ぽっぽっぽっ
伯爵さんが笑っていられたのは、ほんの数ヶ月の間だけでした。
ここで、数ヶ月前に最初の純魔爆弾が炸裂された場所を見てみましょう。爆弾が炸裂した直後は何もかも吹き飛ばされ、焦土と化していましたがはてさて……
おや? 不毛の地となった筈の場所に、疎らではありますが、緑色のものが点在しています。近付いてみましょう。
そこに居たのは、スライムさんでした。
ですが少し変わったスライムさんです。まず身体が緑色をしていました。それにぼんやりと空を見上げるばかりで、食べ物を探そうとしません。どうしたのでしょう?
そんなぼんやり緑色のスライムさんの下に、別のスライムさんが近付いてきました。
そのスライムさんは普通のスライムさんよりも一回り大きく、下半身がガッシリとしています。歩き方もぽよんぽよんではなく、のしのしと、しっかり大地を踏み締めていました。安定した下半身により、その歩行速度は一般的なスライムさんよりも遙かに速いです。
大きなスライムさんの接近に気付いた緑色のスライムさん、のろのろとですが大きなスライムさんから離れるように歩き出しました。しかし大きなスライムさんの方がずっと速く、緑色のスライムさんは呆気なく捕まってしまいます。
すると大きなスライムさんは、緑色のスライムさんに齧り付きました。
皮膜を伸ばして取り込むのではなく、総出入口で直に噛み付いたのです。そしてじゅるじゅると、緑色のスライムさんの中身を吸っていきました。緑色のスライムさんはバタバタと手足を暴れさせますが、なんの抵抗にもなりません。中身は吸い尽くされ、皮だけがぺしゃりと捨てられます。
そうして大きなスライムさんが立ち去ると、今度は物陰から小さな、緑色のスライムさんの半分もないようなスライムさんが無数に現れました。彼女達は素早く緑色のスライムさんの亡骸に近寄り、皮膜を伸ばし、皮を引き千切って食べていきます。
いずれも、今までのスライムさんには見られない特徴です。これはどういう事でしょうか?
原因は、何十万ものスライムさんを吹き飛ばした、あの純魔爆弾でした。
純魔爆弾による汚染は、魔物達にとっても危険なものでした。それはオークやゴブリン、魔族などの文化的な魔物だけでなく、スライムや人喰い蟻などの獣染みた生活をしている種族にとってもです。魔力汚染により難を逃れていた野生の魔物すらも駆逐され、生態系は完全に崩壊しました。精々魔力汚染により死んだ魔物がちらほらと見える程度です。
こうした生態系の隙間に素早く入り込んだのが、スライムさん達です。
魔力汚染による死亡率よりも繁殖力が勝っているスライムさん達は、空白となった生態系に侵入。その上ごはんがなくても長い間生きていける飢餓耐性もあり、定着に成功しました。
するとどうでしょう。スライムさん達に、ある種の『恩恵』がありました。
魔力汚染による、遺伝子の変異です。実は魔力汚染による悪影響は、魔力が生体内の遺伝子を破損させる事により起きていました。微量の損傷ならば生体が持つ修復機能により直せますが、あまりに酷いと間に合いません。例えば遺伝子の損傷によりガンが生じて臓器不全が引き起こされたり、胎児の遺伝子が破損して奇形になったり、子宮にガンが出来て生殖能力を失ったり……
本来これらは生物にとって、まず有益なものとはなりません。
ですがぽよぽよちゃん達スライムさんは違いました。彼女達は元々多数の遺伝子を体内に有しており、一部の遺伝子が変異しても許容出来る生態を有していました。そのため魔力汚染による変異を活かす事が出来、多様性の獲得に成功したのです。いえ、それどころか食べたごはんの遺伝子が断片となって漂い、傷付いたスライムさんの遺伝子と結合する有り様。
結果、スライムさん達は無数の『亜種』を生み出す事が出来たのです。スライムさんを食べる形に変異した肉食性スライムさん、土中の有機物を食べる土食性スライムさん、水棲生活に適応した水生スライムさん、葉緑素と細胞が癒着してしまった植物性スライムさん……多様な亜種が出現しました。
無論、これらは所詮突然変異によって産まれた、偶然の形質です。何十億年も掛けて進化し、会得した生物達の形質ほど精錬されていません。通常であれば、このような亜種は
しかし純魔爆弾により生態系は消滅し、競争相手はいません。
故にどんな些末な形質でも、生きるのに有利であれば定着する可能性があります。加えて
そして今まで以上の多様性を獲得したスライムさん達は、これまでとは比較にならない脅威でした。
場所を移動しまして、魔物達のお城。そこは今、地獄絵図の様相を呈しています。
「ギャアアアッ!?」
「た、助け、がもっ!」
魔物達の悲痛な声が、城の中に響きます。
彼等に悲鳴を上げさせているのは、スライムさん達でした。魔族達のお城にスライムさんの群れが攻め込んだのです。
それも雑食性だったスライムさん達ではなく、肉食に特化したスライムさんの亜種達でした。今までのスライムさんよりも獰猛で、素早く、力があります。加えて肉食傾向が強いため、植物など他の獲物に興味を示さず、多数の肉食性スライムさんが真っ直ぐに
おまけにこのスライムさん達は、回り込む、回避する、という行動も取ります。
獲物を取るために、極めて原始的ながら『戦術』を身に着けたのです。無論ろくな淘汰も受けていない付け焼き刃の本能ですので、一対一ならばなんの脅威にもならないでしょう。ですが一対多数の時には、思考を割かねばならない面倒事となります。
数の暴力、戦術、個々の身体能力――――あらゆる点で、元となったスライムさんよりも上です。
劣勢をひっくり返すための爆弾が、スライムさん達の進化を促してしまったのでした。
「……………これは、夢、か……?」
そしてこの景色を自室から眺めていた魔族……純魔爆弾の作り手である伯爵さんは、唖然としながら眺めていました。
「伯爵! もうこれ以上は抑え切れません! 退避を……!」
劣勢を悟った側近である大柄なオークが、伯爵さんに提言します。ですが伯爵さん、これになんの反応も示しません。むしろ楽しげに、けたけたと笑い始めました。
「ああ、そうだ。夢なんだ。夢だ、夢、夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢」
それからぶつぶつと、意味のない言葉を呟きます。
配下のオークは呆然としてしまいます。だけどすぐに察した事でしょう。コイツはもう駄目だ、と。
ですからオークは、すぐにこの場から逃げようとしました。
残念ですが、既に手遅れです。ドアを破り、窓を登り、何百ものスライムさん達が部屋に流れ込んできたのですから。
「ひ、ひいいいいいっ!? 来るなぁ! あ、ぎ、ぎぐえっ」
「夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢夢ゆごぽ」
スライムさん達は一斉に、部屋の中に居た二つのごはんに群がります。ごはんの一つは暴れて抵抗しましたが、すぐに静かになりました。
そして彼等の悲鳴を最後に、お城の中はとても静かになりした。
かくして、伯爵さんはその名を魔族の歴史に刻む事となります――――余計な事をしてくれた、最低最悪のお調子者と。
ですが、嘆く必要はないでしょう。
その刻まれた歴史も、近々幕を閉じるのですからね。
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