師匠と僕
ロータス
プロローグ 出会い
「はじめてですか?」
年のころは20代前半を思わせる綺麗なお姉さんににっこりとほほ笑まれ、あっはい……と社会人歴10年で自然と身についた、というよりは染み込んだ愛想笑いを浮かべながら僕は答えた。
「では、これに記入お願いします」
受付の女性は、気にした風もなく用紙を渡してきた。
【安心はじめての将棋教室 登録用紙】
名前:上総 巧
ふりがな:かずさ たくみ
年齢:32
棋力(道場認定もしくは目安になるもの):ハチワンウォーズ4級(WEB上で最も人気のある将棋アプリの一つだ)
僕は受け取った登録用紙に必要事項をスラスラと記入していく。
最後のアンケートの「この教室は何を目的で来られましたか?」そこには、棋力アップの欄に力づよく丸をつけて、初段目標と書き添えて提出した。
受付の女性がそれに目を通している間、何か言われないかとドキドキしていると、受付の奥からパチリ、パチリと独特の高音が無数に聞こえてきた。いや、先ほどからずっと鳴っていたのだが。
それもそのはずなにせここは、将棋教室なのだから。
先ほどからパチリ、パチリと鳴るこれは、将棋の駒を将棋盤に打ち付けた音だ。
時には激しく、時には静かに、リズムカルな時もあれば、間が空くときもある。それらが無数にまじりあい風鈴が連なるような風光明媚な駒音を聞いていると普段WEB将棋しかしていないような自分でも早く指してみたくてウズウズとしてしまう。
すると、くすっ、と笑い聞こえてくる。
受付のお姉さんに笑われた! 何か笑われるようなことをしただろうか?そう焦っていると、何やら長方形のお札ほどのサイズの緑色の用紙を渡された。
渡された用紙には、手合いカードと書かれていた。
「早速ご案内しますね」
「いや、その…………」
「大丈夫ですよ」と前置き、
「みんな、将棋が好きな人たちばかりですから」とお姉さんが優しく微笑んでくれた。
お姉さんからシステムの簡単な説明を受けた後、いざ初試合に挑んだ。
まずは互いの手合いカードを出す。カードといっても別にすごい機能があるわけでもなく対戦相手の名前と勝敗を記入する程度だ。その勝敗によって昇級条件があったりする。
だが、はじめてということもあり、緊張してしまいミスを連発してあっけなく負けてしまい、手配カードの記念すべき最初のマスは●と記入した。
その後、何戦か試合をして徐々に教室の雰囲気にも慣れてきたころ、受付のお姉さんが話しかけてきた。
「上総さん、そういえば指導対局ご希望でしたよね?」
「はい、出来れば年内に初段を目標にしているので」
そうこれこそが今日、僕がこの教室に来た目的なのだ。
昨今の将棋ブームにのって将棋を始めてみたものの、所謂にわかにな僕だが、どうせやるからには目標があったほうがいいだろうと。するとやはり「有段者」と呼ばれるようになる初段が目標と思ったのだ。
WEBなんかでも初段までは才能ではなく勉強すればいけるよーや、将棋ブームにのって始めてみました定跡とか詳しくないですが、ハチワンウォーズ2段です!なんていう人たちもいて、案外簡単になれるものと思っていたのだが、現実は甘くなく独学で勉強したもののハチワンウォーズ4級で止まってしまったのだ。
そんな状況を打開すべく、将棋教室というのを調べてここにたどり着いたのだった。
「一人アマチュア3段の方で、指導してもいいという方がいるのですが……」
ここの将棋教室の特徴でもあるのだが、指導対局といってプロ棋士や女流棋士(もちろん、お金を払えば出来なくもない)がするのではなく、アマチュアの有段者が級位者を指導することがあるのだ。それもひとえにここのオーナーが強さだけではなく年齢性別棋力問わず楽しめる環境を作りたいとの思いが客層につながり、ひたすら強さを求める所謂ガチ勢と呼ばれる層が少なく有段者の人が級位者をボランティアで教えてくれることもあるのだ。
「はい、こちらの希望なのでお願いしたいのですが?」
こちらとしてはそれを目的で来ていることもあり、ぜひお願いしたいところなのだが、なぜか受付のお姉さんは申し訳なさそうにしている。
……なにか自分に粗相があったのだろうか!再びの焦燥感に駆られていると、
「上総さんは、年下や女性の方でも大丈夫ですか?」と聞いてきた。
ああっ、そういうことかと僕は思った。
将棋の世界では棋力で言えば、男が圧倒的に強いのだ。一部の人は女流棋士と指すと筋が悪くなる!なんていうことを言い出す人もいる。
それには棋力うんぬんよりも女性に負けたくないという男のプライド的なものがあるのだろうと個人的には思っていた。
もちろん、僕にはそんなものはない。むしろ30過ぎのおっさんだ。どちらかというと、若い女性の方に教えてもらえるのなら、そのほうがいいぐらいで、にやけそうになる顔を、社会人歴10年のスキルで補正した。
「いえ、女性、年下うんぬんというよりも、ちゃんとご指導していただけるのでしたら、そういったことは気にしません!」
キリッ!(`・ω・´)と真面目に答えると、将棋教室に花が咲く。
「ああっ!良かったです!!では早速連れてきますので、その子も人を指導するのは初めてでして。よろしくお願いしますね」
お姉さんはまさに花が咲くように微笑むと、パタッパタッと駆けだしていった。
うん若いって素晴らしい。これだけでも今日来てよかったと思える笑顔を思い出しながらお茶を飲んでいると、
「あんたが初段を目指している人?」
「えっ、あ、はい」
いきなり目の前に現れた自分のよりも幾分と若い彼女はそう出会いがしらふてぶてしい態度で言い放つのを、社会人歴10年の(以下略で、反射的に返した。
「まずは棋力を見てあげるわ」
彼女はそれには答えずに、そう告げるなり並べられた駒から歩5枚握りこみ、将棋盤に放った。
「歩が3枚に、とが2枚。私が先手ね。よろしくお願いします」
それまでの無礼な態度とは裏腹に、背筋をピンとさせた綺麗なおじきに、こちらも「あっ、よろしくお願いします」と慌てて返す。
彼女は頭を上げると、パチリっ、と綺麗な駒音を立てながら、7六歩と角道を開けてきた。
僕が彼女の所作を呆然と見ていると
「………………………………何よ、早く指しなさいよ」
下から見上げるようにキリっとした釣り目でこちらをにらんできた。
「いや、そのせめて自己紹介などを……」と明らかに年下であろう彼女にこちらが気を使って聞いてみると。
長いまつ毛に彩られた宝石のように輝く琥珀色の大きな瞳が思案気に揺れ、桜貝のように小さい薄ピンク色の唇に、ぷっくりとした柔らかそうな指をあて、う~んと可愛らしく唸る。
しかし、それの一瞬のことで、「それもそうね!」と彼女はすぐに前傾姿勢を正して背筋を伸ばす。
すると体躯の小さい彼女は、僕の胸の高さほどしかなく、こちらからは彼女の頭のつむじが見えた。
「
それが師匠と僕の最初の出会いだった。
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