引きこもりの少女と郵便屋 6



「空ってのは、やっぱりいつ見ても青いなァ……」


 フラウラリーネの屋敷、その広大な庭先は真っ平らな土地だった。

 屋敷の玄関へと向かう舗装路を並木が沿い、その向こうに芝生が広がるだけの庭だ。

 だだっ広いだけでなにかを手を入れた様子も、飾り気もない。とはいえ無論のこと芝は刈り揃えてあって最低限の手入れはしてある。


 屋敷の荘厳さが全面に押し出され、あまり庭は主張せぬようにとの意図であった。


 庭園的な美を意識したのは中庭のほうで、それは窓先から眺めるために整えてあるのだが、一方でそういう意味合いにおいて前庭は完全に持て余し気味となっている。


 そんな前庭のとある一角、隅の方。

 緑の絨毯のめくれ上がった土色の空間がぽつりと空いていた。


 幾度も踏み締めたことで硬められた地面、きっかりと測ったような真円形。そこはかつて、シノギがバトに師事していた頃に使っていた訓練の場所だった。

 見学するフラウラリーネに害が及ばぬようにとバトによって張られた結界と、鍛錬の激しさの結果、その一角のみ庭が更地となってしまったのだった。


 もう十年近く前から、そのまま保存してあるのは屋敷の主の思い入れか。それとも使用者がどうせまた戻ってくるから、その際に必要となるだろうという気遣いか。


 ともあれ、こうした決闘を執り行うに際し、ちょうどよい空間であることは確か。


 取り仕切る役目を請け負った立会人のバトは、その正円の真ん中で魔術を行使する。

 いつかと同じ、いつもの結界。

 外部へと危害が及ばぬようにと、この更地のみを隔離する結界魔術だ。


 バトはそれだけし終えると、静かにその決闘空間から去る。フラウラリーネにベルとリオト、その三人だけの観客と同じ位置にまで下がる。

 故、残るはただのふたり。ふたりきり。


 そこに向かい合わせに相対するのはサカガキ・シノギとシュプレヒド・フォン・エスタピジャだけとなる。


「貴様がこれより眺め続ける景色を、今見飽きてはつまらぬのではないか?」


 そんな演壇の上で、シノギはぼうっと天を仰いでいる。

 緊張感も覇気もないその態度に、シュプレヒドはいささか腹が立ち、皮肉を塗りたくった返答を飛ばした。

 ただの独り言に返った言葉に、シノギは顎を引き、正面を向き、肩を竦めて笑う。


「倒れるなら前向きに前のめりがいいね」

「敗者に敗れ方など選べはしない。不様に仰向けに、打ち倒してやると宣言しよう」

「英雄サマは大変だな、勝ち方ひとつとっても格好良くしねェといけねェとはよ」

「貴様は端から不様だがな」

「不様にでも勝てば勝ちだろ、問題ねェ」


 それはいつもの罵り合い。

 顔を突き合わせては互いを罵倒する習慣のようなもの。


 けれど此度の彼らは、その手に真剣を握る。

 相手を殺傷しうる武器、相手を打ちのめしえる技、相手を――殺しえる意。

 既に賽は投げられた。引き絞られた矢のように、あとは撃ちこむのみで、後戻りはできやしない。


 ただバトの一言で、殺し合いの果し合いははじまってしまう。


 過去、もう何度も何度も、シノギはシュプレヒドに挑みかかったことがある。

 全て惨敗した。幾度も敗北の味を舐めさせられた。

 けれど、実は。


 ――生死を問わずと銘打っての戦闘は、これがはじめてである。


