引きこもりの少女と郵便屋 7
「で、フラウ」
再三、時を逆巻く。
シノギはフラウラリーネとふたりで話し合うことがあった。ベルとリオトを除いたのは、一応、シュプレヒドの――引いては『飛送処』の最高戦力のひとりの奥の手について明かすことになるから。
「はい」
「あいつの奥の手、“
シノギでさえ、気を遣ってそれについては今まで説明を要求することはなかった。
使っているのを見たことはある。それにやられたこともある。
けれど、言葉でちゃんとした説明は、なかった。
だが此度は、そんなことは言っていられない。本当に負けられないから。
フラウラリーネもそれを理解し、だから真剣に返答する。
「端的に言えば全身に雷撃を滞留させること、それが“
「まあ、見た感じ通りだな」
シンプルで、だからこそ強力。攻略困難。
「それは攻防一体。斬撃はもちろん、髪先にまで電気が流れていますから、触れるだけで相手を焼き滅ぼします」
「触れるだけで、つまり」
「ええ、こちらから触れても、それは同じことです」
「鎧であり刃である、か」
攻撃とは往々にして直接的な接触が不可欠だ。ならば身に纏う雷とは、恐るべき防壁そのもの。
魔術の心得のないシノギには、だいぶ厳しい。
まあ魔術であっても焼いて届かないのだから、威力が足りない時点で全ては等しく無意味であるのだが。
「でも、一応斬りこむことはできるんだよな。痺れる覚悟で」
「それも難しいでしょうね。斬りかかり、しかし刃が兄様に触れる以前で蒼い雷撃がこちらを襲います。そして雷撃に硬直し、そのまま返す刃で敗北でしょう」
「あー、マジか」
触れるだけで打倒可能というデタラメ。
ならば指先一本、僅かな動作でさえも必殺の脅威となる。触れられないのだから攻めることもできず、どうしようもない。
その上、そもそも『
抜きん出た出足の早さ、音を置き去りにする初速の疾さ。
けれど、それは瞬く間の出来事、一足だけの高速に過ぎない。大雑把で、直線的、そして飛距離が決まっている。
そこで“
雷帝そのものと化すその技ならば、常時雷速を実現する。
一挙手一投足の全てが雷電。高速にして精緻な動作で神出鬼没をなす。
踏み込みには回避ままならず、防御はそもそも間に合わない。
反撃に転じようにも出鼻を挫かれ、不意を突いても後出しで先回りされる。
速度という戦闘における不可侵の領域で――雷帝は誰よりも先を行く。
「ともかく使わせないことですわね」
フラウラリーネはそう断ずる。
「『囀』を使っている間なら、おそらくあの技も使えないでしょう。それだけ集中力を要するものですから」
「なんで」
「電撃を自らに滞留させるということは、常に魔力を行使しているということですから」
「なんだよ、失敗すれば暴走して自滅か?」
「いえ、それはありません」
弱点がないかと希望的観測で述べるも、あっさりと否定。
というか自身に牙をむくような異能など制御不足の愚かだろう。そうなる直前で引っ込められる程度には使いこなせているに決まっていた。
当てが外れて投げやりげに、シノギは問い。
「ちぇ。じゃあなんだよ」
「集中力が途切れてしまえば電気を制御しきれず、周囲に無駄な放電をしてしまいます。兄様の『
「だから、集中してやっておかねェとまずいのか。手綱を離せば魔力が散るから」
内ではなく外。
自身に牙むくことを避けるために、せめて外への排出するよう術式を組んでいる。
「ええ、それが“
「っても、そりゃ狙ってどうこうできるもんじゃなくて、あくまで使わせないための対策なんだな?」
「そうです。ですから、『囀』を上手く使って、あのひとにそもそも使わせないよう立ち回ることが一番に重要なことだと理解してください。万が一にも発動されれば――」
勝利を疑ってはいない。負けない。シノギはきっと自分の信頼に応えてくれる。
そう信じている。
けれど、事実はそうなってしまうとも、フラウラリーネは理解している。
「おそらく、その時点で勝敗は決してしまいます」
◇
「さて」
ばちりばちりと、体中から火花が散っている。
輪郭はぼやけ、常に稲妻が駆け抜けているような奇妙な状態となっている。
青白い雷光を纏う――否、そのものとなっている。シュプレヒドのその姿はまさしく名の通りに蒼い雷帝。
もはや人の形をした雷そのものとなった彼は、ただ直立するだけで誰をも威圧する。それは落雷を前に身が竦むのとまったく同じ。雷鳴に驚いて身を丸めるのと寸分違わない。
届かぬ蒼天の遠さに感じる虚しさ。峻烈で激しい天災に思い知らされる無力感。強大にして無比なる大自然の脅威への――畏怖。
グラスに隠れた悪瞳が、僅かに恐怖に揺れる。
「……ち」
今更、怯えるのか。
今更、恐れるのか。
阿呆が。相手が強いだなんてことは、わかっていたはずだろう。この技が圧倒的な雷神を産み落とすのは承知の上だろう。
