ぽよぉ……

 かつて五万人もの人々が暮らしていた町は、今や青くてぽよぽよした生き物に埋め尽くされていました。家は軒並み倒され、木々は丸裸。すっかり荒廃しています。

「ぽよよー♪」

「ぽよよー♪」

「ぽよよー♪」

 そんな荒野の上を、ぽよぽよちゃんはとっても幸せそうにころころ転がっていました。他のなんにんかの仲間も、一緒にころころしています。

 普段ごはんのことばかり考えているスライムさんですが、何かを食べた後、このころころ遊びを始める事があります。スライムさん達は遊びと思っていますが、実際には体組織の攪拌を行い、取り込んだ物質を全身に満遍なく行き渡らせるための実利的な運動です。厳しい環境の島で進化した結果、『楽しみ』までもが本能に組み込まれているのですね。

 さて、そんなころころ運動を続け、先程食べたもの ― 建物の地下に隠れていた人間の一家です ― をきっちり消化すると、ぽよぽよちゃんはむくりと起き上がります。

 幸せな時間は、長くは続きません。

 ごはんの消化が進めば、それは次のごはんを取り込める状態になったという事。

 自分を増やす事が第一であるぽよぽよちゃん達スライムさんは、次のごはんを探し始めます。とはいえこの町は粗方食べ尽くしてしまいました。粘っている子も少なくありませんが、そのごはん探しに同行するのは効率的ではありません。

 スライムさん達は自然と、散り散りになっていきます。

 ぽよぽよちゃんも、町の外へと歩き出しました。そう、特に何も考えずに。

 自分の進む道の先にあるものを、人間達が『亜人の領土』と呼んでいる事など、知りもせずに。

 ……………

 ………

 …

 ぽよぽよちゃんは人間の領土から去りましたが、スライムさんは未だたくさん暮らしています。そして彼女達もまた、ぽよぽよちゃんと同じく自分を増やしたいと思っていました。

 なので、スライムさんは相変わらず人間の領地で増えようとします。増えるためにはごはんが必要です。だから色んなものを食べました。それが人の『財産』である事などお構いなしに。

 ある時は畑を荒らし。

 ある時は家畜を襲い。

 ある時は町を滅ぼし。

 被害が出れば出るほど、スライムさんはその数を増やし、更なる被害をもたらします。ただ被害が出るだけではありません。畑や家畜が失われれば、食糧が足りなくなります。町が消えれば交易が滞り、防衛線にも穴が空きます。

 ぽよぽよちゃんが大陸に流れ着いてから一年と半年後。人間の社会は、すっかり滅茶苦茶になっていました。

 勿論人間達もただただやられていた訳ではありません。兵士を増員し、勇者を集め、駆除を行いました……が、スライムさんの増加を緩やかにする程度の成果しか出ませんでした。何しろただのスライムとは比較にならないタフネス、なんでも食べる食性、無闇矢鱈な適応力……スライムさんは繁殖能力に優れています。初期対応ならば兎も角、十分な数まで増えてしまったスライムさんを人力で駆逐するのは不可能でした。

 しかし、座して滅びを待つような人類ではありません。

 そして人類は自分達の強みを知って・・・います。

 そう、他のどの種族よりも優れた知性があるという強みが……




「ぽっよー」

「ぽよよー」

「ぽよぽよー」

 今日も平原で、たくさんのスライムさんがころころ転がって遊んでいました。

 いえ、平原というのはちょっとした間違いです。何しろ此処は、元は巨大なトウモロコシ畑であり、今にも収穫出来そうな実が先週まで実っていた場所なのですから。

 ですが、今ではトウモロコシの実はおろか、茎の一本すら立っていません。

 一週間前、ごはんを求めて流れ込んできたスライムさん達が、みんな食い尽くしてしまったのです。畑の持ち主である農家の人は泣きながら鍬を持ってスライムさん達を追い払おうとしましたが、逆に包囲され、バラバラに引き千切られてしまいました。たくさんのごはんを手に入れたスライムさんは爆発的に増殖し、流れ込んできた時の三十倍近い数であるさんぜんにんにまで増えています。

 これは、今此処だけで起きた悲劇ではありません。今や人間の領土内では何処でも起きている、あり触れた惨劇でした。いずれ遊ぶのに飽きた彼女達は、新たなごはんを探し求めて大移動を開始するでしょう。

「……ぽよ?」

 そんなこんなで暢気に暮らしていたスライムさんでしたが、ひとりがある事に気付きました。

 何処からか、煙が漂ってきたのです。

 それは白い煙で、朦々とスライムさん達が群れている場所へと入り込んできました。岩と土と海しかない場所で進化してきたスライムさん達には、火事という概念がありません。煙が満ちてきても、誰ひとりとして逃げようとしませんでした。