 シノギもシュプレヒドもずっとフラウラリーネに気遣っていて、決定的な場面での決闘などは一度としてなかった故だ。

 だから、これは初戦。

 シノギとシュプレヒドの、はじめての真の相対。

 その結末はこれまでの遊びのようなそれとはわけが違う。血濡れの結末が待ち受けていてもなんら不思議ではなく、命の保証はない。



 シノギは魔刀を構える。腰元に四本控え、一刀を正眼に。

 シュプレヒドもまた両刃の剣を構える。美しいほど最適に。


 ふたりの構えは、奇妙に類似していた。その剣術を覚える段において、手本にした者が同じであったがための偶然の類似でしかない。

 結局、その構えを除けば剣技において、彼らのそれは似てもいないのだから。


「では――」


 バトがそこでとうとう口火を切る。


 ふたりの間にはもう言葉もない。

 ただ無言の内の睨み合い。視線と視線で探り合い――否、それを避けるようにシノギはグラスを装着していた。

 だから、シュプレヒドにはシノギの視線の先が読めない。


 戦闘において視線は重要だ。互いに互いの視線を観察して、そこから予兆を見極め剣を交わすもの。

 それを一方的に断つためのグラスであると思えば、つまらぬ小細工だと、英雄は鼻で笑う。


「尋常に――」


 シノギは強がるようににやりと笑う。

 シュプレヒドはそのおどけを切り捨てんと表情を険しく引き締める。


 開幕の鐘の音が瞬間後には響き渡り、命の取り合いが次の時点ではじまる。

 そんな火蓋が切られる直前の、得も言われぬ緊張感が膨れ上がって最高潮の。

 その刹那。


「それによ」

「?」


 そこでシノギはひとつ言葉を滑り込ませる。

 万感の思いをこめ、腹に溜まっていた感情を発露する。ただ全力で。


「はじめ――!」


「――空の青さなんざ、とっくの昔に見飽きてらァ!」



    ◇



「まずさ、彼は『継天能力カノン・クラフト』を使えるんだって?」


 時間は巻き戻る。

 それはシュプレヒドの対策を練るための話し合い。リオトからの最初の問いかけ。

 シノギは頷く。


「ああ、異名の通り『飛蒼雷天ヒソウライテン』って言ってな」


継天能力カノン・クラフト』とは、ごくごく稀に継天者ケイテンシャが得る特異特殊なる能力である。 

 継天者を集めて回っても、継いでいるのはほんの百人にも満たない、勇者や魔王の能力の残滓とも言える代物。


 つまり劣化版の『神等勇具レリック・アーツ』、弱体し切った『偽神権能レリック・アート』だ。


「そうか、それはずいぶんと珍しい。俺でさえ、『継天能力カノン・クラフト』を継いだ者には会ったこともなかったんだがな」

「あんたでも? そうなのか」

「ああ。『特異能力オーバーセンス』保持者となら戦ったことはあるけど」

「そっちのが珍しくねェか?」


 ちなみに『特異能力オーバーセンス』とは勇者の血筋であるとか、魔道具や神遺物アーティファクトに影響を受けてとか、そういった一切の原因をもたずに生まれながらにもっていたその個人特有の異能のことを指す。

 無論、保持者は世界中見渡してもほとんどいない。


 それに、実際は勇者の血筋であることに気づけていないだけ、というパターンもあったりするという。その逆に『継天能力カノン・クラフト』保有者であると思っていた者が実は『特異能力オーバーセンス』保有であったという話もある。


「それで、その彼の『飛蒼雷天ヒソウライテン』と言ったか? それは、一体どんな力だ?」

「稲妻になる能力」

「ん?」

「一言で言うとそんな感じ。雷の属性に適性を得て、まるで転移の如く雷速で駆け抜ける」

「雷の属性か、厄介だな……」


 ふむ、とリオトはしばし黙考して、すぐに第一に対策すべき点を挙げる。


「では一番に警戒すべきは、初撃かな」



    ◇



 合図と同時、ふたりは地を蹴り突貫。真正面から真っ直ぐに、ただ最短距離で斬りかかる。

 瞬く間に両者の距離はゼロと化す――そしてぶつかり合う白刃。

 鋼同士が鳴り交わし合い、清澄なる金属音が響き渡る。


 鍔競り合いの様相となって、即座にシュプレヒドは気づく。


「……ふん。耐電付与の手袋か」


 ばちりと。

 シュプレヒドの剣には電流が流れている。

 触れたものを消し炭にするほどの雷撃を付与された、それは雷剣。

 無論、本来なら鍔競り合いとなった時点で刃を通じて雷撃を流し込まれて敗北は必至。


 けれど、シノギの手には手袋が。

 元より魔王たる少女に耐電を付与してもらい、さらに今日のみ効能をブーストしてもらった特製の白い手袋が装着してある。

 それが雷の属性ならばすべてシャットアウトし、届かない。


「小賢しい、貴様はどうしてそんなに小賢しい」

「悪戯好きなもんでね」


 しかしシノギとしては背筋が凍る思い。

 雷撃を纏った斬撃など、これまでの戦いでシノギは一度として見たことも聞いたこともない。


 本気で打ち倒そうとしているが故の、必殺の初見殺し。

 リオトがそれを推測してくれていなければ、ベルが魔術を付与してくれていなければ、初手で敗北していた。


 だが、逆に。

 このまま鍔競っていられれば――


「その魔刀、『クシゲ』だな?」

「っ」

「我が一族の家宝のひとつを、よくぞ私に差し向けられたものだな」


 ばちりと音が鳴り――シュプレヒドの姿が消える。


「ちィ……!」


 もう一秒でも触れたままでいれば、シュプレヒドの剣を『クシゲ』の中に仕舞い込むことができたであろうというギリギリのタイミング。

 シノギの魔刀について、その能力について、シュプレヒドには大半がバレている。

 これまでも幾度も剣を交えてきたからこそ、戦法や癖が露呈しているのだ。

 その逆もまた然り。


「そっちかっ」


 シノギは触れることもなく腰元の『エニシ』を起動。同時に横っ飛び。

 縁に沿って魔刀が駆動、その勢いに身を後押しされシノギは大跳躍。全速力でその場を離れる。


 次の瞬間には、シノギの立っていたそこに落雷が降り注ぐ。


「あぶね――」

「それで回避したつもりか」


 跳び退いた、その先にはシュプレヒドが待つ。

飛蒼雷天ヒソウライテン』が一手、“転迅雷歩テンジンライホ”。雷速移動は彼の基本能力、目に見えぬ高速こそがシュプレヒドを相手取るに最も面倒な点である。


 蹴り飛ばされる。


「ぐっ」

「まだだ」


 “転迅雷歩テンジンライホ”。

 蹴打によって不様に転がり飛ばされる、その向こう側には既にシュプレヒドが待ち構える。

 次は剣を振りかぶって――


「我が六の魔刀が一刀――『固空コクウ魔刀・キザハシ』、その魔威をここに敷け!」


 なんとか地面と踊る間に片手が腰元の魔刀に触れる。

 吹っ飛ぶ勢いを殺すべく段板が形成、シノギを押しとどめる。シュプレヒドの間合いの外で停止が成功。


 すぐさま立ち上がり、予測されぬように敷いた段板を蹴って上へと逃げ込む。

 幾ら雷速で動けても、それは直線的な動きだけ。そして一足で移動できる範囲は決まっていて、なによりも、天を舞うことはできない。


 空中まで戦場を広げる『キザハシ』はこの戦いにおいて必須である。

 だが。


「甘い」


 見えないはずの段板を、シュプレヒドは当たり前のように踏み締めて追いすがる。

 見えずとも冷静に魔力を感知し、シノギが蹴った瞬間を見て覚えれば、シュプレヒドも『キザハシ』の形成した段板を使うことはできるのだ。


「くっ」


 形成、形成、形成。

 段板を次々と展開し、シノギは逃げ惑う。その間に『キザハシ』を納刀し、代わりに別の魔刀を引き抜く。


「我が六の魔刀が一刀――『騒征ソウセイ魔刀・サエズリ』、その魔威をここに叫べ!」

「っ」


 人に不快、魔物に苦痛、命あるものへの怨讐邪念。不協和音を囀る人魔問わずに嫌悪される魔刀『囀』。

 無論、勇者の末裔だろうと関係なく強烈な不快感を与え、その集中力を乱す。


「そんなもの!」


 シュプレヒドは即応。

 丹田より魔力を練り上げ、覆うように内側から耐性を構築していく。継天者ケイテンシャとしての膨大な魔力をもってして自らの魔刀力場――『断魔拒絶結界ニヒト』を『囀』に対抗できるように調整改造する。


