ぽぽよ~

 一匹の普通のスライムが、砂浜を歩いていました。

 体長は二十クリット程度。ねとねととした粘液を纏い、半透明な青色をした、水玉のような形の身体が砂の上を滑るように移動します。ごくごく一般的なスライムの体長・体色・体型です。

 彼(スライムは分裂して増えるため、性別はありませんが)は文字通り砂を食んでいました。スライムは極めて薄い膜で身体を覆っており、その膜で砂や土などを包み込みます。すると粘液の作用により皮膜同士がくっつき、袋状となります。この袋はやがて酵素の作用により分離し、体組織内へと移動。液性と見紛うほど結合が緩い細胞達が、砂や土の粒子に付いた有機物を舐め取ります。

 これが一般的なスライムの食事でした。魔物の中でも力が弱いスライムには、獲物を捕らえる事すら出来ません。故にこうした、貧しい食に甘んじているのです。

「……ぷるるる?」

 さて、そんな食事をしていたところ、彼は海に漂うものを見付けました。

 それは板に捕まった、小さな生き物でした。セイレーンとか魚人かな、だったら怖いなぁ……そう思いながらまじまじと観察すると、どちらでもない事に気付きます。

 いえ、それどころか、なんだか仲間スライムっぽいような?

「ぷるるるる!?」

 仲間が海に流されていると思い、彼は慌てました。

 確かにスライムは、水中での長期生存が可能な生き物です。ですが海水となると話が違います。皮膜がとても薄いため、海水に長く浸かると浸透圧により身体の水分が抜け出てしまうのです。一日だけなら粘液の作用でなんとかなりますが、二日目になるとかなり危うく、三日は絶対に持ちません。

 目の前の仲間がどれだけの間海を漂っているかは分かりませんが、悠長にしている場合ではないでしょう。

 そして彼は、魔物の中ではかなり仲間意識が強いとされているスライムの中でも、とびきりのお人好しでした。

 彼は迷わず海に跳び込み、仲間の下へと駆け寄りまして――――


「ぽよー」

 助けられたスライムさんこと、ぽよぽよちゃんは能天気な声を漏らしました。

 仲間と思って助けたら、変な姿をした仲間だったので、スライムはちょっと困惑します。ですが海を漂っていたのは事実。助けた事を後悔なんてしていません。

「ぷる、ぷるるるる?」

「ぽよー」

「ぷるるるる、ぷるるる、ぷる、ぷるぷるるるる」

「ぽよ~」

「……ぷるる?」

「ぽよ?」

 スライムは「大丈夫か?」とぽよぽよちゃんの容態を尋ねていましたが、ぽよぽよちゃん、まるで理解していません。女児向けぬいぐるみのような頭を、こてんと傾けました。

 スライムは身体を震わせ、その揺れ動き方で仲間と意思疎通を図ります。これは力が弱く、外敵に狙われやすいスライムが、可能な限り自分の気配を消すために進化させた性質です。

 ところがぽよぽよちゃん達スライムさんは、長年外敵がいない環境で進化した事で、より正確で、より多様な、そして何より暗闇の中でも可能なコミュニケーションを発達させました。声による会話です。

 つまりスライムとスライムさんは、同じ分類群に属しながらも全く違うコミュニケーション方法を使う間柄だったのです。これでは意思の疎通など出来ません。話が通じないと分かり、スライムは戸惑いを示す揺れ方をします。

 さて、ぽよぽよちゃんですが……実は十六日間も海を漂っていました。

 通常のスライムならば、とうに脱水で死んでいる期間です。では何故ぽよぽよちゃんが生き長らえたかというと、その答えは彼女達スライムさんが持つ分厚い皮膜にありました。

 元々水分の蒸発を防ぐために進化させた皮膜でしたが、これが浸透圧に対する抵抗性も発揮したのです。分厚い皮膜は水中生活への適応を失わせましたが、漂流生活には有利に働きました。世の中何が幸いするか、分からないものですね。

 そんなぽよぽよちゃんのスーパースペックなど知らないスライムは、「ひょっとして脱水による後遺症で知性が……」なんて失礼な事を考えていました。脆弱な魔物である分、スライムは知性がそこそこ発達していたりします。

 ともあれ仲間を助ける事が出来、スライムは安堵しました。

 安堵出来たのは、その短い間だけでした。

 さく、さくと、砂の上を歩く音がします。

 スライムは反射的に、音がした方へと振り向きました。彼が見た先には、ぽよぽよちゃん達に近付いてくる一匹の獣――――野犬の姿があります。所謂大型犬ではありませんが、スライムやぽよぽよちゃんよりも大きな犬でした。

