ぽ~よ~ぽ~よ~

「ぽっよー、ぽっよー、ぽっよー」

 小さくなったぽよぽよちゃん、元気に歩いて下水道を進みます。

 下水道に辿り着いたぽよぽよちゃんは、早速食べ物を探していました。身体が小さいため、蓄えられているエネルギーは普段の数分の一しかありません。生まれたばかりとなれば尚更。急いでごはんを食べないと、餓死してしまうかも知れないのです。

 果たして下水道に食べ物はあるのでしょうか?

 人間からすれば、下水道はとても厳しい環境です。何しろ此処には太陽の光が届かず、土も塵のようなものが積もって出来た塊があるだけ。生えている植物は苔ぐらいなもので、果物などを実らせる高等植物などないのですから。人間がこの場所で長期的に暮らすのは難しいでしょう。

 ですが、多くの生き物にとっては違います。

 例えばネズミ。彼等は下水道に生息している虫を食べています。虫はとても資源量の多い存在です。虫を餌にする事で、彼等は大繁栄を遂げています。

 ぽよぽよちゃんの目の前にも、早速一匹のネズミが現れました。

「ぽよーっ!」

 ぽよぽよちゃん、獰猛な捕食者として早速ネズミに襲い掛かります。

 ……が、残念。驚いたネズミは素早く身を翻してぽよぽよちゃんの攻撃を回避。そのまま逃げてしまいました。空振りしたぽよぽよちゃんは、ころりんころりん転がります。

 ごはんが食べられなくて、ぽよぽよちゃんしょんぼり。けれどもすぐに立ち直り、次のごはんを探します。

 次に出会ったのは、ゴキブリでした。

 ゴキブリはネズミ以上に下水道で繁栄した動物です。彼等の圧倒的生物量バイオマスが、下水道の生態系を支えていると言っても過言ではありません。ぽよぽよちゃんも此処の生態系に参加するならば、是非とも捕まえたい獲物です。

「ぽっよー!」

 渾身の力を込め、ぽよぽよちゃん、ゴキブリに向かってジャンプ。

 ……残念。ゴキブリは素早くぽよぽよちゃんの攻撃を躱し、逃げていきました。彼等はネズミ以上の被食者。逃げる事は十八番です。

 またしても狩りに失敗し、ぽよぽよちゃん、ころりんころりん転がります。また失敗しちゃったけれど、こんな事ではめげません。すぐに次の食べ物を探します。

 その後も、色々な生き物に会えました。蝿、ミミズ、ナメクジ、クモ……しかし捕まえられたのはミミズやナメクジぐらい。それ以外の生き物は中々捕まってくれません。人間の子供を喰らい、魔物の軍勢を壊滅させ、エルフの森を滅ぼした捕食者プレデターとは思えない失態続きです。

 こんなにも狩りが上手くいかないのには、勿論理由があります。実はぽよぽよちゃん達スライムさんは、小動物の狩りが苦手なのです。

 小動物の多くは捕食される側として進化してきました。獰猛な捕食者の攻撃を予想し、逃げるための機能が発達しています。対するぽよぽよちゃん、確かに捕食は出来ますが、死骸など動かない相手が主な餌。動き回る小さな生き物を、的確に捉えるための進化は起きませんでした。そのため小さくてすばしっこい生き物の捕まえ方が分からないのです。

 下水道にはミミズやナメクジもいるので、生きてはいけるでしょう。繁殖も可能な筈です。ですがこれだけではぽよぽよちゃんの欲求を満たせません。もっともっと増えるためには、小動物以外のごはんが大量に必要でした。

 ――――さて。

 ここまでで、ぽよぽよちゃんはたくさんの生き物と出会いました。彼等は一体何を食べているのでしょうか?

 ネズミやクモは他の昆虫類を餌にしています。ミミズやナメクジは壁面に生えている僅かな苔やカビを食み、ゴキブリや蝿は死んだ昆虫やネズミなどを食べています。ですがこれだけでは、巨大な生態系を支えきれません。もっと大量かつ高品質の食料供給が必要です。

 その供給は何が、どんな形で来ているのか。

 はい、答えは簡単ですね。何しろ此処は下水道なのですから。

「ぽよ?」

 ぽよぽよ歩いていたぽよぽよちゃんも、ついに『それ』を見付けました。

 大量の水が吐き出されている、排水パイプです。このパイプは地上に立つ家々が出した生活排水を、ぽよぽよちゃんが居る此処下水道へと流しています。此処にやってきた排水は、やがて郊外にある川へと流されるのです。

 そして排水の中には、色々なものが混ざっていました。

 例えば残飯。例えば動物の死骸。例えば人の腕……おや、殺人事件でもあったのでしょうか? 物騒ですね。

 ともあれたくさんの『ごはん』がありましたが、しかし一番多いのは――――糞でしょう。勿論人糞が大多数です。中には犬猫の糞もありますが。

 この世界の多くの国では、人糞を堆肥として活用しています。ですがこの町では畜産が盛んに行われており、そのため家畜の排泄物が容易に入手出来ました。この状況で人糞堆肥を作っても、使い道がありません。与え過ぎれば肥料過多で作物に悪影響が出てしまうのですから。そのため人の排泄物は、川へと流してしまうのが最も合理的でした。

 流れてきた糞の多くは沈み、下水を腐らせる一員となります。腐るという事は、有機物がたっぷりという事。このたっぷりある有機物とバクテリアを食料に、ハエやカの仲間が大量発生し、下水道生態系を支えていたのです。

 とはいえ、全ての有機物が無駄なく使われている訳ではありません。ハエの仲間が発生しているのは、『下水』の水面付近のみ。下水中には居ません。これは有機物が分解される際、酸素が消費され、水が無酸素状態になる事が原因です。カの幼虫は腹部末端にある気門から空気呼吸をしているため、無酸素状態の水中でも生活可能ではありますが、下水には流れがあり、泳ぎが下手なカの幼虫には暮らし難い場所となっています。

 そのため下水の底には、手付かずの『糞便』その他諸々が大量に堆積していました。

「……ぽよー……」

 ぽよぽよちゃん、じっと排水を眺めます。やがて小さな、人糞らしき欠片がぽよぽよちゃんの居る『歩道』付近へと流れてきました。

 ぽよぽよちゃん、すかさず皮膜を伸ばしてこれを食べます。

 汚い下水に浸った、汚いものの代名詞である糞は、当然ながら雑菌に汚染されていました。ですがご安心を。ぽよぽよちゃん達スライムさんは、元々島に流れ着いた魚などを食べています。死んだ魚なので、当然腐っている事も多いです。

 そう。ぽよぽよちゃん達スライムさんは、生態的に腐食傾向の強い生物なのです。無駄に豊富な消化酵素は、腐敗物の雑菌を殺し、消化するための進化の結果。人糞だろうがなんだろうが、スライムさんは食べる事が出来るのです。

 食べる事さえ出来れば、糞は汚らしいものから良質な食糧源となります。糞に含まれているのは未消化物の残りカスだけではありません。例えば人糞の場合、消化器官を形成する細胞の亡骸や腸内細菌の死骸、或いはそのものが三~四割を形成していると言われています。動物性細胞の塊を、人間は肉と呼んでいます。即ち人糞とは三割以上は肉なのです。

 人間の一日辺りの排便量は、動物性・植物性の食べ物をどれだけ取るかによって大きく変わります。この国の場合、〇・三~〇・四ボッド(重さの単位。成人男性の体重が約六十ボッド前後です)程度です。この都市の総人口は約三万人。つまり一日で約一万ボッドもの『資源』が生み出され、殆ど手付かずで川へと流されている事になります。

 ならば、この莫大な資源を独り占め出来たなら。

「ぽっよー♪」

 ぽよぽよちゃんの嬉しそうな声が、下水道に可愛く轟きます。

 されど地上に居る人間達に、この言葉は聞こえません。

 下水道に暮らす、人間に下等と蔑まれている生き物達だけが、その声のおぞましさを察しました。

 そして――――




 ―――そして月日は流れ、一ヶ月後。

「きゃぁぁぁああぁああぁっ!?」

「助けてくれぇぇ!」

 眩い陽光が照らす昼の町に、人々の悲鳴が木霊します。

 美しい町は火の手に飲まれ、家々の壁にはべったりと血糊が付いていました。あちこちを兵士が駆け、市民を連れて町の外へ連れて行こうとしています。親とはぐれた、或いは失った子供が泣き叫び、子を失った親達が半狂乱で右往左往しています。

 町を満たす惨劇の原因は、町に溢れかえったスライムさんの大群でした。

 下水道に流れ着いた人糞を食べに食べて、ぽよぽよちゃんは大繁殖。僅か一ヶ月で、総数にじゅうまんにん以上にまで膨れ上がりました。最早下水道の生態系は崩壊し、人糞の奪い合いが発生する始末。下水道の底に溜まっていたヘドロ化した糞便さえも食い尽くしています。

 結果排水される水が綺麗になり、これを怪訝に思った下水道の管理人が兵士達と共に下水道の中へと入り――――それが刺激となって、スライムさん達が町に溢れ出したのです。

 三万人の町民が暮らす町に、にじゅうまんにんのスライムさんが現れたのです。一対一なら持ち前のタフネスで人間を狩れない事もないスライムさん。この圧倒的多勢に無勢で、人間に勝ち目などありません。

 それは塔の上から、スライムさんを狙撃している魔法使い達も同じ。

「全く……狙い甲斐のない奴等だ」

 狙撃手が撃てども撃てども、スライムさんは減る気配もありません。彼が倒した数より、人間を食べ、増える数の方が上回っていました。

「本当です。これなら自分でも、当てられますよ!」

 観測者をしていた魔法使いも、杖を持って狙撃します。最早生死の確認すらも不要でした。

 そんな彼等が立つ塔の最上階に、ぽよん、という音がします。

 狙撃手達の動きが止まりました。ぽよん、という音は止まりません。

 ぽよん、ぽよん。

 ぽよんぽよんぽよん。

 ぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよんぽよん。

「――――やれやれだ」

「杖はどっちに向けておきますか?」

「そりゃお前……最後まで、門の方だろう」

 狙撃手達は淡々と答え、後ろを振り返りませんでした。

 それから放たれた数発の魔法で、どれだけの人が助かったでしょうか。

 彼等に教えられる人は、誰もいませんでした。

 ……………

 ………

 …

 朝日が登る頃には、町からかつての住人は消えていました。

 残っているのは、にじゅうごまんにんぐらいになった青くてぽよんぽよんとした生き物のみ。彼女達も、やがてこの場所に飽きて何処かへ旅立つでしょう。

 だけどしばらくは、満腹になった幸せに浸るのみ。

 町中を、ぽよー、ぽよーという愛らしい声が満たします。

 穏やかで、争いのない時間が、町を支配するのでした。

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