よ~

 竜人達がサラマンダーを導入してから、二年の月日が流れたある日の事。

 草すら殆ど生えていない荒野に、四人の竜人が居ました。彼等は真っ白なクロークを纏い、眼鏡を掛けて、如何にも知的そうな風貌です。三人は一冊の手帳とペンを持ち、しきりに何かを書き込んでいます。

 そして残る一人の手には一本の双眼鏡があり、彼はそれを用いて遠くを見つめていました。

 双眼鏡が向いている先には、ふたつの動物の姿があります。ひとつはスライムさん、もうひとつはサラマンダーです。

 サラマンダーはスライムさんにゆっくりと、にじり寄ります。スライムさんもサラマンダーと間合いを図るように、がらんどうな瞳で自身を見つめるサラマンダーを見つめ返していました。

 しばし睨み合いを続ける両者でしたが、やがて我慢が出来なくなった ― そもそも我慢の概念が希薄なのですが ― スライムさんが動きました。自分より大きなサラマンダーを捕らえるべく、皮膜を伸ばして包み込もうとします。ですがサラマンダーは火を吐いてこれを返り討ちに。高熱を受けたスライムさんは縮こまり、サラマンダーの餌食となります。

 と、ダークエルフの土地で見られた攻防戦と、ほぼ同じハンティングが行われました。

「……問題なく、捕食しているように見えるな」

「ああ。予想通りの捕食だ」

「変異性スライムの防御も変化なしと見て良いだろう」

 その様を見ていた竜人以外の竜人三人は意見を交わし、満足げに頷きました。

 彼等はスライムさん対策としてこの地に放たれたサラマンダーの生態調査に来た、竜人の科学者達です。先程まで彼等が観察していたサラマンダーは、ダークエルフの土地から導入した個体の子孫と思われる個体でした。

 スライムさん対策にサラマンダーを導入する計画は、成功といって良い状態です。

 一部で懸念されていた生態系への悪影響は、殆どありませんでした。何しろ影響を受けるような生態系が残っていないのです。スライムさんが粗方全部食べ尽くし、残っているのは丈の短い草や苔、動きの素早い羽虫ぐらいなのですから。

 そしてスライムさんにとって、サラマンダーはとても恐ろしい敵でした。炎による強制的な硬直により、攻撃を受けたらほぼ反撃も儘なりません。鋭い牙を突き立てられ、ぶちまけた中身をゆっくりと食べられてしまいます。その上サラマンダーは、そこそこの繁殖力があり、二~三ヶ月に一度のペースで子供を作ります。ダークエルフという、サラマンダーを食べてしまう天敵の存在が、彼等に高い繁殖サイクルを身に着けさせたのです。サラマンダーはどんどん増え、スライムさんはどんどん食べられていきました。

 かくして試験的に導入されたこの土地では、スライムさんの個体数は大きく減少していました。全盛期と比べた場合、大体半分ぐらいでしょうか。

「変異性スライムの個体数も減少傾向にある。完全な根絶は無理だとしても、被害はかなり抑える事が出来そうだ」

「生態系の回復は無理そうだがな。なんらかの手立てを考えねばならないか」

「それこそ自然に任せるべきではないか? あの変異性スライムとサラマンダーの個体数が安定すれば、外部から何かしらの生物が定着する筈だ」

 サラマンダーが今も生きていて、そしてスライムさんを狩っている事を確認出来た三人は、将来についての意見を交わします。既に解決済みだと言わんばかりです。

 ただ一人話に加わらなかったのは、双眼鏡を覗いていた竜人だけでした。

「……痩せているな」

 その竜人さんがぽつりと漏らした言葉に、三人が振り向きます。

「……なんだって?」

「痩せている。少なくとも、一年前に調べたどんな個体よりも」

「個体差じゃないか?」

 獣人からの意見に、竜人は言い返す言葉がないとか押し黙ります。

「それより、得られた情報を一旦持ち帰ろう。此処での意見はあくまで私見に過ぎない」

「……その通りだ。情報の精査をしなければ」

 促された竜人は、撤退しようとする他の竜人達の後を大人しく追います。

 最後にちらりと、痩せたサラマンダーの方へと振り返りながら……




 そうして帰還した四人の学者達は、驚愕で目を見開いていました。

 竜人の集落が、燃えていたのです。

 それはもう、火事と呼ぶよりも大火です。彼等の集落の大半が火の手に包まれていました。悲鳴が聞こえ、バキバキと燃え尽きた建物の崩れる音が鳴り響いています。このままでは、集落そのものが燃え尽きるのも時間の問題でしょう。

「な、なん、だ……これは……」

 竜人の学者の一人が、茫然自失といった様子で呟きます。他の学者達も呆然と立ち尽くしていたり、崩れ落ちるように膝を折ったりしていました。

 彼等の家は確かに植物も用いますが、耐熱性の高いものであり、火事が起き難く、燃焼しても進み辛い材質です。密集した家を建てる文化形態なので、火事には細心の注意を払っているのです。消防施設もあります。何軒も燃えるためには相応の火力が必要で、それは竜人が想定する中では他の種族からの攻撃によってのみ起こるものでした。

 しかし他の種族は、スライムさんの拡散によって今や壊滅状態。他種族に戦争を仕掛ける余裕なんてない筈です。ましてやサラマンダー導入によりスライムさんの脅威を多少なりと排除し、力を保っている竜人を攻めるなんて、無謀以外の何ものでもありません。

 しばらく立ち尽くしていた学者達ですが、やがて集落の方から数人の軍人と、彼等に連れられた子供の竜人が走ってきました。我に返った一人の学者が軍人達に駆け寄ります。

「すまない。一体何があったんだ? 村が燃えているが……」

「さ、サラマンダーと変異性スライムが……!」

「? その二種がどうした?」

 息を切らし、言葉が途切れた軍人に、学者は問い詰めます。軍人は息を整え、ゆっくりとですが話し始めようとして

「あ、アイツらが来た!」

 子供の一人が、後ろを指差しながら叫びました。

 兵士達が一斉に後ろへと振り返り、学者達は彼等が見る先に目を向けます。そして学者達は、全員が愕然と――――それこそ村が燃えている時よりも愕然としました。

 現れたのは、数百はあろうかというスライムさんとサラマンダーの大群でした。

 ただの大群ではありません。なんとスライムさんの上に、サラマンダーが騎乗していたのです。

 逆ではありませんよ? スライムさんの上に、サラマンダーが騎乗していたのです。スライムさんの上に乗っているのは、子供のサラマンダーでしょうか。大人の半分ほどの大きさしかありません。

 喰う喰われるの関係である筈の二種が、ケンカもせず、まるでコンビを組むように一緒だったのです。

「みんな先に逃げてください! ここは私が食い止めます!」

「ま、待て! 隊列を崩すな!」

 若い兵士が、兵士達の中でも最も階級が高そうな上官さんの指示を無視して突撃します。若い兵士は接近するスライムさんの一体に槍を突き刺し、その身に傷を与えました。

 するとどうでしょう。スライムさんの上に乗っていたサラマンダーは、ボッ! と小さな火を吐きました。突然の炎に驚き、兵士は槍から手を放してすてんと転んでしまいます。

 スライムさんはこの隙を逃しません。素早く皮膜を伸ばし、竜人の兵士の足を包み込みます。

 そしてぐるんと一回転。デスロールにより、その足を身体から引き千切りました。

「ぎゃあああああっ!? 痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!?」

 足を捻じ切られ、若い兵士は叫びを上げます。すると悲鳴を聞き付けたスライムさん達が、わらわらと叫びを上げた兵士に群がりました。悲鳴は、すぐに聞こえなくなりました。

 その様を見ていた学者達、言葉を失います。ですがそれは、目の前で人命が失われた事がショックだったからではありません。

 スライムさんとサラマンダーが、明らかに協力していたからです。

「(ば、馬鹿な……あの変異性スライムが、サラマンダーを使役しているのか!? 人間の薬物にも即座に適応したと聞いたが、いくらなんでもこんな……)」

 彼女達の行動の意図を探る学者達ですが、答えはすぐに分かりました。

 スライムさんの上に乗っていたサラマンダーが、自身の乗っているスライムさんの身体に噛み付いたのです。そうして出来た傷口からは青い体液が溢れ、サラマンダーはそれをぺろぺろと舐めていました。