 これは大変です。スライムの貧弱さは魔物の中でもとびきりで、まともに戦えば犬にも負けます。逃げなければ簡単に捕まり、オモチャになる前に中身を撒き散らす事となるでしょう。

「ぷるる! ぷるる!」

 早く逃げよう! スライムはそう訴えます。

「ぽよぽー」

 ですがぽよぽよちゃん、逃げたり呆けたりするどころか――――足下に落ちていた海藻の欠片を、人形のような頭にある口 ― 正確には総出入口と呼び、呼吸や排泄もこの穴から行います ― に詰め込んでもしゃもしゃと食べていました。

 ぽよぽよちゃん達スライムさんが暮らす島には、天敵がいません。そのため彼女達は、危機感というものを退化させてしまったのです。例え野犬が迫ろうと、ドラゴンが舞い降りようと、ぽよぽよちゃんは動じません。そういうものが現れた、ぐらいにしか思えないのです。

 あまりにも暢気なぽよぽよちゃんに、スライムは呆気に取られます。

 この隙を突くように、野犬はスライム達目掛け駆けてきました。

 野犬の行動に気付いたスライムは、その場に留まります。スライムの足では、野犬からは逃れられません。何しろ全力疾走しても、赤ん坊のハイハイよりちょっと速いぐらいなのですから。

 スライムは野犬が迫る時をただただ待ち――――

 野犬がその口を大きく開いた瞬間、びしゃっ! と音を立てて黄色い液体を放ちました。

 液体は野犬の顔に掛かると、肉が焼けるような音と煙を出します。野犬は悲鳴を上げながらバタバタと藻掻き、一目散に逃げていきました。

 これぞスライムの必殺技、溶解液です。強力な酸を浴びせ、敵にダメージを与えます。

 ……必殺技と言いましたが、精々表面を火傷する程度の威力しかありません。先の野犬のように顔にでも当たり、上手い事目に入れば失明を起こせますが、その程度です。おまけに一日一発しか撃てない有り様。これがスライムの限界でした。

 とはいえ撃退には成功しました。もう大丈夫だと、スライムはぽよぽよちゃんに伝えようとします。

 丁度その時です。

 ぽよぽよちゃんがスライムに近付き、なんと、彼にチュッと口付けしたではありませんか。

 スライムにキスの文化はありません。なので彼はドキドキしたりはしませんが、文化がないからこそ困惑もします。

 ぽよぽよちゃん、そんな彼に構わずちゅうちゅうと吸い付いてきます。やがてぐぼぐぼと音を立てながら、その口を広げていき……少しずつ、スライムを口の中に押し込んでいきます。

 スライムはハッとしました。ハッとした時には、もう手遅れでしたが。

 ぽよぽよちゃんは、自分を助けてくれたスライムを食べようとしていました。

「ぷる!? ぷるるるる! ぷるるるるるる!」

 スライムは必死に身体を震わせ、ぽよぽよちゃんに訴えます。止めてくれ! 食べないでくれ! ですが、ぽよぽよちゃんは止まりません。

 今のぽよぽよちゃんは、スライムごはんの事しか見ていませんでした。

 そうです。ぽよぽよちゃんは、最初から彼の事をごはん程度にしか思っていませんでした。自分を助けてくれた事への感謝など、抱いてもいません。感謝する心など、絶海の孤島には不必要なものなのですから。

 必死に暴れるスライムを、ぽよぽよちゃんは口の中に押し込んでいきます。ぽよぽよちゃんの弾力のある身体は、スライムを頬張るほどに膨らみ、彼を容赦なく飲み込んでいきました。スライムは半狂乱になりますが、どうにもなりません。

 ついにはごくんと、ぽよぽよちゃんはスライムを丸呑みにしてしまいました。しばらくその愛くるしいボディが内側からぽこぽこと膨らみましたが、やがて収まりました。

「……けぽっ」

 ぽよぽよちゃんの口から、大きなげっぷが出てきます。消化酵素がタンパク質などを分解した際、二酸化炭素が発生するため、スライムさんは食事後によくげっぷをします。つまりは、そういう事です。

 しかしぽよぽよちゃんのお腹を満たすには、あんなものではまだまだ足りません。もっとごはんを食べて、もっと増えたいぽよぽよちゃんは、辺りを見渡します。

 そうして地平線の彼方に、何やら砂浜とは違う色合いのものが見える事に気付きました。ぽよぽよちゃんは少し考えた後、ぽよんよんと跳ねて、地平線を目指します。

 ぽよぽよちゃんはとても好奇心旺盛なのです。

 だって周りと雰囲気が違う場所には、ごはんがあるかも知れないのですから……

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