ビビってたって動きが鈍るだけで、震えてちゃあ剣筋がブレるだろうに。
こうなった以上、チャンスは一度きり。狙い目は一瞬間。可能性は一欠けら。
だからこそ落ち着け、見栄を張れ、強がって笑え――勝利をその手に掴むために。
シュプレヒドはその見せかけだけの作り笑いに、酷く不愉快そうに鼻白む。
けれどもすぐに表情を消し、代わって浮かべるのは笑み。シノギのそれとは
「どれほどもつかな、貴様の心は」
轟と。
雷鳴が響き渡り。
「あ?」
シノギは斬り裂かれていた。
そして雷撃が走り、全身を焼き尽くす。痺れ硬直し、頭が真っ白になる。
痛みはようやく、そのあとに来た。
「が……っ、ァァァァァアアア!?」
その程度では済まない。終わらない。
痛みに悶えているのは隙で、麻痺して身が固まるのは好機でしかない。
雷撃の刃は、瞬く間に七度振るわれている。
握る魔刀を弾いて飛ばし、体のあらゆるに斬痕を刻み、噴き出した血液すらも蒸発させる。
耐電の手袋がなければ、七度死んでいた。
あったとしても
「地獄の苦しみに悶えて狂え」
その壮絶な苦痛は一切の減退なくシノギの精神を磨り潰す。
たとえるのならそれは、皮膚の下、体中で膨大な雷を帯びた蛇がうねり這いずっているような激痛。猛烈な熱に指先から全身が蒸発する合間のような塗炭の苦しみ。
意識は明滅し、痛みによって気絶と覚醒を繰り返す。
斬り裂かれた傷は深く、致命だけを避けたに過ぎない重症。流血は逆に雷の高温に焼かれて止まっているのは幸か不幸か。本来ならばとっくに死んでいるはずの感電を幾度も身に受けた。
ほんの数秒で――シノギは瀕死にまで追いやられていた。
それはつまり、たった数秒だけで、この勝負は決したと言っていい。勝ちの目なんて欠片も見当たらない、圧倒的な力に圧し潰されて、はいお仕舞い。
呆気ないほど簡単に、瞬きする間にあっさりと、勝敗は決したのだ。
それは単に、ただの郵便屋と英雄との厳然たる実力差。明確にそれを見せつけられたという、それだけのこと。
たとえここからまだシノギが立ち上がったとて、その結末は不動であろう。
――速度という戦闘における不可侵の領域で雷帝は誰よりも先を行く。
故にこそ、シノギがこれからどう立ち回ろうと、シュプレヒドは確実に先手をとって必勝する。勝ち目など、もうどこにもありはしない。
だから。
「諦めろ、サカガキ・シノギ。貴様の負けだ」
「……ハ」
だと、言うのに。
「だァれが、負けだって? まだまだ……よゆう、だね」
「っ」
シノギはいつものように強がって、見栄を切り、なんとか立ち上がってみせる。
足はふらついている。全身が焼けて震え、痛みに正常な思考さえ覚束ない。
手にしていたはずの魔刀はいつの間にやら吹き飛ばされて、徒手空拳の絶体絶命。新たに抜刀しようとすればまた雷帝が急襲してくるだろう。
それでも――にやり笑って意地を張る。
「まだ……負けて、ねェぞ、おら……かかって、来いよ」
「っ! 貴様っ、貴様は!」
そのまるで根拠のない笑みに、シュプレヒドは激怒する。激発して叫ぶ。
「貴様はいつもそうだ、常にそれだ! 叶うはずのない夢を騙って人の心に付け入る、まるで詐欺師だ!」
「誰が詐欺師だ……おれァ郵便屋さん、だ……ァ」
「では嘘を吐くな、妹を惑わすな! 現実的な解決法が目の前にあるのに、戯言をほざくんじゃない! あぁ私は――!」
もはや風前の灯火の如き男に、英雄は雷霆のごとくに大喝する。
「できない夢をさもできるかのように語る貴様が大嫌いだ!」
咆哮とともに帯びた電流が迸っては空気を焼く。結界内が震えあがり、誰もが怯え竦んでしまうであろう。まさしくその大喝は落雷そのものである。
対してシノギは沈着に――ただ声を張るだけの元気すらもはやないだけ――囁くように返す。
ここで言いたい放題を言われて、言い返さないでは負けたようで癪だった。
「おれが絶対助けてやる、そう――おれが決めたんだ」
「そういうところが嫌いなんだよ! 決めたら勝てるのか、誓ったら負けないとでもいうのか!?」
「そうだよ、そうするんだよ」
「ふざけたことを――!」
轟と。
再び雷鳴は轟いて。
「――!」
勇者は言った。
――予兆だ、シノギ、予兆を見逃すな。
「わかってる」
たとえ雷速であっても、相手は人間だ。それ以前の予兆が必ずある。
足に起こりが、視線に意が、魂に真実が、兆しとなって伝えてくれる。
魔王は言った。
――目を見よ、相手の目を、よく見ておけい。
「わかってるさァ」
魔術というのは理論である。発動には必ず構築された理がある。
理論は常に公平だ。理論はいつだって嘘偽りなく正直だ。
ならばこそ、魔術師の視線というのはその理論に則った方向を示す矢印である。
「――ふざけたことを抜かすな、サカガキ・シノギィ!」
踏み込む足が見える。目線の先がシノギを貫いているのがわかる。
来る――雷帝の一撃が!
「『縁』ィ!」
まだ腰元に二刀がある。魔刀は使える。発動する。
『結線魔刀・縁』はシノギごと引き寄せ、雷帝の射線から無理矢理に逃す。
激怒して単調、雷鳴は常に真っすぐ。それを事前に予期して回避――
「――それでかわしたつもりか?」
できない。
逃れられない。
先ほどとなんらの変わりなく、シノギはぶった斬られる。
英雄の剣技は正しく、稲光は高速。付け焼刃の見切りで回避できようはずもない。
にわか仕込みとはいえ仮にも勇者と魔王とともにあったことで培った技術――それすら、無意味。
斬られると同時に雷撃を味わい、苦痛に発狂しかける。無力感に泣きたくなった。
「……っァ!」
何度も、何度も、何度も。
シュプレヒドは絶え間なく斬撃を叩きこむ。嬲るように、痛めつけるように。
雷撃がひっきりなしで駆け巡る。激怒がそのまま激しい電流となり、憎しみが具現化してシノギを襲う。
それは拷問にも近しい。
死に切らないように加減されている。心を摘むために痛みと苦しみを優先して与えている。
心折れ屈せよと、もはやそれは戦いではなく調教であった。
「……!」
拷問に苛まされるシノギは言葉すらでない。涙さえ枯れ、苦痛に悶える動作すらも失ってくる。
予告通りに――仰向けで、地に転がされたのはどれだけの責め苦を受けた後だっただろう。
ともすれば死んでしまったのではないかと思われるほどに、シノギはズタボロだった。
けれど英雄がそこで調節を過つほどに愚かではない。ちゃんと細心の注意を払って生殺しに留めている。
シノギは既に負けていた。
敗北した上で勝負を続投させられているに過ぎない。シュプレヒドの気まぐれひとつでなにもかもは終わる。
それでも消えぬ瞳の輝きに、シュプレヒドは苛立ちを隠せない。勝利を後回しにしてでも魂をへし折らんと手を尽くす。
きっちりとシノギの口から敗北を認めさせねば気が済まない。二度と逆らうことのないように絶望させねば意味がない。
次に狙うは、
「貴様の自信の源はその魔刀だろう。ならば、それを失うことは諦める理由になるのではないか?」
「っ」
雷速での接近ですらない。
ただ歩いて近寄って、それにすらもシノギはもはや反応できない。
あっさりと魔刀を奪われ、放り捨てられる。腰元の最後の二刀それぞれ、別方向に捨てさられ――遂にこれで。
「ゼロ。貴様に頼るべき魔刀は失われた」
確かに。
魔刀を失った喪失感は饒舌に尽くしがたい。常に携えて頼ったそれは、シノギにとって戦闘における全てだった。
体は
魔力すらも底が見え、魔刀の能力行使はおろか、このままでは耐電の手袋さえも維持していられないかもしれない。
もはや、死への秒読みがはじまっていると自覚している。
「足掻くのには疲れただろう。強がるのはもう嫌だろう――そろそろ諦めてもいいぞ、サカガキ・シノギ」
こうまで丁寧に心を折られ、反骨精神を順繰りに砕かれ、片端から希望を潰して回られて。
「……ァァ」
やはり、ダメなのではないか――。
そのような思いがよぎってしまうのは、実に当たり前で。
強がりを言うということは、つまりが弱音を隠しているのと同義である。
見栄を張っているということは、つまりが本音を裏にしているのと同じことだ。
助けてくれ――弱音を吐きそうになった。
怖くて仕方ない――本音を叫びだしたかった。
そうだ不様に仲間に助けを求めれば、命は助かる。
自分よりもずっと強い勇者がいて、自分よりずっと聡い魔王がいるのだ、なにも身一つで戦う理由などない。
なにを意地になっている。死んだら全部お仕舞だぞ。泥を啜ってでも生き延びて、生き恥を背負って生き抜くことに異などなかろう。ならば格好つけてないで助けを求めろ。
情けない弱音があふれ出しそうになる。押し殺していた本音が全身を駆け巡る。
己という人間の否定しようのない浅ましい性根が、馬鹿な意固地を切り捨てようとしている。
たすけてと、そう一言言ってしまえば解決する。参ったと、そう告げればそれで終結する。
視界一杯の空の青さから目をそらすように、シノギは首を傾け。
「ぁ」
そこで、自分がどうして強がっているのか、なぜ見栄を張り続けているのか――その理由の全てを見た。
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