戦法のなかで一番オードソックスなもので四間飛車と呼ばれている戦法だ!

 ふっふふ、矢倉オンリーと思わせておいて振り飛車の四間飛車!どうだ、と胡桃ちゃんを見ると――、胡桃ちゃんの片方の眉毛がピクン!と吊り上がり、琥珀色の瞳が、まるでそれ自身が光を発しているんじゃないかというほどに光り輝く。

 ―――ゾクリとした。なぜならそれは好奇に輝く瞳の光ではなく、獲物を見つけた肉食獣のそれだったからだ。

 胡桃ちゃんは、荒々しく8五歩とさらに飛車先を伸ばしてきた。

 僕はそれに気圧されつつ、対応すべく7七角と上がるが…………



「…………負けました」

 まさに完敗、玉を囲う暇もなく胡桃ちゃんの猛攻の前に屈した。どこにもいいところがなく、感想戦は死体蹴りになりそうな勢いだ。

 僕が小学生の女の子にコテンパンにやられて項垂れていると、「ん、んっ!」とわざとらしい咳風な可愛らしい声が聞こえてきた。

 胡桃ちゃんだ、いつの間にか右手に、漆喰のように綺麗な黒の塗骨、扇面は藍色と思われる。赤い紐までついたいかにも高そうな豪奢な扇子を持ち、まるで指をあてがうように扇子を唇に当てていた。

