ぽっよー♪

 港町サスウェルの外は、広大な平野でした。

 空からはざあざあと大きな雨粒が降っていましたが、ぽよぽよちゃんは構わず歩きます。平野は背丈の短い草が生い茂っており、一面緑色。雨に濡れた葉が水滴でキラキラと輝いていました。

 ぽよぽよちゃんは雑食です。当然草も食べられます。

 食べられますが……しかし食べやすいかは別問題。

 大昔のご先祖様、つまり普通のスライムなら、とても簡単に食べられたでしょう。普段の食事のように、土や砂を体内に取り込むのと同じ要領 ― 皮膜で餌を包み込み、包み込んだ皮膜ごと体内に取り込む方法です ― でやれば良いのですから。地表近くの有機物を取り込むのはスライムの十八番なのです。

 ところがぽよぽよちゃん達スライムさんは、これが大の苦手。皮膜が分厚くなり、粘液を失った事で、餌を包んだ皮膜を体内に取り込む事が出来なったためです。

 そのためスライムさんは、食べ物を口から入れる必要があります。島で暮らしていた時の餌は流れ着いた千切れた海草や魚の死骸など、一口で大きな量を摂取出来る食べ物だったので、これでも問題ありませんでした。しかし草のような細かな食べ物は、何度も口に運び入れる必要があります。これはとても非効率です。

 ぽよぽよちゃんも最初は草を食べようとしましたが、途中で疲れてしまいました。お腹も膨れません。もっと大きくて食べ応えのあるモノを探します。

「ぽっぽよぽ~ぽよぽよ~♪」

 暢気にぽよんぽよん、草原を歩くぽよぽよちゃん。町はどんどん遠くなり、ついには見えなくなります。

 ぽよぽよちゃん、結構移動速度は速いのです。通常のスライムは粘液を用い、滑るように移動します。流体力学を応用した高度な移動術です。ですがぽよぽよちゃん達スライムさんは粘液が出せません。代わりに不定形ながらもしっかりとした下半身で立ち、大地を蹴って進みます。この歩き方により、スライムさんの歩行速度は通常のスライムの三倍に達します。これは大体赤ん坊の全力ハイハイぐらいの速さです。

 やがて雨が止み、お日様の光が地上に降り注ぎます。

 燦々と降り注ぐ日差しを浴びても、ぽよぽよちゃんの歩みは止まりません。影を作る物など一切なかった島での生活に適応し、直射日光への対策もバッチリ。体温がある程度上がると、ぽよぽよちゃん達スライムさんは口からたくさんの空気を取り込み、体組織内で循環させます。発熱した体組織よりも外気の方が低温のため、取り込んだ空気に熱が移ります。その空気を体外に排出する事で、体温調整をするのです。

 これは人間などが行う発汗、つまり汗を流し、その気化熱で体温を下げる方式と比べるとかなり非効率です。しかしぽよぽよちゃん達にとって水は貴重なもの。だらだら排出するなど以ての外。例え非効率でもこの方法を使うしかありません。

 幸いにして、この辺りの土地は生まれ故郷の島よりも気温が低く、空気式体温調節でも問題ありませんでした。ぽよぽよちゃん、もりもりどんどん進みます。

 やがて、ぽよぽよちゃんは港町サスウェルと、その隣の町であるアマイアまでの道のりの丁度真ん中辺りまで来ました。このまま真っ直ぐ歩けば、明日の夜明け頃にはアマイアに着くでしょう。

 旅路は順調そのものでした。

「オイ! オマエ、何シテル!」

 ……おや? 誰かがぽよぽよちゃんを呼び止めます。

 言葉の内容はぽよぽよちゃんには分かりませんが、『物音』に興味を抱いたので、ぽよぽよちゃんは振り返りました。

 そこには百クリットほどの小さな身体をした、子鬼が居ました。痩せた身体にでっぷりと出た腹は、飢餓に遭った子供のよう。ですがその顔は醜悪の一言に尽き、子供のような可愛らしさはありません。

 これはゴブリンです。下位の魔物の一種で、その力はスライムよりはマシな程度しかありません。ですが非常に繁殖力が高く、また道具を作り出すなど小手先の技術に優れています。見た目の割りに、そこそこ危険な相手でした。

「ぽよー?」

 尤もぽよぽよちゃんはゴブリンなど見た事もなく、キョトンとしていましたが。

「……オマエ、スライム、カ?」

 ゴブリンもゴブリンで、戸惑っていました。どうやらスライムと思って声を掛けたようですが、思っていたスライムとあまりに違う見た目のため、ちょっと混乱しているようです。

 とはいえぽよぽよちゃんの容姿は、彼にとってさして気にする問題ではなかったのでしょう。顔を振って困惑を払うと、彼はぽよぽよちゃんに威圧的に話し掛けます。

「ぷらーが様カラ、命令。にんげんノ町、攻メル。オマエ、手伝エ」

 ふんぞり返り、偉そうに命じてくる彼に、拒否を許すような雰囲気はありませんでした。

 実はこのゴブリン、とある魔族(とても強い魔力を持った、魔物の一種です。人型をしており、人語も話せます)が率いる軍の一員としてアマイアに攻め入ろうとしています。

 魔物達の住む土地は魔力に汚染された不毛の大地であり、全員が幸せに生きていくだけの資源がありません。そのため強い種族が弱い種族を支配する、弱肉強食の世界となっていました。考え方も、強い者が弱い者を支配して当然というもの。故に彼等は、自分達よりも弱いと思った種族を、力によって支配しようとします。傍迷惑な事に、魔物自分達だけでなく他の種族さえも。厳しい環境への適応が、周りに迷惑を掛ける価値観を育んでしまったのです。