 だが、それでも動きの精彩は欠く。一拍の隙を晒すのは免れない。

 突如翻って斬りかかるシノギに、僅かに対応が遅れる。


「ち」


 ――『囀』と斬り結んではいけない。

 シュプレヒドはわかっていながら、それをせざるを得なかった。シュプレヒドの『断魔拒絶結界ニヒト』は現在調整の最中で、その防御力が揺らいでいるから。


 振り下ろされた斬撃を、剣を横にして受け止める他にない。


 噛み合うように、刀と剣は激しい衝突を繰り広げる。


「震えろ」


『囀』の刀身は常に振動し、音害をまき散らす。その副次効果として切断力を向上させている。殺傷力は一級品であろう。それを受け止める英雄の剣もまたやはり上等で。


 だが、そんなことは関係なく――振動とは伝わるもの。


 人を害する振動波、それは聴覚的な不快感を与える音でありながら、肉体的にも汚染する震える毒である。

 空気を介してでさえ凄まじい嫌悪感だというのに、直接触れるともなれば――


「ぅぅ、ぐ……ぅ」


 脳を掻きむしられたような、最悪の心地。

 英雄シュプレヒドでさえ平衡感覚を歪まされ、精神を痛めつけられ、思考を妨害される。

 力が抜け、剣から威が落ちる。魔術を行使しようにも狙い定まらず、無駄撃ちとなる。


「ぐ……ぅぐ、ァ!」


 ならば。


「根こそぎ焼き払えばよかろうが!」

「なっ」


飛蒼雷天ヒソウライテン』が一手、“蒼葬雷禍ソウソウライカ”。

 狙いを定めることができないなら周辺一帯を焼き尽くす。ただ雷撃をまき散らすだけなので術式が甘くとも発動できる術を選ぶ。


 蒼い雷撃がシュプレヒドを中心に荒れ狂い、空気中を焼却しては雷光が渦巻く。

 当然、斬り結んでいたシノギにも、例外なく襲い来る。


「ぐっ、ァアアァアア!?」


 咄嗟に『縁』で逃げ、『キザハシ』で防ぎ――なおそれでも貫いて届く。

 全身が痺れ、焼き付いて、シノギを存分に痛めつける。


 集中が途切れ形成していた全ての段板は解け消える。シノギは中空から地面に叩きつけられることとなる。

 シュプレヒドもまた平衡感覚を狂わされている手前、綺麗に着地とはならない。地に伏してもがいている。


 両者、横たわったままに静止して五秒。

 ともすれば決着か――否である。


「ちくしょ……やっぱ、強ェな」

「貴様は、やはり弱いな」


 言い合い、ふたりは立ち上がる。

 手袋の耐電付与は全身に帯びた耐性だ。手袋を通過する電撃を絶縁して無効にするのが基本だが、装着者が雷による受けるダメージをも軽減してくれる。

 魔王の手腕は手抜かりなく、生存のために尽力している。


 だから立ち上がれる。まだ戦える。


 とはいえ、ダメージは負った。想定以上に。

 やはり英雄エインフェリア、その剣も術も恐るべき強さを誇る。

 ならば、出し惜しみは無用。余裕など欠片もない。後悔せぬよう全力を尽くす。

 切り札は――切り時を誤らずに切らねばならない。


「おれは確かに弱ェな。けど、あんたはそんな弱いおれに負けるんだぜ――いくぞ、切り札見せてやらァよ」



    ◇



「して、シノギ、ひとつ聞いておきたいのじゃがな」


 再び時間を戻す。

 今度はベルから、シノギへの決闘における手札の確認だ。


「なんでい」

「おぬしの封じておるとか言う六本目の魔刀、此度もあれは使わんのか?」

「ああ、使わねェ」


 即答だった。

 断固たる決意が、その言葉からは感ぜられた。

 ベルも、だからそれ以上の追求は無駄と悟る。


「ふむ、それは残念、興味があったのじゃがな」

「あれはほんと、使っちゃいけねェ魔刀なんだよ。おれが所持してるって言うより、おれが隠し持ってるって言うほうが近ェ」

「じゃあ、いつものように四本の魔刀が君の手の内のすべてと考えて策を講じる必要があるな」

「あ、いや待て」


 リオトの言葉に、シノギは不思議そうに待ったをかける。


「五本目、あれなら使うぞ」

「え」

「あっ」


 ベルもリオトも、なぜかひどく意外そうな顔になる。

