ぽよっ
ぽよんぽよんと跳ねていたぽよぽよちゃん、地平線にあった何かのすぐ近くまでやってきました。
そこは緑色の棒がたくさん立ち、四角い石が綺麗に並んでいました。それらを囲うように、大きな石がぐるりと並んでいます。どれもぽよぽよちゃんの背丈よりずっと高く、なーんにも考えずに見上げたぽよぽよちゃんは、すってんころりん、後ろに転がってしまいました。
ぽよぽよちゃんには知る由もありませんが、緑色の棒は街路樹で、四角い石は人間達の住む家でした。それらを囲うのは、魔物や亜人の攻撃を防ぐための防壁です。
此処は港町サスウェル。海の傍で暮らす、人間達の町です。
この町に入る正規の方法は、防壁に一ヶ所だけ設けられた検問所を通る事です。ですが野生動物的生活をしていたぽよぽよちゃんに検問所なんてものが分かる筈がなく、分かったところで魔物を入れてくれるほど審査は甘くありません。
興味を持ったので中に入ってみたいぽよぽよちゃんは近くを見渡し、防壁の一部に開いている、小さな穴を見付けました。
それは町に溜まった雨水を外へと逃がすための、簡易的な排水口でした。穴の大きさは約二十クリット。ぽよぽよちゃんの背丈よりもずっと小さな穴ですが、そこは一応スライムの仲間。ぽよぽよちゃんは自らのぽよぽよボディを変形させ、穴を潜って町の中に侵入します。
壁の向こうは、一層綺麗な世界でした。
道端に植えられたたくさんの花々。建物の窓に掛けられた洗濯物の数々。玄関の前に置かれた水瓶。
他にも色々ありましたが、どれもぽよぽよちゃんが暮らしていた島には存在しないもの。生まれて初めて目の当たりにする、複雑で、味わいのある景色に、今まで岩と海と仲間しか見た事がないぽよぽよちゃんは感動でその目を潤ませ
「ぽよ~ぽよ~」
たりなんかはせず、まったりと歩き始めました。
ただのスライムでしたら、情緒を抱くだけの知性があります。しかしぽよぽよちゃん達スライムさんは長年の進化により、エネルギー消費が多い脳細胞を削減していました。今や知性はトカゲ~ネズミ級。景色に感動するような感性は無駄なので持ち合わせておりません。
さぁ、ぽよぽよちゃんが移動している間、この場所……サスウェルについて少し話しましょう。
サスウェルは昔、隣国との交易で大いに繁栄した町でしたが、ここ十数年は海の魔物クラーケンの出現により幾つかの航路が途絶し、すっかり寂れてしまいました。漁で獲れる魚も減り、町民の多くが別の町に移っています。
それでも、なんやかんや表通りが人でごった返し、彼等をターゲットにした露店が所狭しと並ぶぐらいには、今も住人は居るのですが。
「ぽよ~?」
裏通りから表通りに出てきたぽよぽよちゃん。小首を傾げて、表通りを歩く人間達を眺めます。
人間の姿を見るのは、初めてではありません。
ですが、それは偶然島に流れ着いた水死体です。動きませんし、腐敗性ガスが溜まってぶくぶくに膨れ上がっていますし、皮膚は剥離し……おっと、失礼。
ともあれ、ぽよぽよちゃんは、目の前の生き物が島に流れ着くものと同じとは気付きませんでした。とても大きくて、強そうです。ぽよぽよちゃんが小さくて、弱そうなだけですが。
「ぽよー」
しかしながら天敵と呼べる生物と出会った事がないぽよぽよちゃん。初めて見る生きた人間に、恐れずぽよんぽよんと歩み寄りました。
小さいとはいえ、三十クリットほどあるぽよぽよちゃん。当然、隠れようともせず人混みに出れば、その姿は見付かってしまいます。ぽよぽよちゃんは近くを歩いていた若い女の人と目が合い、
「――――きゃああっ!?」
いきなり、短い悲鳴を上げられました。
「ぽよ?」
「うわぁ!? す、スライム? なんかスライムみたいのがいるぞ!」
「早く憲兵に伝えろ!」
「お嬢ちゃん、こっちに来なさい!」
呆気に取られるぽよぽよちゃんを余所に、通りに居た人々は素早く避難します。ぽよぽよちゃんの周りから、人間の姿は一斉に消えました。
