ぽよよっ

 ある日の夜の事。

「……森が騒がしいな」

 エルフのシャーリーさんが、ぽつりとぼやきました。

 此処は森の奥深くにある、エルフの村。草と蔦で作られた素朴な家々が、巨大な木の上に幾つも建っていました。

 この森にはエルフの集落が四つあります。集落同士の仲は、悪くはありませんが、良くもありません。厳しい自然界で暮らす彼等は、食べ物の不足などで割とよく集落間抗争をしているのです。そのためエルフ達は集落がある巨木のてっぺんに見張りを置き、常に周囲を警戒する決まりとなっていました。

 今日はシャーリーさんが見張りに立つ日。そのため彼女は森を眺めていたのですが、エルフの優秀な耳は森の奥の音をしっかりと捉えていたのです。

 獰猛な大型獣の悲鳴、木々が倒れる音、跳ね回るような足音。

 いずれも、普段の森ではあまり聞かれないものでした。それが森の至る所から聞こえてくるのです。森で何か、おかしな事が起きているのは明白でした。

「シャーリー、どうする?」

「……何人か、森を見に行かせよう。ただしあくまで偵察だ。危険を察知したらすぐに逃げて村に知らせる」

「そうだな。よし、何人か暇そうにしている奴を見繕おう」

 共に見張りをしていた仲間に方針を伝え、仲間はその意見を受け入れました。見張り台からするりと降り、仲間のエルフは集落へと戻ります。

 シャーリーさんは高台に一人残されましたが、監視を緩めはしません。自分が目を離した瞬間、何かが起きるかも知れないからです。

 その懸念は見事当たりました。

 集落のある巨木を囲うように生えている木々の一本が、突如として傾き始めたのです。メキメキと悲鳴のような音を鳴らし、呆気なく倒れてしまいます。と、その衝撃で吹き飛ばされたのでしょうか、木に張り付いていた何かが、何十と辺りに散らばりました。

 それはぽよんぽよんとした、半透明な生き物。

 スライムさんです。森で起きている騒ぎも、彼女達の仕業でした。森林生活に適応した結果、加速度的に個体数を増加させたのです。ぽよんぽよんとした怪物が、森の何もかもを食い尽くそうとしていました。

 森に住まうエルフとして、この異変を見過ごす訳にはいきません。ましてや一度はスライムさんを見た事があるシャーリーさんならば尚更です。

「ちっ……以前見た時は無害だと思ったが、このような騒ぎを起こすとは!」

 見張り台から跳び下り、枝へ枝へと移りながらシャーリーさんは地上に下りていきます。人間にはとても出来ない凄技ですが、森で一生を過ごすエルフの中ではちょっと凄い身軽さに過ぎません。

 異変に真っ先に気付いたシャーリーさんに続き、次々と大人のエルフ達が地上へと降り立ちました。総勢十七名の少数精鋭です。

 そしてエルフの登場に、木を押し倒したスライムさん達も気付きます。何百という数の顔が、一斉にエルフ達の方へと振り返りました。ひとりひとりは可愛くても、ここまで集まれば流石に不気味です。集まったエルフ達の誰もが表情を強張らせました。

「なんだこの生物は!? 森にこんな動物が……」

「……一月ほど前、あれの同種らしき奴が森に入ったのを確認している。だが、無害な動物だと思って見逃してしまった。全て私の責任だ」

「責任の追及は後にしろ。向こうはやる気だぞ」

 シャーリーさんは自ら『罪状』を告白しますが、集まったエルフの中の年配者さんがぼそりと告げました。

 別に、スライムさん達にやる気などありません。ただ、ごはんを見付けて、ちょっと興奮しただけです。

 我慢なんて知らないスライムさん達は、エルフ達目掛けて一斉に駆け出しました。

「来たぞ! 迎え撃て!」

 年配者さんの掛け声に合わせ、エルフ達は一斉に弓を構え、スライムさん達に矢を放ちます。

 エルフの弓矢は非常に強力です。森に棲む獣達の分厚く柔軟な皮を貫くため、人間が使うものより数段発展しました。放たれた矢は高速で回転し、獲物の肉を引き込みながら切り裂くのです。鋼鉄の鎧でも薄い所なら粉砕するほどの威力があり、また真っ直ぐ、長距離まで矢が飛んでいきます。戦争をすればエルフ一人に人間十人が倒されるというほど、エルフの弓矢は優れていました。

 その凄まじい威力は、スライムさん達の頑丈な皮膜をも貫きます。ゲル状の中身がぶちまけられ、辺りが青色に染まりました。流石のスライムさんも身体の一部が吹き飛び、中身の多くが出てしまっては生命活動を維持出来ません。次々とスライムさん達は打ち倒されていきます。

 ですが倒しても倒しても、スライムさん達が止まる事はありません。

 人間や獣であれば、仲間が次々と殺されたなら、恐怖や警戒心を抱くところでしょう。ですがスライムさん達は、恐怖心を退化させてしまいました。同族意識なども持っていません。仲間の死も、自分の死も、考慮に値しないのです。

 個体数に限りがあれば、考えなしの突撃は無策も良いところでしょう。しかし無尽蔵の物量を誇るのなら、それは恐怖の行進となります。無論、スライムさん達にそこまでの考えはありませんが。

「駄目だ! 数が多過ぎる! 矢が足りない!」

「こいつ等一体どれだけいるんだ!?」

「に、西から他の群れが――――ぎゃあっ!?」

 後方に新たなスライムさんが現れた事に気を取られたエルフの腕に、ついにスライムさんは飛びつく事に成功しました。素早く皮膜を伸ばして包み込み、消化液を送り込みます。樹木用に調整された消化液は、動物の身体を溶かすのには向いていません。ですが動物には痛覚があります。例え軽度であっても、皮膚を焼かれるような痛みに淡々と立ち向かうなど出来ません。

「痛い痛い痛い痛い痛い!? ひ、ひご、も、ごぎゃああああああああああああああ!」

 痛みに怯んだ瞬間、雪崩れ込むようにスライムさん達に群がられてしまいます。顔面も皮膜に包まれたので、今頃その顔は醜く焼け爛れているでしょう。死んでしまえば気にする必要もありませんけどね。

 さて。戦士を一人失い、エルフ達の戦線は大きく崩れました。スライムさんと違い仲間の死に動揺した事もありますが、矢を構え直す際の隙を補う仲間が減ったのです。

「あ、矢がな、ぐわ! は、離れ、がぼ!?」

「いやああああ!? 助けて! 助け、あが!」

 次々とエルフの精鋭達は倒れ、スライムさんの群れに飲まれていきます。戦局は決していました。このまま戦っても犠牲者が増えるだけです。

 決断が必要でした。

「……私が奴等の目を集める! 皆は集落の者達を連れて森を出ろ!」

 シャーリーさんは大声で叫ぶや、スライムさんの群れに突撃しました。

 突然のシャーリーさんの行動に、エルフの仲間達に動揺が広がりました。ですが既にシャーリーさんはスライム達のすぐ傍まで駆けています。今更連れ戻そうとしても、帰らない者が一人増えるだけ。

 エルフ達はシャーリーさんに背を向け、素早く、大木を登り始めました。

 シャーリーさんは遠ざかる仲間の背中を見て、小さな笑みを浮かべます。そしてスライムさん達の方へと振り返ると、腰に付けていた短刀を取り出して構えます。

「お前達が何者かは知らんが、見逃したのが私の罪だ……何匹かは私と一緒に地獄まで付いてきてもらうぞ!」

 威勢の良い掛け声と共に、シャーリーさんはスライムさんの群れに突っ込みます。

 直後、青い体液が飛び散りました。

 やがて、赤いものが飛び散るようになりました。

 しばらくして、そこにスライムさん達以外の姿はありませんでした。




 かくして、エルフの森からエルフは消え、森も消え、代わりにスライムさんが満ちていきました。青くてぽよんぽよんとしたもので溢れた平野が、新たに現れます。

 ですが、やがて彼女達は方々へと散っていきます。

 そうです。まだ彼女達は満足していません。次のごはんを求め、新たな土地を探し求めます。ぽよぽよちゃんも、そのひとりです。

 もっと、もっと、もーっと、ぽよぽよちゃんは栄えたいのですから……

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