 学者達は気付きました。使役しているのはスライムさんではなく、サラマンダーの方であると。

 サラマンダーにとってスライムさんは、決して良い獲物ではありませんでした。確かに炎を使えばスライムさんは簡単に動かなくなりますが、時には構わず襲い掛かったり、反応の鈍い個体も居ます。そういった個体はサラマンダーに致命傷を与える事もあり、狩る時は正に一か八か。時々やられるかも知れない相手を主食に出来するのは、とても危険な事でした。おまけに五十クリットあるとはいえ、サラマンダーは横幅が広くないトカゲ型。三十クリットしかないとはいえずんぐりむっくりなスライムさんと、実は見た目ほどの体重差はありません。元々大食漢でない事もあり、折角捕まえたところで半分が食べ残しになってしまいます。もっと小さな獲物を捕まえる方が、簡単で安全というものです。

 しかしスライムさん達の環境破壊により、既に殆どの動物は食べ尽くされています。残っているのは動きが素早い羽虫や、スライムさんを襲えるクマやオオカミ、バシリスクなどのスライムさん以上に危険な生き物ばかり。獲物はスライムさんしかいません。選択肢のない環境に無理やり連れて来られた彼等は、必死に、必死に生き延びようとして……ある性質を身に着けました。

 スライムさんの身体に纏わり付き、体液を少しずつ啜るという生態です。スライムさんは再生力に優れているため、ちょっとした傷ならすぐに直ります。ちゅうちゅうと、ちょっとずつ食べる方法なら、スライムさんの身体を無駄なく利用出来るのです。

 スライムさんにも、サラマンダーに寄生されても悪い事ばかりではありませんでした。彼等の吐き出す炎が外敵を怯ませ、身を守るばかりかそれらの捕食に役立ったのです。獲物を豊富に食べたスライムさんはぶくぶく太り、栄養たっぷりの体液を吸い続けたサラマンダーもたくさんの卵を持てるようになりました。

 かくして、サラマンダーとスライムさんの共生関係が出来上がったのです。外来種が移入先では原産地と異なる生態を見せる事はよくある事。現地の生態ならば導入しても問題ないと思っても、そう簡単には思い通りにならないのです。

 そう、だって誰もが生きているのですから。生きているのですから、いくらでも変わってみせます。

 誰かの思惑なんて、知った事じゃありません。

「不味い……逃げるためには、変異性スライムの生息地を通らねばならない。後ろの奴等と挟み撃ちに合えば……」

 上官さんの漏らした言葉に、兵士達がざわめきます。此処に居る兵士は誰もが若く、未熟でした。一対一でも危険な相手なのに、挟み撃ちになれば全滅する事は明かです。

 そんな大人達の気持ちを、子供達も察したのでしょう。

 子供の一人が、学者の服の裾を引っ張りました。ここまでずっと立ち尽くしていた彼は我を取り戻し、足元に居る子供に目を向けます。

「おじさん。ボク達、ここで死んじゃうの?」

 子供は、とても『簡単な質問』をぶつけてきました。

 学者達は顔を見合わせました。それからこくりと、言葉もなく頷きます。

 学者は子供の頭を撫でながら、こう答えました。

「いいや、君達は死なない。私達がアイツらをやっつけるからだ」

 『簡単な質問』だったのに、間違えた答えを。

「兵士達、子供達を連れて逃げるんだ。先程行った調査によれば、南西方角は比較的変異性スライムの生息密度が低い。あそこなら無事抜けられる可能性が高い筈だ」

「……念のため確認します。あなた達はどうされますか」

「我々は大人だ。責任は取らねばならん」

 一人の学者の言葉に、他の学者も頷きます。

 上官さんはしばらく黙っていましたが、学者達を説得しようとはしませんでした。無言のまま敬礼をし、子供達をそっと抱き寄せます。

「全軍南西方角に全速前進! ホビットの領土まで抜けるぞ!」

 そして勇ましい声と共に、兵士達は子供達を連れて移動しました。

 残った学者達は兵士達と子供達を見送り、スライムさん達の方へと振り返ります。

「目的は分かっているな?」

「問題ない。私の学説を確かめる良い機会だ」

「検証は子供達の誰かがやってくれるだろう」

「生憎、私はまだ死ぬつもりはない」

 学者達は言葉を交わし、にやりと、その爬虫類らしい顔を歪めます。

 それから彼等は、スライムさん達の下へと駆け出しました。

 自分達の活躍を、後世が語り継いでくれると信じて……

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