どうやらぽよぽよちゃん、町の人にへんてこスライムと認識されたようです。確かに女児向け人形のような、色々間の抜けた形状をしていますが、ぷるぷるぽよぽよした身体はとてもスライムっぽく見えます。スライムさんを知らずとも、ぽよぽよちゃんがスライムの仲間である事は一目瞭然でした。
勿論人々は、スライムがとても弱い魔物である事を知っています。同時に、吐き出す溶解液を浴びれば、一生消えない傷痕が残る事も。目に入れば失明です。接触しないに越した事はありません。
謎のスライムに、人々は確かな恐怖を抱きました。
「……ぽよー?」
当人は、呆れるほどに無垢ですが。何が起きているのか分からず、ぽよぽよちゃんはぽけっとします。
そうしてぽよぽよちゃんが突っ立っていると、とことこと小さな影が近付いてきました。
小さな男の子です。大体、三歳ぐらいでしょうか。小さいといってもぽよぽよちゃんの三倍近い背丈があります。すぐ傍までやってきた男の子に、ぽよぽよちゃんは見下ろされました。
「お、おい! 子供が居るぞ!」
「こっちに来なさい!」
大人達は叫びますが、どうやらこの男の子、生意気盛りの様子。
意地悪な笑みを浮かべるや、彼はぽよぽよちゃんを蹴ったではありませんか。
「ぽよよ~?」
ぽよぽよちゃん、あっさりと転がります。酷い目に遭いましたが、天敵がいない島で生まれたぽよぽよちゃんには『攻撃』という概念がありません。その概念は不要なので、進化の中でずっぱり切り捨てました。ぽよぽよちゃんは自分が何をされたのかも分からず、キョトンとしてしまいます。
転んだぽよぽよちゃんを見て、男の子は嬉しそうです。
「なんだよー、よわっちいなぁ!」
そのまま何度も何度も、ぽよぽよちゃんを蹴ってきます。ぽよぽよちゃん、蹴られるがまま。ボールのように転がりました。
それを見ていた大人達、ふと思ったのでしょう。
あのへんてこスライム、弱いぞ――――と。
「な、なんだよ、脅かしやがって」
「よくよく考えたら、ただのスライムだしな」
子供の行動により、大人達が士気を取り戻します。確かにスライムは油断してはいけない相手ですが、その気になれば素手でも勝てる相手なのです。ましてや大人が武器を持ち、数人がかりで挑めば、退治するなど余裕でしょう。大人達は一斉に家へと戻り、再び出てきた時には、棒やら箒やらで武装していました。
そして男の子とぽよぽよちゃんの下に、我こそが一番乗りだと言わんばかりに駆けてきました。これには男の子の方がちょっと驚いたのか、ぽよぽよちゃんから視線を外します。
丁度、そのタイミングです。
ぽよぽよちゃんの身体が薄く広がり、縦横に百クリットほど伸びたのは。
男の子に、声を上げる時間もありません。ばくん、とぽよぽよちゃんは男の子を包み込み、軽々と持ち上げました。その光景を目の当たりにし、大人達も足を止めてしまいます。
これは、ぽよぽよちゃん達スライムさんの捕食方法の一つです。
ぽよぽよちゃんが暮らしていた島では、食べ物は滅多に流れ着きません。飢餓に強いスライムさんでも、何時もお腹を空かせているような環境です。流れ着いたごはんが大きくて口に入らないなどと弱音を吐けば、たちまち他の子に盗られてしまうでしょう。そのためぽよぽよちゃん達スライムさんは、自身の身体を薄く引き伸ばし、包み込めるよう進化しました。これなら自分より大きな食べ物でも、独り占めに出来ます。
勿論、口に含んだだけでは食べた事になりません。食べ物を落とさぬよう、ぽよぽよちゃんは子供を包み込んでいる自身の身体を捻ります。それと同時に伸ばした皮膜の表面に鋭い突起を幾つも作り、捕らえた『食べ物』へと突き刺します。
そして突起から、消化液を分泌しました。
ぽよぽよちゃん達スライムさんは、全身から消化液を分泌する事が出来るのです。攻撃用の溶解液ではありません。溶解液が敵にダメージを与える事を目的にしているのに対し、消化液は食べ物を吸収しやすい状態に変えるためのもの。一見似た効果があるようで、全く別の代物です。消化液には溶解液ほどの即効性はありませんが、溶解液で変化した分子は吸収に向きません(反応の過程で、タンパク質の多くが高分子化してしまうからです)。どちらも一長一短があり、天敵がいない環境で進化したスライムさんは、溶解液の合成器官を退化させてしまいました。代わりに、体表から消化液を分泌出来るように進化したのです。
さて、直に消化液を打ち込まれた獲物は、刻々と分解されていきます。タンパク質はアミノ酸へと変化し、どろどろとしたスープへとなって、総出入口を通って体組織内へと流れ込んでいきます。お腹がぷくぷくと膨らんでいき、ぽよぽよちゃん、至福の時を堪能していました。
「――――!? ――――! ――――!」
勿論生きたものを消化しようとすれば、獲物は苦痛のあまり暴れるでしょう。じわじわと身体が、表面から、ゆっくと溶けていくのです。とても怖いですね。しかしぽよぽよちゃんは甘くありません。天敵に襲われた事はなくとも、食べ物の奪い合いは毎度の事。一度捕らえた餌を放すなど言語道断です。
時間にして、一分にも満たない僅かな時。子供を包み込んでいた皮膜が解かれ、すっかりぽよぽよちゃんの形に戻ります。
そこに、子供の姿はありません。あるのは、おデブちゃんになったぽよぽよちゃんだけです。
「けぽっ」
ぽよぽよちゃんは、ごちそうさまのげっぷをしました。
「た、たた、食べたぁぁぁ!?」
「ひぃぃぃぃぃぃぃ!?」
人々は錯乱したような悲鳴を上げ、我先にと逃げ出します。まるで予想外の事が起きたと言わんばかりの反応ですが、正にその通り。スライムの攻撃とは溶解性の液体を飛ばしてくるぐらいなのです。被害は大火傷を負う程度の、悲惨ではありますがあんまり死にはしない程度。人を丸呑みにするなんて、あり得ない事でした。
押し合いへし合い、隣の人を突き飛ばし、人々は自分だけでも助かろうとします。老人や女性が相手でもお構いなし、パニック状態で散り散りになります。
ぽよぽよちゃんは、その間ころころと転がっていました。大きなモノを食べたので、身体はボールのように丸くなり、あんまり自由に動けません。消化したモノが吸収出来るまでこのままです。
とはいえぽよぽよちゃん、危機感なんてありません。実のところ痛覚が退化しており、男の子に蹴られた時も痛みすら感じていませんでした。自分が攻撃されていた事実に、今も気付いていないのです。
ころころころころ。風に揺られるがまま、満腹になったぽよぽよちゃんはぼーんやりと過ごそうとします。
――――ところが、そうもいかないようです。
「見付けたぞ! アイツだ!」
大きな声が、聞こえてきました。
ぽよぽよちゃん、声に興味を持ったので短い手足をぷるぷるさせて、どうにかこうにか起き上がります。するとすっかり誰も居なくなった表通りに、四人の若者が居るではありませんか。
一人は黒いとんがり帽子を被り、黒いマントを羽織る、自身の背丈よりも大きな杖を持った可愛らしい女の子。
一人は槍を持ち、白銀に輝く重厚な鎧を纏った無骨な男の人。
一人は修道服を身に纏い、十字架を握り締める麗しき乙女。
そして一人は、軽量ながら鎧を装備し、宝石のように煌めく剣を構えた淡麗な青年。
ぽよぽよちゃん、こんなにもカラフルな景色は初めて見ました。美味しいものでしょうか? 興味があったのでじっと見ていたところ、青年がぽよぽよちゃんに一歩近付きます。
そして、
「見付けたぞ。これ以上の勝手はさせない……ここで、討つ!」
全員を代表するように、そう宣言するのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます