ぽよぽよちゃんは栄えたい
彼岸花
ぽよー
魔法に満ちた世界・アスラガルド。人間、亜人、魔物……数多の種族が暮らすこの世界は、常に争乱に満ちていました。
争乱の理由は様々です。価値観の違い、利害の違い、信仰の違い。共通しているのは、誰もがあらゆる違いを拒み、誰かが誰かを憎んでいる事でしょう。
土は血で、空気は戦火で、水は涙で、日々穢れています。ですが争乱は治まるどころか、刻々と世界中に広がり、激しさを増していました。
誰もが思っていました。このままでは世界が燃え尽きてしまうと。
誰もが思いました。だから敵を早く倒さねばならないと。
悲劇と憎悪は、止まる気配すらありません。
――――そんな世界規模の諍いすら届かない大海原のど真ん中に、その島はありました。
島は地面の殆どがゴツゴツとした岩で覆われていて、土は少ししかありません。草どころか苔すら生えておらず、不毛な大地でした。加えて島自体がとても小さく、一周千二百マグクリット ― 長さの単位です。一マグクリット=百クリットとなっており、大人の人間が大体百五十~百七十クリットの大きさです ― ほどしかありません。
しかし寂しい場所かと言えばそうでもなく、草花の代わりにぽよんぽよんとしたものが何千と動いていました。
ぽよんぽよんとしたものは、みんな大体同じ姿形をしています。大きさもどれも三十クリットぐらいです。全てが深海を彷彿とする濃い青色をしており、下半身は貝の中身のような軟体生物的様相をしていました。対して上半身は太いですが手を持ち、のっぺりしていますが顔を持ち、塊ですが髪の毛のようなものを携えています。例えるなら子供向けの人形のような姿です。その顔立ちは、どちらかといえば女の子っぽく見えるでしょうか。
果たして彼女達は何者なのか?
答えを言ってしまうと、実はスライムなのです。とはいえ一般的なスライムはぺちゃぺちゃとしたゲル状で、彼女達のようなハッキリとした姿は取れません。
では何故彼女達はこんな姿をしているのかと言うと、この島で独自の進化を遂げた結果でした。
彼女達の祖先はずっとずっとの大昔に、この島へと流れ着きました。スライムはとても弱い魔物ですが、この小さな孤島には彼女達を虐める怖い魔物はいません。そのため彼女達は大いに繁栄し、邪魔される事なく進化し、独自の姿を持つに至ったのです。普通のスライムではないので、ここではスライムさんと呼ぶとしましょう。
この物語の主人公ぽよぽよちゃんは、そんなスライムさん達のひとりでした。
ぽよぽよちゃんは迫り出した岩の上で海を眺めています。今日の天気は、雨雲いっぱい。海は荒れ気味で、波も高いです。時折激しく打ちつける波がぽよぽよちゃんに掛かっていますが、それでもぽよぽよちゃんは岩の上から動きません。
「ぽよぽよ~」
そしてぽよぽよちゃんは、「ごはんはまだかなぁ」的な意味合いの声を独りごちました。
スライムさんだらけのこの島ですが、石と砂ばかりで、スライムさんのごはんとなるものはありません。大昔はそれなりに食べ物があったのですが、際限なく増えたスライムさんのご先祖様がみんな食べ尽くしてしまいました。なので今では時折海から流れ着く海草や生き物の死骸が彼女達のごはん。ぽよぽよちゃんが海を眺めているのは、そのうちごはんがやってこないかなと期待しているからです。
ちなみにぽよぽよちゃんの後ろには、数え切れないほどのスライムさんが並んでいました。ぽよぽよちゃんと同じく、食べ物が流れ着いてこないか、じっと待っているのです。先頭に立つぽよぽよちゃん、ちょっと踏ん張らないと押されて海に落ちちゃうかも。
のんびりと、流れ着くゴミを待ち続けるぽよぽよちゃん達。彼女達は大体毎日、朝から晩まで、こうして食べ物を待ち続けます。たまには遊んだり、お喋りしたりもしますが、基本的には食べ物を待ち続ける日々です。
勿論、食べ物が少ないので食いっぱぐれる訳にはいかない、という切実な理由もあります。ですが食べ物なんて殆どないこの島で進化したスライムさん達は、絶食にとても強いのです。一年か二年何も食べなくても、元気でいられます。更に言うと、ほんの数日前にたくさんのお肉と木が島に流れ着き、島のスライムさん達はみんなお腹いっぱいになっています。このまま二年間、食べ物が流れ着かずともスライムさん達は元気でしょう。
それでも食べ物を求めるのは、誰もが『自分』を増やしたいと思っているからです。
スライムは分裂によって繁殖します。スライムから進化したスライムさんも、この繁殖方法に変化はありません。分裂すると体重は半分に減ります。言い換えると、体重が誕生時と比べ二倍になった時、スライムさんは分裂出来るのです。
そしてスライムさん達はみんな、もっと自分を増やした~い、と思っていました。あまり自分を増やしたがらない個体より、自分を増やしたい個体の方が適応的です。厳しい環境に適応する中で、より強い想いが生き残った結果でした。