 このゴブリンが所属する軍も、目的は略奪と支配でしょう。ゴブリンがぽよぽよちゃんを軍に誘ったのも、自分の利益のために違いありません。

「ぽよ?」

 残念ながら、ぽよぽよちゃんには全く意味が通じていませんでしたが。

「拒否ハ許サナイ! コッチニ来イ!」

 しかしゴブリンはぽよぽよちゃんの意見は聞いていないようで、ぽよぽよちゃんを捕まえると、ひょいっと持ち上げます。

 ぽよぽよちゃん、ゴブリンの狼藉を黙って受け入れます。何をされているかは分かっていませんが、自分の行きたかった道を外れ、違う場所に向かっている事には気付いていました。

 しかしそれでも構いません。

 ぽよぽよちゃんは嵐の夜、海流によって新天地に運ばれました。なら、今回もそれと同じです。

 自分を運ぶのが海だろうとゴブリンだろうと、運ばれた場所が天国だろうと地獄だろうと、やる事は変わらないのですから。

 ……………

 ………

 …

 ぽよぽよちゃんが連れてこられたのは、平野に作られた魔物達の前線基地でした。

 基地と言っても、ろくなものではありません。テントがあり、食べ物の詰まった箱が平積みされている……あくまで一時的な駐屯地です。侵攻を開始するまでの、軍備を整えるための場所と言うべきでしょうか。

 ゴブリンに連れられたぽよぽよちゃんは、その基地の奥にある、謎の施設にて放り投げられました。ぽよんと床を跳ね、ぽよぽよちゃんは無事着地します。

 辺りを見ると、何やら不思議な場所でした。部屋の中心には大きな釜があり、その釜には棒が刺さっています。棒の横にある板を押すと棒自体が回転、釜に浸かっている部分にも板があり、中身を撹拌する仕組みになっているようです。

 そして板を押しているのは、不定形で、ねばねばとした、ごく一般的なスライム数十体でした。

「今日カラ、オマエ、ココデ働ケ。ジャアナ」

 ぽよぽよちゃんを連れてきたゴブリンはそれだけ言うと、さっさと部屋を出てしまいます。仕事の説明もなしです。

 ぽよーん……ではなく、ぽかーんとしているぽよぽよちゃんでしたが、やがて一匹のスライムが近付いてきました。そのスライムは他のスライムよりも大きく、どうやらリーダー格のようです。

「ぷるるるる、ぷる、ぷるるるるる」

 リーダースライムはぽよぽよちゃんの前で震えます。スライムのごく一般的な会話です。

 曰く、此処では魔力を精製している。

 人間と戦争をするには、たくさんの魔力が必要となる。武器を強化したり、戦いの傷を癒やしたり、町に結界があるなら破るために使ったり……しかし魔力は消費すれば、回復までしばしの時を必要とする。魔力を持たない魔物など、そこらの獣と変わらない。他で代替出来るなら、しておきたいものだ。

 そこで魔族のお偉いさんは、人間達の技術を応用した。

 動植物を素材として、魔力の結晶を作り出す。この結晶を燃料とする事で、結界破りや武器強化で余計な魔力を使わずに済むのだ。

 そしてその魔力作りを担っているのが、殆ど戦力にならないスライム達。肉体労働こそが、自分達に出来る唯一の貢献である。いや、貢献せねばならない。少しでもスライムの価値を認めてもらえなければ、自分達はそれこそ魔力作りの『素材』とされてしまうだろう。

 ……との話を、リーダースライムは語りました。それはスライム達の悲運を呪い、絶望に彩られた言葉でした。同じ魔物であっても、力が弱いというだけで、スライム達は奴隷が如く扱いを受けていたのです。

「……ぷるる、ぷる、ぷるるるる」

 今更つまらない話をしてしまったな、と彼は語ります。そして仕事の方法を教えようと伝えると彼は背を向け、

 ぽよぽよちゃんは、自分の身体を変形させました。捕食のための、です。

「――――ぷる!?」

 リーダースライムは呆気に取られているうちに、ぽよぽよちゃんに捕らわれました。中で暴れているようですが、最早手遅れ。消化液を分泌され、彼の身体は溶けていきます。

 一般的なスライムの会話方法を退化させてしまったスライムさんであるぽよぽよちゃんは、リーダースライムが何を言っていたのかさっぱり分かっていませんでした。仮に分かったところで、ぽよぽよちゃんの行動は変わらなかったでしょう。主従? 種族の危機? それを理解し、共感するような感性は持ち合わせていないのです。進化の過程で、不要なものは全て切り捨てたのですから。

 溶かした同族を飲み干し、自らの一部としたぽよぽよちゃん。他のスライム達は労働に勤しんでいるからか、まだぽよぽよちゃんの狼藉に気付いていません。

 たくさんのスライム達が、この場で一生懸命働いています。

「……ぽよー♪」

 それはぽよぽよちゃんにとって、楽園のような景色でした。

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