引きこもりの少女と郵便屋 5



 その一室は地下にあった。


 広い邸宅において地下まで備えているのは避難用であり、そのためあまり豪奢な部屋は用意されていない。

 というか、屋敷の主たるフラウラリーネすらほとんど地下になど赴かない。バトが掃除のために月に何度か回る程度。

 そんな最低限の掃除と最小限の家具しか配置されていない地下の一室に――その少女はいた。


 白い、少女だった。


 髪の毛から肌の色、果ては瞳まで白一色。まるで雪を固めて作った精巧過ぎる人形のような、氷の妖精のような美しさ。

 傑出した造形美、色素の薄さ、その長耳、エルフ種特有の特徴は人目を惹きつける。


 ひとりやってきたシノギの悪瞳さえも、一瞬惹きつけられ言葉を失ったほどに。

 すぐに立て直し、まずは第一声を。


「あんたがハク・メルヒェンか」

「……」

「ああ、しゃべらないんだったな」


 エルフ種の中でも声をなによりも誇りとし、歌声にのみ美を見出す種族、『歌氏族カシゾク』という。

 特に女性のそれは喋るだけで歌っているように聞こえ、笑った声は上等な楽器の音色と言われる。


 歌氏族は声のよさで順列が決まり、ゆえに女尊男卑のきらいもあるほどだという。

 だからこそ、少女はシノギを恐れない。外見などより声をこそ重視するがゆえ。


 真っすぐと、不思議そうな視線でシノギの悪瞳を見つめる。

 疑問に答えるように、シノギはまずは自己紹介。


「おれはサカガキ・シノギってんだ。フラウの奴から聞いてねェか?」


 あぁと、ハクは納得といった顔をする。声は出さない。

 歌氏族カシゾクの中には他種族の濁った声を快く思わず、その声に耳を塞ぐ者もいるというが、どうやらハクはそこまで嫌悪感なく話せるようだった。


 すっと、少女は手を差し出す。

 シノギは既にそれを聞かされている。迷わず手を取った。

 すると。


(ごきげんよう、サカガキさま)

「ああ、こりゃ、話にゃ聞いてたが妙な心地だな」


 歌氏族カシゾクは声を水にたとえ、澄んだものほど上等で濁っている声ほど下等とみなす。

 そして時に、歌氏族カシゾクであっても声が人並みでしかない女性が生まれると濁女にごりめと呼び忌避されてしまう。


 濁った血に生まれた濁り声しかだせぬ忌み子。

 呪われた子とし、声を出すことを禁じられる。いくら外見が麗しく愛らしかろうと、声が濁っているのならば醜悪でしかない。


 ハク・メルヒェンとは、同族に疎まれし濁女にごりめであった。

 ゆえにこそ、その身を売り払われてしまい、そこをシュプレヒドが購入したという。


 濁女にごりめは独特の伝心の魔術を心得ており、声なく会話はできる。その魔術の特性は脳裏に文字が浮かび上がり、音の感覚は一切しないところにある。

 歌氏族カシゾクは声を尊ぶがために文字はもっておらず、字を書くことすら忌避される。伝心魔術は濁女にごりめだけのグレーゾーンなのである。

 パスは接続した――手を離しハクは無表情のまま、シノギをじっと見つめる。


(それで、サカガキさま、今日はどういったご用件でしょうか)

「ふん、どうにも恭しいな」

(フラウラリーネさまより、あなたは自身と同列に扱うようにと仰せつかっております。主人に敬意を払うのは奴隷の義務かと)

「……奴隷か」


 少々物々しい単語に、シノギは若干眉を顰める。

 長く旅をして、多く様々な価値観を見てきた。奴隷が一般的に売買されている場所や、逆に禁じられている土地、いろいろあった。

 そうした見識をもつシノギの感想としては、奴隷という制度はあまり快いものではない。否定はしないが、よくは思わない。


 一方、ハクとしてはなんらの不都合も感じていない。己が奴隷として消費されることに、特段の不満もないと態度と字幕が告げる。


(シュプレヒドさまに購入され、わたしはエスタピジャの所有物となりました。奴隷の他に表す文字もありません)

「すくなくとも、フラウの奴は別にあんたを奴隷と思ってねェと思うが」

(ですが、ならばなんなのでしょう)


