ぽよ~♪

 魔物の軍勢を食べ尽くし、仲間と別れてから数日後。ぽよぽよちゃんは不思議な場所に辿り着きました。

 そこは、たくさんの緑に覆われた場所でした。とても大きな棒が何本も立っていて、遠くが見渡せません。たくさんのごはんの匂いもして、ぴーぴーきーきー、聞いた事のない音もたくさん聞こえてきました。

 此処は人間達が森と呼んでいる、たくさんの植物が生えている土地です。雑食であるぽよぽよちゃんにとって植物はごはんであり、ごはんが視界を埋め尽くしているようなものでした。

 もしもこの植物を食べ尽くしたなら、どれだけ仲間を増やせるでしょうか。

「ぽよ! ぽよ、ぽよぽよぽよ!」

 ぽよぽよちゃん、興奮のあまりダッシュ。強靱な足腰が生むスライム種離れした脚力は、恐るべきスピードを発揮します。大体、大人が走るぐらいの速さです。

 ぽよぽよちゃん、早速近くにあった朽ち木に齧り付きます。皮膜を伸ばして包み込み、手頃なサイズに砕いてから皮膜を閉じて、たっぷり消化液を出してスープにしようとします。

 実は木材というのは、ごはんとして利用するのが難しいものなのです。その理由は、木材に含まれる物質であるリグニンにあります。このリグニンは木材の二十~三十%を占める主成分で、非常に安定的なためごく一部の菌類を除いて分解が出来ません。つまり、消化・吸収が非常に難しいのです。他にもセルロースという分解が難しい炭水化物も多量に含んでおり、木材というものは普通の動物では殆ど消化出来ません。流石は地表面をことごとく覆い尽くし、生態系の最下層という名の最大バイオマス量を誇る惑星の支配者だけはあります。

 さて、ぽよぽよちゃんはこの強力な支配者にどう立ち向かうのでしょうか?

 答えはシンプル――――多種多様な消化酵素をやたらめったにぶちまける事です。

 何百種もの消化酵素を当てて、上手く反応した数種の酵素に木材を分解させます。なんとも強引な方法ですね。しかしこれもまた、ぽよぽよちゃん達スライムさんが辿った進化に理由があります。スライムさん達は島に流れ着いたものをなんでも食べてきました。そういったものの大半は生き物の死骸で、よく分からない雑菌が大繁殖している可能性が大です。そして繁殖した雑菌達は、時折とても危ない毒素を作る事があります。

 こうした毒素はどんな雑菌が繁殖したかによって変わるため、どの毒に当たるかは食べてみるまで分かりません。特定の毒に耐性を持つという方法では対抗出来ないのです。そのためスライムさん達の進化は、手当たり次第に酵素を当てて解毒を行うという強引なものとなったのでした。非常にエネルギー効率の悪い食事の仕方ですが、消化液はスープ化したごはんと共に回収するため、損失は最低限に抑えられます。かくしてスライムさんは、食中毒への『耐性』を獲得したのです。

 ……というように本来は食中毒対策の進化が、木材の分解にも役立ったのでした。尤も、あくまでこれは雑菌対策であり、材木を食べるためのものではありません。中々消化は進まず、ごくんと飲み干すのに十数分と掛かってしまいます。

 けぽよ、と、げっぷを出したぽよぽよちゃん。ちょっと疲れてしまいました。一休みとしてぽてんと座り、ぼんやりと空を眺めます。

 そうして暢気に休憩していると、ガサガサと落ち葉を踏み締める音が聞こえてきました。なんだろう? ぽよぽよちゃんは音がした方をじっと見ます。

 しばらくすると茂みを掻き分けて、大きな弓を構えた生き物が現れました。

 一見すれば、その生き物はとても人間に似ています。金色の髪を携え、細身ながら引き締まった筋肉を持ち、凛々しく端正な顔立ちをした女性です。ですがその端正な顔の横にある耳は人間のものよりずっと長くて先が尖り、紺碧の瞳には人間と異なって瞳孔が見られません。よくよく見れば、人間とは全く異なる生き物だと分かるでしょう。

 彼女はエルフでした。エルフとは人類との共通祖先から数百万年前に分岐し、独自の進化を遂げた種です。森林環境に留まり、森に適応した原人が祖先なのです。尤も、古生物学や進化生物学が殆ど発展してないこの世界において、その事実は人間どころかエルフ本人も知らないのですが。

