ぽよぽっ!

 魔物達の多くは夜行性です。

 理由としては、夜は月の魔力が降り注ぐため活動しやすいから、というのが一般的なものです。中には吸血鬼のように、陽光が弱点のため否応なしに夜行性という種族もいます。

 そのような事情から、平野に作られた魔物達の軍の駐屯基地も、夕刻頃はまだ静かなものでした。兵である多くの魔物は寝ており、動いているのは小間使いのゴブリンと、見張りをしている一部の兵士。

 そして夜に決行される作戦を考えている、参謀達ぐらいでした。

「……では、決行は今夜新月の刻だ」

 駐屯基地の一角にあるテント内にて。角を生やし、紫色の肌をした淡麗な青年が命令の言葉を発します。

 彼は魔族です。魔族とは魔物の中でも高位の存在であり、高い魔力による強大無比な魔法を得意とします。個体数は極めて少ないのですが、その影響力は計り知れません。

 魔族の青年プラーガさんの言葉に、この基地に集った兵士達の長である三種の魔物……オーク(三百クリットを優に超える巨体を持った、豚面の巨人です)とワイルドウルフ(オオカミの姿をした種族です)、そしてゴブリンはこくんと頷きました。作戦会議は終わり、各々兵士達に作戦を伝えるべくテントから出て行きます。

 残るは、プラーガさんただ一人です。

「……少し、時間を掛け過ぎたか」

 テントの外を見れば、すっかり夕刻になっていました。休息を取っていた兵士達も、そろそろ自然と目覚める頃です。戦の時は間近に迫っています。

 その時にふと、魔力結晶の事が気になりました。

 スライム達に精製を任せているそれは、戦局を左右するものです。もしも十分な量が精製出来ていなければ、兵士達は戦の行方に不安を感じ、裏切るかも知れません。軍といったところで、彼等は略奪と暴虐を目当てに集まった烏合の衆なのです。自分の利益にならなければ平気で味方を裏切ります。魔物とはそういう種族なのです。

 尤も、スライムは非常に弱い種族であり、こちらの要望に応えなければどうなるかは重々承知しているでしょう。あくまで問題ない事を確認すべく、プラーガさんは意識を研ぎ澄まします。魔族であるプラーガさんは、遠方の魔力を感知する事も出来るのです。

 結果、本日精製された魔力結晶はノルマの六割程度であると判明しました。

 プラーガさんはギョッとしました。少な過ぎます。大型の釜を使って精製しているので、一回の作業で割合は大きく上がりますが、それでも精々一割ほどです。作業にして三~四回分、時間にして三時間ほどサボっていたとしか思えません。これでは作戦に支障が出ます。

 スライム達は何をしているのか? 苛立ちながらプラーガさんはスライム達の魔力を探ります。が、見付かりません。あまりにも見付からなくて、まるで基地内に居ないようです。

 ……何故、居ないのでしょうか?

 流石に、プラーガさんも違和感を覚えました。プラーガさんはテントの外に出て、辺りを見渡します。偶々近くを、荷物を持った一匹のゴブリンが通ってしました。彼に尋ねてみる事にします。

「おい、そこのお前」

「エ? ヘ、ヘイ、何デショウカ……?」

「スライムの管理はお前達の仕事だったな。スライム達が何処に行ったか知らないか?」

「エッ!? イヤ、アノ、ワ、ワタシモ作業ガアリマシテ……」

 つまり、把握はしていないらしい。

 どうせそんな事だろうと思っていたプラーガさんは、さして失望しません。元よりゴブリンに期待などしていないのです。

「……ご託を並べる暇があるなら、すべき事があるのではないか?」

「ハ、ハイッ! スグニ確認シマスッ!」

 命令を受けたゴブリンは、急ぎ足でスライム達の仕事場へと向かいます。

「さて、どうしたものか……」

 スライムについては一先ずゴブリンに任せ、プラーガさんは考えます。

 まず、作戦の中止はあり得ません。軍の兵士である魔物は、自分の利益のために集まった集団です。中止なんて言えば、何をされるか分かったものではありません。プラーガさんは軍に居るどの魔物よりも強いのですが、軍の魔物全てを相手出来るほど強くはないのです。