今日も彼女達は繁殖のため、海からやってくる食べ物をのーんびりと待ちまして――――
「! ぽよー!」
待っていた甲斐もあって、ついに見付けました。
ぷかぷかと浮かぶものが、島の方へとたくさん流れてきます。昨日流れ着いたのと同じ種類のお肉と、たくさんの木でした。
普段は海草が一日数本、魚が一週間に一匹流れ着けば良い方。なのに今回流れ着いたのは、山ほどの食べ物です。島から溢れそうなほどたくさんいるスライムさんが、またしても全員お腹いっぱいになるでしょう。
「ぽよぽよー!」
ぽよぽよちゃんのテンションは最高潮。すぐにでも浜辺に行こうとその身を反転
「ぽよ!」
「ぽよぽよ!」
「ぽよぽよーっ!」
したものの、後ろに居た仲間達が迫ってきました。
みんな繁殖したいのです。ごはんがあると聞いて黙ってはいられません。ごはんの姿を見ようと、岩の切っ先にどっと押し寄せます。
ぽよぽよちゃんは仲間達に押されて後退。
「ぽ、ぽ、ぽよ~?」
当然岩の切っ先の向こう側に下がれる足場などありませんので――――どーんっと、ぽよぽよちゃんは突き飛ばされました。ついでに、じゅうなんにんかの仲間達も一緒に突き飛ばされます。
そのままぽよぽよちゃん達は、海に落ちてしまいました。
これは大変です。一般的なスライムは、水中での活動にさして支障はありません。大抵のスライムは表面がぬるぬるとした粘液で覆われています。これは雑菌などを防ぐのと同時に、外界から酸素を取り込むための媒体としても機能するのです。この粘液のお陰で多くのスライムは大気中のみならず、水中でも酸素を体内に取り込めます。大気中より効率は落ちるため永住こそ出来ませんが、真水の中であれば一週間程度は生存可能と言われています。
しかしぽよぽよちゃん達スライムさんは、この粘液を持ちません。彼女達が暮らすこの島には川も湖もなく、周りにあるのは飲み水に適さない海水だけ。利用出来る水分は食べ物に含まれるものと、たまに降る雨水のみ。つまりこの島は、常に真水が不足しているのです。粘液などで無駄に排出していては生き残れません。そのため彼女達は、粘液の分泌機能を退化させてしまったのです。水分が蒸発しないよう皮膜も分厚くなり、最早粘液があっても酸素は取り込めないでしょう。現在、呼吸は大気を直接体内に飲み込み、体組織と直に触れさせる事で行っています。当然海中では飲み込む大気がないので、息が出来ません。
ぽよぽよちゃん達の身体は、今や水中生活を想定していないのです。おまけに今日の海は荒れ模様。このままでは沖に流され、数分で溺れ死んでしまいます。
「ぽよぽよ~」
「ぽよー」
「ぽよ?」
「ぽよ~」
ところが陸地の仲間達は誰も助けてくれません。スライムさんは仲間同士の仲は悪くありませんし、出来る手助けはしてくれますが、出来ない時はあっさり見捨てます。仲間が死んでも「ぽよ~(そっかー)」と思うだけ。身体はぷるぷるほわほわ系なのに、心はハードでクールなのです。
ぽよぽよちゃんも助けてもらえるとは思いません。ぱちゃぱちゃと手をばたつかせ、どうにかこうにか近くを漂っていた木の板に辿り着きます。一緒に落ちた仲間達も、なんにんかは木の板に掴まれたようです。
「ぽよ。ぽよぽよー」
「ぽよぽよー。ぽよぽよ?」
「ぽよー」
尤も、泳げないぽよぽよちゃん達は島に戻る方法が分かりません。それどころか海流に乗り、沖へと流されてしまいます。どんどん島が遠くなり、仲間達も離れ離れに。
やがて、ぽよぽよちゃんの周りに仲間の姿はなくなり、島も見えなくなりました。
「……ぽよぽよ~」
しかしぽよぽよちゃんは気にしません。元気いっぱいなぽよぽよちゃんにとって今の島は窮屈で、ちょっと暮らしにくいなと思っていました。なら、このまま何処かに行くのも悪くないと感じたのです。何処に何があるかは、さっぱり分かりませんが。
ぽよぽよちゃんは板に捕まり、なーんにも考えずに流され続けます。
こうして始まった、ぽよぽよちゃんの大冒険。
ぽよぽよちゃんは忘れています。自分達の島には、元々スライムさんがひゃくにんぐらいしか居なかった事を。
ぽよぽよちゃんには知りようもありません。一週間前、遠洋で魔物と人間の戦いが起き、幾つもの船や魔物が沈み、その一部がぽよぽよちゃんの暮らしていた島に流れてきたなんて。
そうして本来ひゃくにんしか居なかったスライムさんがなんぜんにんにもなって、ぽよぽよちゃんは押し出されました。舟が沈まなければ、人間と魔物の争いがなければ、ぽよぽよちゃん達は今日も島でのんびり暮らしていたでしょう。
これは、小さな歪み。
歪みは次の歪みを生み、少しずつ、『世界』にヒビを入れていきます。この世界がこれからどうなるか、ぽよぽよちゃんには分かりません。分かるほど、ぽよぽよちゃんは賢くないのです。
ただ一つ言える事は、
ぽよぽよちゃんの旅路が、更なる歪みを生む事だけです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます