ぽー! よー!

「なぁ、最近あのへんてこスライムをまた見るようになったよな」

 とある王国首都・即ち王都の防壁にて、見張りをしていた一人の兵士がそんなぼやきをもらしました。彼が見下ろしている先は、かつては林のあった場所ですが、今では草一本生えていない荒野です。

 そしてその荒野を、それなりの数の青い生き物が、ぽよぽよと跳ねていました。

 スライムさんです。スライムさんがたくさん棲んでいました。これは大変奇妙な事です。何故なら、人間達がスライムさんを殺す毒を開発してから、今日でかれこれ半年が過ぎたのですから。

 毒を開発してから、人間達はあちこちで毒を撒き、スライムさんの駆除を進めました。効果は覿面、なんじゅうまん、なんびゃくまんものスライムさんが殺されました。この王都の周りにも毒は撒かれています。そのため一時はスライムさんの姿は全く見なくなったのですが……彼女達はまた現れました。勿論現れる度に毒を撒きましたが、撒けども撒けども、彼女達は何処からかやってくるのです。今ではすっかり、毒を開発する前と同じ光景が広がる始末。

 ぼやいた兵士の言葉を聞き、もう一人の兵士(訳が分からなくなりそうなので、聞き手を兵士B、ぼやいた方を兵士Aとしましょう)は、こくりと頷きます。それからこう話しました。

「ああ、なんでも開発した薬剤が効かなくなってるらしい。薬のお陰で一時はかなり減ったのに、また増え始めたそうだぞ」

「は? おいおい、マジかよ。アイツら解毒魔法は使えないって話じゃなかったか?」

「なんで平気なのかは知らん。学者達も頭を抱えているらしい。確かなのは、今じゃ最初に喰らわせたやつの十倍以上の濃さで薬を撒かなきゃなんない事だけだと。あれ、人間にも危険だから、中毒に備えて魔法使いの同行が必須になったみたいだ。取り扱いを間違えて死んだ奴もいるらしいぞ」

「うへ……そっちの任務はやりたくないねぇ。給料泥棒って言われても、ただ外を眺めるだけの仕事の方が良い」

「全くだ……ん?」

 兵士Bは、ふと目を細めて遠くを見つめます。それからしばらくして、彼の目が大きく見開かれました。

 地平線から、無数の青い生き物――――スライムさんが群れていたのです。そして彼女達は真っ直ぐに、兵士達が居る防壁目指して進んでいました。

 お腹を空かせたスライムさん達が、偶々見付けた『ごはん人間』を狙い、やってきたのです。

「て、敵襲――――ッ! へんてこスライムが来たぞぉ!」

 兵士Bに続いてスライムさん達に気付いた兵士Aは、大声で叫びながら傍にあった鐘を鳴らします。

 兵士Aの連絡を聞き、たくさんの兵士達が防壁に集まります。門は閉ざされ、出入りが簡単には出来ないようになりました。防壁の前に、スライムさんが無数に集まります。彼女達はきょろきょろと辺りを見渡しますが、中に入れそうな穴は何処にもありません。

 とはいえスライムさん達は諦めが悪いのです。防壁にしがみつくと、下腹部を吸盤のように吸い付かせて登り始めます。これは嵐などが来た際吹き飛ばされないよう進化した形質ですが、防壁のような垂直の壁を登るのにも役立っていました。

 流石に進みはとても遅く、たまにぽろりと落ちている個体も居ます。ですがなんびゃくにんものスライムさんが、少しずつですが着実に、防壁を乗り越えようとしていました。

 尤も、人間達はスライムさん達をたっぷりと研究しています。この程度の事態は想定内です。

 集まってきた兵士達は、すぐさまその手に持っていた袋から薪を取り出しました。スライムさんにとって有効な毒を染み込ませた薪です。これを焼き、その煙に含まれる毒素でスライムさんを駆除するのです。

 耐性が付いている事は判明していたため、通常よりも高濃度の、初めてスライムさん達に使われたものより十五倍も濃い毒を染み込ませた薪を使います。兵士達が火を付けると、薪からは噴き出すように毒の煙が出ました。

 煙の殆どは城壁をなぞるように、外側へと流れていきます。が、一部が兵士達の居る場所で舞い上がりました。

「う、ぐぶ、うぅ……!」

 運悪く煙を吸ってしまった兵士が、胃の中身をぶちまけます。中毒症状です。彼はそのまま倒れてしまい、慌てて仲間の兵士達が彼を煙の中から引っ張り出しました。それからすぐに医務室へと運びます。

 確かにこの薬は人間にとっても危険なものでしたが、最初は余程長時間吸わない限り、軽い眩暈と吐き気をもよおす程度のものでした。それが今では一呼吸で昏倒するほどの毒ガスです。