 鳩が豆鉄砲を食らったような、想定外を射抜かれたという表情だった。


「あっ、ああ、そういえばそうか。六本あるんだもんな、そりゃ五本目があるか」

「うーむ、なんとも盲点じゃったな。そういえば常に使っておったのは四本で、六本目を使わんと決めておるなら、五本目がなくては数が合わん」

「いや、忘れてたのかよ」


 呆れたように言うが、これまで一切話題にも上がらなかったのだ。忘れても致し方なかろう。


「というか、なぜ今まで使わずおったのじゃ」

「単純におれの不足のせいで使ってやれなかった」

「ほう?」

「けど今のおれなら、使えるはずだ」


 ちらとベルを見遣るも、当人は首を傾げるだけ。

 あんたのお陰なんだけどな、とは口のなかだけでつぶやいて。

 気づかぬベルはただ好奇心のままに。


「して、魔刀の名は?」

混生コンセイ魔刀だ、混生魔刀――」



    ◇



「我が六の魔刀が一刀――『混生コンセイ魔刀・チギリ』、その魔威をここにつがえ!」


 それは、刀身のない刀だった。

 柄だけの、刀と呼ぶにも呼べない奇妙な代物だった。

 鞘から引き抜いたそれに、だからまず浮かんだのは困惑である。


混生コンセイ魔刀だと? そんな柄だけの魔刀がなんだという」


 それはシノギと幾度も戦ったシュプレヒドすら知らない魔刀。

 魔力の消費が激しく、少し前まではほとんど使いこなせていなかった魔刀。

 だが、ベルとの鍛錬を積んで、魔力の向上を果たした今のシノギならば――使いこなすことができるはずだ。


混生コンセイ魔刀・チギリ』の能力は二つの魔刀を一時的に契ることでひとつにするというもの。

 刀剣型の二本の魔道具を一時的に混生、融合させる魔道具である。


 合わせ出来上がる一刀はふたつの能力を元とし、新たな合成能力を得る。

クシゲ』と六本目の魔刀は特殊であり契ることができないが、残る三本の組み合わせで三パターンの新たなる魔刀をここに契り生み出すことができるのだ。


 そして此度の契りは――


「鳴り響く道の魔刀――『鳴道メイドウ魔刀・チギリ囀階テンカイ』」


 それは『騒乱魔刀・囀』と『固空魔刀・キザハシ』とを番わせた魔刀。

 二刀が腰元より忽然と消失し、代わって存在しなかった刀身が銀に輝き、新たなる刀として完成する。


「そうか、合成の魔刀か」

「ただの合体と思うなよ」


 形成――『キザハシ』の如くに、周囲に見えぬ段板を複数、展開する。

 その段板は――


「なっ、くっ、これは……!」


 ひとつひとつ全てが振動し、人に不快、魔物に苦痛、命あるものへの怨讐邪念を歌い上げる。

 一枚の段板から発せられるそれは、単一であった頃の『囀』には及ばない。しかし、それが複数で、それも複合して振動が不規則に増幅される。

 その不快音声の破壊力は、想像を絶する。


「くそ、小癪な!」


 耐性を構築したシュプレヒドでさえ、顔を顰めて苦痛に歪む。吐き気がこみ上げ気を抜けば吐瀉としゃしてしまいそう。

 さらに魔力を巡らせ、抵抗力を底上げせねば――。


「遅ェぞ、英雄」


 この妨害音波の内でも自在に無関係に走るシノギの刃は既に振り下ろされている。

 咄嗟に転がるように回避されるも、やはり鈍い。


 追撃。斬撃。

 今の状態に慣れぬ内、抵抗を構築できぬ内に討ち取る。


 イメージするのはリオトの剣。あの正道ゆえに着実で、丁寧で隙のない連撃を再現してみせる。

 真っ直ぐ逸れず、迷わず揺るがず――斬る。

 魔刀頼りにしていたシノギにして、その剣筋は実に巧妙。シュプレヒドをして舌を巻く。


 だが、それで打倒しうるかと問えば否と言わざるを得ない。

 正道の剣を意識するシノギに比し、今のシュプレヒドの剣は不格好。切っ先は揺れ、握りは甘く、力強さは見受けられない。


 シノギの刃と打ち合うにしても不足する。

 ただの一振りでのけぞる。二撃目を防ぐに一杯一杯。三度の斬には回避しつつも掠ってしまう。

 とはいえ、それは威力を受け流しているということで。大打撃は避けているということ。