 素朴な疑問に、しかしシノギは肩を竦める。

 べつに誰がどう思うを否定しようとまでは思わない。明快な答えなど、シノギには持ち合わせがない。


「さァな。まあ、なんでもいいさ。なんならここでメイドでもすりゃいい。メイド服とか、似合いそうだしな」

(……わたしは、一週間後にはここで軟禁されることになっているはずですが)

「そうならないように、おれががんばるんだよ。あんたのためじゃねェがよ」

(戦うのですか)

「ああ」


 一応、少女にも事のあらましは伝わっている。

 シノギとシュプレヒドの一騎打ちと、その結末による待遇の流動。ハクにとって人生の先行きの決まる大一番だ、黙っているような不実はなさない。


 とはいえ、その説明を受けた白き奴隷の少女は冷めたものだった。


(なぜですか。シュプレヒドさまは英雄エインフェリアと伺っています、勝ち目はないのでは?)

「けっこう、言うじゃねェか」


 割と衒いなく真っ向から言い放つ言葉に、シノギは苦笑いを零す。

 気分を害したかと慌てた字幕が脳裏に流れる。


(失礼しました)

「いや、それくらいでいいさ。楽しいさ」

(たのしい、ですか)

「ああ。ひとと話すのは楽しいだろ。本音だったら尚更だ」


 旅の醍醐味のひとつに、あらゆる種族のいろんな性格をした沢山の人々と話すことができるという点にある。

 歌氏族と話すのははじめてではないが――歌氏族の濁女にごりめと話すのは、はじめてだった。


「で、負けるに決まってる雑魚いおれがなんで戦うかだっけ?」

(そこまで言っておりません)

「勝つぜ、おれは」


 字幕が途切れる。

 あまり清々しい断言に戸惑い、言葉を迷っているようだった。

 シノギは、少女の整理を待たない。


「で、今回はあんたの心持ちを聞きたくて来たんだが」

(……こころもち)

「ああ。ぶっちゃけ、どうよ、本音としては――人柱、なりたいかよ」


 若干卑怯な問いかけだ。

 なりたい、なりたくないでの二択において、なりたいと言うはずがない。

 本当に本音を聞き出したいのなら、そのような問いはいささか的外れになりかねないのではないか。

 そうでもない。


(人柱になることに、大きな抵抗はありません)


 ハクは文字を綴る。手紙のように。


(あなたが万が一勝利しても、結局所有権がシュプレヒドさまからフラウラリーネさまに移譲されるだけで、その本質的な扱いは変わらないでしょう。つまり。いずれは人柱になる事態は避けられないということです)


 ならば大して、結末は変わらない。

 ここで引き伸ばしがあっても、結局は同じこと。


「いずれなるから、なることは仕方ないのか」

(……わたしは奴隷ですから)


 それは諦観に染まり切った文字だった。

 字幕であるのに、その諦観だけは嫌になるほど伝わってくるのは何故なのか。


(母にも父にも捨てられました。同じ村のみんなに嫌われて、大好きな歌を歌うことも否定されて、もうわたしはいないほうがいいんだって)

「……」

(だから、必要とされるのは、すこしうれしかった。命を捧げる人柱でも)


 そうだろう。

 そこまでは、既にシノギも聞いている。

 だから、シノギが聞きたい本音というのはその先のこと。


「じゃあ、おれが勝ったらあんたは自由だ――ってことになったら、どうだよ」

(じゆう?)


 耳慣れない言葉を聞いたとばかり、ハクはその白に輝く瞳を丸くする。


「おれが勝って時間を稼いで、んで、その稼いだ時間で人柱って制度そのものを、おれが崩す。そうなりゃあんたは自由だろ。人柱にならなくていいし、必要性もないからこの屋敷を出てもいい。全部終わったらおれがフラウに口添えしてやるよ」

(そんな、こと……)

「おう、そんなことになったら、どうするよ」


 底意地の悪い笑みを浮かべて、シノギは夢でも語るようにして無茶な未来を想像する。

 まずもって英雄エインフェリアにサシで勝利することが一手目で、短い期間の内に勇者の構築したシステムを破る方策を編み出すことが大前提。


 ひとつとってもうまくいく保障はなく、重ねて両立など無理難題。ありえないと言えるほどの無茶苦茶である。

 それらを全部叶えた後など――考えるだけ無駄だろうに。


 なのにシノギの悪瞳はまるで揺るがず真っすぐで。

 ハクは、わずかに震えた。


(……わたしに、あなたのことを信じろというのですか。いま会ったばかりの、あなたを)

「べつに信じなくてもいい。そうしてやるってだけだ」

(無理に決まっています)

「やってみねェとわからんだろ」

(わかりますよ! あなたひとりでそんな――)

「誰がひとりと言ったよ」


 文字が脳裏に伝わる以前に、シノギはぴしゃりと言った。

 それは大事なことだ、逐次訂正せねばならない。


「おれァひとりじゃねェよ。頼りになる奴らがふたりもいる。ふたりだぜ? ほら、楽勝だろ?」

(……あなたは)


 続く言葉はない。

 なんと言えばいいのか、白い少女にはわからない。

 文字を失い俯くハクに、シノギは子供のように笑った。


「ま、だったらアレだ。この勝負の結果で考えてくれよ」

(なにを、ですか)

「もしもおれがあいつに勝てば、あんたの無理の理屈はまず破綻だろ? じゃあ続く先もありえる気がしてくるだろうが。おれの理屈に乗れ」


 ただの郵便屋さんが英雄エインフェリアに勝ったとしたら――それは確かに奇跡のような出来事。

 無謀な結末に至るのに、まずは幸先良い一歩であろう。


「突然で悪いが、まあ考えといてくれや」


 シノギはそれだけ告げると、返答も待たずに身を翻す。

 伝えたかった言葉は伝えた。

 啖呵も切って、見栄も張った。

 これでまたひとつ、シノギは負けられなくなったのだった。


「っ! ……!」


 だが、そこで。


(待って!)

「あん?」


 呼び止める字幕が流れる。

 言葉を持たない少女は、けれど振り返らない男に必死に最後の質問を送る。


(どうして……どうしてあなたは戦うの?)

「そりゃァ」


 理由なんぞ幾らでもある。

 フラウとの約束。シュプレヒドへの負けん気。ベルとリオトの隣にあるべく相応しい己の証明。

 沢山沢山、理由はあるけれど――ひとつに絞れというのなら。


「まァ、一番大事なもんを賭けにだしちまったからな」

(それは、フラウラリーネさまですか?)

「阿呆、んなわけあるか、素直かよ」

(じゃっ、じゃあ……?)


 再度、問いを向けられ、シノギは困ったように頭を掻く。

 それを人に告げるのは気恥ずかしいように思うのだ。

 とはいえ、ここで黙って帰るというのも大人げない。彼女への不実となる。

 シノギは肩を竦めてからできるだけ冗談めかして、悪戯っぽく笑い――一度だけ振り返る。


「自由ってやつだよ」



    ◇



 部屋を辞せば、リオトが待っていた。

 ひとりであった。


「ん、ベルはどうしたよ」

「フラウラリーネさんと話がある、そうだ」

「……へぇ」


 含むような相槌となったのは、流石のシノギでもあのふたりの相性悪さを見て取っていたから。

 ふたりきりになって一体なにを話すのか、興味がないと言えば嘘になるが、聞き耳立てるような野暮はできまい。ガールズトークとやらに花を咲かせるだけかもしれないし。

 置いといて。


「んで、あんたは?」

「俺? そりゃ、あれだろ。勝つための協力をしようと」

「……あんたはほんと、ブレねェなァ」


 当たり前のようにまず手助けを最優先とする。

 いろいろと言いたいことはあろうに、様々に質問事項はあろうに。全部放り出して、ただ求められたから助けるだけ。

 難敵への勝利を目的とするのなら、素早く方策を練るべきだと。

 