 そんな人類の親戚であるエルフ――――シャーリーさんは、ぽよぽよちゃんを見て肩を竦めました。

「……結界を抜けて侵入してきた奴がいたから来てみれば、なんとも変な奴だな」

 シャーリーさんはぼやき、ぽよぽよちゃんをじっと観察しながら首を傾げます。エルフはとても排他的で、森に結界を張る事で侵入者を常に見張っています。何時もなら子供のエルフを攫いに来た人間や、欲深な魔物が侵入者なのですが……此度の侵入者ぽよぽよちゃんは、初めてお目に掛かる生き物。どんな生物なのか興味があるようでした。

 対するぽよぽよちゃんの方ですが……シャーリーさんには気付きましたが、あまり関心はありません。何しろ森の中は食べられるものがいっぱいなのです。ちょっと離れた位置に居るエルフより、すぐ傍に生えているキノコの方が気になっていました。頑張ってキノコを引っこ抜き、総出入口へと押し込みます。

 その姿は、子供が大きなおやつを一生懸命食べようとしているかのようです。

「……取り立てて、警戒するほどの脅威ではない、か」

 遭遇者に対してあまりにも無防備な姿に、シャーリーさんは弓を下ろします。排他的なエルフではありますが、自然崇拝の信仰を持っているため動物には優しいのです(というよりその信仰のせいで自然破壊をする他の知的生物を嫌っている、と言うべきでしょう)。ぽよぽよちゃんは魔物ではなく、余所から入り込んだ野生動物と判断されました。割と本質を言い当てています。

 かくしてシャーリーさんは、森の奥へと戻っていきます。

 ぽよぽよちゃんはシャーリーさんが去った事にも気付かぬまま、キノコをもごもご食べていきます。木よりはいくらか消化に優しいですが、栄養価が低く、数も多くありません。

 増えるためには、もっと良いごはんが必要です。

 手当たり次第口にものを運び入れながら、ぽよぽよちゃんはどれがどんな食べ物なのかをしっかりと覚えます。

 大繁栄の道も小さな一歩から。

 自分の願いを叶えるため、ぽよぽよちゃんは真面目にごはんを食べるのでした――――




 それから、大体一ヶ月ほどの時が流れました。

 この一ヶ月、ぽよぽよちゃんは森で暮らしていましたが……中々数を増やせずにいました。

 理由の一つは、森の中の動物がとても手強い事。

 ぽよぽよちゃん達スライムさんは、実は瞬発力に欠けるという弱点があります。そのため草食動物や小動物達は襲おうとすると逃げられてしまい、肉食獣が相手だと素早く攻撃されてやられる事が多々ありました。人間や魔物は奇襲状態で、尚且つスライムだという油断を誘えましたが、自然にそんな甘っちょろい謀略は通じないのです。

 そしてもう一つの理由は、良質なごはんが不足していた事です。

 スライムさんは材木の分解が出来ます。ですがあくまで力押しであり、効率的な食べ方ではありません。食事に多大なエネルギーを消費し、時間も掛かります。そうして頑張って分解しても、得られる栄養素の大半は糖類。タンパク質やその原料となるアミノ酸など、身体の材料となる物質はほんの僅かしかないのです。流石は地上生態系の支配者、性根がひん曲がっているとしか思えない意地悪な栄養バランスですね。おまけに、植物の中にはスライムさんが生成する数百種の酵素をすり抜ける毒素もあり、死んでしまう個体も多数いました。小動物の中にはそれら植物毒を溜め込んだものも多く、動物でも安全なごはんとは限りません。

 この森に棲む動物達の多くは、極めて限られたものだけを餌としています。これは他種との競争を避けるなどの理由もありますが、何より他種が発達させた防御機能を破るためには相応のエネルギーが必要になるからです。万能とは言い換えれば中途半端。なんでも食べられるというスライムさんの生態的長所は、この森の中では非効率の典型でした。

 自然に容赦はありません。非効率で不適応な種はすぐに淘汰されてしまいます。外来種故今までは獲物の警戒心が緩めで、捕食者は怪しがって近付きませんでしたが、ボーナス期間はそろそろ終わりです。接触が増えた事で獲物からは危険な敵と認知され、捕食者からは弱い獲物とバレる頃でしょう。