 延期も難しいと言わざるを得ません。魔力結晶の精製は『待ち』の工程が非常に多く、労力を集めても時間の短縮が出来ないのです。今から作業を始めてもノルマ達成は数時間後となり、そこから出陣してもアマイア到着は昼近くになってしまいます。魔物は元気を失い、人間は元気いっぱいな時間帯です。この時間帯に攻めるのは流石に無謀なので更なる延期が必要ですが、そうなると今度は食べ物が足りません。

 選択肢は、準備不足は承知で定刻通り決行する以外にありませんでした。

「仕方ない。不足分は私が前線に出て補うとしよう。偶には運動しなくては、腹に贅肉も付いてしまうしな」

 不敵な笑みを浮かべながら、プラーガさんは準備運動がてら己の魔力を高めました。

 丁度、そんな時です。

「プ、プラ、プラーガ様ァ!」

 プラーガさんを呼び止める声がしたのは。

「……全く、興が乗ってきたのに不粋な」

 機嫌を損ねたプラーガさんは、苛立ちを隠さずに声がした方へと振り向きました。

 そして、プラーガさんはギョッとします。

 振り向いた場所に居たのは、プラーガさんに駆け寄ってくるゴブリンでした。プラーガさんにはゴブリンの区別など付きませんが、彼が来た方角からして、先程スライム達の様子を見に行かせた個体と思われます。

 ところが彼は、その右腕を失っていました。

 残った左手で切断面を抑えていますが、紫色の血がぶじゅぶじゅと音を立てて噴き出しています。魔物の多くは人間よりも生命力に優れていますが、これほどの怪我となれば十分に致命傷です。手当てをしなければ、このゴブリンの命は間もなく潰えるでしょう。

「プラーガ様ァ……タ、助ケテ……」

「あ、ああ。任せておけ」

 ゴブリンの懇願に、プラーガさんは治癒魔法で応えます。基本自分の利益しか考えていない魔物にとって、死にかけの魔物を助けるなどあり得ない行為です。

 しかし今回は、このゴブリンから話を聞く必要があります。何しろ基地内で、兵士の一人が致命傷を負ったのです。野放しにすれば軍全体に影響するかも知れません。

「出血は止めた。どうした? 何があった?」

「ハ、ハヒ……スライム、ガ……スライム、ニ、襲ワレ……」

「何?」

 スライムに襲われたとはどういう事か? プラーガさんには分かりません。確かにゴブリンは決して力の強い魔物ではありませんが、スライムはそれ以上に貧弱な魔物です。

 更に詳しい話を聞く必要があるでしょう。

「ヒッ、ヒィィィィイイイッ!?」

 ところがゴブリンは、急に半狂乱となってしまいました。

「おい、どうした? 何があった」

「ヒィィィ! 食ベナイデ! 食ベナイデクレェ!」

 プラーガさんの言葉が耳に入っていないのか、ゴブリンは悲鳴を上げながら後退りをします。プラーガさんはゴブリンの視線を追い、彼が恐れ慄く存在を確認しようとしました。

「ぽよー」

 しましたら、そこには一匹の謎生物が。

 現れたのは不定形の下半身をぽよんぽよんさせながら動く、ぽよぽよちゃんでした。ぽよぽよちゃんは相変わらず能天気な顔で、ゴブリンと、プラーガさんを交互に眺めます。

 相対するプラーガさん、顔を顰め、困惑したように瞬きをしました。

 最初ぽよぽよちゃんをスライムの変種かと思ったプラーガさんでしたが、魔力を感じ取れなかったため違うと判断します。どんなに脆弱な魔物でも、魔力は持っているからです。むしろ魔力を持つからこそ、魔物と呼ばれるというべきでしょう。

 魔物でないなら、ただの動物でしょうか? とてもそうは思えません。ぽよぽよちゃんの形態は明らかに一般的な生物から乖離しているのですから。

 正体不明の生命体にプラーガさん、僅かに怯みます。

 しかし、本当に僅かでした。

「(スライムもどきか何かは知らんが、魔力もないような生物だ。この私の敵ではない)」

 プラーガさんは不敵に笑います。オークのように巨体から繰り出されるパワーこそが恐ろしい種も多々いますが、基本的には魔力の強さこそが魔物の強さです。全く魔力のない存在に、どうして怯む必要があるのでしょうか?