 ましたや大量の毒ガスを浴びたスライムさん達は、一溜まりもないでしょう。

「ぽよー……」

 能天気な断末魔を上げ、ひとり、またひとり、壁をよじ登っていたスライムさん達が落ちていきます。普段なら弾力のある身体で衝撃を受け流しますが、死んでしまったスライムさん達の体組織はどろどろに溶けています。落ちた衝撃を受け止めきれず、ばちゃりと弾けて辺りに飛び散りました。

 防壁からその光景を目の当たりにしていた兵士達は、顔を顰めながらも勝利の余韻に浸ります。確かに効き目は良くありませんが、それでも確実に駆除は出来ている様子。此度の襲撃は無事乗り切れました

 ――――と思っていたのです。

「……ん?」

 城壁から地上を見下ろしていた兵士の一人が、気が付きました。

 すうにんのスライムさんが、まだ壁から落ちていなかったのです。変な引っ掛かり方でもしているのでしょうか? 兵士はじっと見つめました。

 やがて彼はその目を大きく見開きます。

 壁から落ちていないスライムさん達が、顔を上げて自分の方を見たのです。おまけに、口をにたりと歪ませていました。 

 そうです。毒ガスを浴びて、尚も生きているスライムさんが居たのです。

 そして生き延びたスライムさん達は、猛然と壁を登り始めました。

「い、生きてる! 生きてる奴がいるぞぉ! こっちに登ってきてる!」

 目撃した兵士の叫びに、場が凍り付きました。兵士達は慌てて武器を手にし、スライムさんを待ち構えます。

「ぽっよー」

 それから間もなくひとりのスライムさんが、ついに城壁を登りきりました。

 もし、この場にスライムさんを研究している学者が居たなら、現れたスライムさんの姿を見て違和感を覚えるでしょう。

 そのスライムさんは、普通のスライムさんよりも一回りほど大きな身体をしています。体色も青ではなく紫色でした。何より、随分と興奮した様子で、普段すっとろいスライムさんと違い、そわそわと動いています。

 専門家であれば、何かがおかしいと警戒するでしょう。ですが兵士達はそれどころではありません。何しろスライムさんは、人間を食べてしまう、恐ろしい魔物なのですから。早く退治しなければ、誰かが食べられてしまいます。

「たああっ!」

「やぁっ!」

 故に兵士達の中でも勇猛な若者二人が、躊躇わずその手に持っていた槍でスライムさんを貫く事は、さして誤った判断ではありませんでした。

 槍に貫かれたスライムさんは、しかし平然としています。尤もこれぐらいの生態は兵士達も周知済み。このままバラバラにして中身をぶちまけるのが、唯一にして確実な駆除方法です。遅れながらも仲間の兵士達が加勢しようとしました。

 尤も、それよりもスライムさんが大口を開け――――もわりと、白い煙を吐く方が早かったようですが。

 煙はかなり広範囲に広がり、槍を突き刺していた二人の兵士を包み込みます。助太刀しようとした兵士達は慌てて下がりますが、一人が転び、包まれてしまいました。

「ごっ!? おご、ぼごぼごご」

「がひゅ……ぎぃ!」

 するとどうでしょう。煙に包まれた兵士達は、白眼を向き、泡を吹いて倒れてしまったのです。

「ひいっ!? な、なんだこれはぁ!?」

「ど、ど、毒だ! アイツ、毒を出したんだ!」

 戸惑う兵士の疑問に答えるように、別の兵士が自分の考えを伝えます。

 彼の考えは正しいものでした。そのスライムさんには、口から毒ガスを吐く力があったのです。

 そしてその力は、人間が与えたものでした。

 耐性の獲得方法は、何も分解だけではありません。スライムさん達は身体の中に小さな『袋』を作り、そこに毒素を一時的に隔離するようになったのです。編み出した当初は器官 ― 隔離器官と命名しましょう ― が未発達で、最終的には体内に取り込んでしまう作りでしたが、それでも時間を掛けて取り込めば、持ち前の再生力で復帰が可能です。スライムさん達は体内構造を変化させる事で、薬物への『耐性』を手に入れました。

 そうして薬物耐性を獲得し、生き残ったスライムさんは繁殖を始めます。ある程度増え、人間にとって脅威となると、人間達はまた毒を撒きます。ですが今度は耐性があるため、今までの濃さでは効きません。そこで人間達は、毒の濃度を濃くするという方法で対処してしまったのです。

 その安易な選択は、隔離器官が未発達なスライムさんを淘汰し、より発達したスライムさんを選別する結果となりました。生き残ったスライムさんは増殖し、変異を繰り返して更なる進化を遂げます。こうなるといたちごっこの始まりです。

 そうしてどんどん濃い薬物を身体の中に溜め込めるようになったスライムさん。やがて、ある利点が生じました。毒を溜め込んでいるため、天敵に襲われ難くなったのです。いいえ、それどころか偶然にも襲い掛かってきた動物が隔離器官を破き、中に溜まっていた毒を浴びると、怯んだり、死んでしまう事態も多発しました。