「じゃあ時間もないし早速だけど、できるだけ相手のことを教えてくれ。対策を考えて、それに沿った鍛錬を選んで、君の長所をできるだけ伸ばそう」

「…………」


 シノギは、ふとなんだか黙ってしまう。

 いつも通りのリオト――いつも通り強く、いつも通り眩しくて、いつも通り実に勇者。

 リオトーデ・ウリエル・トワイラスという男はシノギの一端を知ってもその形を一切変じやしない。

 鋼の剣のように、硬く鋭く美しい魂。シノギの、憧れるひと。


「なァ……」


 そこは地下の廊下、その奥まった隅にある部屋の前。ふたり以外に誰も――ベルさえおらず、どこにも届かない。地の底ゆえに月さえ覗けない。

 だからだろうか。


「おれ……勝てるかな」


 ぽろりと零れ落ちたのは、どうしようもなく存在する弱音。

 女子供相手には強気に笑ってみせたシノギであるが、すこしだけ、リオトを前に意地っ張りの隙間が見えてしまった。


 リオトは殊更おどろいて、だけどなんだかすこし嬉しそうにする。


「どうした、いつになく弱気じゃないか」

「あいつはよ、あいつは、ガキの頃から特別だったんだよ」


 あいつ――察するところ、シュプレヒド・フォン・エスタピジャ。

 フラウラリーネが昔馴染みなら、当然その兄であるシュプレヒドもまた古くからの知り合いだろう。

 古くからの知り合いと言って、仲良くできていたとは限らない。嫌悪し合って現在の関係そのままであったと想像するに難くない。


「頭もよくて、なんでもできて、カッコよくって――強かった」


 権力者なのに努力家でもあって、魔術師なのに剣術師でもあった。あらゆる才気をもって、それら全ての才能を磨いて統べていた。

 彼は幼い頃から天才と持て囃され、妹思いで、シノギの敵う要素なんてひとつもなくて。


「劣等感、か?」

「いや、恥ずかしながら、あん時にあったのは――憧れだったよ」


 今思うリオトへのそれと同じ、恰好よくて強い先行くひとへの、憧れ。


「できないことなんてなにもないって思ってた――フラウの奴が人柱になるまではな」

「……そうか。かれは」

「ああ。最初は、あいつだっておれと同じでフラウが望んだように誰も不幸にならない救い方を模索してた。おれなんかよりも、きっとずっと真剣に手を尽くしてた。

 そして、その結果が無理という結論だ」


 シュプレヒドが全力で臨み、それが叶わないなんて、当時のシノギとしては衝撃だった。

 そして、それ以上に。


「諦めちまったあいつの姿に、なんか無性に腹が立ってよ――あんたに無理ならおれがって言って、この都市を出たのが郵便屋のはじまりだ」

「君らしいよ」

「無鉄砲さがか」

「諦めの悪さがさ」


 ああ、とリオトの言いたいのと別な納得を示す。


「そうかもな。あいつは潔くて、おれは往生際が悪い」

「シノギ?」

「そうだ、おれは、嫌われるのが嫌だから、フラウあいつの我が儘に付き合ってるだけなのかもしれねェ。シュプレヒドあいつみてェに嫌われてでも救おうって決断ができないだけなのかもしれねェ。ほんと、往生際が悪ィ」


 三馬鹿一行において自虐的なのは共通項。

 けれど、此度の独白はどうにも歪んでいて。


「だから、今回の決闘は、実は好都合なのかもしれねェ」

「……おい」

「おれがおれの覚悟を試すことができる。本当に、あいつのためを思っておれが動いてんのか、これでわかる。命を捨てて戦って、死んででも勝つ。それができれば、おれは――」

「こら」

「っ」


 リオトが強めに言って言葉を遮ると、シノギは酷く怯えたように体を震わせた。

 奇縁がなくともわかる。それは失望を恐れた顔つき。

 ベルが稀に表出させる顔色で、リオトだってなくはない感情で、シノギには珍しい表立った気弱さ。


 ああ、まったく。


 リオトは思う。ああまったくと。

 シノギが昔語りだなんて、もしかしてはじめてじゃないか。彼はひどく、自分を語りたがらない男だから。


 それも弱音まじりで自嘲気味だなんて、らしくないにも程がある。

 けれど、らしくない姿っていうのは、つまり意地っ張りな彼の隠し通してきた仮面の裏で、それだけシノギの見栄が分厚くて見通せなかったということ。


 人並にある弱音を吐露したからと、失望するなんてありえなく。

 むしろ、その言葉は聞き逃せない。腹が立つ。

 リオトは、腹を立てながらも至極冷静に言う。


「勝った後に望むものは多いほうがいい」

「……意外なお言葉だな。貪欲がいいってか、清貧マン」

「勝利の先が大事ってことさ」


 ただ勝利するより、勝って生き残りたい。生きて大事な人たちとまた笑い合いたい。笑い合う友を守りたい。

 そうやって、沢山を望む貪欲さが生き残る執念になる。


「潔しというのは格好いいけど、生き汚いのは格好悪いわけじゃない。多くを望むから生きたくて、そういう生きたいという思いは確かに人を生き残らせるよ」


 そして修羅場で生き残り続けるというのは、それだけ経験を得ているということ。命の境目で踊る狂気は人を嫌でも強くする。


「まあ、俺が言いたいのはさ――死んでも勝つだなんて、言わないでくれよ」

「……」

「今負けたっていい。負けても生き残れば次がある。きっと、どうにだってなるさ」


 命の限り全力で戦うことは否定しない。けれど生き残ることにも、同じだけ全力を尽くして欲しい。

 魂が繋がって死を共感共有するからとかそんな小さい話ではなく。

 ただ単純に、純粋に――


「シノギ、君には生きて欲しいんだ」



    ◇



「それで、わたくしにお話があるとか」


 フラウラリーネは優美にカップから茶を啜る。

 その所作は実に洗練されて、非常に板についている。裏に積んだ教育のほどを伺え、幽閉されることになろうとも気品高くあらねばならないのだと強いられた小鳥の苦労が見え隠れする。