「貴様が何者かは知らぬが、この私の陣地に土足で踏み込むとは良い度胸だ。後悔する間も与えんぞ」

 プラーガさんはその手に魔力を集め、禍々しい光を放ち――――

「ギャッ」

 不意に、ゴブリンが悲鳴を上げました。

 その時思わずゴブリンの方に、プラーガさんは目を向けました。ぽよぽよちゃんがあまりに弱そうなので、目を逸らしても大丈夫と思っていたのかも知れません。

 そのためプラーガさんは、隣に居たゴブリンが別のぽよぽよちゃんに飲み込まれる光景を目の当たりに出来ました。

「……っ!?」

 プラーガさんは慌てて飛び退きます。

 新たに現れたぽよぽよちゃんに襲われたゴブリンは、片手を失っていた事もあり、呆気なく全身を包み込まれてしまいます。もう彼は助かりません。そこには満腹になり、幸せいっぱいで転がるぽよぽよちゃんが居るだけです。

「な、なんだコイツは!? 人間側の味方なのか!?」

 最早敵である事は明白。プラーガさんは自分の置かれた状況を把握しようと拠点全域に意識を向けます。

 そして凍り付きました。

 拠点内の魔力が、どんどん減っていたのです。逃げ惑う魔力が消え、荒ぶる魔力が消え、抑えていた魔力が消え……残すは僅か。おまけにどれもが弱々しく、頼れるほど大きな魔力は何処にもありません。

 いえ、頼りないほど小さな魔力すら、プラーガさんの周りには居ませんでした。

「ぽよ」

「ぽっよぽっよー」

「ぽよよー」

 代わりに、続々とぽよぽよちゃん……いえ、スライムさんが姿を表します。ひとり、ふたり、さんにん、じゅうにん、にじゅうにん……

 プラーガさんの周りは、すっかりスライムさんだらけになっていました。スライムさん以外の魔物は居ません。何故なら他の魔物達は、スライムさん達が食べてしまったのです。食べた分だけ増えていき、次々と他の魔物に襲い掛かり……今では逃げ遅れた臆病者が僅かに残るだけ。

 そしてプラーガさんと他の魔物の区別なんて、スライムさん達には付きません。

 誰もがプラーガさんを見て、にんまりと微笑みました。

「う――――うおおおおおおっ!?」

 身の危険を感じたのでしょうか、プラーガさんは叫び声を上げながら魔力を高めます。

 普通の魔物であれば、プラーガさんが発する魔力の大きさに怯み、戦意を喪失する事でしょう。されどぽよぽよちゃん達は魔力を感じ取れないどころか、恐怖という感情さえも失っています。巨体だろうが強かろうが、見付けたごはんは食わねばならないのです。

 プラーガさんが動いたのを見るや、スライムさん達は一斉に跳び掛かりました。策などありません。スライムさん達が暮らしていた島では、考えなしの突撃こそが最良の捕獲方法なのです。

 そのあまりの無策ぶりは、却ってプラーガさんを追い詰めます。魔族は高い魔力を持ち、恐るべき魔法の使い手ですが――――その強力な魔法を使うためには、呪文の詠唱が必要なのです。

 四方八方から流れ込んでくる相手と戦うには、決定的に向かない力でした。

「うぉあっ!? や、止め、がぼっ!?」

 迫り来る青色の津波を前にして、一瞬怯んでしまったプラーガさん。まともな魔法を一発と撃てないまま、腕を呑まれ、足を呑まれ、頭を呑まれてしまいました。口を塞がれただけでなく、魔法を撃つための手先が呑まれては、自爆の可能性もあり魔法は使えません。いえ、使おうと思えば使えますが、それには相応の覚悟が必要でしょう。

 スライムさんにそんな迷いはありません。

 プラーガさんはぽよぽよちゃん達スライムさんにとって、少しばかり大きなごはんです。しっかり皮膜を広げればギリギリ丸呑みに出来たかも知れませんが、プラーガさん自身が動き回り、何より他にもスライムさんがたくさん居る状況。悠長にしては食いっぱぐれる、せめて一口だけでもと、無数のスライムさんがプラーガさんの身体の一部だけを包み込みました。

 さて、このまま消化するのは非効率です。口を閉じきっていない状態では包み込んだごはんが引きずり出されるかも知れませんし、消化したものが溢れる危険性もあります。

 出来る事なら、丁度良いサイズに小分けしたいところ。

 そこでスライムさん達は皮膜から、本来は消化液を注入するための棘を必要以上の長さと数伸ばし、プラーガさんの身体に突き刺しました。

 そして力いっぱい――――身体を大回転!

 これは『デスロール』と呼ばれる、ある種の生物が獲物を食い千切る時の動作と同じものでした。スライムさん達は時折島に流れ着く自分よりも大きなごはん……船をも沈める巨大魚やクラーケンの死骸を食べるために、この技を進化の中で体得したのです。

 プラーガさんは生きていましたが、スライムさんには関係ありません。生きたまま四肢をもぎます。噴き出す血の臭いに惹かれて更にたくさんのスライムさん達が群がり、胴体をちまちまと引き千切っていきました。飛び出した内臓も美味しくいただきます。

 プラーガさんは痛みで悲鳴を上げたりはしません。とうの昔に、頭を捻じ切られていたからです。ごはんにする動物の苦痛云々なんて高尚な考えはスライムさん達にはありませんが、食べ物を嬲り殺すなんて悪趣味な考えもありませんでした。

 かくしてプラーガさんは、跡形もなくスライムさん達のお腹に収まります。たくさんのスライムさんが満腹感を味わい、幸せそうにころころと転がりました。ですがスライムさんは他にもまだまだたくさん居ます。たくさん増えたのですから。

 プラーガさんを食べられなかったスライムさん達は、次のご飯を探して歩き回ります。一人たりとも逃しません。

 そしてこの部隊の司令官は、もう居ません。

 退却命令も出されぬまま、夜は更け、明けていき――――




 かくして平野は、大変静かになりました。

 魔物達の軍勢はおろか、運び込まれた兵站もありません。代わりに存在するのは、青くてぽよぽよした生き物だけ。

 何千にも増殖したスライムさんが、平原の一角を埋め尽くしていました。

「ぽよ~。ぽよぽよ~」

 そんな無数のスライムさんを生み出した最初のひとり……ぽよぽよちゃんは、たくさんの仲間を増やせて満足していました。

 幸福感でぽよんぽよんしている最中、平原に居るスライムさん達の三割ほどが、移動を開始します。新たな食べ物を探しに行ったのです。目指す場所は……おやおや、此処に集まっていた魔物が狙っていた都市アマイアでしょうか? アマイアは商業都市です。たくさんの人間と彼等が消費する食糧があります。あのスライムさん達は、しばらく『ごはん』には困らないでしょうね。

 仲間達が移動したのを見て、残ったスライムさん達の何割かが別方向へと旅立ちます。更に残ったスライムさん達も別方向に……どんどん散り散りになっていきます。

 消化・吸収が終わり、分裂したぽよぽよちゃんも、周りに仲間が居なくなったのを見て、移動を始めました。

 仲間がたくさん増えて、ぽよぽよちゃんは幸せになりました。しかしその幸せは一時のものでしかありません。満腹になってもいずれ空腹が訪れるように、スライムさん達の繁殖欲求も時と共に再燃するのです。

 誰も行っていない方へ、誰も手付かずのごはんを求めて、ぽよぽよちゃんは動きます。

 もっと、もーっと、栄えるために。

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