ぽよーん

 ぽよぽよちゃんが来なくなり、ドワーフ達の生活は落ち着きを取り戻していました。

 排他的な彼等にとって、魔物や他の種族も大差ありません。ですがぽよぽよちゃん達スライムさんのように、何度も何度もやってくる輩は、不快を通り越して恐怖でした。だからこそ戦士が出てきて、彼女達を退治したのです。

 そうして安寧を取り戻してから、三日ほどの月日が経った頃。

「けふ、けほ、げほっ」

 外に土砂を捨てに来たドワーフの一人が、痰の絡んだ咳をしていました。彼はドワーフの中でもかなりの高齢で、顔には深い皺があります。咳をする度、その皺がますます深くなっていきました。

「なんだぁ、爺さん風邪でも引いたか?」

「けほ……うぬ、ちと昨日から咳が止まらなくてな。まぁ、熱はないから、大したもんではないだろう」

 老ドワーフの咳を聞き、髪を逆立たせた若者が煽るように尋ねます。しかし老ドワーフが素直に病状を話すと、若者ドワーフは不愉快そうに表情を顰めました。

「けっ、ジジイの言い分なんざ信用出来ねぇなぁ。移されても困るからさっさと帰ってほしいもんだよ」

 そして悪態混じりの言葉を発しながら、老ドワーフが持っていた土砂入りの手押し車を強引に奪い取ります。

 老ドワーフは一瞬ポカンとしていましたが、やがて彼の真意を察したようで、にこりと笑いながら「そうするかのぉ」と答えます。

 一部始終を見ていた他のドワーフ達はにやにやとした笑みを浮かべ、若者は顔を赤くしながら辺りを睨みます。無論誰一人として怯む筈もありません。

 荷物を纏めて立ち去ろうとする老人に背を向け、若者は老人の分の仕事を黙々とこなしました。




 三日後、その老人は亡くなりました。




「……なぁ、イザーク。気持ちは分かるけどよぉ、その……」

 ドワーフ達が暮らす、鉱山の深部にて。白熱電球(彼等は発電技術を開発しています)に照らされる道で、厳つい顔をしたドワーフが、言葉を選ぶように目の前の相手を宥めていました。

 宥められているのは、髪を逆立たせた若者ドワーフでした。

 彼は顔を真っ青にし、汗をだらだら流していました。勿論、周りに居るドワーフに、彼と似たような状態になっている者はいません。誰もが、若者ドワーフに心配そうな眼差しを送ります。

「う、るせぇ……げほっ、げほっ! ごほっ! せめて、せめて最期に一目、合わせろよ……あのジジイ、昔から、げほっ、ガミガミ五月蝿くて、今、文句を、言わなきゃ……げぼっ、ごっ、ごぼっ!」

 若者ドワーフは咳き込みながら、必死に友人に頼み込みます。友人ドワーフはとても困りました。彼だって、若者ドワーフと同じ気持ちだからです。あの老ドワーフは小五月蝿くて、面倒臭くて、悪ガキだった自分達に何時も真っ正面から向き合ってくれたのですから。

 やがて友人ドワーフは、小さなため息を吐きました。

「……一目だけだぞ。あと、葬式が終わったら病院行け。爺さんの風邪、もらってるかも知れないからな」

「ああ……恩に着る……げほっ! ごほっ!」

 ついに根負けした友人ドワーフは、若者ドワーフに肩を貸し、連れて行きます。

 きっと一目見るだけでは終わらないだろうなと、薄々諦めながら。




 二日後、若者ドワーフが亡くなりました。




 友人ドワーフは部屋の隅で布団に包まり、カタカタと震えていました。

 時折、痰の絡んだ咳が出ています。

 顔は真っ青で、汗がだらだらと流れていました。

 それはここ最近、ドワーフ達の間で広がっている病気と同じ症状でした。彼の友人である若者ドワーフが、自分達を可愛がってくれた老ドワーフが、死の間際に患っていたものと同じ症状でした。

 そしてその病から立ち直った者は、今のところ誰一人として居ません。

 自分にも移っている。死が迫っている。それはとても恐ろしく、彼は昨日から一睡もしていません。寝たら、きっと二度と目を開けられないという恐怖が、自分の胸を満たしていました。

 だけど、何より恐ろしいのは。

「ぱぱー……」

 こんこんと、部屋の戸を叩く音と共に、あどけない男の子の声がしました。この部屋の戸は岩を加工して作った、とても薄くて粗雑な扉です。地下暮らし故部屋の密閉を好まないドワーフの生活に適した、隙間がちょこちょこ見られる扉でした。

 部屋の中の淀んだ空気が、少なからず扉の前を漂っている事でしょう。

「く、来るなぁ!」

 友人ドワーフは大きな声で叫びます。扉の向こうから、愛する息子の小さな悲鳴が聞こえました。

「ご、ごめんなさい、ぱぱ。でも……」

「アマンダぁ! なんでレイを部屋に近付けた! アマンダァァァ!」

 息子の謝罪を掻き消すように、友人ドワーフは妻を呼びます。彼の身体は既にぼろぼろで、叫んだ喉から血が溢れました。それでも、彼は愛する妻の名を呼びます。

 彼は恐れていました。息子や妻に、この病が移ってしまう事を。

 だから孤独に耐え忍び、彼は部屋に籠もっていました。妻には部屋に近付かないよう、何度も頼みました。なのに、息子が部屋の前まで来ているのです。裏切られたような気持ちになるのも仕方ない事でした。

 尤も、

「ぱぱ、あのね……ままが、おひるなのにまだねてて、おきてくれないの。どうしたらいい?」

 本当の絶望は、その愛する息子から告げられました。

「――――ぁ、ああああああ……ご、ご……!?」

 心を満たす黒い色と共に、息が詰まり、視界が消えていきます。息子の声が遠くなっていき、身体が動かなくなります。

 やがて、扉を開く音が聞こえました。

 家族に看取ってもらえる。

 それがこんなにも恐ろしく、悲しく、暗いものだったなんて、友人ドワーフは思ってもいませんでした。




 それから時は流れて、一ヶ月後。

「ぽっよ、ぽっよ、ぽっよ」

 ぽよぽよちゃんは再び、ドワーフ達が暮らす禿げ山を登っていました。

 理由は、森でたくさんの仲間が増えたため、新天地を目指す事にしたためです。ドワーフ達が暮らす禿げ山の周りにある森は、エルフの森ほど過酷な生態系は持っていませんでした。植物は柔らかいものが多く、動物も、肉食獣は野生化した猫ぐらいなもの。スライムさんが蔓延る事は難しくなく、今や森の至る所に分布しています。やがて森が草原となる日も近いでしょう。

 勿論ぽよぽよちゃん、そんな難しい事はよく分かりません。ただ、仲間に食べ物を横取りされる事が多くなり、別の場所に行きたくなったのです。

 さて、そうして登る禿げ山ですが、一月前までと様子が異なります。

 ドワーフ達の姿が何処にも見当たらないのです。

 ドワーフの事などすっかり忘れているぽよぽよちゃんは気にも留めませんが、本来、これはとても奇妙な話なのです。確かにドワーフ達は普段、山の中にある坑道から出てきません。しかし生活空間の拡張や保全のため、常に大量の土砂が出ます。その土砂を捨てる作業があるため、少なくとも鉱山への入口付近には何人かのドワーフが居るものです。どうしたというのでしょうか?

 やがてぽよぽよちゃんは、禿げ山の中腹辺りまでやってきました。ドワーフの姿が見えないのなら、足を止める必要もありません。ぽよんぽよんと山頂を、山頂の向こう側を目指して進みます。

「……ぽよ?」

 おや? ぽよぽよちゃんは不意に足を止め、振り向きました。

 ぽよぽよちゃんが振り向いた先には、木組みの出入り口がありました。ドワーフ達の住処へと続く場所で、普段は二人の見張りが立っているのですが……今日は誰も居ません。

 ぽよぽよちゃんは木組みの出入り口に近付き、ぴょこんと中を覗き込みます。

 入口の先は、丁寧に掘られた坑道が続いていました。中は天井にぶら下がる白熱電球がぼんやりと照らし、晴れた日の夕方ぐらいの明るさがあります。ですがやはり、ドワーフの姿は見えません。

 代わりに、呻きと、泣き声が聞こえてきました。

 ドワーフ達は、坑道の奥深くに引きこもっていました。坑道の奥は彼等の居住区画であり、家族単位で部屋が割り振られています。その部屋の中に彼等は閉じこもり、カタカタと家族で身を寄せ合って震えていました。

 そして道端や、静かな部屋の中には、腐敗の始まった死体が転がっています。

 ぽよぽよちゃんはこの死臭を嗅ぎ取ったのです。確かにドワーフも生き物であり、エルフほど長命でもありません。いえ、むしろ人間よりもやや短いぐらいです。数千人も暮らしていたなら、年に百人近くは死んでいます。ですが今の居住区に転がる死体は数千近く……暮らしていたドワーフの大半に上りました。

 そしてその全員が、一月前から流行りだした病によって命を落としています。そう、ぽよぽよちゃん達がやってきたぐらいの頃から。

 その通りです。ドワーフ達に病を運んできたのは、ぽよぽよちゃんでした。

 実はぽよぽよちゃんの身体は、無数の細菌に汚染されていたのです。発端は言うまでもなく、人間の町でたらふく汚物を食べた事でした。ぽよぽよちゃん達スライムさんは強力な消化酵素を持っていましたが、大便などに含まれていた幾つかの細菌は、その酵素を潜り抜け、ぽよぽよちゃん達に感染しました。中には死んでしまうスライムさんもいましたが、そこは無駄に早い世代交代と数の暴力で、どうにかこうにか適応しています。感染した細菌達も、宿主に死なれては自分も死んでしまうので弱毒化が進みました。

 両者は互いに歩み寄るように進化し、十何種かの細菌が、スライムさんの体内に留まるようになったのです。

 この細菌達こそが、ドワーフ達を壊滅させた元凶でした。彼等は極めて排他的で、他種族との接触をほぼ断っていました。そのため外界の細菌と触れ合う機会がなく、免疫機能が脆弱だったのです。人間と触れ合うと災いが起きるという言い伝えも、かつて人間と接触した事で伝染病が広がった……なんて事が理由かも知れませんね。

 それは兎も角。

 スライムさんを叩き潰した結果、周囲の土壌に細菌まみれの体液が飛び散りました。それらは地面に染み込み、土の中に混ざります。そして乾燥した土は風や震動で舞い上がり、ドワーフ達の体内へと侵入。パンデミックを引き起こしたのです。閉鎖環境故に伝染病の広まりも早く、ほんの数週間で、山に暮らしていた三千人のドワーフが犠牲となりました。生き残りは、今や死者の半分ほどしかいません。

 そして更に数週間後には、ゼロとなるでしょう。

「ぽよよー♪」

 亡骸を喰らい繁殖するぽよぽよした生き物が、見張りのいなくなった門を潜ったのですから――――

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