 頭の中身を手掴みされ、無茶苦茶に揺すられているような気持ち悪さ。五感の全てに靄がかかり、ノイズが走っては思考が途切れる。

 集中できようはずもなく、動作は酩酊状態以上にたどたどしい。当然『断魔拒絶結界ニヒト』も乱れ耐久力はがた落ち。


 そんな最悪なコンディションでなお、しかしシノギの精妙なる刃に応ずる。

 急所を守り、致命を避け、死だけを逃れる。


「くっ」


 それは根本的な技量の差。経験の多寡。

 英雄たるに相応しい男は逆境にもめげず、ピンチをこそチャンスに変える。

 恐ろしく不利な情勢でも、攻め立てるシノギは仕留めきれずにいる。


「ちくしょ……」


 届かないのか。

 ここまで有利に盤面を進めて、一方的な攻勢を敷いて、シュプレヒドは逃げ回っているだけなのに。


 なのに打倒できない。


 ギリギリで凌ぎ切り、虎視眈々と反撃の目を伺っている。

 斬り続けているのはシノギのはずなのに、僅かの緩みで一転、逆襲されてしまうのではないかと危機感が絶えない。


 急いて焦って、いつの間に、斬線はリオトに教わったそれとはかけ離れた乱れを見せている。

 こんな不様な剣で、倒しうるほど英雄は甘くはなくて。


 やがて。


「――仕損じたな」

「くそ」


 不意に、そんな一言とともに。

 シュプレヒドは妙に静かな顔つきに落ち着く。湖畔のように凪いだその相貌からは苦痛のひとつも見えない。

 事実、そうなのだろう。


「対抗術式は完成した。もはや貴様の騒征ソウセイ魔刀――いや、鳴道メイドウ魔刀だったか? 効かんよ」


 無論、まったくダメージないわけではないはずだ。

 極限まで縮退させてもゼロにはならないはずだ。

 それでも大幅に不快感をカットされてはアドバンテージを失う。抑制されていた力が解放される。


 シュプレヒドはしかと手に握る剣の重みを感じ、その柄の感触を把握。

 反撃の一閃。


「っ」


 魔刀で受け止めたシノギの全身を吹き飛ばす、その威力はまさに鬼人オーガの如し。

 シノギは勢いを殺さず、あえて身を任せて距離をとる。

 威力は散らせたのに、腕は痺れ、手のひらは震えてしまっている。あまりの馬鹿げた怪力に防いでも全身へと衝撃が通ってしまっている。 


「ち、馬鹿力が」

「魔力を身に巡らせ、膂力りょりょくを強化する。当たり前の技法だ。貴様のように武具を頼った雑魚には、考え及ばぬか?」

「はん、ほかに魔力運用できるほどの余裕がないだけだろ?」


 効いているはずだ。

 未だ『鳴道メイドウ魔刀・チギリ囀階テンカイ』の不協和音はシュプレヒドの集中力を削ぐのに役立っているはずなのだ。対抗術式の維持にリソースは割かれているはずなのだ。

 事実、彼はお得意の『飛蒼雷天ヒソウライテン』ではなく魔力強化を図った。

 余裕ぶった彼に惑わされてはいけない。効いている、はずなのだ。


 シノギはなんとか人を食ったような笑顔を顔に張り付ける。


「けどよ、契ったこいつは元のそれと違って、まだまだ音源を増やせるんだぜ。幾らでも増幅させて――」

「ハッタリだな」

「っ」


 やはり、あっさりと看破される。

 魔力について魔術道具について、知識の程が違う。踏み越えてきた場数が違う。


「混生魔刀といったか。たしかにその五本目の魔刀を私は知らない――けれど、見たところ魔力消費が激しいようだが」

「へぇ、そうなのかよ。そりゃ知らなったな」


 空っとぼけても無意味。

 斬り裂くように断ずる。


「貴様の矮小な魔力量では、遠からず分離するだろう。段板の形成を増やせばそれが加速するだけ。今の形成している分がほとんど限界量なのだろう?」

「……」


 図星である。

 混生魔刀の弱点はまさにそれ。シノギにとって最も厄介な難点――消費魔力の多さ。

 ベルに魔力量向上の鍛錬と魔力の運用について学ばなければ、発動するだけでも相当な虚脱感に襲われ、実戦に使うに使いこなせはしなかった。

 その上、契って出来上がった新たな魔刀の異能行使には一本の頃よりさらに魔力の消費量が増すというリスクもあった。だからこれまで抜くこともなかったのだ。


 此度に駆り出したのは、ベルとの鍛錬においてある程度の目途が立ったから。一度くらいなら、使用しても平常の動作を維持できると断じたから。

 とはいえ、だからとペース配分を考えず異能を連発してしまうとすぐにガス欠。混生状態を維持するだけでも難儀する。


 シュプレヒドの推測通り、もはやこれ以上の囀る段板の形成は自殺行為になるだろう。


「もはや耐性は作った、増設はない。ならば、あとは実力差がものを言う」

「はん。余裕ぶるなよ。耐性を維持するために集中力の大半を持ってかれてるだろうが。『飛蒼雷天ヒソウライテン』はほとんど使えねェ」


 ――はずだ。

 願望まじりの断言を、しかしシュプレヒドは余裕そうに受け止める。肯定する。


「かもしれんな。しかし、だからどうだという。貴様に『飛蒼雷天ヒソウライテン』などはじめから過ぎた術だ」


 シュプレヒドは剣を露払いのように振るう。

 ばちりと、雷撃がその刀身に絡みついている。


「それに、邪魔ならば砕けばいい。それだけの話だ」

「っ」


 その直後、シュプレヒドは疾走をはじめる。

 シノギのいる真正面とは見当外れの方角に。

 そちらにはなにもない。少なくとも目には見えない。感じない。

 しかし。


「ちィ!」


 遅れて気づき、シノギは追走。

 だが間に合わない。それに辿り着くのはシュプレヒドが先で――雷剣が振り下ろされる。


 音もなく――破壊されたのは段板だ。


「やはり、音が減ったな」


 見えずとも聞こえる。魔力を感知できる。ならばある程度の配置を見抜くのは可能で、無論に破砕するのは容易である。

 そして反転。

 さらに別の方向へ。他に複数バラけて配された段板を目指す。


「くそ」


 行かせてなるものかと、シノギは泡を食ってその背を追いかける

 段板が減れば害音が減る。それは同時にシュプレヒドに余裕を返すということ。対抗術式に回している集中力を、他ごとに少しずつ移せてしまう。

 それをさせてはならない。弱っている内に討たねば勝ち目など――


「そう、貴様は私に全力を出させてはならない」

「っ」

「だからここで不用心に追わねばならない」


 転瞬。

 シュプレヒドは急ブレーキを踏む。再度、反転する。

 停止と振り返り、その動作をそのまま斬撃に変換。剣を振りかぶる。

 後背にてわざわざ間合いに踏み込んでくる間抜けを迎え撃つ。


「っァ!」


 鋼の衝突音。

 間一髪で、シノギは魔刀『囀階テンカイ』でもって斬撃を受け止める。流れ通電する雷撃は手袋が防ぐ。

 不意打ちは失敗――シュプレヒドは笑う。


「やはり、もはや刀身の震えは失われているな」


 その通り。

サエズリ』とは違い、『囀階テンカイ』は段板に振動を付与する魔刀。その刀身までは囀っていない。ならば直接触れ、鍔競り合っても問題はない。

 だとすれば。


「力押しで充分か」

「コノ……馬鹿力が……っ!」


 鍔競った状態から、押し込んで吹っ飛ばされる。

 シノギは投擲した石ころのように撥ね飛ばされ、結界が区切る空間の境にまで叩きつけられる。境界の壁には傷ひとつつかない。代わりに反動の全てがシノギの身で弾ける。


「かは……っ!」


 叩きつけられた衝撃は凄まじく、肺から空気が一挙に飛び出した。血と唾液がない交ぜになって口から吐き出された。


 やはり魔力による強化の分、基本スペックにおいて完全に劣っている。

 力勝負では勝ち目がない。同時に英雄たるの技量を考えると剣術の腕前でも敵わず、魔術では言わずもがな。


 ならばどうすれば勝てるのか。


 勝算がないわけではない。その瞬間を見極め続けている手筈はある。

 けれどそれが間に合うか、タイミングを上手く捉えられるか。それはどうしたって確定できない。難易度が高すぎる。


 ともあれ、倒れ伏したままではまずいのはわかる。全身の痛みを無視して跳ね起きる。

 目に映るのは――