 そんな令嬢に対面するのはベルひとり。

 特段に礼儀作法に則ることもなく、ただあるがままに座している。なのにその姿は王者の如く圧倒的で、淑女のように見惚れる様だ。


 ベルはその小さな背丈をできるだけ大きく見せようと胸をそらし、上から見下すように顎を上げる。


「うむ、ひとつだけ言っておきたくての」

「奇遇ですこと。わたくしも実は、一言伝えておきたいことがありますわね」


 一切怯まず、フラウラリーネは即応する。

 相手が史上最悪の魔王と知っていながら、儚い少女は一切引けを取らず真っすぐに対峙する。


 ティベルシアは言う、包み隠さず一息で。

 フラウラリーネは告げる、寄り道なく真っすぐに。


わしはわたくしおぬしあなたのことが嫌いじゃです


「……」

「……」


 面食らう、ことはない。

 予想通りで、推測尽く。自らがそうであるがために、相手もそうだろうとごく当たり前にふたりは理解していた。

 だから、流れるように続くのは文句の応酬。男どものいないところでため込んでいたものを吐き出す。


「貴様、貴様の存在がシノギの命を縮める。あやつのなりふり構わん行動の多くはおぬしが原因じゃろうが」

「あなたこそ、あなたのような危険な方と縁を繋ぐだなんて、命が幾つあっても足りませんでしょう」

「シノギに頼り依存し、その運命を縛り付けおって。シノギはおぬしのために存在するわけではないのじゃぞ」

「おやおや、依存しているのはあなたでしょう。勝手にもたれて、勝手に縋って。断るのが苦手なのをいいことに厚かましいのではないですか」


 それは、もしかしたら同族嫌悪で。自己嫌悪に近いのかもしれない。罵倒は同時に自責の念と言えるのかもしれない。

 けれど理由はともかくきっぱりと断言できる、嫌いなのだ、この女が。どうしても、どうあっても。

 とはいえ。


「まあ――とはいえ。わしのことなぞどうでもいい」

「本当に、わたくしの本音など並べ連ねてもなんの意味もありません」


 それでも優先すべき事項はほかにある。

 自分の嫌悪感などは脇に放置してでも絶対に先んじるべき事柄がある。

 そのためならば嫌いな相手と協力することすらやぶさかでない。嫌いであるということを踏まえて手を結ぶことさえ致し方ないと飲める――彼のためならば。


「幾らでも言い足りんのが本音じゃが、時間もないでな」

「建設的な話をしましょう、これからのことを話しましょう」

「必ずシノギを生き残らせる」

「勝って笑ってもらいましょう」

「絶対にじゃ」

「ええ、必ずです」


 静かなる決意がその銀瞳には宿る。

 揺るぎない覚悟がその紅瞳には燃える。

 本当に嫌いな相手だけど――この目的においては誰より信用できる。期待できる。


「まあ本音を言えば、なんならわしは此度の決闘においてシノギが敗北してくれたほうが有難いくらいじゃがの。どこぞの腐れ縁を絶てるようじゃし」

「おや、では彼を手伝わないのですか。どこぞの腐れ縁の魔王サマは」

「戯け。そんなことはありえぬ。わしがシノギに手を貸さぬなど、ありえぬよ。わしはあやつに負けて欲しくなどないのじゃから。そして腐れ縁はおぬしじゃ、おぬし」

「そうでしょうね。わたくしも、その意見に関しては同意しますよ。腐れ縁さん」


 くすりと、先の罵り合いなど忘れたように、フラウラリーネは笑う。楽し気に。

 ベルは笑わず、鼻を鳴らしてさっさと話を進める。彼女はフラウラリーネほどに割り切れない。


「ふん。それで、奴の――此度の敵手シュプレヒド・フォン・エスタピジャについて教えよ」


 シノギから聞き出す役割はリオト。ベルはそれ以外の者から情報を得る。

 聞けることは全部、聞く。やれることは全部、やる。

 実際の戦闘において手出し無用というのなら、その戦い以前から勝利を呼び込めるほどの周到なる準備を敷く。

 相手が誰であろうが関係ない――あのシノギがああまで言って素直に頼んできたのだ、応えねば三馬鹿の名折れというもの。

 絶対に――


「死なせはせんぞ、シノギ」



    ◇



 ――あの男が嫌いだ。


 シュプレヒドはすこしだけ過去を思う。


 最初からあの男を嫌いだったわけではない。

 出会った時分はあの子も酷く憂鬱げで、沈痛な面持ちであったことも多く、どうにか慰めてやりたいと思っていた頃で。


 だからなにより多く、誰より嬉しそうに彼女を笑顔にできたあの男には嫉妬の念などよりも感謝の念が強かった。

 彼女が笑っていられることが、なにより大事だと思ったのだ。


 彼には人を引き付けるなにかがある。

 落ち込み切った彼女を笑わせ、シュプレヒドでさえ断られたバトに師事を許された。憎からず思っている自分がどこかにいると気づいていた。

 きっと、それは自分にはないもの。


 そのことを羨ましいと、ズルいと、そう感じるようになったのはいつからなのだろう。

 成長し、いろいろなことができるようになって、視野が広がって、彼女を誰も不幸にせず救うことができないとわかってしまった時からだろうか。

 それでもなお諦めないで外界に飛び出すようになり、あの子へと嬉々として物語染みた冒険譚を語り聞かせるのを知った時からだろうか。


 わからない。

 本当に、いつの間にか、反転していた。


 冒険譚を語るのは外の楽しさを伝え、希望を忘れぬようにとの叱咤激励である。

 ――だがそれは不可能ごとを自慢する所業ではないのか。悪戯に彼女の心を傷つけて嘲笑っているのではないか。


 悪態をついても絶対に見捨てず、離れ離れであっても確かな絆を結んでいる。

 ――だがそれは彼女の権力にあやかるための演技ではないのか。本当はどうでもいいのに、やりたいことをやりたい放題するために騙されているのではないか。


 彼女が望んだとおりに、誰も不幸にせずに解決しようと尽力している。

 ――だが、それで彼女が死んでは元も子もないのではないのか。


 いつかどこかで聞いた言葉。



 ――幸福を知らなければ不幸に気づけない。

 ――自由を知らなければ不自由に気づけない。

 ――この世で最も幸せな者は白痴であろう。

 ――たとえ、それが比較できないだけの灰色の幸福であったとしても。



 シュプレヒドは、この言葉に酷く感銘をうけたものだ。

 だから、命短い彼女に、すこしでも幸せであり続けてほしいと願う。それが間違っているとでも言うのか。

 他者を追いやってでも救いたいと願う。それが悪だとでも言うのか。


 あの男を見ていると、まるで自分の全てを間違っていると罵られているかのようで、酷く息苦しくなる。腹が立つ。

 だが、間違ってなどいるものか。悪であるはずがない。

 彼女を助ける、絶対に。


「貴様などに、私は負けない――必ず打ち倒して我が正道を証明してみせる」


 ――あの男が嫌いだ。

 ――夢のようなことを語り、いつも笑って、決して諦めないあの男が、大嫌いだ。



    ◇



 多く誰もの感情が巡り、思惑は交錯する。

 皆が望むものを心に持ち、等しくそのために奔走する。

 けれど時間は残酷なほどに停滞を嫌って前進する。一週間など瞬く間に過ぎ去って。


 来たる。

 決闘の日である。



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