 琥珀色の瞳を逸らし、唇を尖らせながら、ぼそりと胡桃ちゃんは呟くように言った。

「…………あんた、振り飛車党なの?」

 将棋の戦法には大きく分けると二つの戦法がある。

 それが、振り飛車党と居飛車党だ。意味はそのままで先ほどのように飛車を横にスライドするのを俗に振るといい。居飛車は、基本的に自陣でいることを言う。

 だからどうしたというのだが、この振り飛車党と居飛車党というのは犬猿の仲で、お菓子でいうところの、き〇この山派、たけ〇この里派ぐらい仲が悪いのだ。

 だからだ、この胡桃ちゃんの質問には慎重に答えなくてはならない。

 僕は上司から、どこの野球チームのファン?と聞かれた時のような緊張に苛まれ、背中に汗が伝うのを感じた。

 すぐに答えないのが、不審に思ったのか、胡桃ちゃんはその大きな琥珀色の瞳をこちらに向ける。

 これには真剣に、実直に、真摯に答えなくてはいけないと僕は居ずまいを正した。

「実は…………どちらでもありません」

「どちらでもない?」

 胡桃ちゃんはなんだそれは、と眉をひそめた。

 だが、これが真実なのだ、なぜなら僕は…………

「僕は、まだ得意戦法というのがないんです」

「…………」

 そう僕は得意戦法と呼べるようなものはない、矢倉も四間飛車もたまたま動画投稿サイトで見かけたから、ものは試しに打ってみた程度なのだ。

 だから居飛車も振り飛車も指すオールラウンダーだ!ドンッ!と胡桃ちゃんに胸を張って見せるが、…………。

 胡桃ちゃんは思案気にその綺麗な瞳を閉じて、癖なのか扇子を唇に押し当てて考えているようだ。

 まるで胡桃ちゃんの逡巡を表すかのように藍色のセンスが、パタリ、パタリと、少し開いて閉じる。

いくらかそれを繰り返して、―――パタッ!と胡桃ちゃんの決意が固まったのか扇子が勢いよく閉じた。

「ふ、二つ…………」とつぶやいた。

「二つ?」

それに僕がオウム返しに繰り返すと、胡桃ちゃんは、顔を上げ、上目遣いにこちらを睨み、叫ぶように言った。

「あんたが、将棋で強くなる方法は2つよ!」

 ほう、二つも。是非聞きたいと僕は胡桃ちゃんの言葉を待った。

すると胡桃ちゃんの白枝を思わせる可愛らしい小さい人差し指が1本立つ。

「一つ、飛車を振らないこと!」

飛車を振らない?!また突拍子もないことを…………。

僕が何かを反論する前に、中指が上がりvサインのようになる。

「さ、ささ、最後の一つは、私の指導を受けることよ!」

まるで威嚇する猫のように胡桃ちゃんは肩を怒らせ、こちらを睨む。

それに僕はどうしたものかと思った。

指導を受けるのはやぶさかでない。なにせこの2戦全く歯が立たなかった。棋力で言えば年の差以上に離れているのだろう。

だが、指導者としてはどうかというと、…………正直クエッションだ。贅沢をいう気もないが、こちらは社会人だ。時間も限られているしな。

どうあしらおうかと思案していると、ふっと胡桃ちゃんの胸元に目が言った。

勿論、女子小学生のまな板のような胸元に興味があるわけではない、…………本当にないよ?

あの豪奢な扇子が目に入り、そしてそれを握る手が…………まるでモミジのように赤く染まるほどに握りしめられているのが見えたのだ。

そこで僕はハタっと気づく。

どうしてもこんな簡単なことに気づいてあげられなかったのだろうか、自分の不甲斐なさに僕は後悔した。

どんな将棋が強かろうと、胡桃ちゃんは小学生、それも女の子だ!

そんな子が、こんなおっさんと将棋を指しているのだ!それもあまつさ指導対局という名目で。

馬鹿にされないだろうか、怒鳴られたりしないだろうか、機嫌を損ねてしまうんじゃないだろうか、色々な不安や恐怖、緊張があっただろう。胡桃ちゃんはそれに耐えてきたのだ。

ああっ、そうしてみれば胡桃ちゃんの態度が分かる。

あのぶっきらぼうなツンツンした態度も一種の照れ隠しなのだ。この上目遣いにこちらを睨んでいるのも恐怖に負けないように、バカにされないようとする虚勢だ。

そう思って胡桃ちゃんを見ているとなんだが、子供が一生懸命に背伸びをしているようでだんだんと愛おしく思えてくるから不思議だ。

だからだ、僕はそんな胡桃ちゃんの気持ちに応えてあげたくなってしまったのだ。

営業スマイルではない、親戚の子供をなだめかすような笑顔を浮かべながら、

「それはありがとうございます。よろしくお願いします、師匠!」

 なんて冗談ぽく答えると、

 最初はなんて言われたのか分からなかったのか胡桃ちゃんはポカーンとしていた。

「今、なんていったの?」

「よろしくお願いします、師匠。…………と言いました」

 再度微笑みかけると、胡桃ちゃんの瞳が驚愕に見開かれ、口元が自然とほころび、花が咲くように微笑んだ。

「わ、わたしが、師匠」と頬を上気させながら、胡桃ちゃんは師匠という言葉を反芻させていた。

 まるでプレゼントを受け取った子供の用にわぁっーと盛り上げる胡桃ちゃんをほほえましく見ていると、胡桃ちゃんがハタっと何かに気づいたように止まり、こちらをチラッとみて、勢いよく扇子を広げる。

「まぁ、あんたがそこまで言うなら面倒をみてあげるわ!指した感じ、才能はこれっ~~~~ぽっちも感じなかったけど、私が指導すればすぐに初段ぐらいにしてみせるわ」

 笑っているところを見られるのが恥ずかしかったのだろう、扇子で顔を半分以上隠してはいるが、耳はトマトのように真っ赤だ。

「な、なにを笑っているのよ!!師匠に向かって!これからビシバシ行くんだから、覚悟しなさい!」

 広げられた扇子から、胡桃のように可愛らしく、宝石のように綺麗な琥珀色の瞳が覗く。

そして、やはりその瞳はこちらを上目遣いに睨んでいた。

扇子で口元は見えなかったが、きっと頬をぷくっーと膨らませ、唇を尖らせていたに違いない。

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