「終わりだな。音源はことごとく失われ、さあどうする、また新たに形成するか? できるのか?」

「……!」


 形成した囀る段板――その全てが粉砕され尽くした情景であった。


 シノギが寝っ転がっている僅かで、シュプレヒドは目的を達し終えていた。

 それはつまり、拘束されていた英雄の全力が解放されてしまったということ。

 勝ちの目がまた大きく――遠退いたということ。


「ふん? そうするか」


 こうなった以上は混生魔刀の解除をする他に手はない。

 一刀となっていた魔刀は、『囀』と『キザハシ』にと分離する。


 少量の魔力を温存するのにそれは悪くはない判断ではあれ、苦渋の決断だったのは確か。

 なぜなら。


「もう混生魔刀は使えまい。あと四本だな」


 混生する際に大きく魔力を消費するそれは、もうこの戦闘内で行使するのは不可能だろう。シノギの魔力的キャパシティの低さは、どうしたって付きまとう欠点。

 シノギはそれでも笑みを絶やさない。『チギリ』を納刀し、『囀』を引き抜く。


「四本もありゃ、充分あんたをぶっ倒せるさァ」

「ふん。強がるな。とはいえ、確かに騒征ソウセイ魔刀は厄介だ、封じさせてもらう」

「なっ」


 瞬間、シノギは腕ごと魔刀をなにかに包み込まれる。


 結界魔術。


 そうだ、よく見渡せば答えはそこにある。

 この決闘空間の外、そこにいる者たちが『囀』に苦しんでいないではないか。

 魔術的な遮断によって、『囀』は防げるということ。


 シノギは咄嗟に魔刀から手を離し、その場から逃れる。そのままでは結界に飲まれてシノギ自身が投獄されるところであった。


 だが狙いは達せられる。

 元より魔刀を選んで封ずるに特化した術。腕は引き抜けても魔刀は捕らえて離さない。

 よって魔刀『囀』は結界で仕切られ、その害する音ごと封ぜられてしまう。


 英雄はあらゆる魔術に精通するが故、そんな手管もさらりと選べる。


「これで、貴様の魔刀は残る三本」


 シュプレヒドはシノギが六本目の魔刀を絶対に使わないことを知っている。

 そして今先ほど二本の魔刀を使用不可とした。

 順調に、シノギのなしうる選択肢を削っている。なす術のない絶望へと追いやっている。


 ただの勝利では飽き足らず、シュプレヒドは完膚なきまでにシノギの心を叩き折るつもりだ。敗北というのは、魂にまで刻み込んでこそであると。


「切り札を先に切ったのは誤りだったな。それを失った今、貴様はもはや手足をもがれたも同然」


 とはいえ、『チギリ』を使わねばここまで渡り合うことがそもそもできなかっただろう。無理を通してなんとか今まで戦えていたに過ぎない。

 結局、地力の差は如何ともしがたい。ただただ厳然たる実力でもって、サカガキ・シノギは劣っている。

 それを思い知れ。身の程を思い知れ。


「そして、騒征ソウセイ魔刀の妨害さえなくば、使えるぞ」

「っ」


 びくりと、シノギの全身が恐怖に震えた。

 それは、はじめから警戒していたこと。開幕と同時にさせぬようにと立ち回っていたこと。

 こちらの切り札を先に切ってでも使わせたくはなかった――シュプレヒドの切り札。

 しかしその封殺のための魔刀『囀』は失った。攻め込むにも間合いが離れている。ならばもはや止める手立てはない。


 そして、此度は全力で叩き潰すと英雄は決めていた。その心を折って気概を削いで、諦観に沈めてやると兄は決めていた。

 どう足掻いても届かぬ場所があるのだと知らしめ、まかり間違っても二度と立ち向かおうなどと考えが浮かばないほどに絶望させてやる。


「英雄たる力でもって虐げてやる、サカガキ・シノギ――一切合切を屈服させる雷帝の力を見よ!」


 息つく暇も与えない。一気呵成に攻め立る。雷は駆け抜け行くものだから。

 シュプレヒドは獰猛に笑って――それを開帳する。


「『飛蒼雷天ヒソウライテン』が一手――“蒼き雷帝イヴァン・グロズヌイ”」



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