 勿論スライムさんは、何故動物が死んでしまったのかなんて知りようもありません。ですが獲得した器官には新たな可能性がありました。

 やがて誕生したのが、溜め込んだ毒ガスを吐いて獲物を捕らえる、スライムさんの亜種でした。

 この毒ガスは、人間の撒いた毒が大元です。人間が撒いた毒は、スライムさんを駆除するどころか、より凶悪な種の誕生を後押ししてしまいました。それどころか、この毒ガスを吐くスライムさん……仮に、毒スライムさんと呼びましょう……この毒スライムさんには、人間にとって厄介な性質がありました。

 毒を撒いても嫌がるどころか、引き寄せられ、興奮するのです。というのも毒スライムさん自身には、毒物を合成する器官がありません。毒は人間達がわざわざ供給してくれたので、わざわざ生成器官を作るより、外界から取り込む方が省コストで有利だったからです。とはいえ毎回運良く、人間達が自分の居るところに毒を撒いてくれるとは限りません。自分から毒に近寄る性質がより適応的となります。

 そして最も大量の毒を作り、定期的に使っている場所。それこそが此処、毒の製造元である王都周辺でした。

 人間達はこの恐ろしい魔物を、自分達の手で引き寄せてしまったのです。

「ひぃぃぃぃ!?」

「どんどん来てるぞぉ!?」

 兵士を二人ほど仕留めた毒スライムさんに続き、次々と新たな毒スライムさんが現れます。皆、興奮状態です。大量の毒ガスを浴び、元気に満ち溢れていました。

 そして目に入るごはん……いいえ、『獲物』達。

 毒スライムさん達は、その口から次々と猛毒の煙を吐き出し始めました。

「うわああああっ!?」

「毒ガスだぁ!」

「ひ、ぎゃっ!? あ、た、助けげごぐここここ」

 吐き出された毒ガスを前にして、そのようなものと対峙する訓練を受けていなかった兵士達は次々と逃げ出します。突き飛ばされ、転び、煙の中に取り込まれた仲間が居てもお構いなしです。『戦線』の崩壊は明白でした。

 毒ガスが充満する部屋は毒スライムさんの独壇場です。兵士達の亡骸を食べ、毒スライムさんの繁殖が始まります。毒ガスを撒き散らすスライムさんが、無数に増えていくのです。

 そして王都は魔物達の侵攻を防ぐため、強固な防壁でぐるりと囲われています。

 逃げ場など、ありませんでした。




 毒スライムさんの快進撃は止まりませんでした。

 防壁を乗り越えた毒スライムさんは、次々と口から毒ガスを吐き、王都を汚染していきます。常人ならば即座に痙攣し、動けなくなるほどの猛毒に、兵士達は近付く事すら儘なりません。

 毒スライムさん襲撃による混乱で起きた火事も、人間達の不利となりました。どれが毒スライムさんの出した毒ガスで、どれが『無害』な煙なのか、分からなくなってしまったのです。消火活動に当たっていた住人が昏倒し、兵士は燃えている家の横を通れず、毒スライムさんは好き放題に暴れる有り様。

 勿論人間もただただやられていた訳ではありません。解毒魔法を使える魔法使いを集め、兵士や住人の治療を行いました。ですが毒スライムさんの毒ガス……元を辿れば自分達の作り出した薬は、あまりに濃くなり過ぎました。死ぬまでの猶予が酷く短く、また魔法使い自身が毒を受けると、呪文を唱えられない状態になってしまいます。

 そうした混乱の果てに、ついに町の辺境に置かれていた毒の備蓄倉庫に引火。普段なら水魔法の使い手が数人常駐していますが、彼等は既に毒スライムさんのお腹の中でした。

 燃えたぎる備蓄倉庫は毒ガス製造器と化し、毒スライムさんに毒の供給を行います。逃げ出そうにも防壁内で毒スライムさんが増殖し、出入り口は毒で覆われる始末です。誰一人、逃げ出せません。

 悲鳴が町中に響きます。子供の泣き声が轟きます。罵声が飛び交い、狂った笑いが聞こえてきます。それらも、夜を迎える頃には静かになりました。王都に残るのは、ぽよんぽよんと跳ねる生き物のみ。

 これは、人間にとってあまりに大きな事件でした。

 人間達は政治によって束ねられ、政治によって安寧を築きました。その政治の中枢が一晩で消失したのです。生産量が減る一方の食糧の分配をどうするのか、兵士の配置はどうするのか。税金の集まる場所は、改正間近だった法は、軍に勤める者達の賃金は。今まで上が決めていた事が、何もかも破綻したのです。

 食糧不足を起因とする暴動、目付が消えた事による貴族の増長、賃金未払いによる兵士達のサボタージュ……何もかもが、壊れていきました。人間の武器だった筈の協調性は、最早何処にもありません。誰もが、自分と、自分の家族を守るために必死でした。

 しかし力を合わせて立ち向かわねば勝てない相手、スライムさんは、まだまだたくさん暮らしています。

 最早人間社会について、語る意味はありません。

 あとはただただ内輪揉めを繰り返し、ゆっくりと衰退するだけなのですから――――

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