 それが、運命の分かれ道とも知らずに。

「……ぽよー……」

 どろりと、溶けるようにひとりのスライムさんが倒れました。

 それを合図とするかのように、次々とスライムさん達が倒れていきます。いいえ、倒れるというのは正確な表現ではありません。本来固形に近い硬さのある体組織が融解し、生命活動を停止していました。つまるところ、死んでいたのです。

 どろり、どろり、どろり。次々と仲間が倒れていくので、普段仲間の生死など割とどうでも良いスライムさん達でも、困惑したように辺りを見回していました。ですがスライムさん達に見付けられるような危機は、何処にもありません。そうこうしているとまたひとり、またひとり、どろりと倒れていきます。

 時間にして、五分も経っていないでしょうか。

 その場に立っているスライムさんは、ひとりも残っていませんでした。三千にもなる集団が、あっという間に息絶えたのです。あまりにも一方的な『殺戮』でした。

 さて、スライムさんには何が起きたか最後まで分かりませんでしたが、知性があれば漂ってきた煙が怪しい事に気付くでしょう。

 煙は、ある一方向から流れていました。それはスライムさんが占拠していた場所よりも高いところから来ています。辿ってみれば……五人ほどの人間達が、そこには居ました。

 そして彼等の傍には、パチパチと燃えている薪があります。

「……もう良いだろう。消火!」

 五人の人間達の中で、最も豪華な鎧を来た人間が指示を出します。火を見張っていた、顔を袋のようなもので包み込んだ四人の人間は返事をすると、燃えている薪に水を掛けます。当然、火は難なく消えました。

 ほっと一息吐いた豪華な鎧の人間……この五人の中では一番偉そうなので、隊長と呼ぶとしましょう。隊長は一瞬安堵の笑みを浮かべましたが、すぐに真剣な顔に戻します。それからじっと、スライムさん達が居た畑を見つめました。

 畑は最初煙に覆われ、あまり見通せない状態でしたが、発生源である火が消えた事で、徐々に晴れていきます。畑だった場所には動かなくなったスライムさんがびっしりと埋まり、海のように真っ青な光景を作っていました。

 この景色を見て、隊長は満足そうに頷きます。袋を被っていた人間達は頭の袋を取り、隠されていた笑顔を見せました。隊長も再び笑みを浮かべ、今度はその笑みを消す事はありません。

 何しろ彼等は、この結果を望んでいたのです。

 スライムさん達が人間に与えた被害は、途方もないものでした。幾つもの町が消え、このままでは国が消えるのではという予感が、いよいよ現実になろうとしていたのです。ですが人間の武力では、凡そスライムらしからぬ捕食能力を持ったスライムさんを退治するのは一苦労。群れで襲われれば尚更です。武では勝ち目がありません。

 そこで人間達は、自らの長所である知性を用いました。

 生け捕りにしたスライムさんを使い、研究を進めたのです。凡そ一年もの月日を掛けた研究は、やがて実を結びました。多種多様な酵素で毒素を分解してしまうスライムさんでも、解毒し切れない毒素を発見したのです。その毒は人間や他の動物にも有害でしたが、人間が見付けた毒の中では、最も量産化しやすく、尚且つ効果的な代物でした。

 人間は発見した毒を薪に染み込ませ、その薪を焼いて毒の煙を作りました。この煙は空気よりも重く、地面を這うように進みます。かくして無事畑へと流れ込んだ煙は、見事その役目を果たしました。さんぜんにんのスライムさんを、呆気なく全滅させたのです。それが、先程スライムさん達を襲った惨劇の真相でした。

 これだけ効果的に殺傷出来るなら、人間の領土にて大増殖したスライムさんを根絶やしにするのも、さして難しい話ではないでしょう。

「良し、この結果をすぐさま国王陛下に伝えるんだ」

「はっ!」

 隊長の言葉を受け、四人の人間達は嬉しそうに走っていきます。彼等の喜びは当然のものです。何しろ国土を荒らし回り、数多の国民の命を奪ってきた魔物を、ついに征伐出来るのですから。

 そしてそれは隊長にとっても同じ事。

「……親父おやじ、仇は取ったぞ」

 この畑の持ち主であった自分の父親に向けて、隊長はしかと報告したのでした。




 人間達は勝利を確信していました。確かにそれは圧倒的な力であり、文明という如何にも人間らしいものに頼った方法です。スライムさん達の脅威がなくなるのも、時間の問題と思われていました。

 故に人間達は気付かなかったのです。

 自分達が、とんでもない『ミス』をしている事に――――

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