ぽよぽっぽー

 最早、世界は元の形を成していませんでした。

 世界の至る所に、青くてぽよぽよした生き物と、その生き物に乗った赤い生き物と、ぽよぽよした奇妙な生き物ばかりが闊歩しています。木々は根こそぎ倒され、獣は残さず食い散らかされ、町は無惨に荒らされました。

 それでも、世界が終わった訳ではありません。

 そう、例えば……




 例えば、廃墟と化した人間の町。

 瓦礫の山の下に、一人の六歳ぐらいの少年が居ました。

 少年はカタカタと身体を震わせながら、恐る恐る瓦礫の隙間から外を覗きます。

 外には月明かりに照らされているぽよぽよした生き物、スライムさんが無数に蠢いていました。

 少年はすぐに身を引っ込め、瓦礫の奥へと戻ります。

 少年はただの子供でした。特別な力なんてありませんし、使い方も習っていません。ひとりのスライムさんから逃げる事は出来ても、なんじゅうにんものスライムさんに囲まれれば、一瞬にしてごはんとなります。その事を彼はよく分かっていました……彼の愛しい家族と、粗暴で無謀な友人と、高慢で臆病な友人が、その身を以て証明してくれたお陰でした。

 幸いにして、彼にはすぐにこの瓦礫の下から出ないといけない理由はありません。

 何故なら瓦礫の奥には、潰れた食糧棚がありました。開ければそこには乾燥したパンと、挽き肉がしまわれています。飲み水こそありませんが、雨水が瓦礫の下まで流れ込み、水溜まりを作っています。衛生的ではありませんが、水には違いありません。

 食べ物はとても少ないものでしたが、少年一人だけが食べるなら、一週間分の栄養にはなるでしょう。そして瓦礫の下には今、少年一人しか居ません。

 一週間のうちに、スライムさん達は何処かに行くかも知れません。もしかすると助けが来るかも知れません。

 少年は、じっと待ち続ける事にしました。

 この場へと続く瓦礫の隙間を、周りに蔓延るスライムさん達が覗き込まない事を祈りながら――――


 例えば、巨大な渓谷沿い。

「はっ、はっ、はっ……!」

「ひ、ひっ、ひぅ……」

 大人の女ダークエルフが、エルフの少女を背負いながら駆けていました。

 エルフの少女はダークエルフの背中にしがみつき、走る彼女に振り下ろされないようにしていました。ダークエルフの女も、エルフの少女を落とさないよう必死に支えています。

 そんな彼女達の後ろを、無数のスライムさんとサラマンダーが追っていました。

 共生型スライムさんです。サラマンダーのお陰で大きな生物も効率的に狩れるようになった彼女達は、この数年間のうちに、より速力に優れる形態へと進化が進んでいました。さながら獣のような四つん這いの姿勢となり、跳ねるように大地を駆けます。下半身を吸盤のように使う機能は失われ、樹木や崖を登る機能は失いましたが、平地により適応した形態となっています。これにより平地であれば大人の人間が走るぐらいのスピードを獲得しました。

 もしも彼女達に追い付かれたら、ダークエルフとエルフの二人はサラマンダーの炎に炙られてしまうでしょう。灼熱の炎を受ければ、エルフの少女はしがみつく力が奪われ、ダークエルフの足はもつれて転ぶかも知れません。

 それは死を意味していました。

「ちくしょう! いい加減諦めろっての!」

「……ねぇ、お願い。私を捨てて、逃げて!」

「はぁっ!? いきなり何を……!」

「私が囮になれば、あなたは逃げ切れる! でもこのままじゃ……」

「冗談を聞いてる暇はない!」

 エルフからの提案を、ダークエルフは拒否します。それから振り向いた横顔に、鬼気迫る表情を浮かべ、こう言いました。

「もう、仲間を置いていくのは嫌なんだ!」

 ダークエルフの言葉に、エルフは大きく目を見開きました。それからしばしその口を閉ざし、ふと、笑みを浮かべます。

 エルフの少女は、ダークエルフに今まで以上に力強く抱き着きました。

「もう、寂しがり屋なんだからっ!」

「ふんっ! お前だって似たようなもんだろうが!」

 悪態を吐きながら、二人はとことん逃げます。

 かつて差別する側と、差別される側という関係は、そんな二人からは見て取れません。ですがそれも当然の事でしょう。今の二人は、相手の事を仲間と思っているのですから。

 だから二人は逃げ続けるのです。

 自分達の行く手に、別のスライムさんの群れがある事も知らないで――――


 例えば、魔力に満ちた開けた大地の一角。

 巨大なオークが、棍棒を振り回していました。

 オークの目は白く濁り、明らかに自我を失っていました。暴れている場所の周りには何もなく、無為に地面を叩いたりしています。見境なんてものがあるとは思えない、とても野蛮な姿を晒ししていました。

「お、俺、俺は、俺は殺されんぞ……絶対、絶対……」

 そしてその口からは、ぶつぶつと恐怖に震えた声が漏れ出ています。

 何処かから物音がすると、彼はすかさずそこに棍棒を叩き付けました。何か小さな生き物が居れば原形を留めないぐらい叩き潰し、生き物が居なければ気が済むまで叩きます。

 彼は自分が殺される事をとても恐れていました。何故なら彼の仲間や家族は、皆ぽよぽよした生き物に生きながら食べられ、苦悶の叫びを上げながら息絶えたのです。

 仲間意識は希薄なオークでしたが、自分と他者を重ね合わせるぐらいの知能はあります。それだけの知能があったので、彼は錯乱してしまいました。自分が仲間達と同じように、四肢を引き千切られ、生きたまま内臓を引きずり出され、最後に頭を捻じ切られるような……そんな死に方をしたくないがために。

「殺されない殺されない俺は殺されない絶対に殺されない殺されない殺されない殺されない」

 ぶつぶつと呟き、あらゆるものを叩き潰しながら、彼は当てもなく彷徨い歩きます。

 自らの出した音が、無数のぽよぽよした生き物を引き寄せている事に気付かずに――――




 誰もが、必死に生きようとしていました。

 それは生き物として当然の姿であり、仲間を増やしたいと思っていたぽよぽよちゃん達スライムさんと同じ想いでした。食べ物を探し、寝床を求め、仲間を増やす……生き物として、ごく自然で、有り触れた姿です。

 勿論、ぽよぽよちゃん達スライムさんは、世界を『正しい姿』にしようなんて考えていません。ただ、自分達の仲間を増やしたい、ごはんを食べたい、おなかいっぱいになったら遊びたい……それをしたいがために、頑張っているだけです。

 そう、ただただ頑張って、頑張り続けて。

 それから、月日は流れて――――

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