 さて、このままでは全滅してしまうだろうスライムさん。

 しかしそこは過酷な環境で進化適応した侵略的外来生物。このまま大人しく定着に失敗するような、柔な生態はしておりません。

「ぽーよぽーよ、ぽっぽっぽよぽよー」

 森で暮らすスライムさん――――ぽよぽよちゃんは今日も元気に歩いていました。時折落ち葉を拾い食いしつつ、ごはんを探します。

 やがて一本の、大きな倒木を見付けました。

 倒れてからまだまだ日が浅いようで、キノコ一本生えていません。皮の下はまだまだ頑丈な状態で、デスロールで捻じ切るのはむずかしそうです。包み込もうにも流石に大き過ぎます。

 仕方なく、ぽよぽよちゃんは口からだばーっと消化液を吐き出しました。削り取れないなら、液状スープにして啜れば良いと判断したのです。出来上がったスープが零れて地面に吸われると回収不能になるので、あまり理に適った方法ではありませんが。

 そもそもぽよぽよちゃん達スライムさんの消化酵素では、木材の分解には時間が必要です。量もたくさん使います。こんな非効率な食べ方では、森林生物との競争には勝てません。

 ――――ただし、かつてのままでは、という文言が付きますが。

 なんという事でしょう。ぽよぽよちゃんの消化液を浴びた倒木が、見る見るうちに溶けていくではありませんか。じゅわじゅわぶくぶくと泡を吹き、透明な消化液が枯れ色に染まっていきます。それは木材の栄養がたっぷりと溶け込んだ、倒木スープでした。

 ぽよぽよちゃんは出来上がったスープを啜り、取り込んでいきます。リグニンやセルロースが分解された結果、糖質を多量に含んだ甘ったるいスープ。アミノ酸やタンパク質は僅かですが、そこは量で補います。

 そうです。一月もの森林生活を経て、ぽよぽよちゃんは木材の効率的な摂取が可能となったのです。

 実はぽよぽよちゃん、この森を訪れた時と比べ、消化液にある変化が起きていました。変化と言っても、大それたものではありません。消化液に含まれる食中毒を分解する酵素を減らし、木材の分解に有益な働きをする酵素の比率を増やしただけです。これにより、木材の分解がよりスムーズに行えるようになりました。簡単に言えば、体質が森林生活に適したものへと変化したのです。

 では、何故ぽよぽよちゃんの体質は変化したのでしょうか?

 これはスライムさん達の、というよりもスライム種全体の特性が関係しています。実はスライム種は、一つの個体内に複数種の遺伝子が存在しているのです。例えるなら、単細胞が何十億と集まって活動している状態、でしょうか。統率の取れた活動が不可欠な高等臓器を持たず、複数の細胞が塊になって分かれる分裂増殖だからこそ持てた性質です。

 そんな訳でスライムさんの身体には複数種の遺伝子があるのですが、ここで自然淘汰が加わります。

 摂取した食べ物を分解するため、その分解に適した遺伝子を持った細胞がより増殖し、適していない遺伝子の細胞は減少していくのです。そうすると段々と全身の遺伝子比率が変化し、体質が変わります。ちなみに減ってしまった遺伝子は、適応した遺伝子が作り出した栄養の一部を利用するため中々『絶滅』しません。仮に何種かの遺伝子が絶えても、紫外線や毒物、分裂時のコピーミスなどによる変異で新たな遺伝子が日夜作られています。このように多様性もしっかり担保しているので、環境がしっちゃかめっちゃかに激変しても、ちゃんと追随出来る仕組みになっているのです。

 ――――さて、スライムさんが環境に合わせて体質を変えられるという事は、日に日に森林環境に適応しているという事でもあります。

 エルフの森の生態系は、いよいよ淘汰圧を強めるでしょう。ですが既に手遅れです。ぽよぽよちゃん達は、森で最大のバイオマスを誇る植物を利用出来るようになったのですから。

「ぽよ~ぽよよ~」

 倒木を食べ、十分に大きくなったぽよぽよちゃんは分裂を始めます。再び食べ物を摂取し、大きく育つほどに、その身体はより木材の分解に適したものへと変化します。

 そして、それは他のスライムさんも同じなのです

 ここ数日急速に数を増やし始めた、他のスライムさん達にとっても――――

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